481.実力か、小細工か
やや堅苦しかった空気も解け、それぞれが自分のカップに口をつける。
丸椅子を出されたセシリアは着席しておやつを分けてもらい、その図々しさにサディアスは眉根を寄せ、チェスターは苦笑し、ホワイトはシャロンに起こされて欠伸をかみ殺した。ヴァルターが意外そうに瞬く。
――あのルークがだいぶ気を許している。事前の手紙で、ある程度彼女を信頼しているだろうとはわかっていたが。予想以上だな…
単に知識技術を受け継ぐためだけに結ばれた師弟と違い、二人には親しさがあり信頼があった。
シャロンは師の王族への無礼に青ざめるでも苦い顔をするでもなく、寝入った彼に驚く事すらない。ホワイトがどういう人物か理解しているからこそだ。ただ師事するだけでなく相手をよく見ている。
そして基本的に我が道を行く男であるホワイトが、「今は起きてください」というシャロンの意思表示に素直に従った。面談相手がヴァルターである以上、彼女を無視して寝続けてもおかしくはないのに。
――彼が妻を取る姿など想像もつかないが、もし殿下達だけでなくルークも恋敵となる可能性があるなら…だいぶ難しいかもしれないな。なにせルークは頭が良くて、博識でいつも冷静で素手でも剣でも魔法でも強くてそれでいて格好良い上に、なんだかんだ優しいというほぼ完璧な男だからな……俺が勝る部分など、対人能力ぐらいじゃないか?
残念ながら、その対人能力もシャロン相手には形無しである。
どうしたものかと考えつつ、ヴァルターはカップを置いてウィルフレッドと目を合わせた。セシリアの腹が鳴る前に何か言いかけていたはずだ。
促されたと察したウィルフレッドが口を開く。
「貴国の学園では、こちらより長い五年制を導入されているのでしたね。」
「ええ、十二歳から通います。俺のように《薬学》と《絡繰り学》の両方を修めたいと考える者もいるので、四年では時間が足りないのです。」
ロベリア王国は薬学と絡繰りの国。
国王であるギードは国一番と謳われる絡繰り技師であり、王妹エーファは設計士だ。ヴァルターにとって次兄にあたる王弟カルステンは調合こそ苦手だが、誰より深い植物の知識を活かして国立中央薬草園の管理者をしている。
兄姉の――妹のフィーネが破壊神である事はさておき――得意が偏る中、ヴァルターはどちらにも手を出した万能型だ。
彼は自国の得意分野にも留まらない。アベルが確かめるように言う。
「聞くところによると、ヴァルター殿下は《魔法学》でも非常に優秀な成績を修められたとか。」
「過大評価だと思っています。貴国の《魔法学》より評価基準が低いでしょうし、俺は魔法の実力があるのではなく、小細工をしただけですから。」
「ご謙遜を。」
ウィルフレッドが嫌味なく笑った。
彼の言う小細工ができるのは、全世界でまだ一人だけだ。
ヴァルター・ヨハネス・ノルドハイムは宣言を必要としない。
彼は専用の絡繰りを操作する事で魔法を発動できる――それも、全ての属性において。
「魔法大国と呼ばれるこのツイーディアでも、殿下と同じ事ができる者はいませんよ。」
最適の属性だけであれば、何らかの動作をスイッチとしてほぼ宣言無しに発動できる者は幾らかいる。
しかし全属性は無理だ。
宣言も動作もなく火槍を出せるようになったサディアスとて、他の属性では宣言を必要としている。
――属性は限られても、自動で発動するという点では俺の友達の方が上だが。学び始めの時点で「発動は宣言でなくともよい」と断じ、それを成功させた。ヴァルター殿下の発想と判断力、実行力……生まれが違えば、臣下に欲しかったくらいだな。
知識こそ人類の宝と重んじる国の王族に生まれながら、先達の知識と実績の多い《宣言》を選ばなかった。
ヴァルターが護身用に持つ絡繰りは彼の原案を元に、長兄ギード自らが手掛けた唯一無二の品だとはよく知られた話である。
なお、この場には宣言も動作もなしに全属性を発動できる男がいるのだが――…それを知っているのは、アベルとシャロンだけだった。
アベルは魔力の無い王子として、控えめながら興味関心のある素振りで話を聞いている。
ホワイトは黙ったままちらりとアベルを見やり、ヴァルターへ視線を戻した。
「発動できる事と、応用が利くかは別問題ですからね。俺だって状況によっては宣言を唱えます。」
――あまりぺらぺら手の内を明かすものではないから、言うのはこの程度までだな。ルークは知っているが、彼が勝手に伝えているはずもない。曖昧な情報に留めるのは、同盟国とはいえ当然の…
ふと視線を感じて反射的に見た先で、ヴァルターはシャロンと目が合ってしまった。彼女は尊敬に目を輝かせており、ヴァルターを見つめて愛らしい唇を遠慮がちに開く。
「差し支えなければ、お伺いしたいのですが。状況による、というと…?」
「お、俺の絡繰りというのは拳銃型で、引き金を引く事を魔法発動のスイッチとしています。だから拳銃を向けた先へ単純な魔法――火球や突風を直線的に飛ばすのは簡単ですが、蛇行・迂回させたりするなら別途補足の宣言が必要であり、また自身を風の魔法で飛行させるには拳銃型では合わないなどといった例が挙げられますね。」
「むぐ、ものすごい早口だな!もぐ、私なら舌を噛んでいたぞ。」
頬を染め上げ視線を彷徨わせてぺらぺらと手の内を明かしたヴァルターに、口元にクッキーの粉をつけたセシリアが感心した様子で言う。
シャロンは丁寧に礼を述べ、少し前のめりになっていた身を引いた。
――どの属性でも同じように引き金を引くだけでいいのかしら、後は頭の中の想像の問題?拳銃型という事に意味があるなら、もしかすると魔法だけでなく……本当はもっと詳しく聞きたいけれど、拒否反応を起こしてだいぶ緊張されているみたい。無理強いしてはいけないわね。
軽く座り直して顔を上げると、「あまり見るなと言っただろうが」というお叱り顔のアベルと目が合う。確かに、シャロンがヴァルターをじっと見ていたからこそ彼女が発言する流れになったのだ。
自覚のあるシャロンはにこりと微笑んでごまかし、ダンは唇を引き結んで笑いを堪えた。どうも第二王子殿下は、お嬢様が他国の王弟に興味津々なのが気に食わないようである。
ウィルフレッドがコホンと咳払いし、全員の視線を集めた。
「女神祭については、事前にお聞きしたご希望を元に予定を組みました。…サディアス」
「はい。大まかな流れをご説明します」
サディアスが進み出て、女神祭における王立学園の各会場、展示や出し物が書かれた日程表をヴァルターの前に置く。
いつどこを回るか印がつけられており、それは当然帝国の第一皇子ジークハルトの案内順や通り道とは重ならないよう組まれていた。
説明が終わったタイミングでサディアスは一礼して下がり、ウィルフレッドが口を開く。
「警備の問題もありますので、基本的には俺達の案内に沿って頂ければ幸いです。」
「元よりこちらの我儘で視察に来させて頂いた身、もちろん勝手な行動は取りません。場合によっては俺の…体調の事で、少し煩わせる事があるかもしれませんが。」
女神祭の間、王立学園は一般開放され多くの人が訪れる。
特徴的な髪色さえ隠せばロベリアの王族と気付かれる事はないが、どうしても見知らぬ女性を目にする機会も、側を通る事も増えてしまう。
ヴァルターとて耐性をつけようと努力はしてきたので、ある程度持ちこたえる事は可能だが、女神祭は三日間。自由行動ではなくツイーディア側が組んだ予定で動く以上、一度も体調不良を起こさないという確約はできなかった。
アベルが頷いて「もちろん承知の上です」と返す。
「不調があれば、その時の案内役に言って頂ければ。」
「うん。何も心配はないぞ、ヴァルター殿下!私も卒業生だからな、医務室の場所もばっちり覚えている。」
「ありがとうございます。アベル殿下、パーセル伯。」
ヴァルターにとって一番の問題は、ヘデラの王女ロズリーヌ・ゾエ・バルニエだった。
謝罪したいと主張しているらしい彼女に会うかどうか。
ウィルフレッド達は、まず一日目は女神祭での人の多さに慣れておき、二日目の夜に行われる音楽コンサートで遠目からロズリーヌを観る、という提案をしてきた。
女性を見るだけで吐き気を感じてしまうヴァルター。
彼にとってトラウマそのものであるロズリーヌといきなり対面するのではなく、見ても平気かを確認し、その上で直接会うかどうかを考えようというのだ。
コンサートにはホワイトも同行してくれると聞いて、ヴァルターはいくらか安堵した。
「後は…その。アーチャー公爵令嬢。」
「はい」
じわりと頬を赤らめたヴァルターに呼ばれ、シャロンが居住まいを正して彼を見る。
青い瞳はゆらゆらと泳いでいたが、ちら、と一瞬目が合うや否や、ヴァルターは首元にかけていた薄青いガラスのゴーグルをサッと装着した。
奇行だ。――本来ならば。
ホワイトのゴーグル姿に慣れたシャロンとしては、着けようが外そうが一切気にしていない様子である。
「し、失礼。……あまりに綺麗で、見ていると胸が苦しいものですから。慣れるまでは…」
「お気遣い頂き、ありがとうございます。どうかご無理なさらずに」
拒否反応だと言わずにおくヴァルターの優しさに対し、微笑み返したシャロンは丁寧に頭を下げた。
それを堪えてなお話があるのだろうと、顔を上げてヴァルターと目を合わせる。ヴァルターの喉がごくっと小さく鳴った。
「駄目だ、可愛い…」
唇すらほぼ動かずに呆然と呟かれた言葉を、アベルとホワイトだけは聞き取った。
もっとも、顔を真っ赤にしてシャロンに見惚れるヴァルターのこと。何を呟いたかわからずとも、誰もがおおよその意味を察している。
拒否反応と思っているシャロン本人以外は。
「殿下?」
「あっ…そ、の。こほん、すまない――いや、失礼。言葉がつかえてしまい…」
「大丈夫ですよ。お待ちしていますから」
「……く。」
他国の王弟を前にした公爵令嬢という立場もあるのだろうが、シャロンの声は本心でそう言っているようにしか聞こえない。
ヴァルターはかつて「絶対に性格が悪いに決まっている」と叫んだ事を後悔した。
どくどくと高鳴る胸を押さえても、気を抜けば声が震えてしまいそうだ。
「ヴァルター殿下。彼女と話しづらければ、俺達に向けて話して頂いても大丈夫ですが。」
「な、なるほど。ありがとう、ウィルフレッド殿下。でも平気だ……アーチャー公爵令嬢。」
「はい。」
「…俺が、弱点を克服するためにも。……貴女と、その。交流の機会を頂いても、いいだろうか?」
ツイーディアの男性陣が少しばかり、目を細める。
ヴァルターを見ていて気付かないシャロンは、当然のようにしっかりと頷いた。
「もちろんです、殿下。私でよろしければ。」




