507.それ、何番目?
南東校舎、出張版パット&ポールの何でも雑貨店――の、倉庫兼スタッフルーム。
「サディアス様すぐ行っちゃったけど、ちゃんとご飯食べてんのかしら。倒れはしないだろーけど……何か、つまめるもの用意しとけばよかったかな?」
書類を前に頬杖をついて、眉尻を下げたノーラはそう呟いた。
街に構えた店であれば茶葉もちょっとした菓子も用意があるものの、ここは客が来る事を想定していない倉庫であって、あるのは幼い店員兄弟の子供向けおやつくらいである。
王立学園一年生のノーラは、ユーリヤ商会を営むコールリッジ男爵の一人娘だ。
ウェーブがかった薄茶の髪は編み込んでハーフアップにし、そばかすのある頬には軽く白粉をはたいている。瞳は朱色で、ちょこんとした鼻には丸眼鏡を乗せていた。
女神祭だからといって特別着飾って男性と出かける用事もなく、普段通りの制服姿で昨日の仕入れと売上表を眺めている。
最終日である明日に向け、人気商品の在庫は潤沢だ。
後は店長のフェルが引き受けた臨時依頼品が無事に届けば、仕事もひと段落である。
そんな事を考えていると、ノックの音がして扉が開いた。
赤紫色の髪がひょこりと見えて、商会の制服を着たパットが顔を出す。
「ノーラ、シミオン様が来たよー。通していい?」
「そうなの?いいわよ」
どうしたのかしらと考えながら、ノーラは広げていた書類をまとめて端を揃えた。
王都にいた頃、シミオンは唐突に現れて土産だか差し入れだかをくれる事があったので、それかもしれない。あるいはアベルからの伝言か、先程出て行ったサディアスと鉢合わせて何か聞いただろうか。
シミオン・ホーキンズは二年生の伯爵令息だ。
短く整えた黒髪に同じ色の瞳、凛々しい顔立ちの男前である。滅多に笑わないと言われており実際その通りだが、諸事情によってノーラは昔から付き合いがあり、彼が親切で優しい人だという事はよく知っていた。
「ノーラ」
開いた扉を軽くノックして、シミオンが落ち着いた低音で声をかける。
「いらっしゃい、シミオン君」
ノーラが笑って返事をすれば、彼は少し眼差しを和らげて部屋に入った。
ローブは羽織っているがフードは下ろしていて、片手には何やら袋を持っている。
「昼はもう食べたのか?」
「それがまだ…」
答えると同時に腹が「ぐうぅぅうう」と鳴った。フェリシア・ラファティ侯爵令嬢が居合わせていたら、こめかみを指先で押さえる仕草をされていたかもしれない。
ノーラはパットとポールに先に昼食を食べさせ、後でいいと遠慮するフェルを「いいから食べてきなさい」と送り出したところだった。
「そうか。少し買って来たから、よければ食べてくれ」
「いいの!?」
シミオンが向かいのソファに腰掛け、テーブルに下ろされた袋からは良い香りが漂う。
よだれが垂れてしまいそうで、口を閉じたノーラは慌ててごきゅりと喉を鳴らした。袋の中には皿を収納できる三段の木枠があり、シミオンはノーラが書類をどけた傍から一段ずつ置いていく。
「わ~ありがとう、重かったでしょ。」
「そんなには。」
「美味しそう、早速いただきますっ!」
差し出されたカトラリーを受け取って、ノーラはまだ湯気の立つ一口ステーキにソースを絡め、ぱくりと口に含んだ。思っていたより熱くてはふはふとしながら、じゅわりと広がるうまみに顔がほころぶ。
「~~っ、美味しい!」
「そうか。よかった」
他には手のひらサイズの容器に入ったラザニア、ママレードソースをかけた鶏肉のローストに、サクサクのクロワッサンと柔らかな白パン、彩り鮮やかなサラダなど、さながらノーラのために用意された小さなビュッフェだ。
食欲のままにぱくぱくと食べ進め、唇についたソースをぺろりと舐める。
そこに貴族令嬢らしい淑やかさなどなく、かといって色気を感じさせるようなものでも、意地汚さが見えるものでもない。純粋に食事を楽しむ姿がそこにあった。
「…ノーラ」
「むぐ?」
「俺は、お前のそういうところがとても好きだ。」
「んん?ふふっ……」
急にどうしたのとでも言いたげな笑い声を漏らして、口元に軽く手をかざしたノーラは頬に詰め込んだものを咀嚼する。
平民上がりの男爵令嬢だろうと、さすがに食べかけをこぼしながら喋る事はしない。ごくりと飲み込んでから笑い返した。
「ありがと!あたしもシミオン君が大好きよ」
「――では結」
「あっもちろん、友達としてね!」
今更シミオンがそんな勘違いをする事などないだろうけれど、ノーラはしっかりと付け加えた。
あくまで、友達である。
シミオンはノーラを、共にアベルに仕える仲間だと思ってくれているのだ。
初対面で彼が貴族だと知らなかった時、うっかり「シミオン君」と呼んでしまったのをそのまま許してくれるほどに。敬語も使わなくていいと言ってくれるほどに。
それが「ノーラはシミオンに恋愛感情を持っている」なんて思われたら大変気まずいし、誤解だし、身分不相応が過ぎる。
第二王子であるアベルも、公爵家の跡取りであるサディアスも、伯爵家の跡取りであるシミオンも。
ノーラは誰にも恋をしていないし、する気など微塵もないので、大事な仲間であり友人の彼らには是非とも安心していてほしかったのだ。
「……そうか。」
「うん!」
まさか、二年生のお姉様達に大人気のシミオン・ホーキンズが自分に惚れているなど。初めて会った日からずっとノーラ一筋に生きているなど。
そんな事まったく、一切、僅かたりとも、予想だにしていない。そんなわけがないので。
「店は忙しいのか?」
「そうなのよ、ありがたい事にね。街にある方の店は臨時で他支店の人に来てもらってるでしょ?両方の売上報告を見るとホクホクしちゃうわね。やっぱりホラ、学園祭のために集まった人達が朝晩にいるのは街だから。稼ぎ時だわ、本当に。」
気になる男子生徒と一緒に回れそうだとはしゃぐ女子たちもいたが、ノーラに相手はいないし、どちらかと言えば、そういった恋人達向けの商品を棚に並べて減っていくのを見る方が楽しい。
「わっ、これ本当に美味しいわね。シミオン君も食べた?」
「いや」
「え、そうなの?お昼は何食べた?」
「今日はまだ食べてない。」
「…あたしに食べさせておいて!?え!?ごめん、シミオン君の分も入ってた!?」
遠慮なく食べちゃったわと顔を赤くして焦るノーラを見つめ、シミオンはほんの僅かに口角を上げた。
ノーラが全部食べても構わなかったし、食べかけでも構わない。足りなかったら、自分は後で好きに買えばいいのだから。
半分にちぎって差し出されたパンをかじり、黒い瞳を改めてノーラに向けた。
「そういう事は早く言ってくれないと。危うく食べつくしちゃうとこだったわ」
「ノーラ」
「なに?」
「明日の晩、お前をダンスに誘いたい。」
「――シミオン君……」
三日目の晩、すなわちダンスホールで開催される舞踏会の話だ。
ぱちりと瞬いたノーラは、無意識にか、フォークを持つ手をもう片方の手で包むように握っていた。こくりと喉が鳴る。シミオンを見つめ返す朱色の瞳は真剣で。
「それ、何番目?」
重要な事である。
死活問題と言ってもいい。
「めっっっちゃ後の方なら大丈夫、かなぁ……?ううん、フェリシア様に相談してからがいいかも。」
「最低でも五番目まではやめるように言われた。」
「あ、やっぱり?シミオン君、去年は誰と踊ったとか覚えてたりする?」
「フェリシアとは踊ったはずだ。」
「覚えてないか~。興味なさそうだもんね」
「ああ。」
ノーラとは踊りたいが、他の令嬢にまったく興味のないシミオンである。
フェリシアの友人や姉に憧れている令嬢と踊ったような気もするが、記憶は薄い。家や領地に関わる話をしたなら覚えているはずだが、それもなかった。
「では、六番目以降なら誘っていいか?」
「目立たなければ全然。……ほら、踊った中で下級貴族はあたし一人だけ…とかはちょっと危ないっていうか。」
「誰か適当に踊るようにする。」
「適当は駄目よ、理解ある子じゃないと。後が大変でしょ?シミオン君モテるんだから。」
令嬢が「シミオンは自分に気がある」と思い込んでしまったら危ない。
恋する乙女の暴走は止めるのが大変なのである。
「お前から見て、俺は女性受けが良さそうなのか。」
「だって格好良くて優しくて強いでしょ?ダンスに誘われてドキッとしない子の方が珍しいんじゃない?」
「ノーラは?俺に誘われてどうだった?」
「あたしとかフェリシア様は別枠でしょー、長い付き合いだもん。」
けらけらと笑って、ノーラは食べかけだったサラダを口に運んだ。しゃくりしゃくりと気持ちの良い咀嚼音を聞きながら、シミオンはノーラを微妙な心地で見つめる。
シミオンの思う「可愛い」とノーラの言う「格好良い」は、絶妙に温度感が違っていた。
「…理解ある者で女子生徒というと、フェリシアやプリシラ様、シャロン様、コリンナ先輩あたりか?」
「そ、その面子だけだとちょっと上過ぎるかも。」
「では、アップルトンとザラさんにも聞いてみる。」
二年生で婚約者のいる男爵令嬢と、生徒会庶務で平民の女子生徒だ。
シミオンが誰と踊ったかチェックするような者がいれば、公爵家から平民まで揃って「変わった面子だな」と思うかもしれない。
「なんだったら、あたしと踊らない方がそういうの無くて楽かもだけど。」
「いや、お前とは絶対に踊りたい。」
「そう……?嬉しいけど、下手だからね?足踏んじゃうかも。」
「大丈夫だ。」
「あはは、頼もしいわね。」
なにせ剣闘大会の優勝者である。
ノーラに踏まれかけてもサッと避けるとかなんとか、上手くやれるのだろう。
「シミオン君達のお陰で、ずっと壁の花って事にはならずに済みそう。」
「達?…他に誰が誘ってきたんだ?」
「えへへ、誰だと思う?とびっきりの紳士かも」
嬉しそうに微笑むノーラを見て、すっと目を細めたシミオンは考えを巡らせる。
アベルやサディアスが誘うとは思えない。ノーラの好みは「筋骨隆々の男」、下手をすると学生でなく大人の可能性もある。
脳裏に浮かぶのは元一番隊長のレイクス伯爵、《弓術》のイングリスか、意外にも《薬学》のホワイトか――…
「パットとポール!ノーサム子爵と相談して、あの子達にこっそり服を仕立ててあげたの。すごく喜んでくれて、『ノーラと踊ってあげるね』だって。もちろんちゃんとは踊れないだろうけどさ、楽しそうじゃない?」
会場の隅っこでだって構わないと、ノーラは笑っている。
ちょっぴりずれた丸眼鏡を指で押し上げ、光の差した朱色の瞳はきらきらと光って。
――…ああ、
「愛おしいな。」
つい零れた言葉には、「そう!可愛いわよね」と返される。
勘違いの訂正はまたいつかにするとして、シミオンは今はただ、楽しそうな彼女の笑顔を見つめていた。




