491.責任を取る気もないくせに
太陽が高くなり昼に差し掛かる頃、君影国の姫エリはようやくドレーク王立学園の門へと現れた。
「ほう、近くで見るとここまで大きいか!広いと言うべきかのう」
蜂蜜色の瞳をきらきらと輝かせ、内巻きの黒髪は低い位置でツインテールにし、誰もが振り向く魅惑の乙女――…ではなく、麗しの美少女姿である。
なぜなら、無邪気で挙動の大きい彼女は大人姿だと目立つので。
本人はその理由を聞いておらず、「婚姻の申し入れが殺到したら困るだろう?」と言いくるめられ、「確かにのう!」と納得していた。
「聞いていた通り、建物が幾つもあるようですね。」
門をくぐりながらそう言った大男は、エリの護衛であるヴェン。
百九十センチ近い背丈、体つきはがっしりとしていて、その瞳は赤く、黒の短髪に額の高さで手ぬぐいを巻きつけ、頭の左側で縛っている。
「いいかい、君は勝手にどこかへ走っていかないように、必ず僕やヴェンと一緒にいるんだよ。」
「そう何度も言わずともわかっておるわ。安心せい」
「…安心できたら嬉しいんだけどね。」
困ったように眉尻を下げ、イアンは小さくため息をついた。
彼は艶やかな金髪に黄土色の瞳を持つ侯爵令息であり、王立学園の卒業生だ。今はエリとヴェンの案内役を務めている。
――殿下に会ったら、改めて謝罪しないと。
人を探して簡易テント周りを見回しながら、イアンは心の中で呟いた。
元々は数時間前に来て第二王子アベルと合流予定だったところを、エリが寝坊したために遅れてしまったのだ。
淑女が泊まる部屋の扉をぶち破るわけにもいかず、イアンは正直に綴った報せを早馬で送り出した。
返信のカードは、アベルと一緒にいるだろうオークス公爵令息から。
ー ー ー
迅速な連絡に感謝を。
姫君が遅れてお越しになる旨、確かに両殿下にお伝えした。
それにしても、姫君の我が主に対する
天真爛漫な振る舞いには、毎度驚かされる。
かの国は大らかな方が多いのだろうね。
チェスター・オークス
ー ー ー
扉の奥からようやく「なんじゃぁ…」と眠そうな声が聞こえる頃、イアンは届いたカードを手に青ざめていたものだ。
エリは寝坊に気付いても「それは悪い事をしたのう」と呟くくらいで、いくら個人的に面談経験があろうと外交上まずいだとか、今すぐ支度を整えて真っ先に謝りに行かなくてはとか、そういった考えはないようだった。
――殿下はわからないが、チェスター様はそれなりに気に障っておられるだろう、これ。
くすりと微笑ましそうに笑って書いているように読めなくもないが、あの軽い調子のチェスター・オークスが、わざわざ「我が主」と書いて寄越しているのだ。
姫君も、ツイーディア王国内で彼女の後ろ盾となった、君達マグレガー侯爵家も。
まさかとは思うけど、我が主たる星を軽んじるつもりではないよね?
――そう聞かれている気がする。
もちろん本気で疑っているわけではないだろうが、間違いなく圧はかけているだろう。
イアンは、アベルに会ったら本当にきちんと謝罪をするべきだとエリに言い聞かせておいた。少なくともヴェンは理解しているようなので、とんでもない事にはならないはずである。
エリがにやにやして「なんじゃアベル、わらわにイチ早く会えなかったからといって、拗ねておるのか~?」などと、言ったりしなければ。言いそうだから困ると、イアンは思っている。
「お兄様~!」
三人が声のする方へ目を向けると、テント裏から出てきたらしい女子生徒が手を振って駆けてきた。
金髪をサイドテールに結い、黄土色の瞳をした令嬢――イアンの妹、キャサリン・マグレガーだ。エリ達とは既に会食の席で顔を合わせている。
「エリ様、ヴェン様も。ご機嫌ようございます」
「うむ!今日も元気そうじゃな、キャサリン。」
「《案内係》の方は大丈夫かい?」
「はい、ちょうど交代の時間ですわ。ふふ…エリ様、本日もとってもお可愛らしいですわね」
キャサリンに微笑まれ、エリは「そうじゃろ、そうじゃろ」と胸を張っている。
テントで学園祭のパンフレットを受け取ってから、四人はまずコロシアムへと歩き出した。
「ヴェン。今の時間帯はあちらとそちらの方面に来るなと言われている。僕達は予定通り…」
「もちろん、殿下達の計画通りに従います。万一の時は…」
イアンとヴェンがひそひそと話す間、エリは女友達であるキャサリンと手を繋いで楽しい女子トークを繰り広げている。
「キャサリンは学園で何かこう、《きゅん》とする出来事はなかったのか?」
「そうですね……やっぱり、先月行われた剣闘大会でしょうか。」
「ふむ?イアンが言っていた気もするのう。剣と魔法で戦うとか」
「その通りです。」
四学年それぞれで優勝者を決めること、同時にその学年の女子生徒について投票が行われること。
一位だった女子生徒が優勝者に褒賞を渡す役割を担うのだと、キャサリンが説明する。
「わたくし達の学年はアベル第二王子殿下が優勝し、アーチャー公爵家のシャロン様が授賞式で共に立たれました。ああ……素敵でしたわ。お二人の祝福の口付け」
「くっ!?く、く、口付けじゃと!?」
大声が出そうになって慌てて自分の口を押え、イアンとヴェンがまだ話しているのをチラと確かめてから、エリは声を潜めて聞き返した。
「そっす、それは、ちちちチッスという事か!?」
「単語の意味ですか?はい。口付けはキスの事ですわ」
「なんと……!?」
開いた口が塞がらないとはこの事。
エリはぽかんとして目を見開いているが、それに気付かないキャサリンは「演出も綺麗で」とかなんとか言っている。
アベルはシャロンとキスを経験済み。
二人より年上かつ未経験のエリは、その事実についていけなかった。
今夜あたり多少強引にでもヴェンの唇を奪っておくべきなのかもしれない。
そして何よりも、
――アベル、あの阿呆め……まさか、まさかっ
『率直に聞くが、おぬしシャロンに惚れておるか?』
『そんなわけがないでしょ。帰っていい?』
――お、乙女の唇を奪っておきながら、あの言い草だったというのかーっ!?
あんまりだ。
キャサリンの説明ではつまり、アベルは衆人環視の中でシャロンに口付けたという事である。それも優勝者への褒章授与などという、もっとも人目を引く時に、舞台の上で。責任を取る気もないくせに。
「な、なんと大胆な……っ」
「ええ、あれはとっても大胆で見事で素敵でしたわ。事前に聞いていなかったのか、シャロン様も驚いたようにも見えましたけれど。殿下はもちろん…」
エリの頭には、食事の席でふわりと微笑んでいた優しげな令嬢の姿が浮かぶ。
彼女は、そんなシチュエーションで強引に唇を奪われる事など望まないように思えた。
あの笑顔は懸命に取り繕ったもので、本当は「心ない口付けをされてしまって、それも人前で弄ばれたのでは、私もうお嫁にいけないっ……でも、相手が王子では泣き寝入りするしかないんです…!」と泣き崩れていたのかもしれない。
なんという事であろうか。
エリは四つも年上の女性でありながら、いたいけな少女の心のキズに気付いてやれなかったのだ。
――見損なったぞ、アベル!わらわが…わらわが性根を叩き直してやらねば……!
「…というのが伝統だそうで、わたくし達も最初は驚いてしまって…」
キャサリンが何かまだ続きを喋っていたが、めらめらと怒りに燃えるエリの耳には入っていなかった。
アベルに会えた時には、飛び掛かってでも事情を問い質さなければならない。
「ここがコロシアムだ。普段は《魔法学》や《剣術》の上級、特別授業、後は半期試験や剣闘大会などに使われているよ。」
道の先にある大きな建物を指してイアンが説明する。
祭の間は昼間に一般客向けに魔法体験所、初日と二日目の夜は《魔法学》の実技発表会が行われるのだ。
「む?三日目の夜はやらぬのか。」
「そこでは特別な行事があるからね。」
後ろから聞こえた声に一行が振り返ると、校舎の方から歩いてきたのはウィルフレッドだった。
しかしその横にいるのはエリが知らない人物だ。白茶色の髪を編み込んでまとめ上げ、顔立ちから女子かと想像したが、ローブの下はどう見てもズボンを履いているし、胸元にはふくらみがない。
「こんにちは、エリ姫。」
「そなたか、ウィルフレッド。そちらは?」
「エンジェル子爵家次男、ネイトと申します。お会いできて光栄です」
エリを「君影国の姫が来る」と公表して招いているわけではない状況、跪いての挨拶はやり過ぎだ。ネイトは片手を胸にあてて軽く頭を下げ、エリも特段、無礼などとは思っていない様子で頷いた。
「サディアスはどうしたのじゃ。」
「大講堂で講義を受けてる。今は法務官の卒業生が講義中なんだ」
「ふむ?」
「色んなお仕事の勉強ができるのですわ。既に就職されている方のお話が聞けて…」
エリからの質問の意味を込めた視線を受け、キャサリンが幾つかの職業を挙げていく。
次期侯爵であるイアンが時折ヴェンにも振りながらウィルフレッドと話す間、ネイトは護衛役として一歩下がった位置で皆に追従していた。
コロシアムの魔法体験所では、火、水、風、光、闇と、各属性ごとに簡単な魔法を見る事ができる。
魔法を披露するのは《魔法学》中級クラス以上の生徒や、魔法の腕一本で仕事している「魔法使い」と呼ばれる人々、あるいはドレーク公爵家の身元調査をクリアしたリラの住人だ。
「宣言。水よ、大地に潤いを!」
「わぁ、きれい!」
「宣言しよう、オレの炎は全てを程よく焼き尽くすッ!」
「おっちゃんかっこいいー!またハンバーグ食べにいくね!」
「風が吹きます、今。ちょっとずつ」
「…あ、ほんとにふい……ちょっとずつふいてる!なんで!?」
子供は見たものをやりたがるので、ごく稀にではあるが、客自身がコントロールできない魔法を発動してしまう時もある。
びしょ濡れになったり、属性ごとに目印で設置された旗を燃やしてしまったり、突風で土を巻き上げたり。
そんな時に備えてコロシアムには教師が常駐しており、万が一の魔力暴走にも備えて黒水晶も準備されていた。
「なかなか賑わっておるのう。」
「まだ七歳未満で《魔力鑑定》を行っていない子から、日常で偏った属性しか見ない大人まで、どなたでも歓迎の催しですわ。わたくしも入学前に来た事があります。」
にこにこと微笑ましそうに子供達を眺めるキャサリンを見て、視線を遠くへ流したイアンは「あれは大変だったな」とぼそり、呟いた。
キャサリンは何かと「うっかり」の多い令嬢なので、何かあったのだろう。独り言が聞こえたネイトはそう思ったものの、特に聞く事はしなかった。
「ここで見られる魔法はあくまで危険のない小規模なものだが、貴国で使用する魔法…《術》とは使い方や発想が違う事もあると思う。」
「うむ、そうじゃな。花に水をやるのはわらわ達もやるが……あのピカピカは何をしておる?」
「光の魔法による転写だな。片方の紙に書いてある内容を…ほら、もう一枚に写し取る。」
「ほう……?」
ウィルフレッドの説明を聞きながらエリが自然と歩き出し、一行は「光」の旗が掲げられた一角へと向かう。
道理でツイーディアにはわけがわからないほど沢山の本があるわけだ。君影国では書物の類は全て書き写している。
――…じゃが、字のわかる民が全てではない。君影とこちらでは、同じ書物を沢山作る意義が異なるかのう。兄様はどう思うか…
国に持ち帰るべきもの、下手に広める必要はないもの。
真剣な目でツイーディアの魔法を見つめるエリの姿を、目を細めたヴェンは感慨深そうに眺めていた。
「……なんじゃ、この『そうではない』と言いたくなる気持ちは…」
「うん?何か気になる事があったか?」
「わからぬ、わからぬが…わらわは今、無性に『違うじゃろう』と叫びたい!」
「うーん…そうだな、叫ぶのは我慢してほしい。」
「くぅ…!」




