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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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511.相手をする必要のない暗愚




 夕陽の色が雲に映る頃、コロシアムでは三年生と四年生による魔法発表会が行われていた。


 二年生の《祝福の乙女》であるフェリシア・ラファティ侯爵令嬢が司会を担い、発表者は複数人合同あるいは個人で魔法を披露していく。

 拍手を送る観客の中で、発表者が交替する隙に席を立つ者がいた。


 ――今のうちにお手洗いへ行こうかしら。


 赤みがかった茶色のボブヘアの彼女は、セアラ・ウェルボーン子爵令嬢。

 かつてノーラやカレンを嘲笑い、ロズリーヌに注意を受けた生徒だ。以前は立場の弱い者を見下して笑う日々を楽しいと感じていたが、今は到底そんな事をする気になれない。


 あの頃は他の令嬢と集まっていた事で少しだけ、自分が強くて偉い存在になったかのように錯覚していた。

 暴力的な面を見せたかつての友人には流石に引いたが、彼女と一緒になって嘲笑ったり、嫌がらせのように悪口や嫌味を浴びせていたのも事実だ。


「――良い事が続いて喜ばしいな。こちらも上手くいけば、少々図に乗っているあの男を厄介払いできるかもしれん。」

「場合によっては、例の計画より先に結果が得られるのでは…」

「そうだな、あの方を潰さずに済むならそれが一番良い。せっかく我々に賛同してくれたのだ…」

 従僕らしい男とそんな会話をしながら、初老の紳士が前から歩いてきた。

 髭を清潔に整えていても、少々シャツやベストが張るほどに膨らんだ腹と、女を下に見ていそうな高慢な顔立ちが癇に障る。セアラは隅を歩き、決して目を合わせないようにしてすれ違った。


 ――どこかで見たような……ああ、昨日の発表会でディアナ様の近くに寄っていた男だわ。気持ち悪い。


 誰も見ていないからとつい、顔を歪めて嫌悪感を露わにする。

 外見でそこまで嫌うのも褒められた事ではないのだろうが、セアラはそれくらいの事で「私はまだ性格が悪いわ」などとは思わない。相手の前で口に出したり嘲笑ったりしなければいいのだ。

 綺麗で純粋な心になりたいとは思わないし、なれるとも思わなかった。一切の表裏がない貴族令嬢などありえない。


 それでも、友人と離れた事で気になっていた《馬術》も受け始め、中間試験でシャロンが声を掛けてくれた事もまた、セアラが自分を見つめ直すきっかけになっていた。

 他者を見下していた頃より、己が少し良くなったと思える今の方がずっといい。


 ――平民で顔の良い愛人でも探そうかしら、なんて。どんな力関係の家と婚約するかもわからないのに、あの頃は随分と図々しい事を考えていたわよね。


 自然にため息をついてしまい、セアラはハッとして思考を切り替えた。

 過去についての後悔が大きいとしても、そればかり考えて鬱々としても仕方がない。


「さっさと戻りたいし、早いとこ…」

 用を済ませてしまわないと。

 そう呟くはずの唇が閉じて、足も止まる。通路の先に、こちらに背を向けて立っている人影が見えていた。


 ウェーブした淡い緑色の長髪が、曲がり気味の背中に垂れている。

 学園の制服を着た彼女は、セアラにとって見覚えのある背格好だった。しかし記憶にある人物と様子が違っていて、けれどよく似た他人とも思えなくて、戸惑いながらも名を口にする。


「……オリアーナ様?」

「っ!!」

 肩をびくりと震わせ、振り返った彼女は手にしていた何かを後ろへ隠した。

 明らかに不審な動きだが、セアラはそれよりも彼女の――かつて友人だったオリアーナの顔色が、ひどく悪い事が気になる。見ているこちらがぎくりとするような有様だった。


 目の下にははっきりと隈ができて肌艶も良いとは言えず、化粧でも誤魔化しきれていない。

 日中も時折自ら櫛をかけていたはずの髪は少し乱れて、オリアーナにそんな余裕すらない事が見てとれる。「カレンが王子達に手作り菓子を渡そうとした」と怒っていた時だって、毒を吐きながらも髪を整えていたのに。


 相手がセアラと気付いて、オリアーナは憎々しげに眉を顰めた。

 細い肩にはみるみる力が入り、無意識なのかやや曲がった背筋のせいで下から睨みつけるようになっている。背筋を伸ばし、顎をくいと上げて人を見下していた彼女が、今は。


「……今更、わたくしに何の用?」

「用、というか……あのっ、大丈夫ですの?具合が悪そうで」

「大丈夫……大丈夫ですって。公爵家にひと睨みされただけでこんなザマのわたくしが、ふ、ふふ。大丈夫に見えるの?わかりきった事をわざわざ言うなんて、随分と性格が良くなったのね。」

「……ごめんなさい。そんなつもりは」

「放っておいてくださる?……貴女に構ってる暇、ないのよ。」

 棘のある声でそう言うと、オリアーナはセアラのいる方へ早足に歩き出した。動けなかったセアラの肩にぶつかっても構わず歩き去ってしまう。

 小さく「いたっ」と声を漏らし、セアラは後ろへよろけるままに振り返る。

 振り返る事も止まる事もないオリアーナの背中は遠ざかり、角を曲がって消えてしまった。


「…オリアーナ様……」


 まるで見捨てるように距離を置いてしまったセアラに、彼女を追いかける勇気はない。

 貴族令嬢として正しい選択だとしても、彼女と笑い合っていた頃の自分を苦く感じていても、二人がかつて友人だった事は確かだ。


 それでも、どんな言葉をかければいいかはわからない。

 ほんの一瞬だけ見えたオリアーナの手元、握っていた封筒の中に何が書かれているかもわからない。


 無力で臆病な自分が嫌に思えた。

 しかしシャロンや王子達から、未だ態度が和らがない彼女の仲間として見られる恐怖よりよほどマシだと、そう思ってしまうのも事実だった。




《四年生――コリンナ・センツベリー!》


 名を呼ばれた途端、客席から上がった歓声は女子生徒のものが多かった。

 ステージに現われたコリンナは黄緑色の髪を編み込み高く結い上げ、美しい花飾りを添えている。肩へ長く垂れた飾り紐が揺れ、伯爵家の騎士服を纏う彼女の歩み一つさえ流麗に魅せてくれていた。

 気の強そうな吊り目に凛とした表情、すらりと長い体躯は愛用の槍を扱うに相応しい筋力も備えている。


「歌劇の司会をした時はドレスじゃったが、なるほどよく似合っておるのう!」


 売り子から買ったフルーツ盛りをぱくぱくシャリシャリ食べながら、エリは機嫌よく振り子のように足を揺らした。

 二ヶ月半ほど前、エリは護衛のヴェンや髭面の商人――先代辺境伯ブルーノ・ブラックリーと共に、コリンナの実家であるセンツベリー伯爵邸を訪れた。


 フェル・インスが五年もの間世話になったというその地で、コリンナもまた、フェルと長い時を過ごした一人だと聞いていた。

 まだ話した事はないが、勝手に親近感を覚えてしまう相手である。

 隣の席に座るキャサリンがぱちりと手を合わせた。


「コリンナ様はとてもお優しくて、けれど剣闘大会で優勝する程にお強く……上級生のご令嬢達は、そのほとんどが夢中になってしまうくらいに魅力的な方だそうですよ。」

「ほほう?」

 胸元が控えめな事も相まって、騎士服を纏うコリンナはまるで男装の麗人だった。

 勇壮な曲が流れる中、槍の演武に魔法の発動を合わせる事で見応えのある発表を行っている。


 ――伯爵が言うには、かつて「しょうらいはフェルとけっこんするの」と言っておったそうじゃが。あのような女傑がのう……ふ~~~ん…まぁ、兄様は強く優しく愛らしいお人じゃからな……ふ~~ん……。


「彼女は一年生の頃から人気があったよ。いずれセンツベリー伯爵を継ぐ人だから、しっかり育てられたんだろうな。」

 感心した様子で発表を見つめながらイアンが言う。

 こくこくと頷いたキャサリンが続けた事には、コリンナには次男以下の令息から婿入りの申し込みが殺到しているらしい。ぽかんと口を開けてしまったエリに、キャサリンは年頃の少女らしく微笑んだ。


「卒業までにはどなたかと婚約されると思いますわ。誰が選ばれるか、でもまだ皆のコリンナ様でいてほしい……と悩ましく思う方々もいらっしゃるのだとか。」

「貴族の婚約について、あまり他人事でいてもらっては困るけどね。キャサリン?」

「わたくしは特に……お父様とお兄様が選んだお相手なら、何も問題ないかと。」

「やれやれ…」

 マグレガー兄妹の会話を聞き流しながら、エリは改めてステージ上のコリンナを見やった。

 伯爵が言っていた彼女の台詞は、恐らくまだまだ幼い頃の事だろう。君影国においてアロイスは一定の地位を得ているが、ツイーディア王国においてフェル・インスは平民の商人でしかない。


「そうか……そうじゃな…」

 相手が受け入れてくれるか否か以前の問題だ。

 憧れる事はできても、望む事は許されないのだろう。解決の糸口を掴んだエリと違って。


 ちらと隣を見上げると、ヴェンはすぐに気付いてエリを見てくれた。何も言わず、逞しい腕にこてりと寄り掛かって視線を戻す。

 発表を終えたコリンナは拍手喝采を浴び、笑顔で手を振っていた。




「ねぇ、ぼくに何か用?」


 嘲笑を含んだ声。

 観客席の中でも比較的空いている後方列に一人で座り、ダリア・スペンサー伯爵令嬢はゆったりと脚を組んでいた。

 隣の席には飲み物と軽食を置き、今また揚げた肉団子を一つ、フォークで刺して口元へ運ぶ。

 眼鏡の奥にある青い瞳はステージへ向いていて、通路からこちらを見下ろす誰かを見てはいない。


「スペンサー。少し話せないか?」

「別にいいけどさぁ、ぼくってきみが嫌いなんだよね。ニューランズ」

 その言葉にぴくりと片眉を上げ、ジョエル・ニューランズ伯爵令息は苛立ちを抑えるべく腕組みをした。

 ダリアの青みがかった灰色の髪を鷲掴みにしてやりたいが、女とはいえ相手は《剣術》上級クラスの生徒であり、同格の伯爵家の者だ。挑発に乗らず、冷静に対応するのが賢い男というものである。


「フン…随分だな。さして君と関わった事はないはずだが。」

「何言ってくるか大体想像つくよ。デュークが気に入らないからどうしよう。一人じゃ何もできないよ~ってさ。んひっ」

「…おい。こちらを見もせずに無礼じゃないのか。」

 椅子の背もたれに右肘を置き、緩く笑みを浮かべたダリアはジョエルを見上げる。

 図星を突かれて内心顔が真っ赤だろう、腕組みをした彼の指先にはかなりの力が入っていた。


 ――小物が。操れる根拠も無しにぼくみたいのに声をかける、その時点でおまえの器がわかるってものだよね。


「孤児風情が殿下の周りにいて、思う事がないわけじゃないだろう。大会で君は、体を張ってまでアルドリッジを加害者にしようとした……王家を至上とする精神までは至ってないだろうが、あの行いは称賛に値する」

「……それは、どうも。」

 どうやら、デュークとの試合でダリアが最後に剣を受けようとした事を言っているらしい。

 テンションが上がっただけなのだが、ジョエルには、敢えて重傷を負ってデュークを追い詰める作戦に見えたようだ。


「殿下もアーチャー公爵令嬢も慈悲が過ぎる。相手をする必要のない暗愚なのだと示し、正しく距離を取って頂きたいと思ってるんだ。手を組まないか?」

「悪いけど他をあたりなよ。きみみたいな偽物と付き合う気分じゃないからさぁ」

「……偽物?」

「王家至上主義って言うけど……きみはただ選民思想を持っていて、殿下の側近になれないしなる努力もできない、そんな自分から目ぇそらしてるだけなんだよねぇ。」

「貴様ッ――」

 反射的に拳を振り上げたジョエルに対し、ダリアは持っていたフォークをすいと向けた。

 拳が届くより、フォークの先端が首にぴたりとあたる方が早い。殴ろうとした勢いを止めきれずに、固い金属が首の皮膚をぐり、と押した。

 拘束されたわけではないのに動けなくなって、ジョエルの背筋を冷や汗が伝う。


「相手をする必要のない暗愚?自己紹介ありがとう。きみと喋るより、デュークと遊ぶ方がよっぽど楽しいよ。」

「うっ……ぐ…」

「――誰を手元に置き誰を使うかは星々が決める。勘違いするな」

「ッうるさい!」

 ようやく動けるようになり、ジョエルはダリアの手を叩いて後ずさった。

 それでも痛みの一つも、驚きの一つもない女の顔を見て恐ろしくなる。

 ダリアは笑っていなかった。


「だ、誰が、君と手を組むか……こちらから願い下げだ。失礼する!」

「……、んひっ。だっさ」

 慌ただしく走り去るジョエルから目を離し、ダリアは肉団子を指先で摘まんだ。

 誰かの足音が近付いてきて、横からすっとフォークを差し出される。浅葱色の髪をした彼は、巡回係の腕章を付けていた。


「えーと……わざと煽ったなら、程々にしてくれるかな。」

「バージルさぁ。巡回係なら、ぼくがそれ使う前に駆けつけてくれる?」

「口論くらいでそれはできない。」

「……これはこれは、ホーキンズ様。ごもっともですね」

 どうやら今は一年のバージル・ピューと、二年のシミオン・ホーキンズが組んでいるようだ。

 気まずそうな組み合わせに思わずにやりと笑い、ダリアはフォークを受け取った。




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