446.いつか届かせる剣
コロシアムの中央、一定の距離をとって向かい合う。
デュークは背負っていた長剣の鞘を左肩に引き上げ、右手で柄を握った。引き抜きながらも茶色の瞳はアベルを観察している。
腰の帯剣ベルトから星の意匠を刻んだ剣を抜き放ち、第二王子は薄く微笑んでいた。
《両者よろしいですね?では構えて――挨拶!(`・ω・´)》
「「よろしくお願いします。」」
同時に呟き、剣先を直上へ向けた構えを解いて走り出す。
デュークは宣言を唱えて加速し、刃同士がぶつかる激しい音が空気を震わせた。受けきれずによろめいてもおかしくない重い一撃を、アベルはいとも容易く受け流す。
予想していたデュークも体勢を崩される事はなくすぐ連撃を繰り出した。
アベルは剣で受ける事さえせず軽やかに避けきると、一歩踏み込んで即座に背後を取ると同時、低い姿勢から切り上げる。デュークは振り向きながら飛び退ったが、運動着の裾は剣先に触れて小さく裂けた。
双方地面を蹴り、再び刃をぶつけ合う。
息つく間もない応酬の中でアベルはデュークの攻撃を弾き、彼が柄を握り直すまでのほんの一瞬、僅かに力の緩む隙を突いて柄頭を蹴り上げた。
長剣が手を離れ、観客がワッと声を上げる。
デュークは眉を顰めながらも、飛ばされた剣を目で追う事はしなかった。容赦なくこちらへ剣を振るアベルを見据え、革紐をグイと引いて背負っていた鞘を前面へ引き下ろす。
ガヅン、と鞘と刃がぶつかった。
そのまま食い込んで刃を捕われぬようアベルが剣を引く。デュークは風の魔法で素早くその場を離れて辺りを見回し、上から落ちてきた長剣を地面から三メートルほどの高さでキャッチした。
掴み取った勢いそのままに振り返った茶色の瞳に、黒が映る。
アベルの蹴りが入る直前。
「ぐッ!!」
咄嗟にガードしようとするも間に合わなかった。腹部へ一発もろに食らい、発動していた魔法は途切れて後方へ吹っ飛ばされる。
デュークは身を捩り剣先で地面を削って勢いを殺し、片手で腹部を押さえながらも両足で着地した。もしアベルに風の魔法が使えたらとっくに追撃を食らっていただろう。魔力の無い第二王子は顔色一つ変えずに片足で着地し、すぐさま地面を蹴った。
「うわ痛そー……ね、ほら言ったでしょ!」
観客席の一角。
ウェーブした薄茶の髪を編み込んでハーフアップにまとめた女子生徒――丸眼鏡をかけたノーラ・コールリッジが、少々引いた顔ながらフィールドを指差して言う。
響き渡る歓声は大きく、彼女とその横に立つ男の会話を聞いている者はいないようだ。
「殿下は怪力だって。あんなでっかい子を蹴っ飛ばせるのよ?」
「…はァ~、なるほどお見それしました。」
ノーラの父が運営するユーリヤ商会の制服に身を包み、長い黒髪を一つ結びにした男――サングラスをかけたフェル・インスが、苦笑とも引きつった笑みともつかない表情を浮かべる。
助走があったとはいえ、アベルが跳んだ高さは二メートルを越えていたのではないだろうか。
フィールド上では観客の殆どは目が追い付かないだろう応酬が繰り広げられていた。
あの試合相手もよくついていっているものだと、フェルは目を細めて顎を擦る。あるいは、ギリギリついてこれる程度にアベルが合わせているか。
――どうなってる?第二王子は国王と同じ《加護》持ちだ。成しうる事に個人差があるのは常だが、あくまで守りの力。その本質を逸脱する事はない……まさか本当に素であの身体能力だとでも?やや、常軌を逸していると思うけど。
ちらりと、コロシアム全体を眺める。
ツイーディア王国の民には気付けない。彼が魔力を持たないと信じているから。なにせ幼少から身体能力に優れていると、騎士にすら勝つと評判の、月の女神に愛された第二王子だ。
全ては「天才」の一言で片付ける。
「すごいわよね~。あたしが真似しようもんなら絶対、足が砕けちゃうもん。」
「……!どうですかねェ、お嬢様の力だと突き指くらいかも。」
「あ、確かに。勢い出せる気がしないわ」
はは、と可笑しそうにするノーラを微笑ましく見ながら、フェルは心の中で「なるほど」と呟いた。
なぜ常軌を逸していると思うのか、なぜ普通ならできないのか――人体が耐えられないからだ。
ならばそれを、《加護》で守ればいい。
見えないはずの黒き魂すら無意識下で阻み、それをずっと保持していられるだけの魔力量と、優れた直感力をアベルは持っている。
本人が理屈を把握をしているか不明だが、フェルの中で《加護》による身体強化という現象の答えは出た。
体が壊れる恐れがなければ、人はどこまで力を出せるか。
「これは、途中からでも観に来た甲斐がありましたねェ。」
「チビ達にお土産話してやってね。あと、ほら。コリンナ様に挨拶してったら?喜ぶわよきっと。」
「あぁ、そうですね。優勝されたらお祝いしましょうかァ。ちょうど先程、ここの裏手に変わった草が生えてるのを」
「捨ててきなさい。」
「まだ摘んでませんよ」
一応仕事に来たわけですから、と続けたフェルは飲み物が入った箱を軽く持ち上げてみせる。
ノーラは少々疑いの残る眼差しでフェルを見つめたが、小さく頷いて視線をフィールドへ戻した。
風に後押しされたデュークの攻撃をアベルは最小限の動きでかわす。
あまりにすれすれで避けるものだから観客席から都度短い悲鳴が上がったが、本人達は眉一つ動かさなかった。ただ相手の動きを見て、対応するべく動く。それだけのこと。
相手の攻撃をかわし、防ぎ、僅かな隙を突いてこちらも狙う。その繰り返し。
剣戟の最中、強く踏み込んだデュークは渾身の力で振った剣を弾かれつつも、一歩跳び退いたアベルを追って即座に低い姿勢から刺突を繰り出した。
アベルはぐるりと巻くように刃を受け流し、耳障りな音と共に火花が散る。
一秒にも満たない、デュークが長剣を突き出すために腕を伸ばしきるまでの間。それが終わる頃には剣先はアベルから外され、眼前に靴先が迫っていた。
片腕でガードし、即座に足払いをかけるがアベルは軽く跳んでかわした。
長剣は既に次の一手を狙っている。靴裏が地面を削った。
「だがれぇ!!」
剣を構えたデュークが斜め下から切り上げ、たとえアベルが刃を受け止めようと彼ごと上昇する――そのはずだった。
魔法が使えないアベルは空中での動きに制限があるし、とても受けきれる重さではないからだ。
長剣が届く寸前、デュークはアベルが剣を逆手に握っているのを見た。
理由を考えるより早く刃がぶつかる。
ぐんと上空へ押し上げられる中、アベルは自分の剣を足場に跳躍した。
高く跳ぶ必要はない。
上空へ連れて行く、デュークの軌道から逃れられればそれでよかった。空中へ飛び下りたアベルと違い、風の魔法を放ったデュークは一瞬では止まれない。
「ぐっ、」
デュークは自分の背後へ飛び下りたアベルを振り返ろうと咄嗟に身を捻り――衝撃、脇腹に鋭い痛み。風に運ばれる赤色。
上昇を止めると、ずるり、革紐が落ちかけて片手で掴む。
背負っていた鞘は真っ二つに割れ、切り裂かれた脇腹から血が流れていた。無事に着地したアベルがこちらを見上げている。肩で息をするデュークの顎を伝い、汗がぽたりと落ちた。
「はぁ、はぁ……はっ、ははは。」
つい笑ってしまったデュークが降参するのかどうか、コロシアム中の視線が集まっている。
長剣を握る右手の甲で額の汗を拭い、デュークは革紐を持つ手を下ろした。鞘だった物同士がガランとぶつかる。
「っとに、あんたぁ凄ぇひだぁな。」
試合はまだ続いていた。
鞘の下方側を手繰り寄せ、革紐で縛った部分を掴み手首を使って振り回す。軌道にややクセがあるものの、使えなくはなさそうだった。客席に動揺がはしるが、周りの反応など関係ない。茶色の瞳はただアベルを見据えた。
「宣言、風ぁ吹いだらどおくだろ。わしぁ最後うであぎらえね、あん人ぉとかぁれ。」
唱えながら膝を折り、空中を蹴るようにしてデュークは魔法を発動する。
左手に握った革紐を前へ強く引けば、剣を構えたアベル目掛けて割れた鞘の上半分が飛んだ。猛スピードで襲い掛かるそれを弾いたとして、ほんの一瞬後にデュークの長剣が追撃できる。
アベルは回避を選んだ。鞘だった物がアベルの黒髪を掠り、続く長剣の突きは刃で受け流す。
耳障りな音と共に火花が散った。
突きを繰り出したデュークは同時に左手で思い切り革紐を引いている。アベルの背後から、先程かわした鞘が戻ってきた。アベルの刃は長剣の鍔にあたって止まり、金色の瞳はデュークを見据えている。動きには気付いただろうが、何メートルもあるわけではない革紐のこと、今から避けるには時間が無さ過ぎた。
あと一瞬の後、ここまで無傷だった第二王子が一発、食らう。
そう思われたのに。
鞘はぐんと姿勢を低くしたアベルのマントを掠った。
最初からそうするつもりだったのだろうとわかる、流れるような動きだ。鞘を弾くのではなくかわすと決めた時点で、それが戻ってくる可能性をアベルは理解していた。
デュークは反射的に長剣を動かしかけたが、鍔と刃が噛み合って止められているのはこちらも同じことだ。振り上げられた長い脚をガードしようとするも、片腕封じられた状態ではあっさりすり抜ける。
重く鈍い音が体に響いた。
軌道を強引に上へと変えられ魔法のための集中を切られつつも、デュークは次に反応しなければと握ったままでいた剣に左手も重ね――歪んだ視界でアベルが、鞘に繋がる革紐を振る。デュークの左手は剣を握っている。そう、そちらからは手を離してしまっていたのだ。
「っあ゛、」
動揺から意識を戻すより、体が反応するより早く片足に革紐が巻き付く。ギチリと締められる痛みを感じ――負荷に耐えられなかった革紐が千切れたが、アベルに振り下ろされた勢いそのまま、デュークは地面に激突していた。
それでも辛うじて受け身を取りはしたものの、当然すぐ目の前には剣先がある。デュークは息を切らしながら片膝立ちになり、太陽を背に立つアベルを見た。
一陣の風が吹く。
遠い歓声も体の痛みも無視をして、デュークは審判に降参を合図して立ち上がった。アベルが剣を引く。
「はぁ、は…ぁだ……ん゛んっ!…まだ、貴方にぁ届きませんね。私の、剣は。」
そう言うデュークの顔は晴れやかで、茶色の瞳には尊敬と満足の色が見えていた。アベルはふと小さく笑みを見せ、フィールド中央の立ち位置へ向かおうと踵を返す。黒のマントが翻った。デュークも遅れる事なく続き、同時に剣を構えて向かい合う。
「「ありがとうございました!」」
《準決勝第二試合、勝者アベル・クラーク・レヴァイン!》
歩き出しながら剣を鞘に納め、貴賓席を見上げるアベルにつられたデュークもそちらを見上げた。
上等なボックス席の中で、ウィルフレッドとシャロンはアベルの勝利に惜しみない拍手を送っているようだ。
ウィルフレッドはデュークと目が合うとしっかり頷いてくれる。君もよくやったと、授業中に聞いた声が今また聞こえてくるかのようだった。
――ありがとうございます、ウィル様。
軽く頭を下げようとしたデュークはシャロンとも目が合う。
彼女はウィルフレッドの隣に座っているのだから、デュークは勝ったアベルと共に退場しているのだから、不思議はなかった。
微笑みを深めたシャロンは明らかに、デュークに対しても拍手を送ってくれている。
――…どうも。姫様。
平民如きがという雑音が耳を掠めた気もしたが、デュークは剣を後ろ手に刃を下へ向け、貴賓席へできるだけ丁寧に礼をした。王子殿下と公爵令嬢相手には無作法だろうけれど、それでも。
顔を上げ、少し距離の空いたアベルを追う。
鞘の弁償もしなければならないかと考えたところで、ちらと振り返ったアベルから「救護席に行け」と釘を刺された。デュークは半ば忘れていたが、未だ流血しているのだ。
「………。」
遠い観客席で銀色の髪が揺れ、小さな唇からため息が漏れる。
儚げな美しさを持つディアナ・クロスリーはただ、読めない瞳でアベルを見つめていた。




