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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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44.リビー・エッカートの幸せな一日:朝

 



 目覚めてから、リビーの行動は早かった。


 顔を洗い口を漱ぎ髪を梳かして後ろで結う。いつも通り鼻から下を隠すように布で覆い、団服を着て、最後の仕上げとばかり金色のヘアピンを前髪に差す。

 これは当然、主である第二王子アベルの瞳の色にちなんだ物である。彼の色を取り入れたいと考えた時、リビーは己を黒髪に産んだ両親に五体投地――仏教における最も丁寧な礼拝だが、当然そんな事は知らない彼女は「お揃い」の衝撃に悶絶して倒れただけである――して感謝した。

 両親の顔も名前も知らないけれど。


 そして今日はアベルが約束してくれた、「一日中ずっとお傍で護衛して良い日」である。


「……ぇへ…」

 布に隠されて誰からも見えない口元が弧を描いた。

「えへへ…うぇへへへへ……」

 これが騎士団の宿舎、それも二人部屋や四人部屋であれば、同室の女騎士達が怪しい笑い声に飛び起きる事態もありえただろう。しかしリビーは王子の護衛騎士である。城の中に用意されたささやかな私室で一人笑う分には、誰も迷惑しなかった。


 いそいそと椅子に座り剣や暗器の手入れを始める。

 アベルからは「では、当日はお前が僕を起こしに来い」と言われている。つまり朝目覚めた瞬間から一緒にいていいという事である。とても嬉しい。

 今まではアベルを起こしに行く侍女が震える手で扉をノックするのを、廊下の角からじっ…と眺めるだけだった。(震えているのはもちろん、凄まじい妬みの視線を感じての事である)。


 アベルの起床は五時と決まっている。

 そしてリビーが起きたのは――三時だった。


「フフ…」


 外はまだ暗い。


「フフフ…」


 ――三十分前には部屋の前まで行って待機しよう。あの方の睡眠を邪魔しないよう、精一杯気配を消して…


 睡眠の邪魔はしたくないが、もし気付かれたらそれはそれでアベルへの尊敬が増すだけである。そして優しい主は、リビー自身の睡眠が短い事は咎めようとも、一刻も早く護衛を開始したいという気持ちを咎めたりはしない。

 瞬時に動けるよう軽く身体を動かし、道具一式の再確認もきちんと終えてから、リビーは自分の部屋を出た。




 五時。

 時間ちょうどに扉をノックし、リビーは主の名を呼んだ。


「アベル様。リビー・エッカート、参りました。」

「入れ」

 聞こえた声に、リビーは僅かばかり落胆した。寝起きの声ではなかったからである。ちょっとうとうとした主の姿を見られるかもしれない、という儚い野望は潰えたようだった。

 失礼しますと声をかけ、横に控えていた世話役の侍女と共に入室する。着替えを手伝うのは侍女の役目であり、リビーが手を出すべきではない。


 まだ子供ながら既に筋肉のついた体躯が晒される。

 侍女が慣れた様子で着替えさせたのは――道着だった。上下に分かれた布製で、主に武術の鍛錬や試合の時に使用する衣服である。ただし上着は帯ではなくボタンで留められるようになっていた。


 そしてなぜか、侍女が着席する。

 第二王子が立っているのに。自身が持ってきた水差しとコップをティーテーブルに置いてその前の椅子に座り、入室当時から置かれていた数冊の本の、一番上を取ってページを開く。

 一体どういう事かとリビーが目を丸くしてアベルと侍女を交互に見るが、アベルは気にした風もなく部屋の中央で柔軟運動を始めた。同時に侍女が口を開く。


「国史二百五十年に起きた《ラーエル砦の戦い》においては、当時の国王、宰相、騎士団長を含めた上層部のほとんどが謎の病に倒れ、我が国は混乱に陥った。代わりに采配を振るったのは騎士団第一部隊の隊長であったと言われているが、果たしてその実態はどのようなものであったのか。本書では文献以外にも、砦付近の村に残る口承も検討し…」


 朗読にしては少々早口に、侍女が本の内容を語っていく。

 ゆっくり読み聞かせるためではなく、速やかにかつ正確に伝えるための語り口だった。アベルは侍女を見る事なく、侍女もアベルの様子を確認せずにそれぞれの作業を進めている。慣れた様子からして、これが日課なのだろう。

 やがてアベルは腕立て伏せに移行し、決めているのだろうトレーニングメニューを黙々とこなして、侍女も次の本を読み始める。


「…という結果が見られた。つまりシルケ草は経皮的な麻痺毒の効果を高め、反対に経口では麻痺を抑える効果があると推測される。体内に取り込む速度としては当然、草を噛むよりも事前にすり潰した状態の物を持ち運ぶべきであるが、すり潰してから時間が経つにつれ効果が減少するようである。丸薬等に加工するには…」


 スクワットを終え、逆立ちしたアベルがそのまま腕の曲げ伸ばしを始めた。

 侍女はコップから水を飲み、喉を潤してから再開する。延々と読み上げているのに一度も噛んでいないのだから、彼女も大したものだった。


「…この法案においては多数の有力貴族から反対の声が上がり、また国内有数の大商人からも非難されるものであった。国王も幾度も難色を示していた事が当時の記録に残されているが、オールポート宰相は第一王子や軍務大臣、外務大臣らと共に反対派を抑え込んで勝利した。最中に第二妃と第三王子の悪事が発覚した事もあり…」


 リビーは、願いを言うときに「お傍で」と言って正解だったと思いながら立っていた。

 その一言がなければ、もしかしたら自分は廊下待機だったかもしれない。日々恨めしく見つめていた侍女の思わぬ役割に、明日からはもっと敬意を持って接しようと決めた。


 ――それにしても、あの真剣な表情、まったくブレずに淡々と続けられる動作、いつまででも見ていたい!私が見ていては視線が気になるのではと最初は遠慮したものの、我が君に対して、見られると集中しづらいのではなどと愚かな事を!あの方が私ごときの視線で鍛錬を中断せざるをえないとか、苦心するという事はありえないのだ。入室を許してくださったという事は私がいてもやりきる自信がおありということ。そう、つまり私がどれだけ食い入るように見ていてもお許しくださるという事だ!すばらしい!目に焼き付けます!今日のこの機会を逃すべからず、記憶に焼き付けてみせます我が君…!


 六時半。


 きっちり読み終えた侍女が本を閉じ、アベルも鍛錬を終えて顔を上げた。

 さすがに滴り落ちる汗を道着の袖で拭い、侍女から渡されたグラスの水を飲み干す。金色の瞳が自分に向いて、リビーがびくりと肩を震わせた。


「行くぞ。」

「はっ!」

 どこへ、というのは愚問である。

 部屋を出ると廊下で待ち構えていた別の侍女がついてきて、浴場で湯浴みを行う間のリビーは廊下待機である。夜より手短に済ませて身体を拭き、用意された衣服に袖を通す。黒を基調としてボタンや装飾が金色のものだ。


 そうして七時ちょうどにウィルフレッドと合流し、朝食となる。

 こちらは白を基調とした服を纏っており、護衛にはもちろんヴィクターとセシリアが揃っていた。


「おはよう、アベル。珍しいな」

 続いて入室したリビーを見て、先に座っていたウィルフレッドが言う。

 リビーはつい「そうなんです」とばかりにやついてしまったが、布が隠してくれるお陰でバレはしない。と本人は思っているが、目が嬉しそうに緩んでいるので、ウィルフレッド達は察していた。


「おはよう、ウィル。今日はずっと一緒にいる約束でね。」

「へぇ?……って、護衛を連れてるのは本当は当たり前なんだぞ。」

 一瞬普通に受け止めかけたウィルフレッドだったが、本来彼のように護衛騎士二人を常に連れているものである。アベルは軽く笑って流し、席に着いた。


 テーブルを挟んで向かい合う二人の王子それぞれの後方に、護衛騎士に振舞われる食事が準備されている。国王や王妃も揃うような場であればとてもそんな事はできないが、この場は無礼講である。

 なお、当初ヴィクターはものすごく強情に辞退を申し出ていたが、第一王子直々のお願いに根負けした。せめて立ち入りを少人数に限り、騎士に振舞われる分も毒見をした上でなら、と。護衛騎士二人が同時に倒れては元も子もない。セシリアはもちろん最初から大歓迎だった。


 後で携帯食をささっと食べよう、くらいに思っていたリビーは、予想外の事に驚いていた。きちんと自分の分がここにあるという事はそれすなわち、アベルが事前に手配を頼んでくれていたという事である。

 一筋の涙を流しながら食事をとるリビーを、壁際に控える侍女達は不思議そうに眺めていた。


 朝食を終えたアベルが部屋に戻ると、机に手紙の束が置かれていた。

 ウィルフレッドの方も同様であろう、令嬢やその親からの手紙だ。恐らくは昨日城へ届いたもので、既に一度開封され検閲を通った物だけがここに置かれている。椅子に腰かけ、アベルはさして興味もなさそうに封筒から手紙を摘まんで引っ張り出した。届いた以上は目を通すらしい。


「………。」

 リビーは少しそわそわして手紙の文字を追う目――すごく早いが本当にちゃんと読んでいるのだろうか――を見つめた。アベルに限って無いとは思うが、万が一にも心揺さぶられる文字列を発見してしまい、ちんちくりんが奥方になってしまったら恐ろしい事である。

 十二歳というのは貴族や王族にとって、婚約者ができてもなんらおかしくない年齢ではあった。だからこそ貴族連中が娘に書かせたり、代筆させたり、娘本人が望んで書いたりしている。


 現状、将来国王となるのは、先に生まれた第一王子かつ魔力持ちという条件をクリアしているウィルフレッドだ。

 そちらの妻――つまり未来の王妃ともなれば、第二王子妃とでは手に入る権力が違うので、手紙が多いのはウィルフレッドの方だろう。

 もちろん王妃として求められる「質」というものもあるけれど、男を篭絡してしまえば女とその家族は楽ができる、そんな考えの愚か者も多いのだった。


 リビーは、アベルの妻には自衛も、夫や子供を守る事もできる力があり、美しく聡明で、公正で清らかで、アベルの邪魔をせず、寄り添って支える事のできる芯の強さを持った女性しか認めないと決めている。

 王子という立場やこの麗しいお姿にだけ釣られた令嬢など論外だ。


「い…いかがですか。」

 つい聞いてしまったリビーに、金色の瞳が向けられる。

 少し不機嫌な様子だったアベルは小さく息を吐き、また手紙に視線を戻した。


「読む価値はあまりない。」

「左様で…」

 どうやらお眼鏡に適うものは無さそうだ。

 それでいい。早めに妻候補が見つかるという事は、婚姻が早まり、ひいては夫婦生活のために護衛騎士が追い払われる時間が増えてしまうという事である。


 ――アベル様と奥方様とのお子は、どのようなお顔をされているのだろう。もしかして私が知るより前、より幼い頃のお姿に似ているのでは…。


 気が早すぎるリビーだった。

 護衛騎士がそんな事を考えているとも知らずに、アベルは「お会いしたい」とか「是非お茶会に」とか並んだ手紙から目を離した。


 検閲をした役人が作ったであろう、差出人と概要(茶会の誘い、面談希望、挨拶のみ等)が書かれたリストを広げ、机の上のインク壺の蓋を開ける。

 ペン先をインクに浸し、可否欄の「否」に片っ端から丸をつけた。こうしておけば城の者が代筆で手紙を返信してくれるのだ。一応手紙に目を通した上で返答を決めているので、文句を言われる筋合いもない。話しても構わないと思わせるような物がなかったのだから。


 一つだけ謎の怪文――否、恐らく本人はアベルを褒め称えるつもりで書いたであろう奇怪な、手紙らしくない文字列である事を考えるともしかしたら詩なのではないかと思われる何か――を送ってきた令嬢の欄には、二度と受け取るなという旨を書いた。


 その後アベルは城の蔵書から五冊ほど読んだが、時刻はまだ十時。

 いつもなら一人で馬に乗ってどこかへ行ってしまう時間帯だが、今日はリビーがいるためそちらは断念するだろう。申し訳なく思うリビーに、アベルは声をかけた。


「出掛けるぞ」




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