502.たぶんそういうところ
目に入りそうなほど前を伸ばした毛量の多い茶髪、自信なさげにこわごわと肩を縮めて、ホレス・ロングハーストは南校舎の大講堂を目指していた。
彼は神殿都市サトモスの近く領地を持つ侯爵家の四男であり、もちろん、何か起きない限り家を継ぐ事はありえない立ち位置だ。
優秀な兄達のサポートをしたりして、細々と地味に暮らしていくだろう気弱な青年である。
――…誰がどう考えたって、僕はそうなのに。
筆記用具が入った鞄をぎゅうと抱えて歩くホレスの額には汗がにじむ。
この王立学園でだって、ホレスは教室の隅で目立たず授業を受けて、そこそこの成績で無事に卒業できればそれでよかったのだ。
公爵令嬢シャロン・アーチャーに声をかけられ、つい舞い上がって夢中になってしまうだとか。
結果的に野次馬もいる中で王子達から詰められる恐ろしい事態になるだとか、愛しの恋人だと思っていた人に裏切られるとか、そもそも偽物、しかも男だったとか。
同じ被害者だった騒がしいプラウズ伯爵家次男や、リラにある商家の息子、おまけにシャロンの偽物とまで仲良くなるとか。
事件で話したお陰で王子や公爵家の面々が少し話してくれるようになるとか、恐ろしいと噂かつ本当に怖かった第二王子から依頼を受けるとか。
ホレスの人生にそんな予定はなかった。
そんな事になるはずがなかったのに。
「むっ!?そこにいるのはホレスか!」
「ひぃっ!!」
突然大声で名を呼ばれ、声に心当たりはあろうともホレスは飛び上がった。
バクバク鳴る心臓に反射的に「死にそう」と考え、取り落とした鞄を拾いながら顔を上げる。カツカツと近付いてきたのは一人の男子生徒だった。
斜めにカットした輝くブロンド、鼻は高く色白で、今日も今日とて両腕をシュビンと動かしてこちらを指してくる。
アルジャーノン・プラウズ、声と腕の挙動が大きい伯爵家次男である。
彼の登場と言動により、既に通行人からは視線を浴びていた。生徒の一部は「ああ、またあいつか」といった風にすぐ目を離したが、女神祭に遊びに来ているだけらしい一般客は目を丸くしている。
「さては貴様も受けに来たんだな、今回の《特別授業》を!」
「……う、うん…。」
「なんッだそのしみったれた返事は!まず背筋を伸ばさんか、背筋を!」
「いや、その。…一応、見に来ただけというか……見学みたいなものだよ。」
背筋を伸ばして歩き出しながら、ホレスはぼそぼそと言う。
そこで行われるのは、学園の卒業生を始めとする大人が自分の仕事について教えてくれる授業だ。これから始まるコマは「騎士団の文官職」である。
「実際には、僕が騎士団なんて…無いだろうし……」
「声が小さ過ぎて、この距離でも聞き取りにくいぞ。いつも言っているが、四男と言えどロングハーストに名を連ねているからには、貴様は普段からもっとシャンとすべきだろう?」
「うん…えっと、アルジャーノン君は、どうしてこの授業に?僕と違って戦えるのに。」
ホレスは《弓術》なら好きだが、人間相手の暴力沙汰などごめんだし、敵と相まみえても悲鳴を上げて縮こまるか逃げるしかできない自信があった。
しかしアルジャーノンは剣闘大会に出場するほどだ。入団を視野に入れているなら文官職ではなく、騎士そのものになれるだろう。少しうるさくて落ち着きがないけれど。
「知っておいて損はないの一言に尽きるがな!たとえば由緒あるプラウズ伯爵家の領地に、騎士がやってきたとする。何か交渉が発生した時、騎士団側にどんな役職の人間がいて何をしているのか、その知識があるとないではまったく違うというわけだ!」
「ああ……そっか。知ってないと、誰と話をさせてほしい、とかが言えないね。」
「無論、本や先代の知識から把握する事もできるがな!今その職務に就いている者の話を聞いておくに越した事はないっ!それに――」
アルジャーノンがブンブンと腕を振って語るため、通行人が距離を取っている。
ホレスは「こういう時に彼を止めてくれたのは、いつもマシュー君だったな」と、リラ出身の赤髪の男子生徒を思い浮かべた。今はいない上に、ホレスには止める事ができない。
「何か縁があって騎士団に入った時、脳筋どもと同じだとは思われたくないだろう?事務方の事情も多少わかっておいた方が、根回しするにも何かと都合が良い!」
「うん……アルジャーノン君って、意外と考えてるんだね。」
「そうっだとも!私はできる男だからな!!……、ん?…意外?意外と言ったか、今。」
「い、言ってないよ。」
それは言ったやつのどもり方ではないかと疑われながら、ホレスは扉が開け放たれた大講堂の中へ入った。まだ開始時間ではないため、席の埋まり具合も六割といったところだ。
前方の席に剣闘大会で一年生六位だったネイト・エンジェルの姿が見え、他にもちらほらと実力者がいた。戦う力があってもこの授業を受けに来るという生徒は、アルジャーノンだけではないらしい。
どこへ座ろうかと見回すホレスの横を、数人の生徒が通っていった。
「さっき誰か医務室に運ばれたって聞いたけど、知ってる?」
「南東校舎の方が少し騒がしかったので、それかもしれませんね。」
「俺が悪かったとかなんとか、声が聞こえた気がしますわ。」
「…痴話喧嘩?」
聞こえてきた会話にホレスは「体調不良かな」と考えていたが、「俺が悪かった」などという台詞が出るのなら少し違うのかもしれない。
気付くと、アルジャーノンは既に席を決めてそちらへ向かっていた。慌てて後を追う。
「アルジャーノン君、聞こえた?南東校舎の方で、さ、騒ぎがあったって。」
「む?それなら知っているぞ!ちょうどマシューの店に寄っていたからな、雑貨店から出てきたところを見た。フードはかぶっていたが、あの声と体格は王女殿下の従者だ。運ばれたのも殿下だろう」
「ああ……」
不安そうな顔をしていたホレスだが、アルジャーノンの話に納得した様子で頷いた。
ヘデラ王国の王女ロズリーヌの奇行は有名で、たとえ同学年でなくとも知っているものだ。よく悲鳴や謎の笑い声を漏らしており、《剣術》の授業見学中に貧血で倒れた事もあったらしい。
「それなら、あんまり心配ないのかな……?」
「こう言ってはなんだが、奇行の多いお方だからなっ!」
ひねりを利かせて腕を振り、アルジャーノンは片足を上げて謎のポーズを決める。
君のそれもだいぶ奇行だよという台詞を飲み込んで、ホレスはようやく席に着いた。
◇
冬の時期、裏庭の東屋では備え付けの薪ストーブを使う事ができる。
特に女神祭の最中はあらかじめ薪が入っているため、利用者はそこに置かれたマッチや自分の魔法で火をつけるのだ。
「う~む、ちょうど良いぬくぬくじゃのう」
エリは満足げに頬をゆるめ、ヴェンが渡してくれたひざ掛けの下で足をパタパタと動かした。
テーブルにはイアンが手配した温かいフルーツティーと、小腹を満たせる程度の軽食が用意されている。
「特別展示はどうだったかな、エリ姫?」
向かいの席からそう聞いたのはチェスターだ。緩くウェーブした赤茶色の長髪に編み込みを作り、今日は低い位置で結っている。
昨日は彼とその主である第二王子アベルとの約束を破ってしまったため、万一にも同じ事態にならないよう、イアンは徹底した(エリの)寝坊対策を取って合流に間に合わせた。
「うむ!わらわ達もあれこれとこの国を旅してきたが、目新しい物もあって楽しかった。あまり人が来ないうちに見られたのも助かったぞ。礼を言う」
「はは、それは何より。アベル様にも伝えておきますね☆」
わざわざ主君の名を出したチェスターにイアンは心の中で胃が痛そうな顔をしたが、何も気付かないエリは「そうじゃの~」と適当な返事をしている。
視線の先にあった一口サンドを、イアンの妹であり、金髪をサイドテールに結った令嬢――キャサリンが小皿に取ってくれて、エリは笑顔で礼を言った。
「む…そうじゃ。アベルと言えば、キャサリン。そなたに聞いたチッスの話は、二人が直接したのではないらしいな?」
「え?ええ、《祝福の口付け》のお話でしたら、そうですね。祝福の乙女が神話を真似て、剣に口付けるふりをしてから優勝者へ渡す流れですわ。」
「あれか、懐かしいな……この学園では伝統だね。創業当時はなかったとも聞くけど。基本的に、あれは一年生には内緒で行われるんだ。」
「ふむぅ!?内緒。」
目を丸くしたエリが聞き返し、一年生であるチェスターとキャサリンを交互に見る。
当時を思い出してかキャサリンは微笑んで頬に手をあて、チェスターは苦笑した。
「あはは……知らされてたの、仕掛け人側のシャロンちゃんくらいじゃないかな?ウィルフレッド様も驚いてたし、アベル様も一瞬、閣下の言う事が理解できない顔だったし。」
「ほうほう、アベルは知らなかったのか!せっかくなら見てみたかったのう、あやつが慌てるところ。見ぬよな?普段。」
エリに視線で同意を求められ、ヴェンが「そうですね」と答える。
王都で奇襲した時も、彼の身に何が起きているか伝えた時でさえ、アベルは慌てふためくような様子を見せなかった。王族という身分を差し引いても、あまりに子供らしからぬ冷静さだ。
キャサリンは記憶をたどりながら首を傾げ、「確かに、慌ててはいらっしゃらなかった気がします」と言う。大きく頷いたチェスターは軽い仕草で片手を広げた。
「第一、学園側から生徒にそういう事を強要するなんて、無理があるしね。おまけに王子殿下と公爵令嬢……あり得ないって事は、アベル様ならすぐわかっただろうし。」
「つまらんのう~!昨日もな?恋バナとかせんかと思うたが、あやつ全く乗らなくて――」
「エリ嬢」
「あっ。……何も言っておらぬ」
目を細め笑みを消したイアンに名を呼ばれ、エリは速やかに軽食を口へ詰め込む作業に移行した。喉に詰まらせて胸元を叩くエリにヴェンが紅茶を勧め、イアンはじとりと視線で圧をかけている。
そんな様子を確認して、キャサリンはちらり、チェスターと目を合わせてから彼の方へ身を傾けた。口元に手を添えて小声で聞いてみる。
「あの……実際のところ、殿下は…お相手のことなど、考えておられたり……」
「う~ん、どうかな。俺からはなんとも……キャサリンちゃん、興味あるの?」
「ございます、すごく。」
意外な返答に、チェスターはつい瞬いた。
普通、貴族令嬢ならここは控えめに答えるべきである。アベルを狙っていようとも、いなくとも。そこを食い気味に答えてくるのはおかしいと、キャサリンに視線を移した。目が輝いている。
――…あ、そっちか。
「わたくし、その……やっぱり殿下にはあの方が…という気持ちがあり……陰ながら応援をしているのですわ。もちろん決めるのはご本人達ですから、どなたとまで言う事はしないのですけれど……!」
「そうなんだ。……んー、誰かはわからないけどさ。無理にけしかけたりとかは、駄目だよ?」
「はい、もちろんです!わたくしなぜかいつも、少しばかり空回ってしまいますし――」
バサッ。
何か、重い物が木々の葉を掠る音がした。
「宣言」
ヴェンとイアンが各々の武器に手をかけ立ち上がるその時、キャサリンは音がした方向へ瞳を動かしながら既に、その言葉を呟いている。
「風は壁となり」
東屋を取り囲むように強風が巻き起こった。
余波を受けてチェスターは指で軽くフードを押さえ、キャサリンの髪が揺れる。木の葉にぶつかりながら何かが飛んできた。
「阻むもの」
唱え終わるまで二秒足らず。
飛来した物体は東屋に届く事なく地面に落ち、跳ねて転がった。誰かの鞄のようだ。そこから視線を離さずにイアンが手振りで合図し、キャサリンは風の魔法を解く。
がさがさと草むらをかきわけ、二十代半ばも過ぎただろう男性が二人やってきた。互いをどつきながら笑っている。
「なぁ、すげえ飛んだぞ!はははは、誰か居たらどうすんだよぉ!」
「いないだろ!いたら証人だ、ヒック。俺のさ、強肩の……、あ?」
貴族だ。
キャサリンと共に進み出たイアンの優雅な足取りを、ローブの下に窺える上等そうな衣服を、冷えた眼差しを見て、男達はすぐにそれを察した。赤ら顔から血の気が引いていく。
「君達。今の攻撃は、僕達がマグレガー侯爵家の者と知った上での事か?」
「侯爵家っ…!?めめ、滅相もありません!どうかお許しを!」
「いらっしゃる事を知らなかったんです、申し訳ありませんでした!俺達ちょっと、酒入ってて…」
必死に謝り倒す男達を横目に、フードを目深にかぶったエリはフルーツティーを口に含んだ。
甘く爽やかな味わいに満足しつつ、何も言わないチェスターを見上げる。
「…そなたは行かんでよいのか?」
「もっと大事になるからね~。エリ姫にはあんまりピンとこないかもだけど、普通の人からしたら俺って、王子様の次に偉いレベルなんだよ。」
イアンは男達を教師なり巡回係に引き渡してくると言い、キャサリンは「後はお任せください」と目礼した。
彼女は周囲を見回して異常が無い事を改めて確認し、自分を見ているエリに気付いて微笑みを浮かべる。
「お騒がせしました。兄はじきに戻りま――っきゃあ!」
東屋の段差に躓いたキャサリンがたたらを踏み、すぐ近くにいたヴェンが咄嗟に支えて事なきを得た。危うく彼女の手がティーセットを叩き割るところだ。
「ありがとうございます、ヴェン様。わたくし本当にそそっかしくて…」
「いえ。ご無事ならそれで。」
「むっ」
二人の触れ合いを見せつけられ、エリがムギュッと眉根を寄せる。
カップを置く音がカチャンと響いた。
「ヴェン!だっこ!!」
「はい。ただいま」
「…エリ姫、たぶんそういうとこだよ?子供扱い抜けれないの…」
女神祭時点での目安です。
189cm…ホワイト
188cm…ヴェン
180cm…ダン
178cm…ジークハルト
176cm…ラウル、ヴァルター
174cm…チェスター、レオ
172cm…デューク
168cm…サディアス、エリ(大人ver.)
167cm…ウィルフレッド、アベル
160cm…シャロン
159cm…ロズリーヌ
155cm…カレン
145cm…エリ(少女ver.)
~歳になる年
33歳…ヴェン
23歳…ホワイト
17歳…エリ、ヴァルター
16歳…チェスター、ダン、ジークハルト、ラウル
15歳…サディアス
14歳…レオ、ロズリーヌ
13歳…シャロン、カレン、ウィルフレッド、アベル、デューク




