442.楽しいショーにしよう
何か報告に来ていたらしい騎士とすれ違い、シャロンとダンは会釈をしつつ貴賓席へ上がった。
双子の王子と従者は揃っている。
昼食は観戦席より奥に設置された円卓でとったのだが、今はもう四人とも観戦席へ戻ったようだ。
休憩時間の終わりが迫ってそわそわしていたのだろうウィルフレッドが、シャロンの姿を見てパッと顔を輝かせる。
「お帰り、シャロン。」
「えぇ、ただいま戻りました。」
「聞いたよ~、デューク君が絡まれてたんだって?」
背もたれに寄りかかって言うチェスターの言葉に、シャロンは先程の騎士が何の報告に来ていたかを察した。
自分の席に戻りつつ、軽く経緯を話して情報をすり合わせておく。おおよそ正しく報告されていたようだ。シャロン達は気付かなかったが、あの騒ぎは警備の騎士も見ていたのだろう。
――とはいえ、私が止めに入らなかった場合どこで仲裁してくれたかは怪しいわね。そればかりは個人の裁量だもの。騒ぎを起こしたとして、デュークが失格になる可能性もあった。……ノーラと会えて、本当に良かったわね。
シャロンは楽団席にいるロズリーヌに挨拶した帰りだった。
本国から楽器の貸出までしてくれた王女殿下は、貴賓席どころか、「せめて昼食をご一緒に」というこちらの提案も遠慮してしまった。しかしツイーディアとしては、彼女を大会の間中完全放置するわけにもいかない。
誰が行こうと打ち合わせるまでもなく、シャロンが当然のように「食事を終えたら挨拶してきます」と言い、ウィルフレッドが承諾した。
コロシアムの通路幅、貴人の数に比例して増えるだろう人垣、ロズリーヌが気絶しにくい相手、関係性、場所が楽団席であること等を踏まえれば、シャロンとダンだけで行くのは自然な話だ。
「なかなか戻らないから少し心配した。俺がニューランズにもっと強く言っておくべきだったな」
「…ウィルフレッド様の対応は、間違いなかったかと。」
「ああいった手合いは他にあたるからね。」
サディアスの言葉にアベルが頷きながらそう言った。
ジョエル・ニューランズは今頃、戦々恐々としてこちらの様子を窺っているだろう。シャロンが告げ口をしたとも何ともわからぬように、ウィルフレッドは柔らかな微笑みを崩さない。
ニューランズへの対応についてさくっと話がまとまる頃合いを見計らって、それまで黙っていたダンが口を開いた。
「バージル・ピューも平民ですが、そちらは平気だったのでしょうか。」
「大丈夫じゃないかなぁ。バージル君って、肩書きで見れば《王国騎士団八番隊副隊長の息子》、だからね。この前の特別授業でピュー副隊長の実力も、そのすぐ上のギャレット隊長の実力も知れ渡ってるだろうし。家族仲も良いみたいだしね。」
「なるほど」
騎士団の中でも武闘派で有名な八番隊の副隊長の息子と比べ、孤児院出身のデュークは明確な後ろ盾がない。
強いて言うなら学園に入って得た王侯貴族との縁だろうが、ニューランズはそれこそが気に入らなかったのだ。デュークにしてみれば、ウィルフレッドもアベルも少人数の授業がかぶっただけであり、王子だから近付いたという事は全くないのだが。
「あ、そうだ。俺達に差し入れ持ってきてくれた子がいてさ。一応これ」
リスト作っといたから、とチェスターが差し出したメモをダンが立ち上がって受け取り、シャロンへと手渡した。
誰が誰宛に何を持ってきたか、気になる発言、カレンに絡んだことも記載されている。
複数の令嬢の名前が並び、一部は横にウィルフレッドの字で「挨拶程度。店の事は話してない」、アベルの字で「面識なし」、サディアスの字で「父親に贈収賄疑惑あり」、チェスターの字で「よく来る子」、などと書き添えられていた。
「ウィル。この方はプリシラ・ミーハン侯爵令嬢のお知り合いだから、恐らくそこで偶然聞いたのだと思うわ。」
「ああ、そういう事か。確かに彼女には話したね」
「来たのは独断でしょうから、プリシラ様に一言お伝えしておくわね。」
「うん。彼女なら上手くやってくれるだろう」
貴賓席に差し入れを持ち込む事は学園のルールとして禁じられているわけではないものの、「普通に考えれば駄目でしょう」というレベルだ。
彼女達は騎士が受け取り拒否してなおカレンに迫ったのだから、擁護はできない。シャロンは全員の名前を心に留めた。
――サディアスに差し入れを持ってきた方は、元々彼のような知的な方が好ましいと言っていたわね。純粋な恋心の暴走だとすれば、こう書かれているのは少々気の毒だけれど。
そこは自分が心情を汲んでやる事もなかろうと、シャロンは読み終えたメモをダンに渡す。
正面に目をやれば、ちょうど運営席から飛び出したエンジェルが大きく手を振った。
《は~い!皆さん、お昼ご飯はきちんと食べましたか?そろそろ午後の部を始めていきますよ~!(^-^*)》
客席全体のざわめきが止み、代わりに楽隊が再開に相応しい明るい調子の曲を奏で始める。
時折リズムに乗るように仕草を合わせながら、エンジェルは五位から八位までを決めるトーナメント表を指した。
《まずは一年生、呼ばれた生徒はシュシュッと出てきてくださいね!
北エリア、チェスター・オークス対サディアス・ニクソン。
南エリア、ダリア・スペンサー対ネイト・エンジェル。》
いよいよだ。
オークス公爵家とニクソン公爵家の試合。ここに注目しない貴族はいないだろう。
チェスターとサディアスが同時に立ち、歓声が上がる。数歩前へと進んだ二人は双子の王子殿下を振り返った。
「行っておいで。」
ウィルフレッドが薄く微笑んで言う。
続けてアベルも頷いた。
「見ておくよ」
次期公爵として、王子の従者として、無様は許されない。
サディアスは真剣な目で、チェスターは口元を緩めて騎士の礼をした。
「「行って参ります。」」
前へと踵を返した二人のマントが翻る。
降り注ぐ陽光の中へ飛び出したその背中を、シャロンは眩しそうに目を細めて見送った。
《四人とも位置につきましたね?では構えて、挨拶!(*^-^)/》
「「よろしくお願いします!」」
南エリア――ダリア・スペンサー対ネイト・エンジェル。
こちらでは開始早々破裂音が響いた。
ダリアが振るった一本鞭が文字通り空気を叩き割ったのだ。隙間なく編み上げられた革紐の先端は音速を超える。
隣に集中していた観客の視線が瞬時に彼女へ集まった。
剣を構えて距離を保つネイトを見やり、ダリアはにんまり笑って見せつけるように柄から先へと片手を滑らせる。鞭を手にする代わり、デューク戦で使っていたチェーン入りの襟巻は付けていない。
深い青地の騎士服で鞭を構える姿は拷問官さながらだ。
ネイトは苦笑して「怖い人だな」と呟いた。
その声が届いたわけではないだろうが、ダリアは芝居がかった声で彼に話しかける。
「楽しもうよネイト・エンジェル。負けたぼく達の試合なんて、ショーみたいなものだろ。魅せてなんぼ、乱してなんぼじゃない?」
「わたしは真面目にやりに来たんですけどね。」
「んひっ、それでも遊びくらい見せなよ?デュークじゃないんだから、さぁ!!」
駆け出したダリアが鞭を振れば、ネイトに届くよりも先に破裂音が鳴り響いた。しなる鞭を剣で受け止めるような真似はせず、ネイトは後ろへ跳んで避ける。
「風に宣言。ぼくを前へ、早く!」
「宣言、風よわたしに力を。上へ飛ぶ」
魔法の後押しを受けダリアが加速し、飛び上がるネイトを鞭が追ったが、ぎりぎりのところで射程範囲外へ逃げられた。ネイトが宣言を追加する。
「これよりはわたしの思う方へ、思う速さで。止めようと思うまで――ずっと飛んでいよう。」
太陽の光を受けて白刃が煌めいた。
ダリアは笑みを深め、空気を切り裂く鞭の勢いを殺さないよう身を翻す。くるりくるりと舞うように動く彼女の周囲で立て続けに破裂音が響き渡った。
迂闊に近付けばただでは済まないだろう。おまけに鞭の柄を持つのとは反対の手で放たれたナイフが飛んできた。ネイトは空中を軽やかに移動してナイフを避けつつ、ダリアへ向けた切っ先で円を描く。
「宣言、水よわたしに力を。」
「風に宣言。ぼくをあそこに――ッ!?」
「彼女を囲う壁となれ!」
ネイトが魔法を発動したのは、ダリアから見てネイトと太陽の位置が近付いた時。
目が眩み反射的に口を噤んでしまったダリアを中心に、広い円を描く水の壁が地面すれすれから出現する。ダリアの鞭がその壁をスッパリと切り裂いて飛沫を上げてもなお高く、柱を作り上げるように上へ続いていく。
ネイトの姿は上空から消えていた。
「っ飛ばせ、水に宣言!ぼくを守れ!」
勢いを殺された鞭を振り続ける事はせず、ダリアは咄嗟に速さ重視で空へ逃げた。
コントロールをおざなりにしたせいで勢いが出過ぎ、水の柱よりも高く吹っ飛ばされる。そうなれば水の魔法の場所指定も追い付かず、ダリアより遥か下に崩れた球状の水が現れていた。ほぼ無意味だ。
――おっと…まあ、これはこれでいいか!
焦りながらもダリアがそう考えると同時、ネイトの剣が球状の水を掠った。
直撃でないのは剣を振ると共にダリアの不在に気付き、勢いが削がれたためである。スカイグレーの瞳は既に、上空にいるダリアの姿を捉えていた。
ネイトが現れる寸前に地面を離れて彼を通していた水の柱は弾け、数多の水滴となって太陽光を反射する。
「んひひ、あっぶなぁ。」
ダリアは右手に鞭を握ったまま、反対の手で剣を抜いた。きらきらと輝く水滴に囲まれ、ネイトは追加の宣言もなしに飛び上がってくる。
二人の位置は逆転した。
空中で体を捻って勢いづけ、太陽を背にダリアが鞭を振るう。ネイトは空中を自在に蛇行して目が眩むのを避け、空気を叩き鳴らす鞭を二度も避けきって目前に迫った。
――うっわ、避けるんだ。鞭相手なんて初めてだろうに、よくやるね。
ここまで内側に入り込まれては鞭を使いづらい。
眼鏡の奥で目を瞠りつつ、ダリアは口角をつり上げた。
ガギィン!
試合開始以降初めて刃がぶつかり合う。
ダリアはそれでもなお鞭を操る手を止めていなかった。風の魔法を追加しておらず、利き手と逆で剣を持つ自分が、勢いに負けて押されるのも当然のこと。予想できたこと。
当然、読んだ上で鞭を振っている。
ネイトが気付いた時には鞭が瞬時に二人に巻き付き、後ろからスピードを増して迫る先端をダリアが首をひねって避けた。
パァン!
「ッ、ぐ……!」
「風に宣言」
左目に直撃してネイトが怯む。
ダリアは彼の背中側で鞭の柄を素早く投げ、解けてぐるりと戻って来たそれを危なげなくキャッチした。左手で構え直した剣に柄をあてるようにして右手を添える。全力で押し込むために。
ネイトの右目と目が合った。彼は剣から手を離していない。諦めていない。ダリアが愉しげに笑う。
「ぼくを前へ、全速力だ!!」
「風よわたしに力を!!」
発動はダリアの方が早くネイトが押されたが、すぐに拮抗した。
巻き起こる風で二人の髪は乱れ、ネイトの傷口から滴る血が飛ばされていく。瞼から頬にかけて赤い線が走り、どうやら左目は開かないらしかった。
押し返される前に追撃できればよかったが、ダリアにそんな余力はない。
「……っ魔法、負けだね~、こりゃ。」
ぐっと後ろへ後退させられるのを感じながら呟き、あっさりと魔法の発動を止めた。
「は!?」
「ぼく降参で~」
当然ネイトに押されて恐ろしいスピードで空を飛ぶ事になるが、それはほんの一秒ほど。
「す?」
慌てて止まったネイトに寸でのところで片足を掴まれ、がくんと勢いを無くしたダリアが瞬いた。続いて重力に従って逆さまになり、さすがに「うわっ!」と声が漏れる。
急な事で心臓がどくどく鳴っているのはネイトの方だ。徐々に下降しながら、片目の視界でなんとか自分の剣を鞘に納めようとする。
「はぁ、っはぁ……ちょ、ちょっと君…」
降参するにしてもタイミングがあるでしょ。
そう言いたかったが、元よりアベルと戦った体力も全快していないネイトである。仮にも伯爵令嬢に説教するのも面倒で口を閉じた。
かちん、と剣が鞘に納まったのを感触で確かめ、こちらへ飛んでくる審判達へ目を向ける。トレイナーがダリアを受け取ると手振りしていた。ありがたい事だ。
「おいおい、ネイトくんさぁ。いくらぼくが騎士服だからって、淑女を逆さ吊りにする趣味はどうかと思――んあっ!?」
口の減らないダリアをトレイナーの方へ落とし、ネイトは深く息を吐いた。
ホワイトに「救護席までもつか」と問われて頷く。魔力量に問題はないので、先生に運ばれる姿を衆目に晒したくはなかった。
悪戯をした猫よろしく退場させられていくダリアをちらりと見やる。
――…将来、同僚になりませんように。
「ホワイト先生、終了の礼は…」
「おまえは治療が先だ。なくていい」
ネイトが力尽きた時のためだろう、すぐ横で先導するホワイトがエンジェルに合図した。遠くで頷く母親が自分を見た事に気付き、平気だよと小さく手を振る。
《――南エリア勝者、ネイト・エンジェル!》




