514.いっぱい居る事もある
ウィルフレッドとジークハルトの会話が届かない防音の外側で、四人の男が食卓を囲んでいる。
うち三人がツイーディア王国の人間で帝国側はたった一人だが、さすが暴虐皇子の補佐官といったところか、物怖じする様子は微塵もなかった。
「それにしても……今回の件について聞いた時は、貴殿も驚かれたのでは?」
穏やかに微笑んで問いかけたのはジャック・ライル侯爵令息。
特務大臣アーチャー公爵の直下、特別使節団に所属する二十歳の青年だ。橙黄色の短髪は左の横髪だけ首元まで伸ばし、細い三つ編みに結っている。
同じ色の瞳に凛々しい眉、風の魔法を最適とし、この部屋に防音の魔法を張っているのも彼だ。
「殿下が仕事の最中にツイーディアの、それもこの孤島リラまで出向かれるとは。」
「ンッフフ、歴史上でも珍しい出来事ですよねぇ。」
問われた相手が答える前に、一人が堪えきれないとばかりに笑みを漏らしてそう言った。
ツイーディア王国第二王子付き護衛騎士、ロイ・ダルトン。
背の高い彼は薄緑の前髪を後ろへ流してハーフアップにまとめており、その目は開いているか閉じているかすらわからないほど細い。
「…驚きはしましたが、万事、気が乗ってしまうとこちらが止めても無駄な事が多いので。」
淡々と答えたのはアクレイギア帝国第一皇子補佐官、ルトガー・シェーレンベルク。
藍鼠色の柔らかな短髪、右目にかけた片眼鏡のチェーンは右耳のイヤーカフに繋がり、瞳は鮮やかな青紫色をしている。
ジークハルトの二つ上である十八歳で、かつてジークハルトの父に己が両親を殺された、今は亡き先代皇帝の遺児だ。
「それより完全な極秘ではなく、貴国内で正式に許可が出た事の方が驚きました。こちらの国で殿下が何と呼ばれているかは把握しています。当然の事と思いますが、反対意見も出たのでは?」
ルトガーがちらりと正面を見やり、片眼鏡が室内の明かりを反射する。
視線の先にいるのはサディアス・ニクソン、法務大臣ニクソン公爵の嫡男だ。
少しも乱れのない真っ直ぐ伸びた紺色の短髪、黒淵眼鏡の奥には水色の瞳。四人の中ではもっとも若い十五歳だが、ウィルフレッドに合わせて入学したため、王立学園ではまだ一年生である。
「中央でどのような意見があったか、私も全ては存じませんが……結果的に陛下はお認めになった。それが全てかと」
そう言って、サディアスは涼やかに微笑んでみせる。
ジャックが言った「仕事」の意味が「戦争」だと知った上で、補佐官と言ってもルトガー自身ジークハルトに認められるだけの戦いの腕があるだろうと察した上で、その顔には緊張も恐怖も浮かばない。
ジークハルトが来る、それも呼んだのはシャロンだと聞いた時、サディアスは一瞬まったく意味がわからなかった。
ツイーディアとアクレイギアの歴史においてはあまりに常識から逸脱した発想で、またあの娘はなんて事を言い出したのかと思ったものだ。
しかし。
確かに、できる。
これまでは無理だったとしても、ジークハルトとウィルフレッド、アベルならば。
サディアスはアベルの判断を信頼しているし、今のウィルフレッドならジークハルトと二人でもまともに会話ができる、それを知っていた。
生徒の自主性を重んじる当代のドレーク公爵が受け入れたこと、かつて一番隊長を務め、帝国の誘いを蹴った経験のあるレイクス伯爵の存在。
アーチャー公爵家、ニクソン公爵家、オークス公爵家、マリガン公爵家それぞれの子息子女がおり本件に関われること。
噂通りの「暴虐皇子」を呼ぶなら自殺行為だが、ジークハルトがある程度話の通じる人物である事は昨年の女神祭でわかっている。
もう一度彼と交流を持っておくことは、将来ツイーディアを継いでいく王子達にとって、またそれを支える自分達側近にとって、非常に良い経験となるだろう。
ゆえに、サディアス個人としても今回の訪問は――微塵も不安がないかと聞かれれば別だが――「あり」だ。
ルトガーがニクソン家にどういう印象を持っているか知らないが、彼からの問いに何を偽る事もない。
こちらを見やったウィルフレッドと目を合わせ、ジャックが口を開く。
「ルトガー殿。あちらに料理の追加は必要そうでしょうか?」
「……いえ、充分かと。まだ食えるでしょうが、ご存じの通り今夜も飲みに行きますので」
「わかりました。」
にこやかに返すジャックの声を聞きながら、サディアスはルトガーから視線を外した。
ジークハルトを見る彼には、仇討ちを目的をする者の怒りも憎しみも見当たらない。これまで二人に接する中で感じたのは、ルトガーのそれは決して表面的なものに留まらないだろうという事だった。
皇帝に自分の両親を殺された事について、ルトガーは仇の息子であるジークハルトに恨みを向けてはいないようだ。
それはもしかしたら、彼が現皇帝を殺すだろう人間だからかもしれないけれど。
少なくとも、ツイーディアでジークハルトに何かを企み、ツイーディアの仕業だと言い出すような真似はしないと思えた。
――…ジークハルト殿下は、そう遠くない内に皇帝になるつもりだ。それはツイーディアの代替わりよりも早いだろう事は確か……帝国がどう変わるのか、どこまで変わらないのか……。
まだ先は読めない。
ジークハルトが必ず皇帝に勝てるという保証もない。
魔法大国ツイーディアに未だ敵意を持ち続ける、それこそが現在のアクレイギア帝国なのだ。
備えて損はない。
邪魔をされないうちに内政の不穏分子を片付けねばと、サディアスは美しい笑みの裏で考える。
まずは夜教からだ。
◇
三階で王子と皇子の対談が行われているとは露知らず、休憩から戻ったカレンとレベッカは一階でせっせと働いていた。
「フルードさん、十二番テーブル注文お願い!」
「はいっ!」
「ギャレットさん、これ運べる?」
「わかった!」
夕方から夜になる時間帯、このまま学園で食べて帰ろうという客が押し寄せる頃合いだ。
あちこち歩き回って疲れているのか、ビュッフェで選ばずテーブルから注文したいという客も増えてくる。
「カレン、そっづぐんなぁごれおおってけ!」
「デューク君ごめん、わかんない!」
「悪ぃ、これぁ持ってげ!」
「それね、了解!」
カレンは以前ウィルフレッドから聞いて参加を知っていたが、デュークは巡回係だけでなくこの食堂でも働いていた。
といっても発音が乱雑すぎて注文を伝えたり復唱するには向かないので、ビュッフェの入れ替えやホール担当への料理受け渡し、大量注文の配膳などをこなしている。
「三番テーブル受け取ります、これだね!」
「あて!メンかうってらぁみぃだ!」
「えっと」
「いぎっ…み、ぎ!」
「右…あっ本当だ、ごめんありがとう!」
「…はぁ……んっとにわしぁこううんなぁ使ぁえぇな…」
がち、がち、と左右へはっきり口を動かしてみて、軽く頭を振る。
そうしてようやくはっきり口が動くけれど、それも短時間の事で、喋る必要のない作業の間に戻ってしまう。
――慣らすしかない。慣らすしかねぇが、どうもまだ難しいな。
「デューク君ごめん、八番テーブルと九番テーブルから、追加で頼んだやつまだですかって…」
「八番は今できるが九番はほんの数分前だら。待たしどげ」
「わ、わかった!」
急に聞きやすかったりまた聞き取れなかったりで、カレンもいちいち戸惑っている。
決して意地悪をしているわけではないのだがと、デュークは困ったように眉を顰めた。
「ねぇねぇそこの貴方!あそこで働いてる可愛い子いるでしょ?う・ち・の・子なのよ~!」
「ここって店員にお小遣…チップとか渡していいのかしら。お友達にそれは変だから、やっぱりお菓子かねぇ…」
「よっ、レベッカ!声出てうよ~!うっひっひ、子供はぁ~、元気が一番らからぁ。うふふふふふ」
「か~え~れ~!ここで飲み会すんなぁ!」
「まぁまぁまぁ、客にそんな言うたらいけないでしょ。困るのあんたじゃなくてお店の方よ?ほら呼ばれてるでしょ、早いとこ戻りな」
大人しく帰ってくれるはずもなかった、母四人である。
レベッカは存在を忘れるべく仕事に邁進していたが、途中途中で名を呼ばれてはそうもいかない。
「くっ…くっそ……誰かあの四人を帰らせてくれッ……!」
「く、苦しそうだね……えと、頑張って?」
「親ってのぁいっぱい居る事もあんだな。孤児院ぁ子供側が多あったが。こぇ…これは、五番だ。」
「あたしが行く!あのテーブルから遠いとこは、全部あたしが!!」
「順番によるだら。」
融通を利かせる気はないらしいデュークの言葉を聞かなかった事にし、レベッカは料理が零れない程度の急ぎ足でテーブルへ向かった。
一拍置いて、デュークとカレンは目を合わせて小さく苦笑する。嵐のような注文が少し落ち着いた、ほんの隙間時間。
「はい、学生さんはここまでだ!作業やめ、すぐ帰りな!」
指導員の女性が手を叩き、もう数人いた学生達がそれぞれ頷いた。
遠くでレベッカが再び母達に捕まる姿が見えたものの、カレンは「出てった出てった!」と背中を軽く叩かれて厨房を後にする。
廊下をばらばらと歩いていく生徒達に続きながら、ほんの数歩前にいたデュークに追いついた。
「…あの、聞いていいかわからないんだけど、いいかな。」
「ん?」
「デューク君って、将来は騎士になるの?レオみたいに。」
「………。」
返事がないと思って見上げると同時、がち、と音がする。
左右それぞれ歯を剥き出すようにして口を動かす、きちんと発音する前に彼が行っている動作だ。更衣室までの道を並んで歩きながら、カレンは大人しくその数秒を待った。
「ん゛んっ……まだわからねぇ。私はそれなりに食って、それなりに…孤児院の神父に恩返しできりゃぁ、それでいいと思ってる。」
「それなりに?」
「おう。金持ちになりたいとか、のし上がってやりたいとか、そういうのは特にない。」
「…勝手だけど、少しもったいない気もするね。デューク君は今でもすごく強いし。」
「私が?殿下達とは比べ物になあねぇレベルで恥ずぁしいもんだが、ありがとう。」
四月に入学してもう十二月に入ったが、カレンがデュークと一対一で話すのはまだ今日で二回目だ。
自分で切っているらしい茶髪は少し不揃いで、背が高い彼の三白眼は、背の低いカレンには少々怖そうに映る。
――レオとは違う感じで雑そうに見えるけど、こうして話してみると、謙虚でしっかりした人なんだよね。ウィルフレッド様もアベル様も、ネイトさんも目をかけてる理由がわかるっていうか。
「きっと、騎士団でも隊長とかになれると思うな。」
「どうだらぁな。私に人を率いるような才があるたぁ思えねぇけど。それは個人の強さとぁ違うもんだし。」
「…はっきりめに喋ってると、なんだか別の人と喋ってるみたいかも…」
「はあ?」
「あっごめんね、悪口とかじゃなくて。新鮮っていうか。」
「えつに怒ってねぇ。そういうもんかっで思っだらけ…思っただけだ。」
焦ったように手を振るカレンを見て、デュークは困り顔で頭を掻いた。
圧をかけるつもりはなかったらしい。
「私、は……あんま、だらだら喋んのは好きじゃない。小せぇ頃からそうで、どんどん略して喋っだ結果だ。神父ん言う事聞いて、早えん直すべきあったな。」
「気を付けないと、口とか舌が回らない…のかな?」
「おん。気ぃ付けるっつーか、一回動かしたらんとやりにぐい。回らんでよう噛むし」
「噛んじゃってたんだ……」
「軽くな。痛い程ぁねぇ」
そんな話をするうちに、更衣室の前についてしまった。
もちろん男女は別の部屋なのでデュークとはここで別れる事になるが、「女子更衣室」のプレートを見た途端、カレンはある人物を思い出した。
「デューク君!」
「んっ!?……あんだ、急に大声らって。」
「私、色んな――…えっと、色んな発音できるっていうか、発音に詳しい人、知ってるかも!」
「……んん?」




