468.わざわざ言う事じゃない
シャロンとアベル様がまさか……!と思わされた剣闘大会から、二週間。
最初は二人を見かける度にちょっとそわそわしちゃった私やレベッカ達も、だいぶ落ち着いてきた…かな?学園祭に向けて、必死に《国史》の課題をやってたせいもあると思う。
私は放課後も使って何とか今日完成して、職員室にレポートを出してきたところ。……レオは、寮にいる夜の間にダンさんが見てくれたらしくて、もう終わってるんだって。レオなのに。…レオなのに!
レベッカはまだ自習室で白目を剥いてるかな?デイジーさんは《法学》にもレポートを出したいって意気込んでたから、レベッカを手伝う余裕はないみたい。
私は人を手伝えるほどよくわかってないしなぁ……。レポート出してそのまま帰るって言ったけど、一応様子を見に戻ってみようかな。きつそうだったら何か、差し入れした方がいいかな。
そんな事を考えながら自習室に戻って、私達が使ってた個室にそっと近づいてみる。開きっぱなしの扉から遠目に中を覗くと、私が使ってたレベッカの向かいの席にバージル君が来ていた。
浅葱色の癖毛を一つに括った、男の子の中ではちょっと背が低めの子だ。
「こっからどう書きゃいいのか全然わかんねーよ…やっぱあたしには無理だ……」
「あれ、『どうせ負けるだろって最初っから勝負捨てた』の?」
「んなッ…バージル、てめぇ…!」
「しーっ。静かにしなきゃ。ね?レベッカ」
「うぐぐぐぐ……」
ぐしゃあって紙を丸める音が聞こえてくる。
……私、戻らない方がいいかも?
バージル君と目が合うと、彼は苦笑して軽く手を振ってくれた。大丈夫だよって事みたい。とりあえず、今日のレベッカの事はバージル君に任せよう。
大きく頷いて、私はそっと自習室を出た。
夕方の風が少し肌寒い。
食堂であったかい紅茶でも飲みたいと思うけど…せっかくなら誰かと一緒に行きたいな。来週楽しみだねって話をしたりして。
【 そう、たとえば――… 】
……確かに、「お話しできたらいいなぁ」って思ったよ?
思ったけど!思い浮かべたけどっ!
「どうしたんだ、カレン。飲まないのか?」
「飲みます……。」
本当にウィルフレッド様とお茶できるとは思わないでしょーっ!!
心の中でめいっぱい大声を出して、私はあったかいカップに手を添えた。
ウィルフレッド様は見守るみたいに優しく微笑んでくれてる。ううっ、すごく眩しい笑顔…こんな平民一人に向けていいものじゃないよ……っ!
偶然ウィルフレッド様と、…白茶の髪で、女の子みたいに綺麗な顔に眼帯をした――…ネイトさんが通りかかって。
二人はサディアス様と食堂で合流する予定で、「まだ少し時間があるから、君も一緒にどうかな」ってウィルフレッド様が声をかけてくれて……このテーブルにはネイトさんもいてくれてるけど、彼は難しい顔で《魔法学》の資料っぽい分厚い本と睨めっこしてる。
ウィルフレッド様の話し相手は私に任せた感じみたい。……いいのかな、それで!?駄目じゃないのかな!?たまたまシャロンが来たりしないかな……!
「え、えっと…最近やっぱり皆、忙しそう…ですね。」
「来週はもう学園祭だからな。君はどう過ごすか決まったか?何か参加するのかな。」
「私は食堂、です。でもあの、一階だけど。」
せっかく《礼儀作法》の授業を取ってるんだし、少しはきちんとできるようになったって思いたい。
一階は平民向けのフロアだから、ウィルフレッド様やシャロン達が来る事はないだろうけど。来年は貴族の人も来る二階の担当になれるくらい、頑張れたらいいな…。
「ホール担当か。いいな、一階ならレオも来るだろう」
「っ!?そ、そうだねっ?来るとは聞いてないですけど……!その、何でレオ…?」
「うん?ふふ、どうしてだろうね。君達は仲が良いから、自然とかな。デュークも食堂で働くと言っていたし、来そうだなと思ったんだ。」
「デュークさんが食堂…?」
レオと仲が良い、ちょっと聞き取りにくい喋り方をする子だ。
私が一回レオと喧嘩みたいになっちゃった時、デイジーさんと一緒に話を聞いてくれた事がある。
《剣術》では上級クラスで、大会でも王子様達の次にすごい三位の成績だった。働くなら何も、食堂じゃなくていいと思うけどな。あの、デイジーさんやレオと同じ係とか。
「ああ。巡回係もするそうだけど、彼は働き者だからな。」
「そっか、両方なんですね。」
腕に覚えがある人は大体その《巡回係》になって、揉め事があれば仲裁に入ったり、怪しい人がいたら先生に伝えたり、場合によっては逃げないように足止めとか、捕まえたりとかするんだって。
他にも私みたいに食堂で働いたり、《案内係》として困ってるお客さんを助けたり。学園祭は、私達平民にとってはお小遣いを稼ぎつつ経験を積める場でもあるんだよね。
「シャロン様も忙しそうですけど、やっぱり殿下達と何かお仕事があるんですか?」
「それもあるけど、彼女は《祝福の乙女》だからな。北校舎にダンスホールがあるのは知っているか?」
「だんすほおる」
「最終日にパーティーをやる所だよ。それは聞いてるでしょ?」
それまで黙ってたネイトさんが顔を上げて、くすりと笑う。私はこくこく頷いた。
学園に寄付された貸出のドレスがあって、パーティーの時は平民でもそれを借りて出てもいいんだって。レベッカなんかは、絶対ヤダ!制服で出る!…って、顔真っ赤にして言ってたけど。
ウィルフレッド様が綺麗にニコッと笑う。
「そう。コンサートや歌劇はそこで行われるんだが…《祝福の乙女》は、例年それらの司会進行役を頼まれる事が多いそうだ。ああ、コロシアムの魔法発表会でも。」
「へぇー…学年に一人しかいないのに、大変そうですね。」
「ホラ、どうせなら知名度があったり華やかな子がいた方が、イベントとしての格が上がるだろ?言ってしまえば取り合いだね。シャロン様は何せアーチャー公爵家のご令嬢だから、引く手数多だと思うよ。…殿下よりは頼みやすいでしょうしね。」
ウィルフレッド様をちらっと見て、ネイトさんはちょっと冗談めかした声で付け足した。
確かに、王子様達に「司会やってください!」なんて言いづらいかも。
「ふふ、俺達がやったら皆緊張してしまうよな。後は…ネイトもそうだが、《剣闘大会》で上位成績を残した者は巡回係に勧誘される。今年の一年は俺とアベルがいる分、他の皆に負担を強いる結果になっているな。もちろん強制ではないんだが。」
「上級生もいますし、一年も血の気の多い奴ばかりですからね。殿下のお手を煩わせずとも、わたし達で充分ですよ。」
そっか、王子様達が巡回係なんてできないね。
私の頭にぼんやり、ウィルフレッド様とアベル様が並んで見回りをする姿が浮かぶ。
人だかりができちゃいそうだし、仲裁の時なんて、二人がにこってするだけで皆逃げていきそう。
「眼帯も来週までには取れる見込みですから、巡回の方はお気になさらず。」
「ありがとう、ネイト。よろしく頼む」
ネイトさんの目は、剣闘大会の時にダリアさんっていう貴族の女の子に鞭でスパッとやられた傷だ。跡が残らないように丁寧にしてるだけで、全然治らないから眼帯してるってわけではないみたい。
『シャロン様もホワイト先生と二人っきりだったので。今日はみ~んなデート日和なのかなって思っただけですよ。』
『ご、誤解を招くような言い方っ…止めた方が……』
『んひっ、嘘はついてませんとも。』
私はちょっとしかダリアさんと直接話した事はないけど…なんとなく、意地悪なイメージがついちゃってる。どちらかと言えば苦手な子だなぁ。
ウィルフレッド様の青い瞳が私を見る。慌てて笑顔を取り繕った。
【 せっかくだから、何か聞いてみようかな? 】
「えと…そういえば、殿下はお休みの日ってどう過ごすんですか?」
「俺か?アベルと共に特別授業を受けている。」
「えっ」
「内容は違うがサディアス達も、シャロンも別で受けているよ。俺達は皆、将来的に国の中枢にいるべき者だからね。学んでおかねばならない事が沢山あるんだ。」
「お、お休みの日なのに…!?」
時々かと思ったら、基本的に毎週末あるんだって。
さすがに一日中ではないよ、なんてウィルフレッド様は笑ってるけど。だから週末にシャロンと会える日は、いっつも午後なんだね。
「午後は会議や書類仕事のような公務か…皆と交流を持つための茶会や勉強会もそうだな。時々は街へ下りて私用を片付けたり、己の知識と実際が合致しているのか見たりしているな。物の市場価格や治安、騎士達が民に信頼されているか……後は、そうだな」
ほとんど自分の時間がなさそうって思いながら聞いてたら、ウィルフレッド様はちらりと私を見た。
なんだろう?
ふと優しく微笑まれて、心臓がどきりとした。
「――妙な輩に狙われた子がいないか、とか?」
「…そ、そっか…!大変なんだね、色々…」
前に街で助けてもらった事を思い出して、でもそれは内緒だからネイトさんの前では言えない。
雑貨店を出たら、知らない人がついてきてたんだよね。ウィルフレッド様が気付いてくれて、魔法で一緒に空に飛んでくれたりして。抱きかかえてもらった感触まで思い出してちょっと、顔が熱くなる。
「殿下。チェスター様じゃないんですから、お戯れはそこまでに。」
「えっ…今何かそういった事をしただろうか?」
「なにも!なにもないよ、大丈夫!」
ネイトさんの気遣いがありがたいやら、恥ずかしいやら。
つい手をブンブン振りながら言って、ウィルフレッド様は「そうだよな」と爽やかに笑った。ううっ、そうです…!なんにもどきどきしてないです!
…でもウィルフレッド様はもうちょっと、その、気を付けた方がいいとは思うっ!
真っすぐに人を褒めたり優しく笑ってくれたり、そういう所を勘違いしちゃう女の子はいると思うな…!なんて、本人に言う勇気はないんだけど。
落ち着かなきゃと思って、ちょっと冷めた紅茶をぐいっと飲む。
ウィルフレッド様が奢りで選んでくれただけあって、心なしか値段が高い味がする…気がした。
「女神祭の時期は皆浮足立つものだから、羽目を外して注意される生徒もいてね。カレン、君の周りは大丈夫だろうか?」
「う、うん。特に何もないよ。レポートに追われたりはしてたけど…」
「そうか。それならいいんだ」
にこりと笑うウィルフレッド様に、私もへらっと笑い返してみせる。
大丈夫だと思う、たぶん。
『平民が作った物なんて!毒が入っているかもしれないでしょう!?』
前に、時々言いがかりをつけてきてた人。
くるっとウェーブした淡い緑の髪に、ちょっと吊り目の…貴族の女の子。
昨日見かけた時……すごく顔色が悪かった。
私が近くを通った事に向こうは気付かなかったかもしれない。前は三人でいる事が多かったみたいなのに、最近はもうずっと一人で。
…具合が悪かったのかな。
あの子はきっと、私なんかに心配されたくもないだろうけど。
たまたま貧血か何かだったかもしれないし、レベッカみたいにレポートの事を考えてたかもしれないし、貴族だからおうちの事で何かあったかもしれない。
事情も何も知らないのに、わざわざ人に…それもウィルフレッド様に言う事じゃない。
「あ…いらっしゃいましたね。サディアス様!こっちです。」
ネイトさんが軽く手を振って、合流予定だったサディアス様が歩いてくる。
私はウィルフレッド様に紅茶のお礼を言ってから立ち上がった。




