470.それがどうした
うっかり一人で――身体強化まで使って――走り出してしまった私は、魔法を使って全力で追いかけてきたダンによってあっという間に捕獲された。
勢いそのまま食堂の個室バルコニーへ連れ去られ、お小言を頂戴しながらくしゃくしゃになった髪を梳いてもらっている。
「何もなきゃ笑ってやるけど、何かあったら洒落にならねーだろうが。」
「はい…反省しているわ……。」
「んで、第二王子に何されたんだよ?」
「な、何という事はないのよ。」
緊張して言葉がつっかえてしまう。
ダンはわざわざ私の顔を覗き込んでにやにやと笑った。きっと今、私の顔が赤いからでしょう。自分でわかっている。頬が熱いし目は泳いでしまう。
「さてはお前ら、俺とチェスターが見てねぇからって――」
「じ、実はね」
「おう。」
「学園祭の夜会…どこかで一度は、ダンスに誘ってくれるのですって。」
「…………、そんで?」
数秒ぴたりと手を止めたダンが、再び私の髪を梳かしながら聞く。
アベルに触れられた手が気になって、つい膝の上で握った。何も初めてではないのに。
「単に言い方の問題というか、深い意味はまったく無いってわかっているのだけど……面と向かって『踊りたい』と言われるのは…その、少し照れてしまうものなのね……!なんだか私、わけもわからず焦ってしまったわ。」
「………まさかそれだけで真っ赤になってんのか?ダンスはホワイトにも誘われただろ」
「先生は必要に迫られただけで、私と『踊りたい』なんて仰ってないもの。それに私アベルに、誘ってくれるかとか、私と踊るのは嫌かと聞いてしまって…」
今年も絶対貴方と踊りたい、と言ったようなものだ。
踊ってくれなきゃ嫌、と言ったようなものではないかしら?
そんな、
「子供っぽい事を……!」
「頭良い奴って変なとこで馬鹿だよな…」
ダンがぼそりと呟いた。
馬鹿と言うほど?そんな……気付かなかったけれど、私、アベルにも呆れられていた?
『踊りたい相手と言ったら、お前しかいない。』
アベルとしては、我儘な小さい子に言い聞かせるような心境だったのかしら。
そうかもしれない。
「おやすみ」と言ってくれた時、すごく優しい顔をするから驚いてしまったもの。子供扱いされていたのかも…あるいは思いきり踊るなら、私のように彼と同じ身体強化を使えた方が良いから、結果的に「私しかいない」という事かしら…
「終わったぞ。」
「ありがとう、ダン。」
突風で乱れた髪も綺麗になり、アベルに「早く帰って温かくしろ」と言われたのに、まだ少し心が落ち着かない。
ぺち、と自分の頬に触れてみると少し熱い気がした。困ってつい眉が下がりながらダンを見上げる。
「私まだ顔が赤い?」
「ちょっとな。……お嬢。前に、旦那様に婚約者候補を考えといて欲しいとか言ってたろ」
笑っていたはずのダンが真剣な顔で聞くものだから、突然だとは思いつつ頷いた。
あれは月初めの頃だったかしら。
『ラファティ様は御父君がお相手を決めたと仰っていましたが、お嬢様もそうなるのですか。』
『多くの場合はね。ただ私はお父様達がご自分で決められた結婚だったから、身分の釣り合う方と相思相愛になれば、反対はされないだろうと思うわ。』
『確かに。そもそも、旦那様はお嬢様の婚約者候補を見繕うのも嫌、というご様子でしたね。』
『…それでは困るから、影では一応やっていらっしゃるはず……なのだけれど。』
そんな会話をした時の事だろう。
ダンが近場の椅子を引いて腰掛け、話を聞く姿勢になった。詳しく話してほしいのだと思い、私は口を開く。
「最近手紙を出した時、お父様に聞いてはみたのよ。卒業前までには決めたいからと」
「返事は?」
「《考えさせてくれ》……でも、お母様情報だと十二名いらっしゃるわ。私に言っていないだけで、やっぱり元から考えてはいるみたい。」
「結構いるんだな…誰かはわかんねぇのか。」
「お父様が伏せている以上、お母様もそこまではね。」
夕食時にでも話題に出たのか、クリスからは「アベル殿下もいつかお妃様を探すかもしれないから、まだ待って」と手紙が届いた。
落ち着いてほしい。
私は決して「今すぐ婚約者を決める」なんて言っていない。
「お嬢は誰だと思ってんだ。」
「…血筋で言えば。ウィルとアベル、サディアス、チェスターは必ず候補に入っているでしょうね。」
「王子達はともかく……オークス家は今、」
「えぇ、状況的に見て可能性は低いわ。でも私が《卒業前までに》と言った以上、数年の猶予がある事を踏まえれば、候補から外す程ではないの。」
チェスターは、五公爵家の血を引く人だから。
思案する小さな黒い瞳を見やって、私は付け加える。
「六騎士の血は、ツイーディアの貴族にとって本当に強いもの。たとえば、《法学》の授業にも出ない程の、未だかつて一度も使われない法だけれど……ウィル達レヴァイン家の血が絶えた時は、次の王は必ず五公爵家から選ぶ事になっているわ。」
「……偉い順で言や、そうか。」
「単純に見るとそうだけれど、実質血の重みね。初代国王エルヴィス・レヴァイン様と初代五公爵は、異母兄妹だと習ったでしょう?元を辿れば、私達公爵家は正しく《同じ血》を引いている。」
「つっても、どんだけ昔の話だよ。」
眉を顰めたダンの声には呆れが混じっている。
血なんて薄れている、そう言いたいのはわかるけれど。
「とにかく、歳の近い公爵令息であれば候補から外すのは最後。……つまり、そうね。ホワイト先生が候補にいる可能性も高いわ。」
「はあ?マジかよ。何歳差だ?」
「十歳。さして珍しくはないでしょう」
「つったって…旦那様、この前クドクド文句言ってなかったか?」
「私がクッキーを差し上げたから、しばらくホワイト先生に色々言っていらしたわね。…先生には、あまり伝わってないと思うけれど。」
当時を思い出して、つい片頬に手をあてる。
それは陛下がいらっしゃった時のこと。ダンを廊下で待たせてホワイト先生達と部屋に入り、出てきたら私がお父様と一緒なものだから、ダンは目をぱちくりさせていたわね。
「あくまで候補段階だもの。後は…他国の方も。」
「お嬢を他所にやんのか、あの旦那様が?」
「たとえば、外交上でどうしても政略結婚が必要になったりとか。」
あるいは国内が荒れ、他国に逃げた方が良いと判断されるとか。お父様個人が望まなくとも可能性はある。
現にゲームではお父様の指示で嫁いだとされていた。
『私の娘という以上に多大な価値があり、ツイーディアとしてはお前を…』
『そう。君を我が国の外へ出す事はできなくなった。』
これはお父様と陛下の言葉だ。
現状は出られないけれど、何年も経ってスキルの解析が進み、コントロールを覚え、その時の国王陛下の許可が出たならば。
私が他国へ嫁ぐ事はできる。
「そして勿論、国内でも公爵家以外ではどこかと考えてくださっているはず。だから十二名というのは……あまり候補を出したくなさそうなお父様からすれば、妥当な数ではないかしら。」
「お嬢は?気になってる奴ぐらいいるだろ。」
「――…他国には、行きたくないわね」
「そうじゃなくて」
「死んでしまうから。」
ダンが目を見開く。
つい、口が滑ってしまったわね。苦笑して「あくまで可能性の話」と付け加えた。
「…夢で見たやつか。」
「そう。話してなかったけれど……卒業から数年経った頃、私は隣国のどこかへ嫁ぐわ。その道中で誰かに殺されてしまうの。…どんな未来でも必ず、私は」
「お嬢」
はっとして瞬く。
怯えが、不安が、出てしまっていたかもしれない。
「大丈夫」
空中へ投げていた視線をダンに戻し、取り繕って笑みを浮かべた。
自分にも言い聞かせる。私は…
「そうはならねーよ。」
私の目を真っすぐに見て、ダンが言う。
少し怒ったように眉を顰め、テーブルの上で拳を握って。
「夢と違って、俺がいんだろ。何が決まったって突っぱねて、お嬢が変なとこ嫁がされる前に連れ出してやる。どこにでもな」
「――…、ふふっ。そうよね」
目の奥がじわりと熱くなって、堪える間もなく涙が零れる。
立ち上がったダンが差し出してくれたハンカチをあてて、ちゃんと笑えた。
「貴方がいるもの。頑張ってもし上手くいかなくたって、大丈夫ね。」
「たりめーだ。頑張んのも手伝ってやるから、」
ガチャッ。
個室の扉が開いて、反射的にそちらを見る。
走ってきたのか息を切らしているその人は、泣いている私を見てオレンジの瞳でギロリとダンを睨みつけた。
「貴方は一体何をしているのですか?」
「は?……メリル?」
「あら?到着は明日じゃなか」
「歯を食いしばりなさい!!」
「おい待て、」
パァン!
「いってぇ!!」
私が状況説明を優先しなかったばかりにダンは平手打ちされ、放課後で人の少ない学園に声が響く。
幸い目撃者はいなかったものの、私は誤解が解けたメリルと共にダンに謝ったのだった。
◇
シャロンとダンが去った後の研究室で、ホワイトは一人椅子の背もたれに身を預けていた。
剣闘大会の表彰式で発動した、雲を蹴散らす程の強力な魔法。
何が起きたかを探るための検証は、実はもうある程度まで進んでいた。シャロンには伝えていないだけだ。
先日ノートに書き出した可能性――①元から魔法が込められていた、②不足分を他から補った、③魔力を増幅させる効果を付与した。
このうち、二つ目。
不足分を他から補った可能性について、ホワイトは当時「考えにくい」と言った。
なぜなら、
『以前の実験で《魔力不足》と複数出ている。受け取った時点でおれは媒体に触れているが、当然魔力を奪われてはいない。だが…』
だが、意思を持ったら、どうか。
『祝福の役目通り、口付けるフリをして殿下に差し出したのですが……思えば、その時に伝承をなぞらえたのもよくなかったのでしょう。私の中で、空が晴れるイメージがより強まってしまったのかもしれません。』
シャロンが伝承をなぞらえた事で、アベルも伝承をなぞった。
シャロンの中で空が晴れるイメージが強まったのなら、同じ事がアベルにも起きたのではないか。
魔力不足で発動しなかった魔法を、その目的に沿うような意思を持って触れた場合どうなるか。
発動への合意と見なされはしないか。
ホワイトはそれを考えはしたものの、あり得ない可能性だったから言わなかった。
なぜなら、アベルは魔力を持っていない。
それでも検証は行った。
シャロンに敢えて簡単な魔法で《魔力不足》と出る物を作らせ――当然、条件に満たない物も多かったが幾らかはその状態でホワイトの元に届き――試す。
何も考えずに手に取った場合。
そして、自身も同じ魔法が発動すればいいと考えながら手に取った場合。
幾度かずつ試し、結果は出たのだ。
その意味で検証は一先ずの終わりを迎えている。
――事実、おれの魔力は奪われ魔法は発動した。
ホワイトは心の中で呟く。
表彰式当時の状況と検証で得られた結果を合わせれば、導かれる答えは一つだった。
――魔法を組んだのはシャロンであり、第二王子アベルは魔力を有している。
それも、天へ届かせてなお平然としているほど莫大な魔力だ。
ではどうして、七歳当時の魔力鑑定で魔力無しと判断されたのか。
――単純な話だ。前例はないが、あれはあくまで「偏った属性」を色で示すもの。偏りのない魔力を持っているのなら、全属性に等しい適性を持つのなら、色は偏らないのではないか。
ホワイトの頭脳は淡々と理論を組み立てる。
ウィルフレッドとの決勝でも見せた、常人なら死んでいただろう窮地すら乗り越えるアベルの身体能力。
《効果付与》を持つシャロンが己の身体を強化している事を踏まえれば、アベルのそれもまたスキルによるものではないか。
――あいつが、「自身の魔力に気付いていない」という事はあるか。
否。
それは否だと即答できた。使いこなしているのだから。
第二王子は恐らく、自らが魔力持ちである事を知りながらそれを秘匿している。
だが、それがどうしたというのか?
王族は自らが持つ魔力を隠してはならない、そんな法律は存在しない。前例がないから。
剣闘大会でも、「攻撃魔法」を使用していなかった事は確かだ。アベルは何ら、ルールを破っていない。
「………。」
ホワイトは部屋の天井を見つめ、眠気に従ってゆるりと目を閉じた。
ハピなしを読んでくださり誠にありがとうございます。
本日で三周年を迎えました!
ブクマしてくださった方、ご評価をつけてくださった方、
いいねを押してくださる方、ご感想をくださる方、
読んでくださっている皆様ありがとうございます。
一つ一つが本当に励みになっております。
シャロン達は心身ともに少しずつ成長し、
ゲームシナリオの世界とは様々な違いが出てきました。
それぞれが何を選んでどう歩んでいくか、
じっくりと見守って頂ければ幸いです。




