448.一位のお役目
決勝は第一王子ウィルフレッド対第二王子アベル。
対戦カードが確定しトーナメント表は更新され、コロシアムは期待と好奇に沸いていた。ざわめきの中に勝敗予想の囁きが紛れている。
アベルが退場して通路に入った今、多くの視線は貴賓席にいるウィルフレッドへ向いていた。
「さすがにウィルフレッド殿下の勝ちでは?」
「第二王子殿下だろ!魔力無しでもあそこまで戦えるんだぜ。」
「いいや第一王子殿下だね。さっきの試合、魔法を使うタイミング相手に合わせてやってたの気付かなかった?まだまだ余裕と見た。」
「でも正直、これで明らかな魔法勝ちをしたら…ちょっとズルいのではなくて?第二王子殿下はお可哀想に、ハンデを抱えていらっしゃるのに…」
「むしろアベル殿下の方がズルいでしょう。ウィルフレッド殿下は勝っても《魔法が使えるから》と言われ、負けたら《魔法が使えるのに》と言われるのよ?あんまりだわ。」
「どっちが勝ったっていいじゃないか。学年トップ二人が殿下達なんだ、文武ともに優秀な王子がいて俺達は安心って話だろう」
エンジェルが二年生準決勝の第一試合開始を告げ、客の興味も少しそちらへ移る。出場者の片方は癖のある赤毛の男子、宝石商の息子マシュー・グロシンだ。
客席からは斜めカットのブロンドと両腕を振り回し、横から漏れる蚊の鳴くような悲鳴も無視した熱い声援が送られている。
「緊張するな」
試合を眺めながら、ウィルフレッドが呟いた。
横に座るシャロンがちらりと彼を見やる。第一王子殿下は優美な微笑みを浮かべたまま、どこか、耐えきれずにといった様子で吐息を漏らした。
「俺は魔法ありでアベルとやった事がないんだ。…どうしよう、シャロン。抑えられるだろうか?」
「ふふ、嬉しいのね?」
「ああ」
他の客席からは見えない膝の上、ウィルフレッドは組んだ手を軽く擦った。全力を出す機会が少ないのはこちらも同じなのだ。
アベルは確かに魔法を使えないが、これまでの戦いぶりはどうだ。魔力持ち相手にまったく問題なかった。アベルとならば、ウィルフレッドはもっと楽しんで良いのではないか。
――アベルなら、きっと応えてくれる。
弟がもし大怪我をしたらと不安に思う気持ちが無いでもないが、それ以上に期待と信頼があった。自分が何をしたところで、アベルは見事に対応してみせてくれるのではないかと。
冷静であらねばならないと自身を窘めつつ、ウィルフレッドはどうしても心が浮き立ってしまう。
優しく微笑むシャロンが「大丈夫よ」と言ってくれた。
「貴方達二人なら、きっと素晴らしい試合になるわ。」
「ありがとう。頑張るよ」
本当なら彼女の手を取り満面の笑みで言いたいところだが、人目があるため耐えておく。微塵も動揺のない足音が一定のリズムで近付いてくるのが聞こえ、ウィルフレッドは青い瞳をそちらへ流した。
フィールドを見下ろしながら歩いて来た弟が、金色の瞳を兄へと向ける。
僅かに目を細めて、ウィルフレッドは笑みを深めた。
「お帰り。アベル」
地面にへたり込み、彼女は呆然と赤髪の男子生徒――マシューを見上げていた。
十数分に渡る打ち合いを経て双方呼吸は荒く、これ以上の戦意なしと見てマシューは剣を引く。彼女の剣は離れた位置に落ちていた。
「何で」
「……何でって、言われ…ましても。」
「お前に…お前に負けるなんて……私はっ今年こそホーキンズに勝つの!そのために今まで!!」
「だからじゃないんですか。」
手の甲で額に滲む汗を拭い、マシューは「知りませんけど」と無責任に付け加える。
「貴女がシミオン様しか見てないから、目の前の敵に負けたんでしょう。」
「………くっ…」
「…挨拶。しないと怪しまれま――」
「わかってるわよ!!」
噛みつくように言われ、マシューは苦い顔で眉を顰め背を向けた。
ヒステリック状態の女子は苦手だ。立ち上がるのに手を貸しでもしたらさらに吼えられそうだと、早足に立ち位置へつく。自分を睨みつける目に浮かんだ涙も気付かないフリをした。
「「ありがとうございました!」」
《二年生準決勝第一試合、勝者マシュー・グロシン!》
「はあ゛?棄権?あにっでんだらおめぁ」
救護席での手当を終えたデュークが訝しげに首を捻った。
鞘が壊れてしまった剣は返却し、背中には同種の長剣を背負っている。シャツの下にはしっかりと包帯を巻かれているものの、腕組みして立つ彼は疲れも見えず元気そうだった。
「別に不思議ではなくない?」
相変わらず聞きづらい話し方だと思いながら、バージル・ピューは小さく肩をすくめてみせる。
こちらは鼻血こそ止まったものの軟骨部分にガーゼをべったり貼られた状態だ。処置したのがローリーではなくネルソンだったら、これほど手厚くはならずに済んだかもしれない。押さえられているせいで僅かに鼻声だ。
「僕はもう、体力も魔力もほぼ尽きてるんだよね~。三位決定戦まで時間があると言っても、回復はたかが知れてるし。君ほどタフじゃないよ。」
「勝負んならんっでか。」
「そ。前みたいにさ、やる気ないのに出るよりマシでしょ?ごめんね」
「……んん」
不戦勝はしたくなかったのだろう、デュークは渋々といった顔で唸る。バージルは「だからさ」と歯を見せて笑い、拳を突き出した。
「今度やろう。三位決定戦」
「……!おう」
にやりと口角を吊り上げ、デュークも軽く拳を合わせる。
観客席が沸いた。また一つ試合が終わったようだ。
《二年生準決勝第二試合、勝者シミオン・ホーキンズ!》
拍手の音と歓声が響き渡っている。
形式的に軽く手を叩きながら、セドリック・ロウルは常盤色の瞳を隣へ向けた。婚約者であるフェリシア・ラファティ侯爵令嬢は品良く丁寧な拍手を送っている。彼女の薄い水色の瞳は間違いなくシミオンに向けられていた。
セドリックは薄く微笑みの形を作って口を開く。
「先程先生に呼ばれていたのは、やはり表彰式の件かな。」
「はい。今年も投票で一位を頂いたようです。」
「君は素晴らしい人だからね。選ばれて当然だ」
「ありがとうございます。セドリック様」
婚約者同士、まるで仲睦まじく見つめあっているかのようだった。
セドリックは去年の表彰式を知っている。例年通りざわめきと悲鳴に包まれる一年生の観客も、堂々としたフェリシアの姿も、一切の動揺を見せなかったシミオンの姿も。
――あの時は何とも思わなかったけど、でも、今の君は俺の婚約者だ。
「…やってほしくないって言ったら、どうする?」
「ふふ、ご冗談を。貴方がそんな事を仰るとは到底思えません。わたくしが困るだけですから」
表彰式を辞退するという事は、フェリシアが一位だったと公表されないという事だ。
誰もが「この学年はあの人で決まりだろう」と思うような女子生徒――特に上位貴族の令嬢にとって、役目を果たすのは当然であり義務であり誉である。
それを辞退するとなれば、事実はどうあれ「一位を取れなかった」「負けた」、「問題があって辞退させられた」、「他の男を祝う事を婚約者が許さなかった」など、あらゆる憶測が流れ好奇の目に晒されるだろう。
「もちろん冗談さ」
セドリックは少しおどけたように笑ってみせ、シミオンが退場した後のフィールドを見下ろした。
三年生の準決勝が始まる。
「人によっては、婚約者の男が他の令嬢から祝われるのを随分嫌がるそうだけど。彼にはそういう人はいないのかな?」
「どうでしょうか。表立っていないのは確かですが…彼を慕う令嬢は多いので、去年はそちらが少し盛り上がっていましたね。」
「…君に嫌がらせでもしてきた?」
「大丈夫です。わたくし達がそういう仲ではないと皆様わかってくださいましたし、もう二度目。何より今年は貴方がいますから。」
少し照れ気味に笑うフェリシアに、セドリックは満足そうに目を細めた。彼女の婚約者はセドリック・ロウルであって、シミオン・ホーキンズではないのだ。
秋風がフェリシアの薄い水色の髪を流す。ゆるりと瞬いて、彼女は遠い貴賓席を見やった。
貴賓席階段下、通路にて。
「ご機嫌麗しゅうございます。学園長先生」
公爵令嬢らしく美しい淑女の礼をしたシャロンに、女公爵シビル・ドレークは憂いの目で頷いた。
ビリジアンの髪は後ろで高く団子にまとめ、濃い黄色をした紅花の簪で留めている。黒いシャツに臙脂色のネクタイを合わせ、白地の正装はパンツスタイルだ。
シャロンの後ろにはダンが黙って控えている。
「入場時に投票があったろう。わかっていると思うが、一年はお前さんに決まったよ。」
勿論、わかっていた事だ。
とはいえ僅かに安堵した心を悟られないよう、シャロンは「光栄です」と微笑んだ。
「表彰式を手伝ってもらうが、いいね。」
「謹んでお受け致します。」
「優勝者に褒賞の短剣を授与する役目だ。試合と同じく一年が最初と決まってる。相手は王子の片方になるが、お前さんには臆する事も動じる事もなくやってもらわなきゃならない。」
「はい。」
シャロンはゲームの画面を思い出し、内心苦笑しながら頷いた。
客席から表彰式を見ていたカレンやレベッカが大騒ぎし、貴賓席のウィルフレッド達が愕然としていたあのアナウンスがされるのだろう。それを合図に、ゲームのシャロンは役目を果たした。
周囲の動揺をものともせずにアベルが短剣を掲げ、響き渡る拍手と歓声――…カレンが見上げた空は晴れ渡っていた。
――そう。アベルが動揺しないという事実を私は知っている。だから大丈夫。何も意識する事はない……ウィルが勝ったら、表彰式では驚いた顔が見られるかもしれないわね。
想像してつい、くすりと笑いそうなのを堪えた。
シビルがちらとダンを見やり、「ちょっと離れてな」と顎でしゃくる。シャロンの許可を得てダンが距離を取ると、シビルはシャロンにだけ聞こえるよう声を落とした。
「……婚約はまだだったね。もし内々にそういう相手がいるなら、これから説明する流れについて先に話しておくのも手だよ。言い触らされちゃ困るが、授与に際して一年は特に揉める事があるからね。」
「お気遣いありがとうございます、先生。問題ありません」
「そうかい。なら…」
目を閉じて鷹揚に頷き、シビルは煙を吐くようにふうと息をつく。ゆらりと目を開き、口角を上げて笑った。
「数秒でいい。何も知らない連中を慌てさせてやろうじゃないか」




