475.入る隙なんてない
夜、レストラン《オールポート》の個室にて。
ツイーディアの王子達が食後の紅茶を――「楽しんでいる」と言うには、やや真剣な空気で――喉へ流した。微かな音もなく、ほぼ同時にカップをソーサーへ戻す。
「詳細は語らなかったが、必要な情報は得られたようだ。彼女はここでの用事を終えたら帰国し、兄を待つと。」
「そう」
話題は君影国の姫、エリのこと。
彼女が兄の行方を知る可能性のある男、ユーリヤ商会のフェル・インスに話を聞きに行った際のことだ。話す時には席を外したものの、ウィルフレッドはエリ達に同行していた。
「なら探し人の張り紙はもういらないね。」
「ああ。俺からエリ姫にも確認を取って、騎士団にはもう下げて良いと伝えてある。」
「わかった。ありがとう」
礼を言いながらもアベルの顔に笑みはない。
本当ならフェルとの会話を聞いておきたかったが、それは諦めざるをえなかったのだ。
ほんの一瞬、魔法で身を隠して同席するという手も頭をよぎったものの、アベルは自身を覆う《黒き魂》とやらの正確な大きさがわからない上、それを視る事ができるのはエリとヴェンだけ。失敗すれば容易に気付かれる。
魔法は想像の世界。
一体誰が、視えないものを視えないようにできるというのか。
そんな魔法は成り立たない。
下手に試してエリの信頼を失うくらいなら、大人しくしていた方が良いと判断した。
後日面談の機会を設けているため、彼女はアベルに明かせる範囲なら話してくれるだろう。そこまで待つのが誠意でもある。
ウィルフレッドは思い返すように視線を空中へ投げ、フェル・インスの名を呟いた。
「…俺は、ひょっとしたら彼こそがそうだったのではとも、思ったけどね。核心は突いてないよ。」
「あちらが隠すなら、無理に暴くのも少し危険だからね。」
「未知の部分が多いからな、君影は。イアンも随分とエリ姫に信頼されているようだったし、俺達の代で少しずつ交流を持っても良いかもしれない。」
「……そうだね。」
その頃に自分が居るかはわからなかったが、アベルは肯定した。
ツイーディアの国力を強める程の交流にはならないだろうけれど、情報と味方は多いに越した事はない。
「それと…少し気になる事があったな。」
「何?」
「俺がフェル・インスの治癒をしてみたら、『そうじゃないでしょう』と言われたんだ。」
「…なぜウィルが治癒を?」
「まぁそれはいいとして。」
「よくない」
第一王子は治癒が下手だなどと、たとえ事実でも言い触らされては困るのだ。ユーリヤ商会自体は信用できるが、フェルのヘラついた笑顔を思い返すと不安でしかない。悪意がなくともポロッと喋りそうな顔をしている。
ウィルフレッドは否定を聞き流して話を続けた。
「治癒をする時、相手の痛みを想像しているのではないかと。俺は恐らく感覚型だから、痛そうだと思うより、とにかく治す事を念頭に置いてはどうかと言われてね……一理あるとは思ったが、お前から見てどうだろう。」
普通、「魔法を使えない弟」に聞く事ではない。
だがアベルは鋭い洞察力を持っていて、魔力が無い事に劣等感もなければ、兄の言葉を嫌味と捉える事もないとウィルフレッドは知っていた。
アベルが考え込むように眉根を寄せる。
治癒の魔法は個人の素質による所が大きい。シャロンが最初から上手かったように、リビーはどうしても熱感が伴ってしまうように。治癒だけはまったくできない者もいれば、ウィルフレッドのように副作用が強過ぎる者もいる。
それだけの話だと思っていた。
「……痛そうだと思うだけで発動の阻害になるなら、医師を目指す者の中で知られていそうなものだけど。《治癒術》でそんな話は出ないでしょ?」
「ローリー先生から聞いた事はないな。あと、彼はこうも言っていたよ。『魔法が人の思いを形にする以上、無意識の思いが作用する場合もある』……発動に向けて集中した思考以外にも、何か作用してしまっているという事なのかな。前もって意識して気を付けねば、それが邪魔になると。」
「…つまり彼は、治癒に痛みが伴うのは素質の個人差によるものではない、と言ったのかな。」
「言い換えればそういう事か。コツだとも言っていたけれど」
必ず伴う副作用ではなく、やり方の問題。
アベルはそう思って考えた事はなかったが、今、その前提のもとで思考するのなら。
「ウィルは…たまに、意図しない威力で魔法が発動するよね。」
「ああ。今のところ困った結果にはなっていないが、時々。」
たとえば、ジークハルトとアベルの親善試合で光の盾を出現させた時。リラの街でカレンを抱えて飛んだ時。剣闘大会の決勝初手、アベルの元へ向かった時。
「意図しない発動の仕方をした、という点では、治癒も同じなのかもしれない。そこに共通した何かがあったかどうかは、ウィルにしかわからない事だけど。」
「共通するもの、か……。」
呟いて、ウィルフレッドは顎に指をかけた。
時折魔法の発動がぶれる事については、焦ったり気分が高揚して魔力のコントロールが乱れ、一時的に威力が上がってしまうのではと考察している。
――治癒は落ち着いて対処するよう気を付けてはいたつもりだが……似た事になるなら痛むのではなく、治癒の速度が上がったりしてくれれば良いものを。
「ありがとう、アベル。少し考えてみる」
「うん。エリ姫については、他は特に何も起きなかった?」
「彼女が大きくなったくらいかな。」
ウィルフレッドの一言に、アベルはティーカップを持ち上げた手をぴたりと止めた。
飲む前に確認しておく。
「イアンの報告にあった《元の姿》?ウィルの前でもやったんだね。」
「もう隠す気はないらしい。お前と会う時もあのままではないかな……俺達とそう変わらないくらいまで、背が伸びていたよ。」
「ふぅん…」
身体は大きくなろうと振る舞いはさして変わらないのだろうなと、やや失礼な事を考えながらアベルはカップを傾けた。
喉を潤し、ウィルフレッドの青い瞳をちらりと見て口を開く。
「ウィル。女神祭の事で一応確認なんだけど」
「何だ?」
「三日目の夜会、最初の相手は当然決まってるよね。」
――ウィルは彼女と踊るはずだ。
アベルにとってはそれしかありえない。
シャロン本人はロズリーヌ王女がいるとかカレンがいるとか言っていたが、婚約内定を秘していようとも、そろそろ周囲に「察しろ」という圧をかけていいはずだ。彼女に懸想しているらしいロベリアの王弟が夜会にまで参加するかは不明だが、もし居るなら見せつけるにもちょうど良い。
至極当然の事を聞かれたとばかり、ウィルフレッドは僅かに首を傾げた。
「当たり前だろう?」
――俺が最初なんだ、当日モタモタと悩むわけにはいかないしな。誰を誘うかくらい流石に決めている。
一週間切っているのにまだ「それが決められなくて…」と言うような優柔不断ではないつもりだ。
ウィルフレッドは昨年の女神祭同様、隣国の王女殿下に敬意を払うつもりである。彼女が上手く踊れるかについてはやや疑問ではあったが、恥をかかせないためにも自分がサポートするつもりだ。
それで良しとばかり、アベルが小さく頷く。
「ならいいんだけど。リリーホワイト子爵との事は聞いてる?」
アベルに問われ、ウィルフレッドは一瞬だけ「ホワイトと《誰》の話なのか」を考えた。すぐに察して頷き返す。相変わらず、弟は彼女の名をあまり呼ばない。
「シャロンから聞いた。一曲踊る約束をしたそうだな…グレン先生が、ホワイト先生が参加するのはだいぶ珍しいと驚いていたよ。それが何だ?」
「ウィルが気にしてないならいいけど。彼は一応、独り身の公爵令息でしょ。」
「誰が邪推しようと、先生がシャロンを妻にと望む事はないだろう?」
「どうかな。わからないけど、望んだ所で無意味だとは思ってるよ。」
「……そうか。」
ウィルフレッドは表情が緩みそうなところを耐えた。
ここで自分が「お前はシャロンと一番に踊るだろうに、それでも嫉妬してるのか?」などと笑って話しかけては、アベルが照れ隠しで「じゃあ違う相手を選ぶ」と言い出す可能性もゼロではない。
コホンと空咳をして、ひとまず落ち着こうとテーブルの上で手を組んだ。
「もうヴァルター殿下も来られるが、俺達を見てどう感じるんだろうな。」
二人としてはシャロンとヴァルターの接触は最低限にしたかったところだが、あくまで視察という名目で来る彼が、女神祭を一瞬見てすぐ帰るようなスケジュールを組むわけもなく。
女神祭の数日前にはリラへ到着し、しばし滞在してからの帰国となる。
したがって、ヴァルターとウィルフレッド達の挨拶も事前に行われる事になったのだ。
自分達兄弟と揃いの宝石を身に付けたシャロン。
よもや「気付かない」という事はないだろう。相手は職務として外交も担っている王弟だ。こちらの狙いはわかるはず。勿論、わかってなお「そんな事は関係ない」と挑んでくるかもしれないが。
「入る隙なんてないでしょ。」
ふっと笑ったアベルの言葉に、ウィルフレッドは耐えきれず口角を上げる。
嬉しそうな兄の表情を見て、アベルは満足げに目を細めた。
――表面上は内緒だろうと、将来を誓い合った二人を目の当たりにするわけだからね。
――そう。俺達三人が揃って、彼が入る隙なんてあるわけがない!
「堂々としていればいいよ。ウィル」
「そうだな、アベル。向こうはお忍びだし、シャロンは彼が女性を苦手と知っている。夜会で踊るような事もないだろう……とはいえ。彼女のドレス姿を見て、ますます惚れ込んでしまうという可能性はあるか。」
「……知らないけど。」
「お前もわかるだろう?舞踏会のシャロンは、普段の柔らかな麗しさとはまた違った、洗練された美しさがあるからな。先日の騎士服も本当によく似合っていたが、次はどんな姿が見られるのだろうかと思うと……俺は楽しみであると同時に心配で…」
夜会に参加する以上、美しく着飾ることは王侯貴族の義務だ。
高位貴族は特に、この時ばかりは孤島リラへの旅費や滞在費を出してでも信用できる侍女を呼び、事前に打ち合わせて当日の身支度を任せるものである。
シャロンも例に漏れず、王都の屋敷から専属侍女のメリル・カーソンを呼んだと聞く。
なにせ俺の友達は優しくて可愛くてと語り出したウィルフレッドを放置し、アベルは別の事を考えていた。
先週騎士団に捕まった女、イザベル・ニクソン公爵夫人。
違法薬である《ジョーカー》を作らせて入手した所までは認めたが、その先は「自分が飲んだ」と主張している。
報告によれば、騎士団が踏み込んだ際にイザベルが魔力暴走を起こしたのは確からしい。
ニクソン公爵邸から《ジョーカー》が見つかっていないのも事実ではある。
しかし関わった誰もが感じていた。
本当に、これで終わるのかと。




