464.予期せぬ送り主
日曜の午後。
学園のサロンを一部屋貸し切って、幾つも設置されたトルソーに色とりどりのドレスが着付けられた。
中にはセットで用意されたのだろうネックレスやペンダントをつけた物もある。横には丸いサイドテーブルが置かれ、それぞれ手袋やイヤリング、髪飾りなども準備されていた。
殆どは足元に靴まで置かれ、準備完了の連絡を受けてようやく彼女がやって来る。
「……まぁ…。」
薄紫色の瞳を少しばかり丸くして、シャロン・アーチャー公爵令嬢は驚き半分、呆れ半分といった雰囲気で声を上げた。予想より数が多かったらしい。
準備段階から見ていた従者――灰色の短髪に黒の三白眼のダン・ラドフォードは、特段表情を変える事なく扉を閉めた。
これで中にいるのはシャロンとダン、あともう一人だけだ。
かつり、ピンヒールの音が鳴る。
ソファに腰掛けて二人を待っていた女性が立ち上がり、金の瞳を持つ優しそうな目を妖艶に細めた。
「ふふ……ご機嫌麗しく。アーチャー公爵令嬢?」
年齢は二十歳前後だろうか。くすりと微笑む唇は桃色の口紅が塗られ、たっぷりとした緑の長髪はリボンを編み込んだ清楚な三つ編みに仕上げている。
首元まできちりと覆う長袖で肌の露出は殆ど無いながら、ほどよく膨らんだ胸元と細い腰のバランスは控えめな色気を醸し出していた。
スカートにはエキゾチックな柄が大胆に入り、謎の美女と言われる彼女の存在感を増している。
入室していの一番に目を引くドレス達から目を離し、シャロンは自信に満ちた声色の彼女を見やって微笑んだ。
「こんにちは、サヴァンナ――…いえ、ジャッキー。もう普通でいいわ。」
「あ、ほんと?りょーかい。」
途端に姿勢と表情が崩れて声まで変わり、金だった瞳は薄紫色に戻る。
へらりと笑った彼はジャッキー・クレヴァリー。色々あってアーチャー公爵家預かりとなっている変装名人だ。ウィッグや服などは先程と変わらないながら、魔法を解いた今は顔立ちもやや少年らしさが残っている。
「これ全部おじょーさまに届いたドレスなん、ですって?すっごいね。十数着?」
「えぇ。二着しか頼んでいないはずなのだけれど…」
「勝手に送り付けられてくんだよ。」
シャロンの言葉を補足し、ダンは脇に抱えていたファイルを開いた。
予想以上に届いたため、どんな物が誰から来たかわかりやすくしようとこうして並べさせたのだ。
まずは端からと移動するシャロンに合わせて説明していく。
幾度か話しただけの貴族令息から「ぜひ私の色を」と手紙が添えられていたり、以前ドレスをオーダーした店からの最新モデルの提供だったり、「使いたい時に使いなさい」と無記名でカードが添えられていたり。
「この筆跡は叔父様ね…一言教えてくださってもよかったのに。」
「え!オジサマってあの、医務室の超怖い先生?」
「お嬢にはあめーんだよ。」
「へぇ~」
医務室のノア・ネルソンはシャロンの母方の叔父だ。
オリーブ色の長髪に濃紺の瞳、右頬に古傷のある男を思い返し、ジャッキーはイマイチ想像がつかない顔で「意外」と呟いた。いつ見てもしかめっ面の上級医師だが、シャロンの前ではデレデレと表情を緩めていたりするのだろうか。
「ジャッキー、貴方女神祭の準備は大丈夫なの?」
それぞれ今回使うか、保管しておくか、返送するかなどダンと話しながらシャロンが聞く。
王立学園は毎年女神祭の三日間に合わせて学園祭を行っており、そこではリラの街などから出張店舗が開かれるのだ。
学園に出店料さえ払えばいいので、ユーリヤ商会の雑貨店は勿論、カレン達が利用した《占いの館》、アロマキャンドルも扱う精油店《プナロマ》、マシュー・グロシンの実家である宝飾店なども出店予定だった。
週末だけひっそりとやっている、謎の美女サヴァンナによる個別メイク教室も。
ジャッキーは軽く頷き、頭の後ろで手を組みながら言った。
「いちおーね。貰った化粧品サンプルちゃんと見ましたし、常連さんには常連枠の時間帯があるってビラ渡してます。最終日は着付け込みの予約で埋まってる…ますよ。」
サヴァンナことジャッキーの店は、少し軌道に乗った頃から着付け屋と提携している。
勿論着替えに彼が同席する事はなく、終わった人から次々に化粧を施していくのだ。
三日目は学園でも夜会が開かれ、貴族の子息子女は基本的に着飾って参加する。
平民は制服や私服での参加が多いものの、中には学園に寄贈された数年前のドレスを着たり、衣装貸から最近の型式の物を借りる者もいた。
着方がわからなかったり、知っていても手が足りなかったり、服に合った化粧をしたかったり。三日目はそんな生徒達からの需要が大きい。
「この時期は結構、それ狙った同業者もリラに来るらしーですね。」
「そらそうだろ。貴族の子供でも、自分らの屋敷から人呼ぶには渡航費か《ゲート》代が往復でかかるからな。」
衣装と装飾品を新調しなかったとしても、下位貴族には手痛い出費である。
寮の職員に有償依頼する事も可能だが人数に限りがあり、「将来は貴族の侍女侍従に」と考える生徒が修行がてら依頼を受けてもいるが、やはり既にそれを生業としてやっている者の方が安心して頼めるものだ。
「店は大丈夫そうだけど、《国史》のレポートは進んでいるの?」
「わー!おじょーさま、そのドレスちょー綺麗!絶対似合いますね!俺ちゃん、それ着てるとこ見てみたいなァ~っ!」
「もう一度聞くわね。レポートは?」
「すみません終わってません。」
きちんと体ごと向き合ったシャロンが微笑んで聞くと、ジャッキーは可及的速やかに土下座した。
店で使う化粧品選びなどは楽しくてきちんとやれたのだが、来週が提出期限のレポートについてはまだ半分も書けていない。
「他は任意だからいいとして、《国史》だけは忘れずやりなさいと言ったでしょう?」
「忘れてはないんですけど、やる気が……あーえっと、ちなみにおじょーさまは終わったの、ですか?」
「えぇ、提出済みよ。」
「ですよねー…」
ジャッキーは床に両膝をついたまま苦笑いした。
今日レポートの事追求されなかったらラッキーだよな~、とは思っていたのだが、当然そんなはずはなかったのだ。ダンが追い打ちのように補足する。
「お嬢は任意提出の《法学》と《薬学》、《神話学》も、《服飾》の特別展示に出すやつも全部終わってんぞ。」
「怖っ。ダンさんは?」
「《国史》は終わった。《法学》は今日仕上げる」
「うへぁ…」
ジャッキーが苦い物を食べたようにベッと舌を出すと、僅かに目を細めたシャロンが静かに扇子を広げて自らの鼻と口を隠した。意味を察したジャッキーは素早く舌をしまって背筋を伸ばす。
学園祭は正門が解放され、一般客も訪れてレポート展示などを見る事ができる。
特別展示では《服飾》以外にも芸術作品などを出す事ができ、卒業生の職人達の作も含め、最終日である三日目の午後に購入が可能だ。
大講堂では卒業生による特別講義があり、騎士、法務官、城の文官や侍女、騎士団内の文官職など様々な仕事の話を聞ける。
さらにダンスホールではコンサートに歌劇。他、温室や馬術場、コロシアムでも様々な催しが企画されていた。
生徒はどれに参加するもしないも自由だが、唯一《国史》のレポートだけは全員提出なのである。テーマは自由、指定用紙二枚以上(上限なし)。
「何も、いずれ城勤めを狙えるような出来の物を書いて、と言ってるわけではないのよ?ラムリー先生も仰っていたでしょう。『教本の書き写しのみは不可だが、考察を主体とするのであれば引用は制限しない』と。」
「はい…。」
しょんもりと肩を落としたジャッキーが項垂れる。
テーマを適当に決めていた事も白状させられ、例えばこの辺りのテーマはどうか、あの授業の時ジャッキーはこんな事を呟いていたと、本人も忘れていた感想がシャロンから出てきた。
彼女とよく似た色合いの瞳を丸くして、ジャッキーはぽかんと口を開けたままゆっくりと頷く。
「ああ~…確かに!俺ちゃん言ったわ。言いました、それ。そっちならまだ書けるかもしんない。」
「頑張れそうかしら?」
「ん!やってみます、ありがとシャロン様!」
元気を取り戻したジャッキーは満面の笑みを浮かべて立ち上がった。数日後に改めて進捗確認をされそうだが、これまでのテーマよりは断然書けそうな気がしている。
シャロンは手のかかる弟を見るような目で微笑み返し、静かに扇を閉じた。
「なんかお礼……えーと、男をオトす時はやっぱ、貴方だけ特別!って感じで隙を見せるのがいんだけど、相手によって――」
「お嬢。このドレス差出人不明っつったけど、裏地にびっしり名前縫ってあったわ。」
ジャッキーの突発講座を遮ってダンが言う。
おぞましい内容にシャロンは僅かに眉根を寄せ、扇をしまいつつ件のドレスに近付いた。ぴらりとめくられた襟の裏、そういう模様の生地かと見紛う程にとある令息のフルネームが刺繍されている。
――よく私を見ていると思ってはいたけれど……ご挨拶程度しか、した事がないはず。
「…報告書付きで、お父様に送って。」
「わかった。おもしれーから王子達に言っていいか?」
「駄目。」
特にウィル、とまでは言わず、シャロンは首を横に振った。
ダンもそれ以上ふざける事なくリストに走り書きし、次のドレスに目を向ける。ある意味一番問題を抱えた品だ。
シャロンはさらにその先に並べられている、自分が注文した二着とそれとを見比べた。
――そう、少し変だとは思っていた。店から提案されたデザインの中に、ゲームの私が着ていたドレスが無かったから。
目の前のドレスこそ、ゲームシナリオのシャロン・アーチャーが着ていたものだ。
思案する二人の後ろで、ウィッグの三つ編みをぴろぴろといじりながらジャッキーが聞く。
「ちょー綺麗だと思うけど、何か悪いん?…ですか?」
「……送り主がね。」
ドレスに添えられていた封書は、サイドテーブルへ置かずにダンが持っていた。王城から送られた証拠の押印がされていたからだ。
シャロンの許可を受けてダンが開封すると、中にはさらに上質な封筒が入っている。裏面の封蝋がウィルフレッドと同じ青色だと気付き、シャロンは困惑の滲む顔で受け取った。
印璽の下縁にツイーディアの花が五つ、上縁には大きい星が一つ。
星から降り注ぐ光を表す放射状の直線と、羽ばたく鳥。
王妃セリーナ・レヴァインからの手紙だ。
トルソーの周りをちょろちょろしてドレスを眺めるジャッキーを放置し、ソファに腰掛けたシャロンは丁寧に封を開けた。
細く美しい文字で綴られた手紙に目を通し、最初から読み返す。
数秒目を閉じてから便箋を封筒へ戻すシャロンに、ダンがじれったそうに口を開いた。
「何て言ってきたんだよ。」
「できれば夜会で着てほしいと。ただ、贈ったのは個人的な理由であり…ウィル達にも言っていないので、内密にするようにと。王妃殿下のご命令だから、貴方も決して言わないように。」
「…わかった。んで?」
「――…ホワイト先生に、話を聞く必要があるわ。」
背中を冷や汗が伝う。
王妃からの依頼状を持つ手に少し力を込め、シャロンは小さく喉を鳴らした。
ハピなしをお読みくださり誠にありがとうございます。
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