508.自分以外の該当者
北東校舎三階――ホワイトの研究室。
白から青へ変わる特徴的な髪色をさらけ出し、ヴァルターはホワイトと二人で三人掛けソファに腰掛けていた。
食堂三階で共に朝食をとってから今までたっぷりと話し込み、セシリア達護衛は廊下でひと時の休息をとっている。
「ルーク、少し聞きたい事がある。」
「何だ。」
「俺がシャロン嬢を娶りたいって言い出したら、どうする?」
ヴァルターの唐突な一言に、ホワイトが顔色を変える事はなかった。
反応は予想通り。
「どうもしない。」
「ふふ、やっぱりそうだよな。貴方は絶対にそう言うと思った。」
「だが……少なくとも現時点において。あれを国外に出す許可は下りないだろう。」
「わかってる。遠回しにだけど、アーチャー公爵には随分と牽制されたよ。」
ヴァルターはシャロンのスキルを知らない。
ゆえに「国外へ出せない」のは家長の反対によるものだと思っている。あるいは、見せつけるように揃いの宝石を身に着けていた王子達か。
「けれどもし、彼女が受け入れてくれるのなら……俺はロベリアにこだわるつもりはない。」
「こちらへ住むのか?」
「うん。ようやく父上が退いて、兄上が王になった。もう数年もすれば内政も落ち着くだろうし、ツイーディアに邸宅を持てば、彼女はいつでも家族に会える。もちろん暮らしで不自由はさせない」
三男と言えど王族であるヴァルターがそこまでするだけの価値が、シャロンにはある。なにせヴァルターが唯一歓迎できる相手なのだ。
彼女を諦めてしまったら、次に候補になれる女性がいつ現れるのかまったくわからない。
ヴァルターとシャロンが結ばれたら、ロベリア王家はツイーディア国王の代々の右腕であるアーチャー公爵家と繋がりを持つ事となり、両国の関係をより強固にできる。
ツイーディア国内で暮らすようにすれば、彼女を慕う者達も「奪われた」という気持ちが多少は和らぐ事だろう。
「不思議なものだな。程度の差はあれど女性を見るだけで気分が悪くなるのに、彼女にだけは一切ない。」
「動悸や息切れがするという話ではなかったか。」
「するけど、それは別の意味で。緊張するというか、目が離せないのに見ていられない気持ちになるというか。」
「矛盾しているな。」
「ああ。どうやら、恋とはそういうものらしい。」
顎に軽く手をあてて、ヴァルターは困り顔で視線を空中へ投げる。
もっと落ち着いて紳士的に、シャロンに格好良く思われるような振る舞いができないものか。気を張っても彼女を前にすると顔は赤くなるし、汗はかくし、目が泳いでしまう。
「妻として誰かが傍に居てくれるなら、それは彼女がいい。俺はどうすればいいんだろう」
「おれに聞くのが間違いだという事はわかる。」
「ルークは、恋をした事がなさそうだな。」
「恐らく今後もない。」
「確かに想像はつかないけど……」
想像していなかったのは自分も同じだと、ヴァルターは考えている。
恋とは突然やってくるもの、気付いたら落ちているもの。書物の言葉が現実になるとは。
――ルークが女性にデレデレするなんてありえないし、たとえ恋をしても、俺と違って落ち着いていそうだな。
学生時代、ルーク・マリガンに言い寄る女性はいくらでもいた。
無愛想かつ瞳が赤くて恐ろしく見えても、奇妙なことに髪が一部白くなっていても。彼は顔立ちが整った公爵令息で、将来有望な成績上位者だったからだ。
しかしどんな美女が来ようと、どれほど純粋に好かれようと、彼がそういった女性の手を取る事はなかった。
ルークにとって彼女達は全員、興味のない相手だったのだ。明らかにその気がないとわかる態度に耐え切れず、本気で彼を落とそうという考えの者はいなくなった。
留学先のロベリアの王子達に対しても、ルークは同じように興味がない。けれどあちらはお構いなしに彼を気に入って、毎日のように押しかけてきた。
そうしてなんだかんだ「居ても普通」の状態を作り上げられ、帰国後も――やや一方的な――友好関係が続いている。
そんな男が、誰か女性を想うとしたら。
「…ずっとルークの傍にいるような、健気で諦めの悪いご令嬢なら、もしかしたら……かな?」
「邪魔であれば追い出すから、それもないだろう。」
「あはは、誇り高き貴族令嬢には耐えられない仕打ちだな。うちの妹は――…聞くまでもないか。」
今回のツイーディア訪問を「ずるい」と言っていた妹の顔を思い返し、ヴァルターは苦笑した。
妹の恋が成就する事は恐らくない。なぜなら…
「そろそろ時間だ。おれはもう行く」
「えっ、早く――はないか。あっという間だったな……付き合ってくれてありがとう、ルーク。また後で」
「ああ」
話せて良かったと笑うヴァルターに頷き返し、ホワイトは一行が去ってから研究室を出て鍵を閉めた。
首元まで下げていたゴーグルを慣れた手つきで装着し、歩き出す。
珍しい事に、ホワイトは少し緊張していた。
どくりどくりと、心臓の鼓動が微かに聞こえてくるようで。
北棟校舎の応接室の前には、マグレガー侯爵家の兄妹が揃っていた。
キャサリンが静かに淑女の礼をして、イアンは一礼の後に扉をノックしてホワイトが来た事を中に伝える。許可を得て扉は開き、ホワイトだけが入室した。
「失礼します。」
相手は他国の姫だ。
敬語を使ったホワイトの目に映ったのは、長袖のワンピースを着てソファに座している大人姿のエリと、傍らで立ったまま控えているヴェンの姿だった。
君影国の姫が連れている護衛の瞳が赤い事は、髪色が黒である事は、ホワイトはシャロンから既に聞いている。
彼女は単にヴェンがエリの傍にいても不審がらぬよう伝えたのだろうが、それはホワイトを動揺させるには充分な情報だった。
『黒髪赤目の男が無辜の民を殺す。やがてその髪は白く染まり、数えきれないほど殺すでしょう』
実の母親に殺されかけた日、ホワイトが直接聞かされた言葉だ。
ヴェンは、ホワイトが目にする初めての「自分以外の該当者」だった。一人いたという事は、もしかすると他にも「黒髪赤目の男」は存在するのかもしれない。
赤い瞳同士、視線が交差する。
エリの対面にあるソファの近くまで歩き、ゴーグルを外したホワイトは片手を胸にあてて一礼した。
「この学園で《薬学》と《植物学》の教師をしております。リリーホワイト子爵、ルーク・マリガンと申します。」
「うむ、わらわはエリじゃ。そっちは将来の夫――」
「護衛を務めております、ヴェンと申します。」
エリの声をやや遮るようにしてヴェンが告げる。
つれないのうと呟きながらも、エリはホワイトとヴェン両者に座るよう勧めた。
テーブルには軽食と飲み物が用意されている。
ホワイトの姿を廊下に認めた時点で、イアン達が中へ運び込んだものだ。エリが誰より先に手を伸ばし、果実のジュースをくぴりと飲み込んだ。ほのかに湧き上がる恐れを沈めるように。
「…ふむ。話に聞いてはおったが、そなた本当に髪が白くなっているのじゃな。染めものではないのう」
ホワイトの黒髪はまばらに白い。
それは右前面と左後面に限られ、その中でも数か所ずつだけが根元から毛先まで白くなっていた。《赤目持ち》による、黒髪から白髪への変容。
完全ではないにせよ、君影で《赤目持ち》が忌み嫌われる原因となった男――最初の《赤目》を彷彿とさせるものだ。
「この髪は幼少期に変色し、それ以降戻りません。」
「きっかけのような事はあったのか?」
「命の危機を感じる事があり、その際に変わったようです。自分では変色の瞬間そのものは見ていませんが。」
「命か……」
眉根を寄せ、エリは呟くように言った。
最初の《赤目》も、当時の《化け物》との戦いの最中に色が変化したと語られている。赤い瞳を持つ者が極限状態に置かれる事で、何かが起きるのだろうか。
「こういった現象について、あなた方は何かご存知のようですが。」
「……わらわ達が知っているというより、故郷に伝わる昔話じゃ。《赤目持ち》の髪が、戦いの中で黒から白へ変わったという」
エリの言葉を受けて、ホワイトが目をやったのはヴェンだった。
彼もまた瞳が赤い。
「そちらは、ご経験が?」
「ありません。……貴方の噂を聞くまで、俺は髪色が変わる事には懐疑的でした。」
「うむ。白に変わるという前例はあくまで、その昔話の一例だけでのう。赤い瞳を持つ者は時折生まれるが、同じ現象は確認されておらぬ。それでおぬしは、髪色以外に何か変化はあったのか?」
「覚えはありませんが、他にも何か起きるものなのですか。」
「……白髪へ変わったその男は、神の炎を操ったという記述が残っておる。」
それがどんな炎を意味するのかは不明だが、ホワイトにはピンときた様子がない。恐らく彼には扱えないのだろう。
――完全に白に染まらねば使えないのかのう?あるいは、扱える状態だと気付いていないか、嘘を吐いているか。変色に条件があるなら、これまでの《赤目持ち》はそこに達さなかっただけか?それとも、元より限定された者しかそうならぬのか。
「わらわ達とて、詳細に把握しているわけではないのじゃ。神の炎も、髪色が変わった事もただの偶然で、生まれ持った髪や瞳の色が関係ない可能性もあろう?」
「仰る通りです。それを決めるには例が少な過ぎる。」
エリにそう答えながらも、ホワイトは母が言い遺した事を覚えている。
昔話などではない。《先読み》スキルを持っていた母親が言ったからには、白髪に変わった「黒髪赤目の男」が人々を殺すのは未来の出来事だ。
自分か、ヴェンか、それ以外の誰かなのか。
色が変わる事で人格に作用するなら自分も危険かと考えたが、エリによれば昔話にそこまでの記述はないらしい。
むぐむぐとパンを頬張るエリを眺めながら、ホワイトは再び口を開いた。
「もう一つ。これは色の話と別件かもしれませんが」
「あむじゃ?言うてみよ」
「貴国では、何らかの手段として血を使う事がありますか。」
蜂蜜色の瞳がホワイトをじっと見る。
その冷静な警戒の視線は、答えを言ったも同然だった。
『数百年の昔、帝国はあの国の男を奴隷にした事がある。その当時から伝わっているらしい教訓だ……《君影に血を流させるな》、とな。』
――どうやら、「手を出すな」という意味ではないようだ。
ホワイトが可能性として考えていた、血を媒体にした感染症とも違うように思える。
エリの反応には悲嘆も憤りもなかった。細い喉でごくりとパンを飲み下し、君影の姫は片手を軽く広げた。
「血を使う事は確かにあるが、内容は伝えぬ。かつてアンジェも教えなかったようじゃからな」
「そうですか。」
ホワイトは特段、問い詰めて吐かせようとまで思っていない。
エリは一度だけイアンの前で血を使って見せた事はあるが、それについて彼に細かく説明してもいなかった。
「…そなたらツイーディアの民がいずれ辿り着く事もあろうが、それを止める気もない。」
血を使う事による、術の――すなわち、魔法の強化。
帝国と戦争を繰り返していた国なのだ、意図せず誰かが使った事くらいはあるだろう。気付けなかったか、伝えられなかっただけで。
その気のあるなしにかかわらず、元より止める術などない。
「わらわも一つ、よいか?」
「おれに答えられる事であれば。」
「生まれつき髪が白く、瞳が赤い女子がおろう。そなたから見て、その者は何か変わった事はないのか。」
一年生のカレン・フルード。
平民ながらも、入学初日から王子達と行動を共にしていた女子生徒だ。成績に特筆すべき点はない。
教科書を読み上げるように、ホワイトは淡々と答えた。
「何も。ただの一年生です」




