486.大勢の内の一人
北東校舎では各分野ごとに教室を使い、《特別展示》が行われている。
内容は論文以外。
《服飾》で制作された衣類や刺繍小物から、芸術作品は趣味で作られた物から将来を見据えて技巧を凝らした物まで、その種類や出来栄えの差は幅広い。
職人になった卒業生の作品を置いた一角もあり、展示品はほぼ全てが三日目の午後から買い取り可能になる商品である。
「今年は彼が出品したとか?昨年まではまるで出す気配がなかったのに、どういう風の吹き回しだか。」
「どうやら第一王子殿下が伝手をお持ちのようですな。先程ご挨拶させて頂いた際に聞きましたよ」
「む、殿下がおられるのですか?どれ、私もご挨拶を…」
広い教室の中、各作品を学園の生徒やその家族が見て歩き、時に立ち止まって小声で話し合うのは品定めに来た商人か、収集家か。
無遠慮に手を触れる事は許されず、各教室には《案内係》と称した監視員が配備されていた。
「生徒は、希望すれば匿名や偽名での作品提出も可能です。」
橙黄色の髪をフードの下に隠し、ジャック・ライルは半歩先を行く青年に届く声で説明する。
展示品の売買においては、王立学園――つまりはドレーク公爵家が仲介する事で、仮に製作者が購入者より立場の低い者であっても、落札後の値切りや不払いは許されない。
そして取引が成立したとしても、購入者に素性を明かすか否かも選ぶ自由があった。
「ふはっ。己の目利きに責任を持てというわけだ。」
長い茶髪の青年が笑う。
屋内にも関わらずサングラスをかけた彼はまだ十八歳にも届いていなさそうな年若さだが、その自信に満ちた立ち姿や堂々たる歩き姿は只者ではなく、まるで幾つもの修羅場をくぐった強者のような風格が漂っていた。
近くを通る彼をつい見上げた女子生徒は、外国の商家の出ではないかと考える。ツイーディア王国の貴族あるいは豪商でその年代ならば、制服を着ているか見覚えがあるはずだ。
まさか彼がツイーディアと幾度も戦争を起こしたアクレイギアの、それも次期皇帝と名高い皇子ジークハルト・ユストゥス・ローエンシュタインその人だとは、想像だにしていない。
「気に入った品があれば購入希望の書類を出す事になっていますが……ジル様の場合は、私かロイにお申し付けください。」
「あればな。」
返答は簡素なものだった。
予想通りの反応に対し、ジャックは彼の視界に入る位置で軽く頷くだけに留める。格式張った礼をすれば、周囲の注目を集めてしまうからだ。
そんな二人を数歩分遅れて追うのはルトガー・シェーレンベルク。
藍鼠色の短髪を濃紺のウィッグで隠した青年だ。ジークハルトの補佐官であり、右目にかけた片眼鏡のチェーンは耳のイヤーカフへと繋がっている。
バイオレットの瞳は展示品を遠巻きに見回していた。
――たかが成人前後が集う学び舎で、随分と豪華だな。
芸術の価値はいまいちわからないルトガーでさえ、きっと高値で売れるのだろうと思える作品が幾つも無防備に並んでいる。目につく見張りといえば、腕章をつけた生徒だけ。帝国ではありえない事だ。
「まぁ……見て、セイちゃん!この置物とっても可愛い。どなた――…誰の作品かな。」
「んー、匿名だからわからないけど。好きならとりあえず買ったら?ウィレミナお嬢様」
「しっ!駄目ですわセイディ、お静かに!」
「はいはい、ミーナ。平気だよ、誰にも聞こえてないって。」
彫刻を並べた一角で、フードを目深にかぶった女子生徒が二人、声を潜めて話していた。
さして意味もなく彼女達の方を見やったルトガーは、展示された木彫りのネズミ(※リス)が胡桃を持つ姿を見て顔を引きつらせる。
木製の置物ごときに叫ぶ事はないが、あまりの気味悪さについ目をそらした。
――あれが「可愛い」だって?どうかしてる。
ルトガーには、「これを砕くように貴様の骨も噛み砕き、肉を食いちぎってやろうか」と言っているように見える。
もちろんネズミ(※リス)が人語を喋るはずはないが、そういう意思を持ってこちらを見ている気がするのだ。
寒気のあまり腕を擦りたくなったがそれを堪え、ルトガーは足を早めた。
――聞いていた通り、本物以外は大丈夫なようですね。
ひゅっと喉を鳴らすくらいの反応が見れても面白かったのにと、そう考えている薄緑の髪の男はロイ・ダルトン。ルトガーの後方を歩きながら、開けているのか閉じているのかわからない細目で彼を観察している。
百九十センチを優に越える背丈のせいでロイは多少目立っていたが、ここにいる人々の目的は作品を見る事だ。
彼に気付いた者は瞬いてしげしげと眺めた後、何事もなかったように視線を戻した。
しかし中には、こんな会話を交わす者もいる。
「あれ良いわね。ちょっと厚底を履かせれば『トアムトの巨人』が演れるんじゃない?」
「うん…でも雰囲気的に、『広大なるバドロス』の神父役も合いそう……」
地毛と異なる色のウィッグをかぶった二人の女性は、街のオペラハウスで人気の俳優だ。
所属している歌劇団は、今日と明日にダンスホールで披露される舞台の協力団体でもある。空き時間の今は、ファンに見つかって騒ぎにならないよう変装し、ひっそりと祭を楽しんでいた。
一人がふと何かに気付き、もう一人の肩を叩いて囁く。
「ねぇ、あそこ。」
視線で示した先、年配の貴族と話を終えたらしい女子生徒が移動を始める。
ローブのフードをかぶっているが身のこなしは上位貴族のそれで、一歩離れた後ろには、従者なのだろう背の高い男子生徒が控えていた。
展示を見ながら歩く人々の隙間、ちらりと見えたのは微笑む口元と薄紫色の髪。
シャロン・アーチャー公爵令嬢だ。
歌劇団の二人は顔を見合わせ、小さく頷いて見なかった事にする。
その名を出したり騒いだり、声をかけるなどもってのほか。少しでも正体を隠す装いをしている者に、「詮索」も「観察」もご法度だ。
お忍びの貴族は、知り合いへの密やかな挨拶回りに忙しいもの。
今彼女が歩み寄っていく先にいる青年も、その内の一人に過ぎないのだろう――…。
「目を引くものはございましたか?」
そっと視界の端に歩み出て聞いてきたシャロンと目を合わせ、ジークハルトはにやりと笑った。
買いたい程の物はないが、国の文化を幅広く知るには悪くない機会だ。ツイーディア王国における素材の質や流通の視察になっている。
「多少はな。お前が出した物はないのか?」
「ありますよ。刺繍ですから、もう二つほど先の教室ですが。」
アクレイギアの暴虐皇子が刺繍をご覧になる。
あまりにも合わない組み合わせにジャックは一種の気まずさすら覚えたが、ジークハルトはそこまで同行しろとばかり軽く頷いた。シャロンはそれがわかっていたかのように彼と並んで歩き出す。
緊張した面持ちのダン・ラドフォードを横目に捉えながら、ジャックも二人の後に続いた。
――…昨日から感じてはいたが、シャロン様は本当に殿下から気に入られているらしいな。興味深いのか、友人と思っているか、手元に欲しいのか……どれかは掴めないが。
横にいるのがジークハルト本人だと知りながら、怯えも打算もない笑顔で話せる令嬢が何人いるか。ツイーディア王国にとって、シャロン・アーチャーは貴重な手札だ。
気を揉んでいるだろう上司のためにも、ジャックはシャロンとジークハルトの様子をしっかり見ておく必要がある。
「先にこちらは、絵画作品を集めた会場です。」
教室に足を踏み入れてすぐ、ジークハルトは一つの絵に目を留めた。
巨匠の作なのか特別豪華に広いスペースが取られ、人だかりができてなお作品がよく見えるよう、壁のやや高い位置に飾られている。
こつりとブーツの踵を鳴らし、遠目からその絵を見据えた。
「――…、ほう。」
見たままの景色を平面に切り取って貼り付けたかのような、陰影の色彩から背景の書き込みまで全てが他とは段違いに現実的な絵。
メインは剣を手に立つ月の女神と、その斜め後ろで祈りを捧げる太陽の女神だ。
どこかの廃教会にあるのか、女神像は劣化が見て取れる。
剣は柄に近い所で折れて床に転がり、月の女神のローブはひび割れて、太陽の女神が組んだ手は欠けてしまっていた。
主君が興味を持ったかと視線の先を辿ったルトガーは、初めて見るその完成度の高さに目を見開く。
「さすがの貴方も驚く出来かな?」
そう声をかけながら近付いてきたのは一人の男子生徒だ。
艶めく金髪をフードの下に隠し、落ち着いた笑みを浮かべて青い瞳でジークハルトを見上げる。ツイーディアの第一王子、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァインだ。
「ガブリエル・ウェイバリー。俺が知る中で、最も写実性に優れた画家だよ。」
「あぁ、もしかするとこの世で一番かもしれんな……異常だろう、あれは。」
「そう思われますか?」
シャロンが聞く。ジークハルトは絵に視線を戻し、肯定するようにゆるりと瞬いた。
空気中に舞う塵のひとつさえ見えている、それすら絵に再現している。観察力に優れ、筆を操る指先の繊細さも備え、望んだ色を生み出す知識と感覚があり、それを完成まで続ける集中力がある。
「ウェイバリーとやらは、その能力を別方向に発揮できんのか?」
「難しそうだな。彼は結構変わり者でね」
「なんだ。つまらん」
ふんと鼻を鳴らし、興味が失せたらしいジークハルトは女神像の絵から目を離した。
教室の中央にはイーゼルに立てかけたキャンバスが並べられ、学園内のスケッチから絵具を飛び散らせたものまで作風は様々だ。
ピンク色のトマトの中から布が零れ出す絵を眺め、シャロンは不思議そうに小首を傾げている。
ウィルフレッドは、独創的なタッチで描かれた人型の化け物に「美しき学園長」とタイトルがついているのを見てそっと口元を押さえた。後ろでロイが「ンブッ」と吹き出し、ジャックが即座に足を踏みつける。
そんな些細な騒ぎなど気にも留めず、ジークハルトは油絵具を大胆に使用した凹凸激しい渦巻の絵にほんの一瞬目を留めた。
――ヨアヒムが好きそうな絵だ。
僅か数秒の回顧に気付いたのはルトガーだけ。
帝国には芸術が少ないと文句を言った第五皇子は、とっくの昔に殺されていた。
ツイーディア王国の若者が当然のように享受する平和を眺めながら、ルトガーは心から「帝国に生まれて良かった」と思っている。
でなければ、ジークハルトの役に立てなかっただろうから。
教室の外――…廊下の片隅で、一人の男子生徒がとある貴族と話していた。
くすりと、微笑みを浮かべて。紺色の髪をフードの下に隠し、声を潜めて。
「――ではやはり貴方様も、伝承には違和感のあるものが多いとお考えで……?」
「ええ。我々の祖先たる六騎士と二人の女神だけでは説明がつかない……もう一人、本当の立役者が歴史の影に隠されてしまっているのなら…それは、必ず公にするべきです。」
「ええ!きっと女神様もお喜びになるでしょう……」
「ようやく会えたのですから、貴方がたとは機を改めてぜひ詳しい話をしたいですね。」
「もちろんです、ああなんという僥倖か……ありがとうございます、ニクソン様。」




