490.非常に余計な一言です ◆
第一王子ウィルフレッドの死によって、学園長シビル・ドレークは退任を余儀なくされた。
ツイーディアの子供達を守るべき学園において王族の命が奪われるなど、決してあってはならないこと。
たとえ犯人が、その裏切りを誰にも予想できない人間だったとしても――学園は重い責任を取らねばならなかった。
『レイクス、お前さんは自分を責めるんじゃないよ。公爵家による王子暗殺なんて、まず起こらないものだからね。』
『…閣下』
『私は大丈夫さ。普通は首が落ちるところを許されたんだ、表舞台からは喜んで去るよ。……引退した婆にしか動けん事もあるだろう』
『どうかお気をつけて。近頃は本土に妙な獣が出ると聞きます』
『ああ。……子供達を頼んだよ』
国の混乱を防ぐため、暗殺犯の名は伏せられていた。
犯人は単身で乗り込んだ第二王子アベルによって討たれ、背後にある組織も制圧したと発表されている。
ウィルフレッドが殺された夜には、返り血を浴びたアベルを多くの者が目撃しており、彼が不仲だった兄の仇を討った事を疑う者は――…この時は、殆どいなかった。
事件とほぼ同時、オークス公爵家は跡取りであるチェスター、妹のジェニー、叔父ダスティンの全員が屋敷にて暗殺された。
同時に身元不明の男の遺体も見つかっており、相討ちだったと言われている。
この件について、疑いの目を向けられたのはニクソン公爵家だった。
『確かに、オークス公爵とニクソン公爵の不仲は有名でしたけど……(・-・`;)』
『チェスター・オークスが消えた事で、サディアス・ニクソンがアベル殿下の従者になったでしょう?そもそも彼は、第一王子が殺された時何をやっていたんでしょうねぇ。王子を守るための従者じゃなかったんですか?まぁ同じ部屋で寝ろとまで言いませんけど。夜にあんな場所にいたウィルフレッド殿下も、少々迂闊が――、おっと…そう睨まないでください、レイクス。』
『雑談にしても口が過ぎるぞ。グレン』
『はいはい、黙りますよ…』
チェスターの祖父は一人っ子で、曾祖父には兄弟がいたものの、某伯爵家に婿入りした後の末代は子ができずに血が絶えていた。
さらにその前へ血を遡り公爵家の跡目とする他ないが、相応しい教育がされていない。
誰かがオークスの名を継ぐとしても、時間がかかるだろう。
『……何が、《先読み》。わたくしに見えていたものなど、本当に僅かな切れ端でしかないのですね。』
『姉上。今はもう、それを悔やんでも仕方ありません。』
『わかっています。……殿下が魔力を得られた事だけは、僥倖――いえ、不幸中の幸い。やはりあの方はわたくし達が仕えるに相応しく、そしてこの国の頂点に立つ運命にあるのでしょう』
『……運命、ですか。』
『殿下がそれに抗い、兄君を王にとお考えだった事はわかっていますが……気を引き締めましょう、シミオン。幼少の頃より殿下に仕えるわたくし達こそ、あの方を支えるに相応しいのだから。』
魔力の無い屑星と呼ばれる事さえあった第二王子、アベル。
双子の兄ウィルフレッドの死と時を同じくして、彼は莫大な魔力に目覚めていた。他人を見下す素振りすらあった性格も、気迫はそのままだが随分と落ち着いている。
『フェリシア様、殿下ずっとピリピリしてますね……』
『…無理もないわ。兄君が亡くなられて、チェスター様まで……その心労も測り知れないけれど、公務の負担が大きく増えた上に、騎士団とも城ともずっとやり取りされているでしょう。普段の勉学に鍛錬、会議、生徒会の仕事まで……一体、いつ寝ているのかしら。』
『寝てないんじゃないか。』
『………、シミオン。不安になる事を言わないで。』
『う、うわぁ……やりそう…』
第二王子の変化は国中のあちこちで囁かれた。
兄の死で心を入れ替えたのではないか。兄が弟に力を与えたのではないか。
変わったとて今更遅いのでは。むしろ何らかの方法で、兄から魔力を奪ったのでは。
まさか、第一王子が死んだのは――…。
『アベル殿下』
『…何の用だ。レイクス』
『どこかお怪我でもされていますか?今日の授業、一瞬妙な隙がありましたが。』
『問題ない。俺がまだ未熟というだけだ』
『……そうですか。ではいつか怪我や不調があった時は、くれぐれも軽視せずに。』
『兄を殺した相手を心配か。随分と甘いものだな』
『殿下。それは』
『俺以外を守る事だけ考えていろ。その方がやりやすいだろう』
ウィルフレッドを亡くしてから、アベルはひどい頭痛がするようになっていた。
しかし割れるような痛みは四六時中ではなく、時折痛む程度ならと、アベルはこれを無視したのだ。
それまでの日常は壊れても、時は進んでいく。
『今、なんて言ったの?』
漂った沈黙の中。凍てつくような声が響いて、アベルは完全な失敗を悟った。
シャロンから「最近顔色が悪い」と聞かれ、「問題ない」とあしらっても今日は中々引かず、土曜であるために授業を理由に中断する事もできない。
仕事のし過ぎではと言われても仕事があるのだから仕方がないし、ウィルフレッドがいない今、アベルがこの程度をこなせなくて今後何ができると言うのか。
流石に明日は寝るべきだと思っているが、アベルは今日キリよく片付けたい事があった。
ただでさえ頭の回転が鈍って苛立っている時に、心配そうに眉尻を下げるシャロンを見たくもない。自分を見たせいでそうなるなら、今ここに居てほしくなかったのだ。そんな顔にさせないために。
だから、無用な心配はやめて帰れと言いたくてつい、「七日寝てないだけだ」と答えてしまった。
失言であり自白だった。
『まさか、先週の土曜から寝ていないということ?仮眠すらも?』
『……明日は三時間ほど寝る』
重苦しい沈黙が漂った。
アベルの答えは即ち肯定であり、言い訳がましい補足はあまりにひどい。
『サディアス』
初めて聞くような声音でシャロンに名を呼ばれ、サディアスがガタガタと椅子を鳴らして立ち上がる。
ゴクリと唾を飲んで指先で眼鏡を押し上げ、冷や汗をかきながらシャロンを見た。
アーチャー公爵令嬢の瞳は、第二王子殿下の発言が事実か否かを聞いている。
自身も二晩は寝ていないサディアスは、青ざめながらもゆっくり頷く他なかった。
どう考えても自棄になっているアベルに休息を取って欲しい気持ちは同じだったし、これほどまでに怒ったシャロンを見た事もない。
視線を戻した薄紫の瞳と目が合って、アベルはごく僅かに身を引いた。
あの第二王子殿下が女子を相手に後退するなどまずお目にかかれない珍事だが、サディアスは無理もない事だと思った。少し離れた位置の自分ですら冷や汗が止まらないのだ。
シャロンは腹の前で両手を揃え、きちりとした姿勢でアベルを見据えた。
『責任感の強い貴方のこと、ウィルの分まで自分がと気負うのはわかります。けれど、限界まで身を削って自分を追い詰めるのは違うでしょう。明日ではなく、今すぐに寝てください。』
『……それはお前が決める事じゃない。』
不機嫌そうに眉根を寄せてアベルが言う。
息が詰まりそうな空気の中、サディアスは心の中で顔を伏せた。今のがまずい返しだという事はサディアスにだってわかる。
シャロンがすうと目を細めた。
『そう……私がどれくらい本気で進言しているか、それすらもわからないと仰るの。』
『…ふん。随分と上から言っ』
『アベル』
はっきりと言葉を遮ってシャロンが呼ぶ。
金色の瞳は反射的に彼女を見た。
『本当に、怒るわよ。』
アベルが固まり、たっぷり五秒の間が空く。
できるだけ気配を消したサディアスが見守る中、アベルは静かに立ち上がった。のろのろと歩き出しながら、羽織るだけだった上着をずるりと脱ぐ。
シャロンが横から手を出すので、大人しく上着を預けた。
『ネクタイも。ベストは?』
『…いらない』
考える事をやめたのか、アベルはシャロンに言われるままネクタイを外し、ベストを脱いでいる。
向かう先は生徒会室と繋がっている隣の仮眠室だ。普段アベルはソファを仮眠に使ってしまうので使用頻度は低いが、日々きちんと清掃が行われている清潔な部屋である。
不満げに眉を顰めつつも眠そうに瞬きし、アベルはベッドに腰掛けた。
彼の服をハンガーにかけてきたシャロンが水差しを持って戻り、サイドテーブルに置く。
夜更かしをしたがる幼い弟の姿を思い出しながら、シャロンは無防備に寝転がったアベルの手をとんとんと叩いた。ほとんど閉じていた目がうっすらと開く。
『六時に一度起こすわね。』
『…四時』
『六時ね。おやすみなさい、アベル』
『……ん』
最後の呻きが不服そうに聞こえない事もなかったが、シャロンは退室して扉を閉めた。
自席に座ったままのサディアスがため息をついて苦笑する。
『はぁ……さすがですね、シャロン。』
『普通ならもっと顕著に体調不良を起こすところを、《加護》の力で強引に抑えていたんでしょうから。それも、七日間も。発動さえ止めてくれれば、ああなるというものだわ。』
『…本来、《加護》にそんな事はできないのですが。魔力量が多いせいか、本当に何でもなさってしまわれる。』
『ええ――ところで、貴方はなぜまだ席にいるのかしら。』
サディアスは瞬き、視線を仮眠室からシャロンへと移した。
立つようにとやんわり手振りされ、思わず従う。
『寝ましょうね。』
『……はい。』
やがて目が覚めたアベルはしばらくシャロンの説教を受け、「世話をかけた」と素直に謝った。
わかってくれたらいいと微笑むシャロンだったが、「弟を寝かしつけた経験もあるから、苦ではなかった」という台詞だけは非常に余計だと、サディアスは心の中で呟いた。
そんな事はありつつも、アベルは圧倒的な能力と威風で瞬く間に学園の頂点に立った。
かつて陰口を叩いていた者も、元から剣技に惚れ込んでいた者も皆等しく、彼こそが上に居るべきだと悟ったのだ。誰もが畏怖と尊敬を交えて彼を見た。
次期国王たるアベル・クラーク・レヴァインは強く、貴く、聡く、恐ろしくて、美しい。
『夜教の企みは失敗したようですし、女神からの癒しは、あの方には不要だったようですねぇ。ああでも、第一王子が死んだら覚醒したというあたり…夜教の予想も、少しは当たっていたのでしょうか?まぁ、何でもいいんですけど。あの莫大な魔力に、宣言無しでの完璧な調整。全属性をいとも容易く操ってみせる万能性――…私が生きている内に、あんなにも完璧な存在を見られるとは。実に気分が良いですねぇ。お酒、もう一本開けちゃいましょうか。』
ツイーディアの大地に、怪しい獣が蠢いていた。
やがて《魔獣》と呼称されるようになる彼らは、その製作者が騎士団によって捕われた後も自然繁殖によって広がっていく。
魔獣の対策に追われる城の中で、元から体の弱かった王妃セリーナは寝込む日が続いていた。
愛する長男を喪い、遺された次男の心境を思い、悲痛に苦しむ彼女は心身ともに追い込まれている。
『ギル、セリーナの様子は…』
『……ひどく憔悴している。ナイトリー医師も薬では効かんと断言した』
『そうか…』
『マグレガー公の用は何だったんだ、エリオット。』
『…急ぐ事ではない。また今度にするよう伝えてある』
王妃は弱り、残る王子は一人きり。
今のうちから次の妻を娶るよう、国王ギルバートに進言したい者も当然いた。即決せずとも候補を見るべきだと、宰相マグレガー公爵は既に資料をまとめている。
自分の娘であるセリーナがもう使えないので、王族を増やすにはギルバートが後妻を娶るべきなのだ。
早く婚約者を決めるようにと、アベルのもとにも手紙が届いた。
添付された資料の一番上にはよく知った名前が書かれている。アベルはずらりと並んだ令嬢達の情報を、ただの各家の調査資料として目を通し、僅かにも表情を変える事なく無言で焼き捨てた。
同じ部屋でそれを見ていたサディアスが、逡巡した後に口を開く。
『…よろしいのですか。返信は』
『頼みもしないのに、国王の許可もなく送り付けてきたんだ。不要だろう』
淡々と返したアベルの様子、彼が書類をめくる際にちらとだけ見えた令嬢の絵姿から、サディアスもなんとなく内容を察していた。
学園内では充分に認められたが、王都にいた頃のアベルは「暴力的で気まぐれな王子」という印象を周囲に植え付けてきた。
貴族達の心証を良くして王太子として信頼され、国王に相応しいという印象に持っていくためには、相手選びも非常に重要となる。
そのためにも、選ぶべき相手など決まっていた。
元より彼女以外、アベルに寄り添うことを許された女性はいないのだから。




