479.やはり背丈が物を言う
夜、とあるレストランの貴賓室にて。
「エリ姫。紹介しよう――こちらは特務大臣アーチャー公爵のご令嬢であり、俺達の友人だ。」
「シャロンと申します。お会いできて光栄です」
そう言って微笑んだ令嬢を前に、エリは思わず目を見開いた。
つい先程買ってきたばかりの大人姿用楕円形サングラスを額へグイと押し上げる。
裸眼で見ると、シャロンと名乗った少女の髪と瞳は神秘的な薄紫色で、肌は白くきめ細やか、ツヤツヤの唇は桜色だ。
優しそうに整った面立ちではあるが瞳の奥には意思の強さが見え、着ているのはリラに来てから幾度も見かけた制服であるのに、佇まいのせいか明らかな気品がある。
エリと並んでも遜色ない麗しさを持っている事は間違いなかった。
背丈はシャロンの方が数センチ低いだけなので、エリが小さい姿であれば確実に見上げていただろう。彼女の隣に立つウィルフレッドと違ってシャロンから一歩離れているアベルに気付き、エリはすとんとサングラスを戻した。
「うむ、よろしく。こっちはわらわの護衛じゃ」
「…ヴェンと申します。」
「ヴェンさんですね。よろしくお願い致します」
強面の大男であるヴェンの赤い瞳に見られても、シャロンは穏やかな微笑みを崩さない。
恐れもなく、気味悪がる様子もなく、好奇心に塗れているわけでもなければ、《お兄様を助けてくれた方》と感謝いっぱいに見てきたキャサリン・マグレガーとも違う目だった。
シャロンは緊張を気取らせないよう努力している。
初めて見る《君影国の姫》は、艶やかな長い黒髪を低い位置で二つ結びにした、蜂蜜色の猫目が可愛らしい女性だった。
夜の室内でどうしてかサングラスをかけているけれど、天真爛漫さが見え隠れする素直な表情や仕草は人として好感が持てるし、何より一番気になるのは彼女の隣に立つ男なのだ。
――赤い瞳の《ヴェン》……ホワイト先生のルートでは、バッドエンドでカレンを殺している。ゲームと違ってエリ姫様の存在があるなら…私達とも交流ができたのなら。今回は敵には回らない、かしら。
『彼は生涯、私とエリを裏切る事はないだろう。』
何年も会っていないにも関わらず、アロイスがそう言い切った相手だ。
立ち絵で見たヴェンは鬼気迫る表情をしていて、戦闘中には彼の攻撃一つ一つの重さを示すような描写がされていた。
しかし今目の前で見るヴェンは…
――ッ!?こ、この娘、熱心な眼差しでヴェンを……!?
シャロンとヴェンが挨拶して、まだほんの数秒。
物凄い形相で二人を交互に見たエリは、慌ててアベルを手招きしながらウィルフレッドの傍に寄った。気付いたヴェンとシャロンがきょとりと瞬くのも気付かず、ウィルフレッドの肩口の服をがっしりと掴んで壁際へ寄る。イアンが見たら声にならない悲鳴を上げていた事だろう。
アベルは「何なの」とでも言いたげな渋面で兄とエリの方へ歩いていたが、それを見てぴくりと片眉を上げた。シャロンの前だというのに、ウィルフレッドに近付き過ぎだ。
「エリ姫、ちょっと――」
「おぬしら!ままままさかあの娘ヴェンを狙っておるのか!?」
「「は?」」
小声でぽしょぽしょと囁かれた内容に、双子の王子達は低い声で聞き返す。
他国の姫相手に――それもウィルフレッドまで――そんな声を出すわけがないので、シャロンが目を丸くした。
「っ…どうされましたか、殿下。」
どうしたの、二人とも。などと普段通りに声をかけるわけにはいかない。
何か仲裁が必要なのかと一歩踏み出しかけたシャロンとヴェンを、誰あろうエリが手のひらを向けて制止した。
「大事な話をしておる!おぬしらは離れて待機しておけ!」
「…承知。」
「構いませんが……その、何か………?」
「シャロン嬢、ごめんね。先に掛けて少し待っていてくれ」
笑顔を取り繕ったウィルフレッドが声をかけ、シャロンは状況がわからないながら一礼して指示に従った。ヴェンは壁際に控え、シャロンは指定された席につく。
気を遣ったウェイターがシャロンに提供する料理の話を始め、ウィルフレッドはようやく手を離したエリを笑顔で見下ろした。
「……エリ姫。俺の大事な友人であるシャロン嬢が、何だって?」
「ヴェンに熱い眼差しを送っておった!」
「どこが?僕には普通に見えたけどね。」
「これだから男どもは!あのキラッとした意味深な目、恋の芽生えではないのか!?」
エリはそう主張するが、ウィルフレッドとアベルは確かめるまでもなく「そんな事はない」と確信している。
――あり得ない、シャロンと家族になるのは俺達だ。君影に渡すものか。
――ふざけるな、彼女はウィルの婚約者だ。他の男に目移りなどしない。
「…ふふ。彼女の瞳が綺麗なのはわかるけれど、気のせいじゃないかな?」
「考えるだけ時間の無駄だと思う。一生あり得ない」
「くうう、ヴェンが男らしく凛々しく猛々しい美丈夫であるばっかりに、あのような乙女の心まで奪ってしまう!早くわらわとの結婚を承諾させねば…!」
「とりあえず落ち着こうか、エリ姫。シャロン嬢にその気はないから」
「彼女に限って、無いよ。絶対に」
「むううっ……、んん?」
ふと、何か気付いたように瞬いたエリがウィルフレッドとアベルを交互に見た。
ウィルフレッドは笑っているが目が笑っていないし、アベルは隠そうともしない不機嫌顔だ。
――ほぉー……、ほほう?これはもしや…
「……ンフッ、なるほどの~!」
急に上機嫌と化したエリがニンマリと頬を緩め、ウィルフレッドが不思議そうに小首を傾げ、嫌な予感がするアベルは眉間の皺を深めた。
「そうかそうか、わかった。そういう事なら、わらわが女心を説いてやらんでもないぞ?」
「ウィル、もう話やめていいかな。」
「待て。一応聞いておこう」
「何をヒソヒソやっておる。よいか、まずおぬしらは背丈が足らぬ。女子というものはやはり、自分よりずっと背が高く逞しい男が好きなものじゃ。」
「背だそうだ。アベル」
「僕に振らないでほしい。」
第一シャロンは既にウィルフレッドに惚れているのだから、今更そんな指南は不要だ。
エリの話を右から左へ聞き流しながら、アベルはちらりとシャロンを見やる。
ウェイターを見上げて何か頼んでいるようだが、そちらへ耳を傾けると食後のコーヒーの話らしかった。予約時に種類の指定が無かったならこれをと、ウィルフレッドの好みに合わせている。
当然、この食事会を終えた後も婚約者にはまだまだ仕事があるとわかっていてのこと。
アベルは心の中で頷いた。シャロンはそれでいいのだ。
「――それでな、それでな?星空の下サッと抱き上げられ、じっと見つめ合った日にはわらわ!『このまま攫って』などと言ってみてしまうかもしれぬ~!ひゃー!どうにかして実現せんかのう!『心まで攫ってよろしいですか』とか言ってくれんかのう!くれんのう……」
「急に現実に戻ったな…」
頬を赤らめ身をくねらせてはしゃいでいたのに、最後の一言でエリは急激に肩を落とした。ヴェンは芝居めいた台詞に付き合うタイプではない。
アベルが真顔で「もういい?」と聞き、三人はようやくシャロンと同じテーブルについた。ずっと黙って直立していたヴェンも呼ばれ、雑談混じりの食事会が始まる。
「…つまり、ここにいるヴェンはわらわの婿にするのじゃ。シャロン、おぬしはくれぐれも惚れるでないぞ。」
「ふふ、承知致しました。」
ヴェン本人がまだ承諾していないとは知らず、シャロンは穏やかに微笑んでエリの話を聞いていた。
以前チェスターがウィルフレッドやアベルとエリ姫との婚約は無いと断言したが、こういう事だったのかと納得する。
今ここにいるヴェンは、シャロンの目には寡黙で真面目な男性に見えた。
ゲームではエリの身に何かが起こり、それ故にヴェンはカレン達と敵対したのかもしれない。カレンの視点からではヴェンの正体は不明なのだ。何者かが差し向けた、殺し屋らしき男。
ホワイトにとって初めて見る、自分以外の《黒髪赤目の男》。
『黒髪赤目の男が無辜の民を殺す。やがてその髪は白く染まり、数えきれないほど殺すでしょう』
今は亡きマリガン公爵夫人の言葉を、ホワイトは誰にも言っていないはずだ。
ゲームではカレンにだけ明かしてくれたもので、今世のシャロンも当然、聞いた事がない。前世の知識がなければ知っているはずもなかった。
それでもシャロンはホワイトに、「エリ姫の従者は黒髪で、先生やカレンと同じ赤い瞳をしているらしい」とそれとなく伝えておいた。
事前情報なしにばったり会ってしまったら危険だと、シャロンだけが知っていたから。
エリはなぜか好きな男性のタイプを聞きたがり、シャロンは「父のような尊敬できる人」と無難にかわしつつ、ウィルフレッド達と共に恙なく食事会を終えた。
「では、俺達はこれで失礼を。」
「うむ――いや、アベル。おぬし少しだけよいか。数分で済む」
「わかった。ウィル達は先に馬車へ」
「ああ」
シャロンとウィルフレッドを廊下へ送り出し、アベルは扉を閉じて振り返る。
部屋にはウェイターもおらず、エリとヴェンだけだ。
「話というのは?」
「率直に聞くが、おぬしシャロンに惚れておるか?」
「そんなわけがないでしょ。帰っていい?」
「まぁ待て。あの娘でなくとも、おぬしに恋人ができた時の話じゃ」
「いらないんだけど」
眉を顰めて吐き捨てたアベルにもう一度「まぁ待て」と言い、エリはサングラス越しに金の瞳を見る。
「おぬしに愛された者は、必ず非業の死を遂げる――わらわはそう言ったな。」
「…前兆があるとも言ってたね。」
「うむ。おぬしはいずれいなくなるが……惚れた相手を諦めろとは言わぬ。大人になってもまだ自我があるなら、愛した者に子を残してやる選択肢もある。それだけ伝えておこうと思うての」
「はっ」
アベルは笑った。
自分の将来として一切考えていない選択肢だ。
「僕のような不出来の血を残してどうする?子がまた憑かれたら国が荒れる。」
「それは遺伝するものではないし、憑かれたのはおぬしのせいではない。」
「…どの道予定はないよ。完全に契約上の縁ならまだしも、僕に情があるなら相手が不幸になるだけだ」
「それでも、幸福な思い出は残してやれるのではないか。」
愛し愛された記憶を、共に過ごした時間を、アベルが居たという事実を。
たとえ子ができなくても、結婚まで届かなくても、婚約どころか、ただ言葉で伝え合うだけだとしても。
想いが通じた事はきっと、遺された者の支えになるはずだと。
「気遣いをありがとう。でも僕は、誰が惚れたと言ってこようが手を取る気はないよ。同じ感情を抱けるとも思えないしね。」
「……まぁ、わらわはいつかの為に伝えただけじゃ。そのいつかが来たら、よく考えてみるとよい。」
「…では、失礼する。」
話は終わったと見て、アベルは部屋を出た。
エリはヴェンに恋をしていて、帰国次第結婚するのだと息巻いている。だからシャロンが誰に惚れるかなどと考え、アベルにもそんな話を振ってくるのだろう。
自分がどこぞの令嬢に恋をして、愛して、求婚する。
そんな未来があるとはとても思えなかった。
「アベル!」
不用心にも扉の開いた馬車で、笑顔のウィルフレッドが手を振っている。
奥に座っているシャロンがこちらを見て微笑んだ。
これでいいと、そう思う。
アベルは自然に笑みを浮かべていた。
顔も知らない、いつか自分が愛するかもしれない女など、ここに居る必要がない。要らない。
二人が幸せそうに笑っていれば――…アベルはただ、それだけでよかった。




