449.星々輝く決勝戦
じわりじわりと雲が増え、その隙間から漏れた陽光がコロシアムへ注がれている。
《皆様、お待たせ致しました~!(*^-^)/》
ざわめいていた観客がエンジェルの一言でぴたりと静まった。
若草色のドレスを翻し、彼女は大きく手を広げて各学年二人ずつになったトーナメント表を指し示す。
《生憎の曇り空ではありますが――これより、決勝戦を開始します!》
期待に満ちた歓声が響き渡った。
叫ぶような真似ができない令嬢達は拍手し、なりふり構わぬ平民達は持ち物を振り回し、一部は腕を振り回し、興奮し過ぎて小規模な火や光の魔法を発動した者達が次々しょっぴかれていく。毎年の事なので騎士達も慣れたものだ。
《制限時間は二十分!フィールド全体はもちろん、障壁の天井見えますでしょうか?なんと四十メートルの高さまで使用可能ですよ~。》
エンジェルが説明する中でも客の視線は貴賓席へ向いていた。
試合は一年生から順番に、となれば最初の対戦カードは決まっている。誰もが目を離さないだろう大一番、学園内で最も貴い二人の試合だ。
国を守る星の一族、レヴァイン王家の双子星。
《それでは一年生決勝――ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン対アベル・クラーク・レヴァイン!フィールドへどうぞっ!(`・v・)+》
割れるような歓声の中、黒と白の騎士服を身にまとう王子達は各々軽やかに地面へ降り立った。
コロシアム中の視線がそちらへ向いているのを良い事に、貴賓席ではチェスターがそっと自分の椅子を前へ動かしてフィールドがよく見えるようにし、それを見たサディアスとダンもこっそりと倣っている。
王子二人ともがいない今、貴賓席は五公爵家のスペースだ。今だけは許されるだろう。シャロンがくすりと笑い、薄紫の瞳をフィールドへ戻した。
ウィルフレッドとアベルが、決勝戦で向かい合っている。
ゲームでは決して見る事のなかった光景だ。
シャロンの目には、ウィルフレッドが懸命に喜びを押さえて真剣な顔をしているのが見えた。それを見たアベルが一瞬ふと優しく微笑むものだから、見てしまったらしい観客から悲鳴が上がっている。のけぞって後ろにひっくり返った者もいて騒然としていた。
そんな事は眼中に無いアベルは笑みを消し、剣を抜き放つ。
まるで鏡に映したように二人揃った動きだった。
《両者よろしいですね?では構えて――挨拶!(`'-')/》
「「よろしくお願いします!」」
「宣言。風よ」
挨拶を言い終えてすぐに唱え始め、ウィルフレッドは真っ直ぐにアベルを見据える。
早くあそこへ、そう考えると同時に胸の奥から歓喜が溢れた。
早く、早く。
思考によって決定する意思よりも早く――そう、
「我が衝動のままに!」
ウィルフレッドの周囲で風がうねるように吹き砂埃が舞い上がる。その範囲と勢いにシビル・ドレークは目を見開いた。レイクスが感心したように瞬き、ホワイトの手がぴくりと動きかける。
「俺を連れていけ!!」
宣言を唱えきって魔法を完全に発動し、一歩踏み込んで地を蹴った。
瞬間、ウィルフレッドは「あれ?」と呟く。
もう目の前に、開始位置のままのアベルがいる。
金色の瞳が丸くなったのを、ウィルフレッドは低い姿勢で見上げていた。
――何だか、思ったよりだいぶ速いな?
驚きながらも剣は振っている。
アベルも反射的に剣で防いだようだった。流石だと感心しながら、ウィルフレッドは豪速で迫った勢いそのまま剣を振り抜いた。
「障壁班!」
運営席でシビルが叫ぶ。
フィールド中央から黒い影――アベルが、恐ろしい勢いで直上へ吹っ飛ばされていた。
ウィルフレッドが発動した魔法の威力に唖然としていた障壁班がハッとする。あのままでは天井に激突して死ぬ。それを察したのだろう、観客席も盛り上がるどころか言葉を失っていた。
「はい!すぐ解――」
「魔力追加、衝撃に備えな!!」
「!?しかしこのままでは」
「絶対に破らせるんじゃないよ!」
混乱した一人を放置し、残りの班員は即座に公爵の指示に従った。透明なガラスのようである障壁を形成する各自のスキルに魔力が追加される。
ほぼ同時、身を翻したアベルが障壁の天井に着地した。
常人なら骨が砕けている。
着地音の直後、ビシッと音を立てて障壁に深い亀裂が走った。顔を上げたアベルの姿に、まさか無事なのかと観客が息を呑む。
遥か高みから遠い地上の兄を見下ろし、アベルは好戦的に笑った。
ただの少年のように佇み、ウィルフレッドは遥か彼方の弟を見上げて微笑む。
「うん。アベル」
――わかってたよ。お前は応えてくれるって。
障壁を蹴ったアベルが真っ逆さまに飛び降りたのを見て、ウィルフレッドも風の魔法を操りながら上昇する。初手から圧倒されていた観客達はようやく試合の続行を理解した。凄まじい威力を見せたウィルフレッドと生身でそれに耐えたアベルに歓声が巻き起こる。
空中でぶつかった二人は左右に弾かれて飛び、ウィルフレッドは障壁へ着くまでもなく自身の魔法で持ち直した。
アベルは先程と同様に障壁へ着地し――裏側にいた観客があらゆる悲鳴を上げた――即座に駆け出すと、二歩目で障壁を強く蹴る。まだ空中にいる段階で飛び込んできたウィルフレッドの刃を体を回転させながら受け流し、危なげなく地面に降り立った。
その手に鎖が握られている。
「ん?」
ウィルフレッドは瞬いた。
アベルとは距離をとったはずなのに締め付けられるように脚が痛み、体がガクンと止まる。はっとして見下ろした時には既に、片足に巻き付いた鎖によって勢いよく引っ張られていた。心の中で「おお」と声を上げる。
――さっき見たな、こういうの!
アベルがデューク戦でもやっていた早業、それも革紐と違って早々切れる心配のない袖鎖だ。上着の中に仕込んでいたのだろう。
第二王子が剣以外の武器を見せるのは今大会初めてだ。気付いた客席の一部がどよめいた。
ウィルフレッドは迫りくるアベルに対し、魔法の助力を得て自由な方の足で空中を蹴り飛ばす。靴先から射出された暗器をアベルは体を捻るだけでかわし、少しもスピードを緩める事はない。空中を蹴った勢いそのまま身を翻し、ウィルフレッドは真正面からアベルの剣を受け止めた。
普段なら即座に力負けしていただろう強力な一撃も、風の後押しがウィルフレッドを支えてくれる。
――とはいえ、この近距離で押さえ続けるのは俺の腕がもたない。利用させてもらうぞ、アベル!
剣を弾いたウィルフレッドは後退しつつ自身の脚に絡んだ鎖を掴み、風の魔法で一気に上空へ舞い上がった。脚から外した鎖を握り締め、猛スピードのままあえて蛇行して飛ぶ。アベルは鎖から手を離さないどころか、剣を片手に持ったままがしがしと腕の力だけで登り始めた。
障壁に叩きつけられそうになっても眉一つ動かさず見事に着地し、アベルは手を伸ばした先の鎖から何かを抜き取る。
そのままでは辿り着かれると見て、ウィルフレッドはアベルを空中へ引っ張り出した。自在に動くために鎖から手を離し、読まれやすい直線的な動きを避けて素早くアベルの背後へ回り込む。
黒いマントがはためく背中目掛けて剣を振り下ろした。
ガキンと音を立て、ウィルフレッドの剣が止まる。
身を捻ったアベルが差し出した左肩と刃の間には鎖が挟まっていた。首を反対側へ傾けたまま、アベルは剣を握る右手――ではなく、鎖を握る左手をウィルフレッドの右腕に振り下ろす。
「ぅぐ!」
ウィルフレッドは咄嗟に避ける事ができずに呻き、ぶれた切っ先がアベルの頬を僅かに切り裂いた。
剣を握り直しアベルを蹴りつけて距離を取り、ウィルフレッドは自身の右腕を見やる。先端の尖った鉄棒が突き刺さっていた。白い上着に血の赤が滲んでいる。
――俺が飛ばしたやつか!アベルは避けたはずだ。どうして…
そこまで考えて、ウィルフレッドは先程アベルが鎖から何か取るような動きをしていた事を思い出した。距離がありよく見えなかったが、それ以外に考えられない。
アベルはかわした暗器が鎖の輪に嵌るよう調整していたのだ。とんだ離れ業である。
王子の血に観客が悲鳴を上げる中、ウィルフレッドは落下していくアベルがこちらへ向けて鎖を振り回すのを見た。つい笑みが漏れる。
自身を捕えようと飛んできた鎖を避け、右腕に刺さった鉄棒を抜いて鎖も届かぬ方へと放った。剣の柄を強く握れば右手はびくりと震えたが、構う事はない。
アベルを見据えて魔力を解放し、ウィルフレッドは猛スピードで急降下した。
鎖を振ってもこちらがこの速さでは届かない。
仮にウィルフレッドの剣を受け止める事ができても、それだけではアベルは地面に激突するだろう。
「さぁどうする!!」
強風の中で張り上げた声は届いたのか、どうか。
アベルは鎖を手近な長さだけ引き寄せて狭い輪を作り、既に目前まで迫った刃の先を輪に通し――鎖を両側から引いて締め上げつつ、自分に刺さらぬよう横へそらした。
ほんの一瞬のこと。
魔法を使えない身で仰向けに落下しながらそれをやってのける度胸と実力は、やはり規格外だ。
ぐんと鎖に引っ張られる形でウィルフレッドの横に並んだ瞬間、アベルはウィルフレッドの体に片足をかけぐるりと背中側へ馬乗りになる。鎖で拘束する事もできたがそれはせず、剣を首筋にあてた。
あまりの早さに、観客の殆どはウィルフレッドがアベルに突っ込んでから何が起きたのかわかっていない。
串刺しになるはずのアベルがどうしてか、ウィルフレッドの背後をとっていた。
「――…ふ、」
声を上げて笑いたいところを堪え、ウィルフレッドは風の魔法でふわりと着地する。アベルは一歩離れて降り立ち、遅れて落ちてきた鎖がじゃらりと地面を打った。
多くの生徒が固唾を飲んで見守っている。
ウィルフレッドが左手で審判に軽く合図すると、勝者の確定にコロシアム中が沸いた。
袖鎖を手早く回収して片腕に提げ、アベルは規定の立ち位置につく。
振り返ると、同じく立ち位置についたウィルフレッドが右手に剣を持って頷いた。腕の傷は痛むだろうが、その意思を尊重しアベルも右手に構える。
「「ありがとうございました!」」
《一年生優勝者、アベル・クラーク・レヴァイン!》
割れるような歓声と拍手が響いた。
ウィルフレッドが剣を鞘に納めると、審判を務めたレイクスが「良い試合だった」と鉄棒を手渡してくれる。礼を言って懐にしまい、弟のもとへ駆け出した。
少し眉間に皺を寄せ、アベルはウィルフレッドの右腕をちらりと見る。
「アベル!皆お前を祝ってくれてるんだ、応えないと。」
「いいでしょ、別に」
「いたた、俺は手を振れそうにない。どうしよう」
「……。」
痛がる素振りすらせず棒読みした兄を苦い顔で見やり、立ち止まったアベルはちらと観客を見回して軽く手を挙げた。途端に熱狂的な声を上げる生徒達から目を戻せば、兄も左手を大きく振って応えている。
アベルはやれやれとばかり小さく息を吐いた。微かに笑って歩き出す。
「ウィル、行くよ。早く手当てを。」
「ふふ」
二人が退場してなおも聞こえる歓声を背に通路へ入った。
ウィルフレッドは途端にくつくつと笑い出す。
「一体何をどうしたら、飛んできた暗器を鎖に嵌めて持っとくなんて発想になるんだ。」
「偶然できそうだったからやってみただけだよ。」
「まったく……やっぱりお前は強いなぁ。俺の自慢の弟だ」
アベルは瞬いて目を泳がせたが、兄に気付かれないよう前を向いたままだった。薄皮一枚切れた頬を意味もなく擦ると、ジリッとした痛みが走る。血が出たかもしれない。兄に怒られない内にそれだけ治した。
トンと腕を叩かれ、金色の瞳を隣へ向ける。
「――優勝おめでとう、アベル!」
誰より嬉しそうに青い瞳を輝かせ、ウィルフレッドはくしゃりと笑った。




