492.忘れていてほしかった
南西校舎――食堂二階。
このフロアでは貴族向け、平民向けどちらの価格帯のメニューも提供されており、今は学園祭という事もあって通常よりテーブルセットを増やしている。
ビュッフェに並ぶ料理は自分で盛り付けてもよし、メニュー表を見て配膳してもらうもよしだ。
「剣闘大会はすごかったんだって?生徒以外も観戦できたらよかったのになぁ。」
「だけど父さん、第二王子殿下の優勝はさ、第一王子殿下が譲ったようなものだよ。実戦なら初撃の後、放っておけばそれだけで勝ちだったんだから。」
「ねぇ次どこ回る?食べ終わってから舞台までしばらくさぁ」
「それより今通ったのって!噂の化粧師サヴァンナじゃない?私今度行こうと思ってて」
「こんな時じゃなきゃ他国の郷土料理なんて出ないからな。えぇと、今年のラインナップは…」
生徒と家族が合流して食事をとっていたり、生徒同士がパンフレットを広げて次に回る場所を相談したり、女神祭限定メニューをどう食べつくすか計画を練る者もいた。
とある個室には四人席が二つ設えてあり、片方ではアベルとジークハルトが向かい合って食事をしている。
もう片方のテーブルとは何かあれば即座に駆け寄れる数歩の距離だが、その間には防音の魔法が張られており、チェスターやルトガー、ジャックやロイといった護衛達に会話を聞かれる事はない。
ジークハルトが緩く口角を上げた。
「ふむ。今のところ、魔獣がこちらへ侵入したという例は聞いていないな。ま、仮に飢えて移動するなら、帝国のような乾いた土地よりヘデラを狙うだろうよ。」
「持ち込まれた例はあるんじゃないの。」
「さてな。少なくとも俺は許可していない」
ジークハルトの答えを、アベルは肯定と受け取った。
彼以外の誰かが命じ、既にそれは行われたのだろうと。
アクレイギア帝国は生物兵器として合成獣を生み出し研究を続けている。魔法を操る魔獣のサンプルが欲しいのは当然だ。
ツイーディア王国としても、どう足掻いてもいずれは帝国が手に入れるだろうという予測はしていた。国境警備も警戒を強めてはいたものの、精巧な貨物偽装やヘデラ王国へ迂回するなど、金を積めば手がないわけではない。
「剣闘大会では随分とお楽しみだったらしいな?どうせなら次はそちらに呼べ。」
「それは無理だね。飛び入り参加どころか、部外者の観戦自体が禁止されてる。」
「くはっ。堂々名前を出して招待してくれて構わんぞ」
「遠慮しておこう。…そもそも今回、彼女の誘いを受けた事に驚いたよ。」
「そちらも受け入れただろうが?」
「国王まで説得済みではね。」
アベルの答えにジークハルトが笑う。
帝国の皇子を学園祭に呼ぶ、そんな馬鹿げた企画を他に誰が思いつき、実践してみせるだろうか。この外遊はシャロン・アーチャーの存在無くしてはあり得なかった。
「そちらは?」
「親父殿の許可か?ハ、あるわけがなかろう。それよりアベル、シャロンとはまだお友達状態のようだな。」
「…急に何なの。」
皇帝の話題から離れたいのか、単に気まぐれの一つなのか。
アベルが眉を顰めた事もわかっていて、ジークハルトは話を続ける。
「一年だ。口説き落とすには充分過ぎる時間と思ったが?」
「なぜ僕がそんな事を。意味がわからない」
「無論、その方が俺の都合が良いからだ。」
食事を進めながら、ジークハルトは事も無げに言う。
アベルは真意を問うように白い瞳を見やった。ジークハルトは去年から何か勘違いをしているのかもしれないが、彼女の相手はアベルではない。
「ツイーディアの上層に話せる奴が多いに越した事はない。シャロンにも、ウィルフレッドかアベルを捕まえておけと言ってある」
「そう」
なら問題ないと、アベルは心の中で軽く頷いた。シャロンはウィルフレッドと将来を誓い合っている。
ジークハルトがフォークの先端をアベルに向けた。
「つまりお前だ。」
「……なぜそこで僕になるんだ。」
「何でも何も――…」
言いかけたジークハルトは、不機嫌そうなアベルを見てふと瞬いた。
さてはこの男、照れ隠しでも何でもなく、兄が自分とシャロンをどういう目で見ているか一切気付いていないのだろうか。
先程も廊下で一瞬合流した際、シャロンと目を合わせて頷き合っていたくせに、あの微笑みに滲んだ感情にも全く、気が付いていないのだろうか。
――まぁ、俺ほどわかるはずはないか。
帝国の皇子であるジークハルトはとっくに数多の女達と接し、地位が目当ての者、金銭が目当ての者、本気で恋情を向ける者、狂気の愛を抱いた者、情欲が全ての者、暗殺が目的の者と、あらゆるパターンを見ている。
あしらうのも、断るのも、乗ってやるのも、黙らせる事も、思うまま自由に対応してきた。
アベルが同程度の女性経験を積んでいるとは到底思えない。
「はっ。所詮お前もまだ子供という事か」
「たかが三歳差で何を偉そうに。」
「ルーク・マリガンに弟子入りしたのだろう?ロベリアが欲しがって搔っ攫いに来ても知らんぞ。三番目…ヴァルターとか言ったか。まだ相手がいないはずだ。」
「興味を持たれるだろうとは思っているけど。ジーク、随分と彼女を気にするね。」
「貴重な女だろうが、あれは。」
アベルは否定しない。
生まれも育ちも、本人の性格や資質、能力も。ウィルフレッドの隣に相応しいのは彼女である。
「せいぜい愛想を尽かされんよう気を付けるのだな。泣いてこちらへ寄ってきたら、俺は義兄として丁重にもてなして、話を聞いてやるとしよう」
「君のその兄気取りはなんなの。」
「娶る気はないと明言してやってるんだろうが。互いの立場だけを見れば有りだが、お前達と引き離す利点が無い。」
ウィルフレッドとアベルを残してシャロンが帝国へ嫁ぎ、アクレイギア帝国とツイーディア王国の橋渡しとなる。
未来の状況次第ではあり得る話だが、たとえ友好のためであっても「人質のようだ」と、「裏取引があって、ツイーディアは不利な交渉をされたのでは」と推測する民も出るだろう。
そしてジークハルトが言う通り、ウィルフレッドとシャロンを引き離すのは悪手である。
「あのブローチ。どの道お前達も、あの娘を手放す気はないんだろう?」
「そうだね。」
「だからさっさと確約しておけという話だ。取られる前にな」
それは全くもって、アベルも同意だった。
ウィルフレッドがシャロンとの婚約を公表していない、それが問題なのだ。
国王ギルバートの許可を得る事も、アーチャー公爵の許可を得る事も――こちらはしばらくごねるかもしれないが――そこまで難しくはないはずである。
なぜか婚約者に弟とのデートを勧める兄の笑顔を思い出しながら、アベルは苦い心地で頷いた。
「…まぁ、覚えておくよ。」
――忘れてほしかったのに!
食堂一階、平民向けフロアにて。
ウェイトレスの制服に身を包んだカレンは心の中で悲鳴を上げた。
白い髪は普段三つ編みを左右一つずつにしているが、今日は編み込みも作ってのハーフアップ。
花のヘアピンをこめかみ辺りにそっと差し込み、薄く化粧もしてもらっている。
デイジーが「せっかくだからお洒落にしなさい」と世話してくれたのは嬉しかった(レベッカはデイジーから逃げた)が、こうなるなら遠慮すればよかったと後悔する。
料理をトレイに載せて運んだ先、探していた番号札を見つけたまではよかった。
それがマシュー、アルジャーノン、ホレスの三人組という知り合いだった事もまだ、よかった。アルジャーノンが「平民の味を知ってやろうと思ってね!」などと言っているのもまぁ、いいとして。
あまりに客が多いので、カレンはそこにもう一人知り合いがいる事に気付いていなかった。
「お待たせ致しました!ご注文の品です。」
「あれ?」
笑顔を作って明るい声を出した途端、聞き覚えのある声がする。
皿をテーブルに置きながら横を見やれば、マシューの向かいに座っているのはレオだった。食べかけの特盛りサンドイッチ片手にカレンを凝視し、琥珀色の瞳を丸くしている。
逃げようとしても遅かった。
「カレンの姉ちゃんじゃん!」
ごんっ。
つい、持っていたトレイを振り下ろして今に至る。
三ヶ月以上前の誤解である姉の存在など、カレンとしては忘れていてほしかったのだ。
レオだけは額に直撃したトレイで視界を塞がれ、マシュー達はぽかんと口を開けてカレンを見て、アルジャーノンがシュバッと空中を切るように両腕を動かした。
「いやどう見ても本人だろうッ!馬鹿なのか君は、いや君は馬鹿だった!」
「何言ってんだ、っつーか大丈夫か?レオ…」
「す、すごい音がしたけど…ふ、フルードさんも落ち着いて……」
ホレスが震えながら言うと、決してレオに手を上げるつもりのなかったカレンは唸った。
叩いてしまった自分が悪いけれど、真っ赤になっているだろう顔をレオに見られるのも嫌ではある。葛藤した結果、トレイを盾のようにしてレオにだけ顔が見えないようにする。
「いってぇ……いや、だってこの前会った時カレンの姉ちゃんだって」
「それはレオが勝手に言ってただけでしょ!」
「えっそうだっけか?じゃああれ、カレンだったって事か!?だって今もさ、いつもと全然雰囲気違うし。」
「別人と誤解する程ではないだろうが!節穴か君は!いや君は馬鹿だ!」
「いちいちでかい声出すなって!」
アルジャーノンとマシューのやり取りはさておき、カレンは覗き込もうとするレオに根負けして渋々ながらトレイを下ろした。まだ頬が赤い。
レオは「へぇ~」と呑気な声を出してじろじろとカレンを眺めている。
「失礼かッ!貴様平民だからといって女性に対してそれはないだろう!」
「え!?あ、確かに?悪い!ごめんな、カレン!なんかほんと、いつもと違うからさ。」
「…違うって、どう?」
「え?」
トレイを胸元できゅっと抱え込み、目をそらしたままカレンが言う。
「だから、私……いつもと比べて、どうかな。」
「や、どうって言われても…いてッ!」
テーブル下でマシューがレオの足を踏みつけ、アルジャーノンが膝を蹴り、ホレスが正気を問いかける目でレオを凝視した。
お洒落した女子が、恥じらいながら「どうかな」と聞いているのだ。
どう考えても「可愛い」とか「綺麗だ」とか言うべき場面である。レオにそんなセリフが似合うかは置いておいて。
レオは疑問符を浮かべ、首を傾げ、困ったように頭を掻いて、頷いた。
「強そう。」
「私戻るね。さよなら」
「え?おう、じゃあな――いたたたた!何っ、何だ!?」
スンッと表情を消したカレンが去った直後、足に連打を食らったレオが悲鳴を上げる。
「お前さあ!」
「馬鹿!貴様ほどの馬鹿は見た事ないぞ!」
「い、今のは無いと思うな。あんまりだよ…」
「どうすりゃよかったんだよ!?なんかいつもより大人っぽいからさ、強そ――」
「「それを言えよ!!」」




