471.だいぶ痛いぞ
女神像に見守られた広い室内で、床に描かれた文様がうっすらと光を帯びる。
光が強まると突如として――まるで最初からそこに居たかのように、十数人もの人々が姿を現した。眩しさに目を瞑っている者もいれば、保護者にしがみつく少女もいる。
「――皆様、《孤島リラ》へ到着です。ようこそおいでくださいました」
光はすぐに弱まり、文様の範囲外に立つ老齢の神父がそう声をかけた。
慣れた者はさっさと歩き出し、落ち着かない様子で視線を彷徨わせつつ足を踏み出す者もいれば、おそるおそる今やっと目を開けた少女もいる。
「まずは範囲外へどうぞ。廊下へ出て到着確認の受付をお願い致します。複数名の方は代表者様が人数等ご確認頂き…」
すらすらと説明が続く中、ぞろぞろと出ていく人々から遅れる一行がいた。
保護者にしがみつく少女――否、護衛の大男ヴェンにしがみついていた君影国の姫、エリがふらついている。低い位置で結んだ黒のツインテールが、よろける度にぷわぷわと揺れていた。
「わ、なんっ…なんじゃあ、頭が、」
「まだ自分に掴まっていてください。」
「ぐわんぐわんする……うう、まっすぐ立っておれぬぅ…。」
「《ゲート》酔いだね。小さい子はなりやすいんだ。」
二人を先導するのは護衛を連れたイアン・マグレガーだ。
艶やかな金の短髪に黄土色の瞳を持つ侯爵令息で、此度はエリ達の案内役を買って出ている。
「ヴェンが四人に増えて回っておるぅ~うふふふふ」
「エリ様、お気を確かに。」
「うふぬっ。こ、これだけおれば四人ぐらい、わらわの夫にしても良いにょでは…」
「全員じゃないか。」
イアンは冷静に返しつつ到着記録簿にサインした。
宿へ荷物を運ぶ人員は既に出発しているため、後は身軽な自分達が夜までにチェックインすれば良いだけだ。ふにゃふにゃした顔のエリを振り返る。
「とりあえず、予定通り宿へ向かおうか?つらいなら教会で休憩できなくもないけれど。」
「む…しょれには及ばぬ。早く《店》に行くためにも……ヴェン、わらわを運ぶのじゃ。抱っこ!」
「御意に。」
しゅばっと両腕を広げたエリを的確に抱え上げ、ヴェンが歩き出す。
その動きに乙女に触れる戸惑い等は一切なく、失礼が無い程度と言えばまだ良く、イアンが受けた印象を正直に言えば、まだ幼い我が子を世話する父の姿であった。
エリはだらしなく顔を緩めて「でへへ」と幸せそうにしている。イアンはどこか遠い目で二人を見つめた。
空に橙色が混ざっている。
ツイーディアの貴族向けなのだろう綺麗な部屋で、エリは窓の外を眺めていた。
もう少しでイアンが言っていた出発時間になる。
フェル・インスに会う時が来る。
「……兄様」
蜂蜜色の瞳は空を映しているが、実際に見ているのは遠い昔の夜空だ。
月明かりの下、アロイスは微笑んでいた。
『さようなら。どうか元気でいておくれ、私の可愛いエリシュカ。』
別れてから八年は経っている。
アベルが見せてくれた手紙には、《私は戻らない》と書かれていて。
世話になったらしいセンツベリー伯爵邸には、懐刀を置いていった。
――…此処に居るのはやはり、兄様もアベルを見たからなのか。
話したい事は山ほどあった。
アロイスが去った後の君影国がどうなったか、なぜ今になってエリが探しに来たのか。
脅威に映っただろうアベルとは既にエリが話していること、兄から見て彼を襲うモノは何であるかということ。
扉がノックされ、ヴェンが自分を呼ぶ。
進んでしまう怖さに少しだけ迷ったが、エリは新しいワンピースの裾を翻して部屋を出た。
一階に下りていくと、イアンが宿の応接室へと手招きしている。
中には見知った顔の少年が一人、見覚えの無い――恐らくは王立学園のものだろう制服を着て、立っていた。ぴしりと背筋を伸ばし、腰には相変わらず星の意匠の剣を提げている。
高く結った金色の髪をさらりと揺らし、青い瞳の彼は微笑んだ。
「半年以上経ったかな。お久し振りですね、エリ姫。」
「うむ。久しいのう、ウィルフレッド。」
ツイーディア王国の第一王子。アベルの双子の兄だ。
エリの横でヴェンが黙ったまま深々と頭を下げ、イアンはウィルフレッドの傍に控えている。ちらと部屋を見回したエリは片眉を上げ、これ見よがしに腕組みをした。
「何じゃ、アベルはおらぬのか。冷たい奴じゃな」
「ふふ、貴女は弟を見ると叫ぶからね。」
「む」
それはアベルが急に出てくるから、彼と共に在る悍ましい魂まで急に視界に入って驚くのだ。……とは言えるはずもなく、エリは大人しく口を噤む。
「それに、改めて面談の機会は設けていると聞いているよ。」
「…まぁよい。おぬしも店に行くのじゃな?」
ウィルフレッドは「えぇ」と頷き、羽織っていたローブのフードをぱさりとかぶった。
一行は宿を出て歩き出す。周りからそれとわからぬように少し距離を空け、ウィルフレッドとイアンの護衛もついて来ているようだ。
「商会を運営するコールリッジ男爵の娘がちょうど在学中でね。今日貴女が来る事をインスは知らないけれど、その令嬢を通じて彼の予定は押さえてある。」
「ふむ?おぬしの学友か。」
「正確にはもう一人、間に入ってる。また紹介するけれど…アーチャー公爵は覚えているかな。陛下の傍に銀髪の男が居ただろう?彼の娘がコールリッジ男爵令嬢に取り次いでくれた。」
エリはぼんやりと王城の記憶を辿り、なんとなく「確かにそんな男が居たな」と思う。
こくりと頷けば、ウィルフレッドは薄く微笑んで視線を前に戻した。エリはイアンを小さく手招きし、声を潜めて聞く。
「公爵、つまりこの国で二番目に偉い男の娘、という事じゃろ?」
「う~ん…まぁ、大体合ってるかな。お優しい方だと聞くけれど、会う時は無礼のないようにね。」
「おぬしはそればかりじゃのう」
エリは半ば呆れたように言うが、主に彼女の日頃の行いのせいである。
渋面になったイアンは「殿下の前だから」と心の中で唱え、お小言を我慢した。
ユーリヤ商会が運営する雑貨店の、孤島リラ支店――俗称《パット&ポールの何でも雑貨店》。
赤煉瓦屋根の三階建てだ。
入口横のショーウインドウには今月のおすすめ商品が並び、その下の地面には鉢植えが幾つか置かれている。かつてはまだら模様の奇怪な花が咲いていたりしたが、今は花をつけた物はないようだ。
一つだけ、鮮やかな色彩の多肉植物が植わっている鉢があった。
まるでぷっくりした豆が表面だけひび割れ、真っ二つにする切れ目をサクリと入れた、そんな妙な物体を集合させたような、なんとも植物らしくない姿だ。
幾つかは切れ目の中から何かが顔を出している。
見ていると絶妙に不安になる気がして、エリは目をそらした。
この感覚がやや懐かしいが、こんな事で懐かしさを感じたくなかった妹心である。イアンがくすりと笑う。
「ドロップ飴みたいで、可愛らしい鉢だな。」
エリの中でイアンの評価がちょっとだけ下がった。しばらくは飴を食べる気になれない。
店の周辺は人通りがあまり無く、ウィルフレッドの護衛らしき男が前に出て店のドアを開けた。カランカランとベルが鳴る。
さっさと入るイアンとウィルフレッドの後に、エリ達も続いた。まだ早い時間だろうに、ドアプレートは閉店を示していたようだ。
開店時ほどではないが、店内はきちんと明かりが灯っている。
カウンターに誰もいないと見て、イアンはその奥に続く廊下へ声をかけた。
「失礼する、マグレガー侯爵家のイアンだ。ここの店長に話があって来た。……誰かいないか。」
廊下の奥から明かりが漏れているようだが、物音一つしない。
ぼそり、「出ていないはずだけどな」と呟いたウィルフレッドをヴェンがちらりと見やった。到着前から見張らせていたのだろう。
エリがごくりと喉を鳴らす。
「…心配じゃ。入るぞ」
「そうだね。見てみようか」
頷き合った一行は早足にカウンターの奥へ進み、短い廊下を曲がって開きっぱなしのドアから部屋に入った。
長い黒髪を低い位置で結った男性が、横向きに倒れている。
センリョウをモチーフにしたユーリヤ商会の制服。サングラスの奥、半分開きかけた目の中に黒い瞳が見えた。間違いなくフェル・インスだ。
力なく投げ出された右の手のひらはザックリと切り裂かれ、左手は派手な色合いの毒々しい花を数本束ねたものを持っている。
ヴェンが焦ったように駆け寄り、エリは零れんばかりに目を見開いた。
「しっ、死んでおる~~~~ッ!!」
「体が麻痺しているようだな。」
冷静なウィルフレッドの声に応えるように、フェルの瞼がぴくりと動いて瞬きする。
黒い瞳がやや動いたものの、首を動かせないので一行全員の姿は捉えられていないだろう。イアンは花を観察し、茎に鋭利なトゲがある事を確認した。
「これは確か、花粉と茎の汁に毒のある植物ですね。傷口に付着する事で麻痺を起こし…」
「どうでもよいわぁ!おぬしら、早く助けぬかっ!」
「イアン、傷口を水で流そう。ケンジット、桶か何か探せるか?ヴェン、花には触らず彼をソファへ。」
ウィルフレッドが後方に控える護衛を含めて指示を飛ばす。
エリはフェルが向かっていたであろう先、部屋の中央にあるテーブルに置かれた調味料と平皿に載ったパン、包丁代わりのハサミを見た。
どうやらパンに挟んで食おうとしていたようである。
「毒がっ…トゲ、もうっ……ぐうう、あほたれぇ~!!」
ずびずびと泣き出したエリをヴェンが宥めている。
騎士が探してきた桶を受け皿にし、フェルの傷口は水の魔法で洗い流された。治癒で塞ぐのは麻痺が引いてからだ。
数分で徐々に首を少し動かせるようになり、表情筋が動き、声が出るようになる。
フェルが自力でソファに座っていられる状態になったのを確認し、騎士は水を捨てるために一度下がった。エリはむすっと唇を引き結んでヴェンにしがみついている。
「いや、お騒がせしましたァ~!」
「本当にな。」
けろりとして苦笑するフェルに、イアンがそう返す。
「取り扱いには気を付けるように」と付け加える彼はどうやら、テーブルの上のパンに挟む気だったとは気付いていないようだ。
「イアン、それもケンジットに渡しておいてくれ。」
「はい。」
ウィルフレッドが指した血のついたタオルをフェルから受け取り、イアンが廊下へ出る。
だらだらと流血する程ではないが、傷口は未だぱっくりと開いていた。フェルが「いたた」と情けない声を上げる。
「私は魔法がからっきしでして……お坊ちゃま。もし良ければ治癒もお願いできますか?」
「…俺か?下手だからだいぶ痛いぞ。」
「あはは、またまた。そうご謙遜なさらずに!とってもお上手でしょう」
「本当なんだが……まぁ、厳重注意という事で。」
ほんの少しだけ思案した後、ウィルフレッドが軽い仕草でフェルの手を取る。
傷口に手のひらをかざし、
「そんな脅かしたっていだだだだだだ!ちょっ、痛ッ!あががががが離してくださいッ!!」
治癒をかけ始めた途端にもがき苦しみ、ウィルフレッドが手を離した瞬間にフェルはソファの端まで後ずさりした。
ぜぇはぁと肩で息をし、ずり落ちたサングラスを怪我していない左手で押し上げ、信じられないとばかりにウィルフレッドを凝視する。
「はあっ、はぁ…な、なんて事するんですか……」
「だから」
「そうじゃないでしょう!?」
だから言っただろう、と言うつもりだったウィルフレッドは瞬いた。
――そうじゃない、とは?
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