447.結構お転婆シャロン様 ◆
準々決勝を終え、昼休憩も残り三十分を切った頃。
――やばい、やばいやばいやばい!!
丸眼鏡がずり落ちそうになるのも構わず、ノーラ・コールリッジは走っていた。
コロシアム裏手から大急ぎで目指すのは普段施錠されている裏口の一つ。剣闘大会当日だからこそ開いている業者用の出入り口に飛び込んで、目当ての誰かがいないかと朱色の瞳を巡らせる。
――取り巻き連れて詰め寄ってたのはジョエル・ニューランズ!殿下が気を付けろって言ってた奴…!男爵家じゃ駄目だ、シミオン君かフェリシア様、殿下……!
『誰かいないの…!?』
どうせ気まずい貴賓席を抜けてフラフラしているのだろうとアベルを探すが、コロシアムは広い。そう都合よく近場で見つかってはくれなかった。
ジョエルと相対していたのはデューク・アルドリッジ。
王子達の覚えめでたい優秀な平民だが、その実力と性格から「生意気だ」と言う貴族も多かった。ジョエルの目的は確実にデュークの欠場だろう。
『あ……!』
少し先で見つけた姿に目を見開いた。
数人の令嬢と共に階段を降りてきたのはシャロン・アーチャー公爵令嬢。今日は貴賓席の面々に合わせて白い騎士服を纏っており、帯剣こそしていないが麗しくも凛々しい姿である。
引き返す時間やデュークが言葉のやり取りのみで耐えられる時間の短さを考えれば、ノーラが見つけられた高位貴族は彼女だけだ。
――巻き込むのは申し訳ないし、他の子達に「何こいつ」的な目で見られそうだけど…ええい、しょうがないわっ!
『すみませんっ!無礼お許しください、アーチャー公爵令嬢!!』
手をブンブン振りながら駆け寄るノーラの姿に、シャロンの周りにいた令嬢達がすぐさま立ちはだかった。辿り着くまでに距離があるので、「止まりなさい」「一体何用ですか」と言いかける令嬢達の声を遮って話を続ける。
『助けてください!裏のほうで、アルドリッジが令息達に追い詰められててっ!たぶん、欠場を迫られてると――』
『わかったわ。行きましょう』
『シャロン様!?』
危険ですと止める令嬢達に微笑んで、シャロンは「皆様にお願いが」と何か伝えたようだった。揃って頷いた彼女達が一礼して踵を返すと同時、シャロンもノーラを振り返る。
『裏手と言ったわね、ノーラ様。』
『は、はい!あっちなんですけど、出口はこっちに業者用の…』
『直行しましょう。窓があるはずよ』
『へ!?あ、そうですね!』
一瞬「窓から出るの!?」と思ったノーラだが、考えてみればシャロンが顔を見せて声をかけるだけで、令息達には充分な効果があるだろう。何も彼女を危険な位置に送り出す事はないのだ。
公爵家ともなれば急ぐ姿さえ品があるわねと頭の片隅で思いながら、ノーラはどたばたと足音をさせてシャロンを案内した。
『あぁっ、あれです!あれ!!』
コロシアムは円形の建物。
通路に点在する窓は一メートル四方が横並びに二枚、その端に取り巻きの最後尾であろう男性生徒数人の姿を認め、ノーラが声を上げる。
減速し呼吸を落ち着かせながら、シャロンは閉じた窓越しに彼らの様子を観察した。険しい表情をしていた令息達が剣に手をかけ、何か喚いている。時間はないようだ。
『ノーラ様、貴女は見えないよう隠れていて。』
『はいっ!』
ノーラは素早い動きで窓側の壁にぴたりと背中を張り付けた。
シャロンが静かに窓の鍵を開け、「隙を見て戻ってね。案内ありがとう」と呟くように言う。横へ滑らせたガラス窓が開いていくと同時、ジョエルの嘲笑うような声が聞こえてきた。
『――たら、孤児院がどうなるか。野盗か何かがたまたま入るかもしれないぞ。何なら自主退学……し…』
『ご機嫌よう、皆様。』
ここまで急いで走った事など微塵も悟らせない優雅さで、シャロンが微笑む。
気まずそうにその名を呼ぶジョエルの声が聞こえたかと思えば、あろう事か、彼女は男達に背を向ける形でひょいと窓枠に腰掛け、長い脚をさらりと流して外へ出た。
――いや、結局そっから出るのね!?シャロン様って結構お転婆!?意外!
ノーラが心の中で突っ込みを入れている事など露知らず、シャロンは令息達全員の顔を見回して挨拶した後、ようやっと、長剣を抜きかけたポーズで固まるデュークを見やった。
ギリギリ、乱闘騒ぎに至る前に止められたようだ。
『こちらの彼一人と皆様で、向かい合っていたようだけれど…何かあったのですか?』
『え、えぇ。ご存知かと思いますが、日頃第二王子殿下のお手を煩わせている事について、少々話を聞いていたところです。』
『煩わせる。』
お貴族様のやり取りが始まった。
この場を離れて良いとは言われたが、ノーラは万一に備えて息を潜めている。もしジョエルがヤケになって実力行使に出たら、その時はなりふり構わず大声で叫んでやるのだ。シャロンがいる事さえ伝われば、警備にあたっている騎士も全力疾走してくるはずである。
『毎日のように野良試合を挑むなど前代未聞。殿下は寛大にも受けてくださっているようですが、実際のところはさぞご迷惑されているのではと考えた次第です。』
『そうでしたか、そのようなお考えで。』
貴方が考えただけであって、殿下のご指示ではないのですね。
アーチャー公爵令嬢はそう仰っている。ジョエルが苦々しく「はい」と答える声が聞こえた。
『ニューランズ様は、数日前に第一王子殿下とお話しされていましたね?もしかしてその時に何か、第二王子殿下の話もお聞きになったのかしら。』
ありえないだろうなぁと、ノーラは考える。
アベルがウィルフレッドに、「日々試合を挑んでくる平民が迷惑だ」など。そんな愚痴を聞かせるわけがないし、第一、その平民に毎回勝っている第二王子殿下である。止めさせたいなら誰に言うでもなく、自分で片を付けられるに決まっている。
これは、答えが「否」とわかっていて聞かれた問いだ。
シャロンに嘘を吐いても無駄だと理解しているのだろう、ジョエルは言葉に詰まっているようだった。
数秒の沈黙が流れる。
『それと先程、孤児院に野盗が入るかもと聞こえたのだけれど。』
返事がないと見てシャロンが話を続け、「公爵令嬢の問いに答えなかった無礼者」であるジョエルは、「ただの可能性の話で」とモゴモゴ言う。
純粋な心配だと語る彼に取り巻き達が「そうです」と口々に同意していた。仮にデュークが「脅されていた」と言い出しても、貴族であり人数も多い自分達の証言が有利だと思っているのだろう。
『星々が守る大切な民を案じる、そのお心……流石は王家に忠義篤き、ニューランズ伯爵家のご子息です。私からも殿下にその懸念をお伝えしますね。』
シャロンの声色は朗らかで、微笑んで言っているのだろう事は見なくてもわかった。
どうやら彼女の勝ちだとノーラがこっそり一息ついた途端、フッと一瞬だけ窓が暗くなる。地面を踏みしめる音と、令息達が「うわっ」と驚く声がした。誰か飛び降りてきたらしい。
『何を集まってる。おまえ達』
『ほ、ホワイト先生!?』
なるほどとノーラは目を見開いた。
すっかり忘れていたが、シャロンは令嬢達に何か頼んでいた。恐らくこの事態をホワイトに伝えるよう依頼したのだ。
《剣術》上級のレイクス伯爵はコロシアム全体の警備指揮にも関わるため、昼食を終えただろう今は学園長か騎士団と打ち合わせている可能性が高く、連れ出せば大事になる可能性がある。
中級のトレイナーは規律に厳しいため、シャロンの制止が間に合わなかった場合問答無用で欠場になる恐れがあった。初級のイングリスは騎士と共にコロシアム正面の警備中で、生徒間の喧嘩ごときでは動かせない。
司会進行のエンジェルは目立つ、騎士は仕事として報告を上げ大事になるし誰が来るかは博打だ。ネルソンやローリーを救護席から呼び出すわけにはいかず、場を引っ掻き回すか放置の二択になりそうなグレンはもってのほかだった。
シャロンが個人的に呼び出しても不思議のない相手。
平民だからとデュークに詰め寄る令息達にとって、言う事を聞かざるを得ない五公爵家の二人目。シャロンと違って実力行使も問題なく、教師という学園内での地位もあり、仮に乱闘すれすれでも欠場の判断までは下さないだろう人物。
ノーラが深く納得している間にも、外からはホワイトの淡々とした低い声が聞こえてくる。
『おれは弟子に用がある。……おまえ達は何を集まってるんだと、聞いたが?』
『な、なんでもありませんよ。もう済みましたから…』
ぞろぞろと退却していく足音に、ノーラもやれやれと肩の力を抜いた。
身内との待ち合わせまで軽く散歩していただけなのに、ひと騒動発生から解決まですっかり見守る事になろうとは。
自分の姿が見えないよう窓の下をそろそろと中腰で通り過ぎ、ノーラはぐっと伸びをしてから立ち去った。
『気になる植物を見つけたと聞いたが、やはりこういう事か。』
『ふふ、来てくださってありがとうございました。』
助かりましたとシャロンが微笑む。
ホワイトは軽く頷き、二人に頭を下げるデュークへと目を向けた。
『ありがとうございました。姫様、先生。』
『おれは呼ばれただけだ。』
『デューク、ノーラ・コールリッジ様が貴方達の事を報せてくれたのよ。わかるかしら?丸眼鏡をかけていて…』
大体の特徴を聞き、見当のついたデュークは頷いた。
確かに最初ジョエル達が現れた時、そんな女子生徒も遠目にいたかもしれない。次に会ったら礼を言うと決め、二人と共に歩き出した。
細い指を唇に触れさせ、少し考え込んだ様子のシャロンが口を開く。
『先程の彼…ニューランズ伯爵家の領地は、貴方の街からだいぶ遠いの。影響力は全く無いから、孤児院の事はひとまず安心して。』
『……そうなんですか?』
『デュークは王都の北西…古書の街タクホルムのすぐ南にある、ガウリー子爵領の出身でしょう?ニューランズ伯爵領は、王都の東やや南より……ヘデラ王国、アクレイギア帝国との国境の方が近いくらいよ。』
『それは…遠いですね。』
思っていた以上に距離があると知り、デュークはやっと肩の力を抜いた。
どうやら単に絡まれただけでなく脅されたらしいと知り、ホワイトが口を開く。
『心配なら領主に警戒させればいい。こいつの伝手を使えばできなくはないだろう』
『伝手?』
『ガウリー子爵領のすぐ南は、ネルソン侯爵の領地なの。私の伯父にあたる方で、医務室のネルソン先生のお兄様。ガウリー子爵自身、ネルソン先生のご友人だったはずだから、相談すれば間違いなく話は聞いて頂けるでしょう。』
『…は』
『だからもし不安になる事があれば、先生でも私でも相談してね。警備の依頼くらい、場合によっては騎士団を通すより早いわ』
『……姫様』
すぐには頭が追い付かずについ呼ぶと、澄んだ薄紫の瞳がデュークを映した。
安心してとばかり花のように微笑む彼女の――隣を歩く事が、ひどく畏れ多いと素直に思う。
デューク相手に全く怯えのない目を見つめ、ぼそりと呟いた。
『…わしんのな孤児ろ気んかけぇなら、変あった方ぇすね』
シャロンがぱちりと瞬く。
言い直すかしらと黙って窺う彼女の隣で、眠そうに瞬いたホワイトが欠伸をした。




