494.気の合う二人の食事会
高く昇っていた太陽も傾いていき、学園の校舎に橙色の光を投げかけている。
助手に変装したメリルに見張られながら《化粧師》の仕事を終え、女装を解いたジャッキーは中庭へ下りてきていた。
いつも通りの制服を着て、いつも通り薄紫の髪を三つ編みにしている。
彼は普段から金の管理はアーチャー公爵家に任せているけれど、女神祭では三日間でいくら、と小遣いを渡されていた。それでもジャッキーにとっては中々のお金で、心配なら一日いくらにしなさい、という所までシャロンに決めてもらったのだ。
財布に入っているのは一日目の分だけなので、三日間の予算を初日で使い切る心配もない。
「えーと、串焼き肉、ハム巻きにフルーツ盛り…いやここは一旦、珍味に手を出すのもありかなぁ。珍しいのは次いつ食えるかわかんないし…」
指折り数えながらジャッキーがふと目を留めた先、中庭の隅では一人の女子生徒が何も持たずベンチに座っていた。誰かを待っているわけでもないのだろう、背は丸まり、虚ろな目をして地面を見つめている。
――オリアーナ・ペース?ペイス、だっけ?
珍しいといえば彼女も珍しい。
ツイーディアの貴族令嬢なら絶対に避けたいであろう、シャロン・アーチャーの怒りを買った者である。
平民でありながら王子やシャロン達に気に入られた女子生徒、カレン・フルード。
嫉妬か妬みかジャッキーにはわからないが、カレンにしつこく嫌がらせをしたからそうなったのだ。まともな貴族であればもう、オリアーナと仲良くしようとはしないだろう。
せめて、彼女が改心しない限りは。
――せっかく来てんのにつまんなそうだな、ここに居たくないって顔にも見えるし。まー、部屋にこもってる方がきついんかな?
それにしても、とジャッキーは考える。
カレンに言い返されてすぐ逆切れするような人間が、「他の令嬢から相手にされない」というだけでああなるだろうか。
親からも何か言われている可能性はあるけれど、どちらかと言えば、今の彼女はジャッキーがかつて居酒屋のバイトで見かけた――金貸しに追われる男だとか、やばい男に狙われた女だとか、そういった追い詰められ方をしている人間のそれに近い。
――俺ちゃんの知った事じゃないけどね。
ろくに親しくもない人間が持つ闇だ。軽い気持ちで触れるものではない。
ふわりと漂った香ばしいステーキの匂いにつられ、オリアーナを忘れたジャッキーはそちらへ走った。
「おっちゃん肉ちょーだい!」
「お肉ですわーっ!」
「「ん?」」
ジャッキーと同じように目を輝かせ、誰かが同着したようだ。
全く同じタイミングでジャッキーと顔を見合わせたのは、従者ラウルを連れたヘデラの第一王女ロズリーヌだった。プラチナブロンドのポニーテールをフードで隠し、変装用なのかダイヤ型のサングラスをかけている。
しかしよく通るその声と、姿勢や仕草に表情の変わり方が見えた時点で、ジャッキーにはわかる。
咄嗟に無礼にも指で指してしまいそうになり、それだけはやめた。
「おーじょさま?」
「貴方は――ニセモノッ!」
ジャッキーは手を半端に上げ、ロズリーヌは遠慮なくズビシと彼を指し示す。
ロズリーヌにとってジャッキーは、シャロンに化けてとんだ迷惑騒動を巻き起こした不埒者である。
寛大で優しく可愛いシャロンは慈悲の心で許してあげたようなので、外野からロズリーヌが個人的にどうこう言う事は控えていたものの、今でも印象は「ニセモノ」だった。
ジャッキーは素早い動きで店主の前を譲る。
「お先にどぞ!俺ちゃ…ジブンは次でいいんで!」
「あらそう?じゃ失礼して…おじさま、お肉を二枚、いえ三枚いいかしら。あっ、そのお肉ではなくてね、こっちのお肉を…」
焼き加減の好みにもこだわり、ロズリーヌは無事に肉をゲットして立ち去った。
皿はラウルが持ち、ジャッキーはどれでもいいので選ばず贅沢にも二枚、ソースと共にパンに挟んでもらう。
微笑むシャロンが「野菜は?」と聞いてくる姿が脳裏に過ぎったものの、今日くらいはおじょーさまも許してくれるでしょ、と心の中で呟いた。
ジャッキーだって、化粧師サヴァンナとして仕事を頑張ったのだ。クリームをたっぷり載せたマロンケーキだとか、ミートボールがごろごろ入ったパスタだとか、貝類をたっぷり入れたスープだとか、予算の中で好きな物を好きなだけ買う。
バイト時代に養ったバランス感覚で、ジャッキーは両手に二皿ずつと頭の上に一皿載せて座る場所を探した。
時間帯的に、ちょうど色々回って休みたい頃合いの人が多いのだろう。
席が埋まっている場所ばかりで、ぽつぽつと空いているのは相席になってしまう。実はもう半刻前ならシャロン達がいたのだが、ジャッキーがそれを知るはずもない。
知り合いはいなさそうだと見て取ったところで、四人席にラウルと二人で座っているロズリーヌと目が合った。
予想外にも手招きされ、おずおずと近付いていく。
「貴方!席がないならこちらにおいでなさいな。」
「え、いーんですか……?」
「食事は人類の基本!食べる場所に困る方がいるなら当然ですわ。」
「へぇー!めっちゃ優しーですね。」
「もちろんですわ!わたくしは新・生・ロズ」
「殿下。変装の意味が」
ラウルの一言にロズリーヌは「ごほんけほっカフッ!」と咳き込み、さらに軽く咳払いをしてから背筋を伸ばした。むにりと微笑み、優雅な手つきで椅子を勧める。
「……さ、どうぞ。」
「ありがとーございますっ!」
施されるものは遠慮なく受け取るべきだ。
ジャッキーは満面の笑みで礼を言うと、てきぱきと五皿並べて席に着いた。ロズリーヌが目を丸くしている。
「貴方、一度にそれだけのお皿を持つとは中々やりますわね。」
「そう?ですか?慣れたら簡単ですよ。」
「ラウル、習得を。」
「量を減らす方針じゃなくていいんですか?」
「うっ……え、えぇと貴方、お名前は何だったかしら。」
「むぐ?ん…」
早速食事を掻きこんでいたジャッキーは瞬き、一瞬話しかけてすぐにやめた。慌てて咀嚼する彼の脳裏には、監獄のような王都生活時代でメリルから向けられた恐ろしい眼差しが浮かんでいる。口に物を入れたまま話さないようにと散々叱られたのだ。
人に挨拶するなら、ごくんと飲み込んでから。
「――俺ちゃ…自分は、ジャッキー・クレヴァリー。…って言います。」
「そう。知っているでしょうけれど、わたくしはロズリーヌ。こちらは従者のラウルですわ」
口元に軽く手を添え、ロズリーヌは小声で言う。
ジャッキーがぺこりと頭を下げると、ロズリーヌは微笑んで頷き、ラウルは軽く礼を返してくれた。遠巻きに観察していた通り、ヘデラの王女は気さくな人柄であるらしい。
「自分、《音楽》の授業をたまに外から聞いてるんですけど。一番上手いのって王女さまでしょ…すよね。」
「それぞれの魅力がありますから、一番と言うべきかは悩ましいですけれど。ええ、わたくし歌には自信がありましてよ。」
「声でわかるますから。俺……自分としては、」
いないはずのメリルが横で見張っているような気になりながら、ジャッキーは懸命に言葉を選んだ。
しかし彼の様子から理由を察したのだろう、ロズリーヌは軽い調子で「話し方はあまり気にしないで」と言った。
「今のわたくしはヘデラの王女でありつつも、貴方がたの学友ですからね。」
「ほんと?じゃ軽めに喋るけどさ。前から思ってたんですよね、すげーキレイに歌うなって。」
「おほほほほ!そうでしょうそうでしょう。」
「殿下」
「こほん。……ありがとうございます。わたくし、褒められるのは好きでしてよ。」
ロズリーヌの声はよく通るのだ。高笑いなどしていたら注目を集めてしまう。注意されて改めて声を潜めながらも、ロズリーヌはにんまりと頬を緩めて笑った。
片やツイーディア王国の平民、片やヘデラ王国の王女。
生まれも育ちも丸きり違う二人だが、不思議と気が合い会話は弾んだ。お互い逐一料理のおいしさに喜び感想を言い合いながら、時にラウルに宥められながら、楽しい食事の時間はあっという間に過ぎていく。
「ジャッキー、貴方中々話せますわね。どうしてシャロン様のニセモノなんてやったんですの?」
「うーん……いわゆる、アレなんよな。ひとえに、俺ちゃんが馬鹿だったっていうか。」
「今はシャロン様のもと、大人しくしているのでしょう?」
「そそ、面倒見てもらってんです。そんで、ちょっとは役に立ちたいしさ。シャロン様には、誰か口説きたい時は相談してって言ってます。」
「くくくく口説く!?」
「殿下」
「失礼。大きい声出ちゃいましたわ………く、口説く…あのシャロン様が……」
ごくり。
それはもう、真剣な顔で唾を飲み込むというものである。
ロズリーヌの頭の中には、恥ずかしそうに頬を染め瞳を潤ませながらも、どこか決意に満ちた表情のシャロンが浮かんでいた。
彼女の前にいるのはもちろん、アベルである。
――そんなシャロン様を見て、アベル殿下もちょっとたじろぐなり目が泳ぐなりしちゃったりなんなりして!?いえっ真剣に聞こうとしててもいいけれど、んみ、見たい。見たいですわーっ!!天井に張り付いてでも見たいですが、それを言うならアベル殿下がシャロン様を口説くところも百億万回見たいですわ!壁ドン…跪く…舞踏会のように手を取るとか…距離がある中で声を張り上げるのも…ああっ全部あり!何度周回してでも全パターンを!見たい!すぐ見つかって摘まみだされそう!シャロン様がぽぽぽっと頬を染めて、ああ~可愛いですわ~!ねぇアベル殿下!?可愛いですわね!?「可愛い」と言ってほしい、シャロン様に向けて。聞きたいですわ、それを!
「くっ……ぐふぅ、うう…んぐぐふへへへ……うへっ!」
「…どしたん?です?王女様。目が虚ろで口が半開きだけど」
「気にしないでください。いつもの発作です」
「発作なんだ…」
◇
北棟のダンスホールでは、街の歌劇団の協力を得て生徒達が演劇を披露している。
司会は四年生の《祝福の乙女》コリンナ・センツベリー。
客席では目をカッと見開き口をぱかりと開けたエリが演技に見入っていて、隣のヴェンは黙ったまま、反対隣に座るキャサリンは引き裂かれた男女の物語に涙を浮かべている。
そんな中――幕で仕切られた個室の一つでは、飲み物を置いたテーブルを挟んで二人の令嬢が座っていた。
「気を付けた方が良いですよ、フェリシア様。」
人形のように美しい顔立ち、きめ細かな白い肌。
いっそ無機質に思えるほど整った微笑みを浮かべ、黒髪の令嬢クローディア・ホーキンズが忠告する。
「殿方の情念は、時としてこちらの予想を超えるものです。無論、逆もまた然りですが。」
「……ええ。わかっているつもりです」
薄氷の如き水色の髪を持つ令嬢、フェリシア・ラファティは曖昧な返事をした。
セドリック・ロウル伯爵令息と自分は好き合った者同士ではなく、互いに家の利を考えた上で婚約したのだ。冷めきった仲と言う程ではないけれど、そんな忠告をもらう程の熱さはない。
無用な心配ですとは言わずにおき、フェリシアはまだ湯気の立つティーカップに指をかけた。
「昼のコンサートは一緒に観ました。なにも普段と変わりありませんよ。」
「上手くやれているのなら、良いのですけれど。」
「まさかわたくしに断りもなく、何かご覧になったわけでもないのでしょう?」
「それはもちろんです。」
クローディア・ホーキンズは《先読み》持ちで、閉じた瞼の裏に未来を見る事ができる。
けれど当然、知り合いの未来を好き勝手に覗くような真似はしていない。
「クローディア様は今も、届く縁談は全て断っていらっしゃるのですか。」
「ええ。」
当然のように言う彼女はフェリシアと違って婚約もしていなければ、結婚するつもりもなかった。
誰かと結婚し夫人として子を成し家を支えるより、第二王子アベルを支える部下として生きようと決めているからだ。店を持ち自立できている事も大きいが、「こうと決めたら娘は動かないのだ」と、ホーキンズ夫妻も諦めている。
「シミオンはどうするのです?」
「どうするも何も、あの子はノーラしか要りませんからね。」
これもまた、クローディアは当然のように答えた。
彼女の弟であるシミオンはノーラ・コールリッジ男爵令嬢に惚れ込んでおり、他の令嬢など候補に考えていないのだ。
幸いなのは、彼がノーラの意思を優先する男だという事だろう。一度や二度振られたくらいでは諦めないだろうが、本気で嫌がられてなお強引に手中に収めようとする男ではない。
――…難儀な姉弟だこと。
心の中でだけため息をついて、フェリシアは膝の上で軽く手を組んだ。
「…殿下は、どうするおつもりなのでしょうね。ご自身の結婚を視野に入れているとは思えなくて。」
「なさらないでしょう、あの方は。」
くすりと笑って、クローディアが言う。
時折噂に上がるのはシャロン・アーチャーの名であり、彼女がもし淡い気持ちを抱いているならそれは可哀想だけれど、叶わない。
アベルに釣り合う女性などいないのだから。
クローディアはそう思っている。
隣に顔を向けないまま、フェリシアは眉尻を下げた。
アベルの部下だと言いながら、彼女はそこを進言する気はないのだろう。
――クローディア様は…殿下が愛のある結婚をなさると、考えないのかしら。そうなってほしいと思う事は、ないのかしら。
遠い舞台を見下ろしながら、フェリシアは一人の青年を思い浮かべる。
たとえ自分と結ばれる事はなくても、支えてくれる家族を持って、幸せに生きてほしい。仕事では大変な事も多いだろうけれど、彼があの穏やかな笑顔を浮かべられる日々であってほしいと、そう願っている。
――…すぐ考えてしまうなんて、駄目ね。未練がましい……。
クローディアは涼やかな表情で悲恋の舞台を見ている。
フェリシアはその横顔を見つめ、目をそらした。




