465.未来への憂慮 ◆
『パーキンズが死んだよ。』
ホワイトが学園長室に入って数秒、シビル・ドレーク公爵は憂鬱そうな瞳でそう言った。
眉間には深い皺が刻まれ、手にしたパイプからゆらりと煙が漂う。
『ブラックリーのとこの小僧が踏み入った時には、もう息絶えていたそうだ。』
『…そうですか。』
『悪かったね。お前さんが気付いてから時間がかかって、このザマだ。』
ホワイトは王立学園の《薬学》と《植物学》を兼任している。
ジョディ・パーキンズはその前任者であり、薬師としても優秀な女性だった。
学園において、代々の《植物学》教師は温室の立入禁止区域の管理を任される。
そこには誤った手順で入ろうとすれば当代の管理者に通報されるという、稀有な魔法が施されていた。入り方を知っているのは代々の学園長と《植物学》の教師だけだ。
なのに、侵入者が出た。
仕掛けていた毒罠が発動後の状態になっていると気付き、ホワイトは「正式な手順を知る侵入者」の存在に気付いた。
すぐに《干渉》で手順を変えつつ、禁止区域の植物を全て確かめたところ、強力な催眠剤の原料となる花《シノレネ》が僅かに盗まれた事が発覚する。
出入口付近に地面に残されていた足跡から犯人は小柄な人物と推測され、ほぼ同時に失踪した女子生徒に疑いの目が向いた。
スザンナ・ブロデリック伯爵令嬢。
地面の痕跡からはホワイトの毒が効き、彼女が温室近くで倒れた事がわかっている。それを魔法で女子寮まで運んだ者がいるようだ。
翌日スザンナが正門を出て学園を去った事は門番が証言したが、その後の足取りは不明。
ブロデリック伯爵家は「娘が行方不明者となった悲しみ」を理由に非協力的で、リラの街でもろくに目撃証言がなかった。
彼女が姿を消した日にリラを出港したとある貨物船の乗組員は後日、着いた先で「夜中に何か重い物が落ちる音がして緊急確認を行ったが、船員も荷物も全て無事だった」と話したらしい。海洋生物が海面を跳ねただけだったのだろうと。
スザンナ・ブロデリックは未だに見つかっていない。
ともあれ、禁止区域の侵入者は一体なぜ正式な入り方を知っていたのか?――当然、誰かが教えたはずだ。
学園長でもホワイトでもなければ次に疑うのは前任者だが、先代ドレーク公爵はとうに亡くなっている。
故に、裏切者として疑われたのはジョディ・パーキンズだった。
シビルが連絡を取ろうとした結果、彼女は自宅で殺されていた――ように偽装されていた事が判明。
スザンナ・ブロデリックの件と共に騎士団が行方を追っていたが、結局は今回、パーキンズの遺体が発見される事となった。
眉間に皺を寄せ、シビルは重いため息を吐く。
『入ったのがあの娘だったにせよ、誰だったにせよ…手順を教えたのはパーキンズだったんだろう。まさか《夜教》に捕まってたとはね……。』
パーキンズが発見されたのは影の女神を信仰する集団、《夜教》の支部での事だ。
出入りしていた薬草売りによれば、彼女は建物を出られないながらある程度の自由は約束された身であったらしい。どこまで脅されていたかは不明であり、どの道もう本人に罪を問う事はできない。
捕縛した信者達から聴取した結果、ジョディ・パーキンズが作った薬の中で用途が不明な物は二つ。片方は作り途中で「後は大した腕がなくてもできる」と先に運ばれていったらしい。
ホワイトは「恐らくそちらが催眠剤でしょう」とシビルに返した。あれは最初こそ慎重な作業が必要だが、寝かせておくだけの熟成期間が長いのだ。
『お前さん、もう片方は何だと思う?』
『シノレネの催眠剤と共に使うなら、毒や興奮剤でしょうが――…最悪、《ジョーカー》かと。』
ぴくり、シビルが片眉を上げる。
魔力増強剤の中でも群を抜いて危険度の高い違法薬だ。作るには複数の国から希少な素材を取り寄せ、腕の良い薬師が緻密な調合を行う必要がある。
ゆえに、まず使われる事はない。
あり得ないと一蹴したい所だが、相手はルーク・マリガンだ。シビルは低い声で返した。
『根拠は。』
『ギードから私信が届きました。厳重管理されているはずのアロトピーが、昨年流出していた事がわかったと』
ギードとは西の隣国ロベリアの王太子の名だ。
かつてロベリアへ留学していたホワイトは、その実力から王子達の信頼を得ていて今でも――やや一方的な――親交がある。《ジョーカー》の材料であるアロトピーの流出など国家レベルの大問題だが、情報は確かだろう。
『ギルバート陛下にも報告が届いた頃でしょう。《ジョーカー》を作るなら他にも素材が必要ですが……おれの見込みでは、パーキンズ女史ならあれを作れます。』
悪い冗談であればいい。
シビルはそう思ったが、目の前の男がそんな性格をしていない事くらい理解していた。
『…運び出された薬の行方は、騎士団が追ってる。先に運ばれた催眠剤はどうか知らないが、時期的には《ジョーカー疑い》の方が辿りやすいはずさ。ロベリアは他になんか言ってんのかい。』
『特には。王が代わるくらいでしょう』
『……ったく。』
一国の王が代替わりする事を「くらい」で済ませるホワイトに呆れを示し、シビルはパイプに唇をつけて煙を吸い込んだ。ふうっと横へ煙を飛ばし、手元の報告書に再び視線を落とす。
《夜教》の支部には用途不明の空室があった。
床や机に積もった埃の痕跡などから最近まで使われていた事は確かで、妙に獣臭く、動物実験の類が行われていたと考えられる――そう記されていた。
捕えた《夜教》の信者達は取り調べを受けたが、皆口を揃えて「影の女神様のため」と言ったそうだ。
詳しい事は知らない。女神様のためになると言われたから。
女神様のためになるから。女神様が笑ってくださると言われたから。女神様のためならば。女神様が望むなら。女神様の思うままに。女神様がそう言うなら。女神様が、女神様が。
『影の女神ねぇ……』
ぽつりと、シビルは呟く。
信心深くある事でより善く生きようと努力するのは、いい。
太陽の女神に快癒を願うのも、月の女神に旅の安全を願うのも、影の女神に何を願い誓おうとも、今を生きる者の在り方として間違ってはいないだろう。
しかし代弁者を名乗る者の言を全て信じ、選択を他者任せにし、己が思考を放棄するのなら。
――愚かな事だ。
さぞ楽だろう。
シビルはゆらりと瞬き、ホワイトに視線を向けた。血のように赤い瞳は今日も恐ろしく、話題も相まってこちらの不安を煽る。
いずれ予想もつかない事態が起きてしまうのではないかと、身震いしそうになった。意識して心を落ち着かせ、余裕ある仕草で背もたれに身を預ける。
『《ジョーカー》による魔力暴走に大勢巻き込みたいなら、都市部だろうね。』
ホワイトが黙って頷いた。
じきに女神祭だ。影の女神こそが本物であると叫ぶ《夜教》が事を起こすにはうってつけの日だろう。王都ロタールでは国王夫妻が登場するパレードも行われる。
もっともそちらの警戒は騎士団本部や国の上層部が考える事であり、シビルが守るべきは孤島リラの安全だ。
『オペラハウスでの襲撃、女子生徒の連続誘拐、剣闘大会で発動した魔法、禁止区域への侵入者、盗まれたシノレネ……随分と騒がしい年になったもんだ。』
やんちゃな生徒がいるのは今に始まった事ではないが、今年は一つ一つの事件がいちいち重い。王家と五公爵家がぞろぞろ通っているせいだろうか。
現国王ギルバートが学生の頃も、同学年のエリオット・アーチャーとセリーナ・マリガンに始まり、上にも下にもやんちゃな子息子女が揃っていた。シビルの父である先代ドレーク公爵が頭を悩ませていたものだ。
――あの方がいた頃も、賑やかだったしねぇ。
つい昔を懐かしんでいると、ホワイトが「一つ聞きたいのですが」と切り出した。
こちらは過去の記憶に浸っているのに、もう数秒待てないのか。空気の読めない男だと心の中で軽くぼやき、シビルは憂鬱そうな瞳で彼を見る。
『あの王女はいつまで居るのです。』
『ヘデラの我儘姫かい?一年は様子見でいいと思ってるよ。』
ロズリーヌ・ゾエ・バルニエ。
東南の隣国ヘデラの第一王女だ。既に十四歳の歳だが、今年から一年生として留学している。
貴い身分ではあるがどうにも横暴な振る舞いが目に余り、既に幾度も騒動を起こしていた。
『…とはいえ、アーチャー家の娘すら怒らせたそうじゃないか。王子達もそろそろ動くだろう――…それか、お前さんが動くかい?ルーク。』
『おれは何も。』
想像通りの答えだが、思う所がないなら話題には出さないはずだ。この男にも弟子を心配するくらいの情はあったのかと、シビルは少し口角を上げる。
先日、ロズリーヌは階段で足を滑らせ転落しそうになった。
それをとある女子生徒が助けて代わりに怪我を負ったものの、王女は気遣う事もなくその場を立ち去り、目撃したシャロン・アーチャー公爵令嬢が真正面から苦言を呈したのだ。
人払いをしたので直接会話を聞いた者はいなかったが、後日ロズリーヌ自ら愚痴として喋ったせいでおおよその内容は広まっている。
――あの娘が持つ影響力すらわからないか。あるいは、わかっても自制できないのか。
生まれだけで言えばロズリーヌは王女でシャロンは公爵令嬢だが、ヘデラ王国は軍事面でツイーディア王国に頼っている立場。特務大臣の娘など、たとえ王女とて軽視して良い存在ではなかった。
それも双子の王子から信頼を得ており「次期王妃」と目される娘だ。剣闘大会の投票でも当然のように祝福の乙女に選ばれていた。
『修羅場あってこその成長だ、私は生徒達の判断を待つさ。』
『…承知しました。』
パイプに唇を付けて慣れた香りを吸い込み、シビルはふうっと煙を吐いた。
ロズリーヌは父王や兄王子に愛された唯一の王女。ヘデラではどんな我儘も叶える勢いの溺愛ぶりだったと聞く。
『そういや、シノレネはヘデラが原産だったね。』
『はい。ただ、あれはろくに知識がなさそうでした。』
今度は王女を「あれ」呼ばわりだ。
シビルは黙って眉を顰め、椅子の肘掛けに頬杖をついた。考えるべき事は山のようにある。
『……レイクスを呼んできな。街も学園も、女神祭の警備を見直そう』




