506.すごく興味なさそう
リンリンリンリン、音がする。
すっかり聞き慣れた目覚まし時計のベルだけど、あれ?全然寝足りない。
「う~ん…」
リンリンリンリン、目を開けてもやっぱり、部屋はいつもより暗くって。カーテンの向こうからうっすらと光が差している。
リンリンリン、手を伸ばして音を止めた。
そのまま掴んで見てみると、針は六時を指してて。もう一回寝たいけど、どうして六時に鳴ったんだろう?
今日、なんだっけ……あっ、食堂の朝番だ!
眠い目をこすって早起きして、やっぱり寝坊したレベッカを何とか起こして。一緒に早めの朝ご飯を食べて、食堂へ働きに行った。
お昼や夕方に比べたらお客さんは少ないけど、それはホール担当の人数も同じだから、もちろん暇ってわけじゃない。
せっせと仕事して、十一時には朝担当の時間は終わり。
どこか見に行こうって約束をしてたんだけど……
「カレン、ほんとごめん!一緒に回ろうって言ったのあたしなのに。」
音が鳴るくらい強く手のひらを合わせて、レベッカが軽く頭を下げる。
すごく急いで着替えたせいか、シャツのボタンを掛け違えちゃってるみたい。指差してそれを教えながら、私は「気にしないでいいよ」って笑った。
「お母さん達が来てくれたんだもんね。私の事は気にせず、楽しんできて!」
「ぐうぅ~っ……悪い、また後でな!」
「うん。いってらっしゃい」
ひらひら手を振って、カーテンの向こうに消えるレベッカの背中を見送る。すぐに更衣室の扉が開閉される音が聞こえて、私は一度ぐっと伸びをしてから、ロッカーにかけてた制服の上着を取り出した。
レベッカの家にはお母さんが四人いる。
奥さんと三人の愛人が子供達とも皆一緒に暮らしてて、それでも仲良しだって聞いて、私はあんまり想像がついてなかったんだけど……なんと、さっき私がお客さんとして案内した女性四人組がそうだったんだよね。
驚かせようと思って、レベッカにも内緒で来たみたい。
「本当に、すごく仲が良さそうだったなぁ……。」
すごくニコニコ笑ってくれるお客さんだなと思ったら、席についた途端に「貴女、カレンさん?レベッカちゃんのお友達の」って。遠くでガシャーンて音がして、レベッカが飛んできて。
皆さんそれぞれ雰囲気の違う人だったけど、ずっと一緒の友達みたいに笑い合ってて、四人とも、レベッカを可愛がってるのがよくわかった。
『なにも四人とも来ることないだろ!《ゲート》は結構な金かかるって聞いたぞ!?』
『だってレベッカちゃんのためですもの~。お金なんて、ねぇ?』
『ええ、あの人の飲み代を削るからいいのよ。それで、どう?憧れのお方とは少しでも話せたの?』
『今日も元気いっぱいで可愛いねぇ、レベッカ!お母さんいっぱい注文しちゃおっかな』
『お仕事頑張ってて偉いわぁ、朝は?起きれたん?無理でしょ?誰が起こしてくれたの?お礼しな』
レベッカは顔が真っ赤になっちゃってて、ふふ、可愛かったなぁ。
お父さんが来た時も何か人前で話されちゃって真っ赤になってたって、デイジーさんから聞いたけど。放っておくと同じ事になりそうだもんね。
元々「仕事終わった後どうしようかな」って言った私を誘ってくれただけの、軽めの約束だったし。約束をやぶられたっていうよりは全然、微笑ましい気持ちでいる。
「…お母さん達、今頃どうしてるかな。」
いつもみたいにテーブルを囲んでるところを想像して、つい口元が笑う。
入学してから一年経たない今だって、手紙では書けなかったり、伝えきれなかったりする話がいっぱいあって。
ここを卒業する頃には、私はどれだけ沢山の思い出を抱えてるんだろう。
ここを卒業したら私は、どんな風に生きていくんだろう。
ほんの少し怖くて、ちょっと楽しみで、わからなくて、どきどきする。……落ち着いて、まずは今日を楽しもう。
ローブを着て鞄を取ったら、ロッカーには鍵を忘れずに。……うん、大丈夫!
ぱさっとフードをかぶって、私は更衣室を出た。
学園に来てから最初の女神祭、今日は二日目。
よく晴れた空に雲がいくつか浮かんで、少しだけ風が吹いていた。
中庭でお昼ご飯をじっくり悩んでみるとか、お買い物フロアは占いの館が出張してきてるんだっけ。
もしできればシャロンとも回りたいから少し探してもいいし、普段行かない馬術場を見てみたり、魔法体験所がどんな感じなのかも気になるなぁ。
ダンスホールでは歌劇かコンサート、今の時間はどっちだったかな?たまにはそういう芸術的なものを観てもいいかも。
【 どこへ行こう? 】
がやがや賑わう中庭を突っ切って、私は開けっ放しの扉から南東校舎に入った。
そのままコロシアムの方へ抜けるつもりが、ちょうど目の前を通り過ぎた人を見て足を止める。フードをかぶったその人はすたすたと進んで、気付けば私はその人を追っていた。
あんまり目立ちたくないだろうから大声で呼び止めたりせずに、そっと。
足元は制服のズボンに革靴で、後ろ姿の雰囲気にどこか覚えがあって、ちらっとだけ見えた横顔は眼鏡をかけていた気がする。
あれはきっと――、あれ?確かこの角を曲がったはずなのに。
視界の端で、教室の扉が音もなく開いた。
驚いてそっちを見ようとして、手が伸びて来て。
「きゃああっ!」
強く引っ張られて思わず声が出る。
床に倒れる!って体を固くして目をぎゅっとつぶっちゃって――
「誰かと思えば……何をしているんです、貴女は。」
呆れたっぷりな声が聞こえて、涙ぐんだ目を開く。
閉じた扉の内側で、床にぶつかる寸前の私をサディアス様が支えてくれていた。ずるりと座り込めば、手を離される。心臓がどくどく鳴っていた。び、びっくりした!!
「これ以降、大声は出さないでください。わかりましたか?」
「……っ!」
ぜーはー息をしながら必死に何度も頷いた。
空き教室には他に誰もいない。私から一歩離れた場所で、サディアス様は水色の瞳でこっちを見下ろしていた。
「それで、なぜ私を追って来たのです。」
「た、たまたま、見かけて……挨拶しようと、思ってっ。」
「挨拶?」
ぜ、「全然必要ないのにどうして」みたいな顔で聞き返された!
ううっ…ウィルフレッド様やシャロンだったら絶対、笑って頷いてくれるのに。よいしょと立ち上がって、ローブのおしりをパタパタはらう。
「そのっ…こんにちは、どこ行くの?とか、楽しんでるのかなとか…」
「貴女は、見かけた知り合い全員に声をかけるのですか?」
「……そういうわけでは、ないんだけど。えと、サディアス様は何してたの?」
「上階で用事を終えたところです。この後は空いているので、どこへ行くとはまだ考えていませんでしたが。」
私と同じだ!
せっかくなら一緒に行こうって聞いてみようかな。
サディアス様は《魔法学》が得意だし、魔法体験所に行くって言ったら興味を持ってくれるかもしれない。
でも予定が空いてるとはいえ、公爵家のサディアス様を誘うなんて迷惑かな?
どうしよう。
【 サディアス様を誘ってみる? 】
「あの……私これから魔法体験所に行くんですけど、よかったら一緒にどうかな?」
「………魔法を使える私達が魔法体験所に行って、何の意味があるんです?」
「……。」
すごく興味なさそう!!!
私の予想なんて全然当たってなかった!どうしよう!?
何だか慌てちゃって、ついわたわたと手を振る。
「わ、私達が体験するのが目的じゃないっていうか、どんな風にやってるのかな?って。」
「……まぁ、いいでしょう。少し貴女に付き合うくらいの時間はありますから」
迷惑だったかなと思ったけど、来てくれるみたいでほっとする。
サディアス様って、本当に嫌なら絶対に来なさそうだもんね。普段二人でお話できる事は少ないし、これって貴重な機会かも。
コロシアムに来てみると、お子さん連れじゃないお客さんも意外と来ていた。
属性ごとに旗が立てられてて、その近くには同じ色の腕章をつけた係の人が数人ずつ。それぞれに魔法を披露してて……属性は同じだけど、やってる事は全然違う。
たとえば水の魔法。
手の傾き加減で指先から出る水の量が変わっていく人、水をいくつも輪っか状に出してくぐらせる人。
大きな布を狙い撃ちして濡れた部分で絵を描いてる人に、動物の形を作ってまるで生きてるみたいに動かしてる人までいた。
「すごい……来てよかった…」
「結論が早いですね。一属性でも多様な使い方が望める事は、《魔法学》初級でも習うはずですが」
「も、もちろん知ってるよ。ある程度は知ってるんだけど……こうやって一気に目の前で見るとさ、すごいなぁ!って。」
「…そうですか。」
ゆっくり瞬いて、サディアス様はそれだけ言う。いまいち気持ちが伝わってなさそう……。
私と違って、サディアス様は学園に入る前から色んな魔法を見慣れてるのかも。
「係の人、学園の制服だったり教会の服だったり、コックさん?までいるんだね。」
「ここを任されるのは《魔法学》中級クラス以上の希望者、あるいは正規に雇われた魔法使いです。加えて、身元調査さえクリアすれば、リラの住人でも参加できます。」
「そうなんだ……学園での女神祭はサディアス様も初めてなのに、よく知ってますね。」
「生徒会と話す機会もありますし、それくらいは頭に入っています。」
お客さんはじっと見守ったり拍手したり、歓声をあげたり、笑ったり。
最前列は子供達に譲る人が多くて、私とサディアス様は少し遠巻きに覗いていく。お客さん達の話が聞こえてきた。
「あぁ、私も魔法が使えたらよかったのに。洗濯物がよく乾きそう」
「ぼくねぇ、もうちょっとでカンテイするんだ。どの魔法かなぁ」
「俺は闇の眷属でありながら、それが使えない……この右手には邪悪な光しか宿らぬ……クッ!」
「複数使えるのが一番だけど、全部を使いこなすのは大変らしいね。」
「フン……あの程度なら私にだってできるわよ。」
「男はやっぱり火の魔法!一番でっかい火を出せた奴が一番かっこいい!みたいなとこが――…えっ、ない?」
きょろきょろする私が進む速度に合わせて、サディアス様は一歩離れたところでついてきてくれる。あんまりこう……ニコニコ楽しそう!って感じではないけど。
私自身は驚きも発見もあって、何より思うのは…
「サディアス様」
「何ですか?」
「やっぱり、魔法って素敵なものですね。」
たくさん使い方があって、不思議で、人それぞれで。
こんなに多くの人が目を輝かせて、魔法を使う本人も楽しそうで。何のひねりもない感想だけど、「すごいなぁ」って心から思う。
「…水を差すようですが、そこまで感動を得るようなものでしたか?」
「うん!なんかね、上手く言えないけど……希望とか、可能性を見せてくれてるって感じ、です。」
私じゃ、使えるようにならないかもしれないけど。
私ができる事は、できるようになる事はきっと、限られてるんだけど。ちょっと恥ずかしくなって、顔が勝手に笑っちゃう。
自分の未来に少し、わくわくするような。
できる事を増やしたいって、努力したいって、改めて思えるような。そんな気持ち。
サディアス様はどうしてか、ちょっとだけ寂しそうに笑った。
それがすごく綺麗に思えて、心臓がさっきと違う鳴り方をする。
「……どうも慣れませんね。貴女がたのその純粋さは」
「…じゅ、純粋?そうかな?」
落ち着こうと思っても目が泳ぐ。
シャロン達の笑顔にはそれなりに慣れたつもりだったけど、サディアス様が私に笑いかけるなんて珍しい。
……そうだよ、とっても珍しい!
もう一回見ようと思って視線を戻したら、いつも通りの落ち着いたサディアス様に戻っていた。
指先で眼鏡を押し上げて、冷静な瞳がちらりとコロシアムを見回す。
「大体見ましたね。私はそろそろお暇しても?」
「あっ、うん。一緒に来てくれてありがとう!」
「……こちらこそ。誘ってくださってありがとうございました。」
「…うん!」
意外に思って返事が遅れたけど、私は力強く首を縦に振った。サディアス様はもう背中を向けてたけど、声は届いたと思う。
初めて会った時は、私とレオがいるのはおかしいって感じの――正直、私達もそう思ったけど――しかめっ面で。
今だって、声を掛けようとした事を不思議に思われるくらいなんだけど。
少しだけ彼の心に触れられたような、そんな気がした。




