473.いつかの為の罠
ドンドンドン!ガチャガチャガチャ!!
「ヴェン!わらわと結婚してくれーっ!!ヴェン!なぜじゃ開かぬ!!」
「《隔離》中だよ、エリ。戻っておいで」
「うぐっ、そうであった……」
扉を開けようと必死になっていたエリは脱力し、ちょっぴり痛む拳を擦りながら戻ってきた。
向かいのソファに座り直したアロイスが苦笑する。
「君影では、法の決定について長に相当な権限がある。…気付いてなかったみたいだね。」
「うむ。わらわが生まれる前からある決め事を変えるなど――いや、変えられるなど、考えてもみんかった。じゃが…」
かつて君影国がまだ「国」と呼ばれる前――君影村だった頃の、さらにその昔。
「赤目」の男と、村一番の強さを持つ若者がいた。
「兄様。それなら、わらわは頑張りたい。いきなりは難しくとも、ヴェンが長の夫となれば…少しずつでも、赤目に対する皆の意識を変えていけるかもしれぬ。」
「うん。大変な事は多いだろうけど、応援しているよ。」
村一番の強さを持つ若者。
それは当然、生まれながらにして強靱な身体を持ち、君影の敵を殺す役目を担う《化け物》を指している。
伝承は《赤目持ち》と《化け物》の戦い。
激戦の最中に赤目の黒髪は白へと変化し、神の炎をも操ったそうだが――勝利したのは《化け物》だった。
それからだ。
赤い瞳を持つ者は、赤目の生まれ変わりや意思を継ぐ者ではないか、国を滅ぼそうとするのではないか。そんな恐怖から差別が始まった。
国の殆どが赤い瞳を嫌い、気味悪がり、死を望む者すらいる。実の親であっても。
「そういえば、イアンから聞いたのじゃが…学園には赤目持ちが二人もおるとか。兄様は知っておったか?」
「どちらも会った事があるよ。」
「片方は白髪なのじゃろう?……まるで、伝承の《赤目》のように。」
「生まれつきらしいから、どうだろうね。むしろもう一人の方……学園の教師に、元は黒かった髪が一部白髪へ変わったという男がいる。彼が子供の頃の事だ」
「なんと…」
髪色が変化するなど、それこそ伝承以外に聞いた事のない話だ。
エリは眉を顰め、無意識に二の腕を擦った。
ヴェンの事は恐ろしくなくとも、まだ見ぬ《赤目持ち》相手、それも伝承に近いと聞けば不安にもなる。
「ホワイト先生と呼ばれている彼の本名は、ルーク・マリガン。公爵家の…」
「まりがん??宰相の爺の子か?」
「おや、知っているのかい?君がアベル殿下と見合いをした、という噂は聞いたけれど。」
「んぬっ!?ち、違うのじゃ兄様!!あれはアベルが勝手に!!」
エリがわたわたと両手を振り、王都の出来事を簡単に話した。
アロイスはヴェンがアベルに切りかかったとまで知らなかったらしく、青ざめて口元を押さえている。
「そんな騒ぎになっていたとは……。私はその頃こちらに移る準備をしていたから、殆ど王都にはいなかったんだ。張り紙に気付いたのも神殿都市でのこと。」
「わらわ達は、サトモスに行くまではロイという騎士と共に。その後はまたヴェンと二人旅をしておった。それでブルーノに会ってな?兄様の懐刀を見たというから、センツベリーの所まで行って。」
「なるほど。私は既にコリンナお嬢様に見つかっていたから、リラに居るとわかったんだね。」
「うむ。それでまたサトモスに戻る途中、偶然会ったイアンと共に攫われてのう。ちょっとだけ捕われておった。ロイとヴェンが助けてくれたが…わらわだって、檻を風の術で叩き切るという活躍をしたのじゃ!」
エリも中々に冒険してきたようだ。
アロイスは、以前シャロンが「妹の近況を知っているか」と聞いてきたのはそれでかと納得した。
「兄様はどうやってツイーディアで身元を得たのじゃ?」
「今は亡き先代のセンツベリー伯爵が、山中に隠居していてね。出会いは偶然だったけれど、私を気味悪がることなく小屋に置いてくれた。随分親切にしてもらったよ……山菜の拾い食いだけは、許してくれなかったな。」
「先程も思ったが、まだ拾い食いをして!兄様ぁッ!!」
「え、エリ。一旦話を聞いておくれ。ね?」
「むう…」
アロイスはしばらくの間世話になり、そこでツイーディア王国での魔法の基礎や、瞳の色の変え方を学ぶ。
そして先代の友人、ティモシー・インスの隠し子だとして身分証明を発行。センツベリー伯爵邸へ移り、先代が亡くなるまで勤めていた。
「センツベリー領を出た後は、気の合った流れの商人と同行してね。彼のように大荷物を抱えて売り歩くのも楽しいなと思って、私も商人になってみたんだ。術を使わず荷運びをして汗をかいたり、手作りの品を買い取ってみたり、効き目のありそうな野草を売ってみたり。」
「ふむ…うむ!?今聞き捨てならぬ事があったが!よもや毒草など売っておらぬじゃろうな!?」
「…毒のつもりはなかったんだ。」
「兄様!!」
「いや、本当に反省した。あれ以来、野草を売る時は周りの許可を取るようにしてる。……まだ、許可された事はないけれど。」
ぼそりと残念そうに呟くアロイスは悲しげな目をしている。
エリは悪い意味で変わらない兄を厳しい目で見つめ、深いため息をついた。さっきも花の毒にやられていたというのに、なぜそうも懲りないのか。
ともあれ、互いの足跡はおおよそわかった。
次は今後の話を聞かねばならない。
エリが少し言い淀み、それに気付いたアロイスは表情を引き締めて言葉を待った。
猫目の中、蜂蜜色の瞳が揺らいでいる。
「兄様が此処に残るのは……《凶星》を殺すためか?」
アロイスは一度目を伏せ、薄く微笑んで頷いた。
「そうだよ。」
「……わかっておるかもしれぬが、今はまだ宿主が意識を保っておる。なぜかわからぬが、壁があって」
「彼は《加護》持ちだからね。」
「へっ!?」
裏返った声を上げ、エリはこぼれんばかりに目を見開いた。
まだ殺しに行かない辺り、アロイスも状況には気付いているのだろう――とは、思っていたものの。
「恐らく、無意識の内に自分を守っているんだ。」
「なっ……兄様にそれが見えるという事は、アベルは術が使えるのか!?気が――魔力が無いと聞いておるが!?」
「そういう事になっているけど、たぶん本人は魔力がある事を知ってるよ。使いこなしているからね」
「何じゃと!あやつッ、嘘つきめ……!」
「彼とは魂の話をしたのかい?」
真剣な声で聞くアロイスに頷き返し、エリはアベルとの会話を掻い摘んで話した。
白い魂と黒い魂の説明、アベルを襲っているのは黒く、これまで見た事もないほど大きいこと。
「アベルは物心ついた頃からアレと共に在り、年々気配が強くなっていると……わらわはそれを聞いて、遥か昔にあったという秘術ではないかと考えたのじゃが…。」
「死んだばかりの身体から魂を抜き、他者の身体に入れる……定着まで時間のかかる術か。といっても十年近くは長過ぎるけれど、魔力の多い《加護》持ちによる抵抗なら納得はいく。確かに、原因はそれかもしれないね。」
「……これから、どうするつもりなのじゃ?」
「最悪を考え、罠を張っているよ。まだ未完成だけど」
不穏な言葉にエリはつい眉根を寄せた。
君影国において、《化け物》と呼ばれる人間は君影の守護者であり、君影の敵を殺す役目を担っている。主に先代に育てられる彼らは、時として国の長すら知らない事も把握しているという。
彼の言う最悪とは?
「見ただろう?あの魂の異常な大きさ、体の輪郭より先に爪と牙を作る凶暴性……《加護》が破られた時、私だけで討てるとは限らない。」
「兄様が負けると?」
アロイスは曖昧に笑った。
負けで済めばいいが、殺されると言う方が正しい。
――もし、あの魂の正体が私の想像通りなら……不意打ちでもしない限り、一人では手に負えないだろう。しかし王家への信仰篤いこのツイーディアで、「視えないものを信じ、王子を殺す準備をしてくれ」とは無理がある。
そして、わかっていても手が止まるのが人間だ。
善性を持つ者であればある程、知っている相手を殺すには覚悟がいる。本当に助けられないのかと希望を見出そうとする。迷いが残る。
――だからこそ、できれば学園の中で呑まれてくれ。
学園でなら、状況を理解でき次第手を貸してくれそうな者達がいた。
その筆頭であるアベルが当事者であり、事が起きれば一切頼れないというのは残念だが。
「負けないように努力するとも。そうして全て終わったら、君影にも顔を出そう。ヴェンと一緒に待っておいで。」
「…わらわ達に手伝える事はあるか?今回の滞在中に、学園長とも面談の予定があるのじゃ。」
「ドレーク公爵と?」
「うむ、イアンが取り次いでくれた。なにせアンジェの子孫じゃ……君影が出した《凶星》の報せは届いておったのかと聞いてみたい。アベルは知らなかったからのう」
ドレーク家が握り潰したのか、単純に届かなかったのか。
マグレガー侯爵家が間に入ったなら、その面談は確実なものだろう。アロイスの脳裏にシャロンとの会話が蘇った。
『ご身分を明かせば、ドレーク公爵家は相応の対応をなさると思いますが…』
『大事にはしたくないからいいのさ。私は君影の代表としてここにいるわけではないし。』
アロイスの目的は、黒き魂に呑まれたアベルを殺すこと。
エリと違い、君影国の貴人として扱われるわけにはいかない。
「そうか…貴重な面談だね。終わったらまた話を聞かせておくれ。」
「勿論じゃ!後はなっ、アベルの様子も見て、イアンの妹と食事する約束もあるのじゃ。」
嬉しそうに話すエリの姿に、アロイスは眼差しを和らげる。
妹にとって、ツイーディアでの冒険や出会いはかけがえのない宝になるだろう。アベルに情がわいたらしい事も見て取れた。
「…エリ。注意しておくけれど、殿下に《加護》の話をしてはいけないよ。」
「何でじゃ?」
「彼は黒き魂に対して《加護》を発動している自覚がない。下手に教えた結果、発動が途切れるような事があれば…」
一気に呑まれてしまう。
アロイスの罠も仕掛け終えていない今、そんな事をさせるわけにはいかない。こくこくと頷いたエリは、窺うようにアロイスを見上げる。
「兄様は、アベルと話さぬのか?あんなおどろおどろしい見た目じゃが、割と話のできる奴じゃぞ。」
「今はまだ駄目なんだ。実は、罠をきちんと仕掛けられるかどうか、やってみないとわからない。流石にあれ程の広範囲を《隔離》した事はないからね。」
「広範囲……兄様、まさか血を使って無理矢理…」
「頭も勘も良い相手だ、『たぶんできます』では通じない。曖昧な話をして、もし殿下が私の策に反対したら?警戒されては、もう罠を完成させられないだろう。……だからまだ、彼と話すわけにはいかないんだ。私の正体を明かす事もね。」
アロイスが四六時中アベルに張り付いておく事は不可能だ。
だからいつか事が起きた時、迅速に正確な位置が知れるよう、先に整えておかねばならない。その為の罠であり、猶予を作るための罠。
――…果たして、私が着くまでに何人死ぬか。
あるいは黒き魂が奪うより早く、アベルが死ぬか。
《未来視》を持たない王女は言った。薬を盛られたサディアスが魔力暴走を起こし、火槍を放ってアベルを殺すと。
アロイスは既にサディアスを見ている。
だから、「その可能性がある」事は納得していた。
『サディアス・ニクソンなら確かに、第二王子すら一撃で殺せるかもね。』
そんな事は、誰も望んでいないのだろうけれど。
中身だけ別人に変わったアベルが、ウィルフレッドやシャロン、仲間達を次々手にかけていくのと、果たしてどちらがより幸福な終わり方と言えるのか。
前者の方がマシだと、アロイスは思っている。
『未来を知らないから、そんな事が言えるのです。アベル殿下を失った皆様がどうなるか、この国がどうなるか、貴方は…』
「そろそろ戻ろうか、エリ。姿はそのままでいいね?」
「うむっ」
ちりん。
鈴の音が響き、立ち上がったエリは部屋の扉へと駆け出した。




