441.割り込み令嬢シャロン・アーチャー
「お前、殿下達に相手してもらってるからって調子に乗るなよ。」
聞き飽きた台詞を吐かれ、デューク・アルドリッジはため息を吐いた。
自分で切ったために不揃いな茶髪に三白眼。
鍛えた身体はがたいもよく、一年生の中では背丈がある方だが、今彼を取り囲んでいるのはいずれも上級生。デュークより背も高く殆どが帯剣しており、大会の出場者として見かけた顔もいくらかある。
それでも一切怯む事のないデュークに、正面にいた令息が眉を吊り上げた。
「聞いてるのか、アルドリッジ!」
「聞いたぁすよ」
「お前のようなどこの種とも知れん孤児ごときが、殿下と公式試合など!」
肩を強く押され、デュークは一歩、二歩と後退する。
避ける事もできたが、そうするとこういう手合いはさらにヒートアップするものだ。取り巻きなのか同類なのかわからない連中がにやにや笑った。
場所はコロシアムの裏手、そう人通りが多いはずもない。
静かな場所で昼食を取りたかったのだろう生徒が遠巻きに数人見えてはいるが、関わってこないだろうし、デュークとしても実力のわからない相手に来られても困る。
「身に余る光栄なんだぞ、学園でなければお前など目に留まるはずがない!」
「毎日のように第二王子殿下の邪魔をしやがって、迷惑だとわからんのか?」
「図々しいんだよ貴様!かの星々と言葉を交わして良いのは、僕達のような貴い生まれの選ばれた者だけなんだ!」
「………。」
だらだらと喋る彼らを一瞥し、仁王立ちで腕組みをしていたデュークはこきりと首をひねった。
少しは丁寧な様子を見せないと面倒だろうと、顔を俯けてからがち、がちと左右の歯を噛み合わせる。ふうっと頭を軽く振り、目を上げる。
「――話ぁ、終わりですか。戻っても?」
「良いわけないだろうが!午後の試合は棄権しろ!!」
「できぁせんね。…私は、今日を楽しみにしてたので。」
「知った事か。そもそも一番殿下に野良試合してもらってるのは貴様だろう!今日ぐらい自重しろと言ってるんだ!」
「それは、私が日々申し込んでるからでしょう。貴方がたも言やぁいい。アベル様は…」
「ッ下賤な者が星の名を呼ぶな!!」
一人殴りかかってきたが、デュークはかわして横をすり抜けながらその生徒の背を押した。つんのめって転んだ相手を振り返る事もなく、これで包囲は抜けたと歩き出す。
「お前がいた孤児院潰してやってもいいんだぞ!」
デュークが足を止めた。
一瞬で張りつめた空気に幾人かが狼狽え、ゆらりと振り返ったデュークは真っ直ぐに脅した張本人へ目を向ける。
「あんづっだ、まぇ。」
「おっと、随分反応が違うじゃないか。簡単な話だよ。お前が弁えて今後一切殿下達の邪魔をしなければいい。今日は棄権して二度と野良試合を挑まないこと、《剣術》は中級に、《格闘術》は《護身術》にでも移ってもらおうか」
「はあ?」
「星の周りにお前のような者はいらないんだよ!殿下達の為にならない!」
そうだそうだと喚く令息達が剣の柄に手をかけた。
数メートル離れた位置で向かい合うデュークもまた、怒気を滲ませ背負っていた長剣に手をかける。
「殿下ん為だぁ言いやあって、おめぁわしよ気いらねぇだえだらぁが。」
「何を言っているか知らんが、わかってるか?逃げたりこちらに手を出したら、孤児院がどうなるか。野盗か何かがたまたま入るかもしれないぞ。何なら自主退学して守りに戻ったらどうだ。」
「……。」
眉を顰め、デュークは舌打ちして柄を握る指を解きかけた。
見回せる範囲にいた生徒達はとうにいなくなり、先程転ばされた令息が苛立った様子で縄を手に進み出る。どこかに縛り付けておく気らしい。
――この場は逃げて、殿下に協力を願い出るしかねぇか。こいつらがどっかに指示にするより先に騎士を動かしてもらいたいが、それはできるのかどうか。今日ここにいる騎士は大会の警備のため。伝令に出してくださるかはわからない。せめて私が、こいつらの名前を知ってればよかったが……。
王家至上主義の過激派。
正直興味が無く、どれが誰だなどと覚えていなかった。
デュークは学ぶために学園へ来たのであって、貴族子息の顔と名前を覚えに来たのではない。普段なら全員しばいてから急いで人を呼ぶ事も考えられるが、今それをやればデュークは失格だ。どんな事情があったとしても、午後の試合には出られないだろう。
――どの道出られないなら、こいつらを捕える方がマシだ。
目的を定め、デュークは剣の柄を握り直した。油断なく相手を見据えながら抜いていく。
驚いた様子で怯む彼らを一人残らず気絶させてしまえば、野盗に指示などできないだろう。数人、相手が面倒そうなのもいるが…
「失礼。皆様少し、よろしいかしら?」
一触即発の中、場違いなほど穏やかな女子の声が飛ぶ。
全員が肩を揺らして辺りを見回し、コロシアムを見上げたデュークは目を丸くした。二階の高さにある大きな窓から、シャロン・アーチャー公爵令嬢がこちらへ微笑みかけている。
その横からダン・ラドフォードが身を乗り出して空中へ浮かび、窓枠に腰掛けたシャロンを抱きかかえると、危なげなくデューク達の傍に降り立った。
「こっ…これは、アーチャー公爵令嬢……」
令息達は明らかに「まずい相手に見つかった」という様子だ。
引きつった笑みを浮かべたり慌てて縄を後ろ手に隠し、バツの悪そうな顔で姿勢を正し、あるいは熱のこもった目で彼女に見惚れている。
ダンに地面へ下ろしてもらうと、シャロンは令息達を見回して一人に微笑んだ。
「ご機嫌よう、ニューランズ様。」
「…どうか、ジョエルとお呼びください。ご機嫌ようございます。あー…いかがされましたか、このような場所に…?」
デュークを脅してきた生徒は、ジョエル・ニューランズというらしい。
爽やかな笑みを張り付けた彼の言葉を黙殺し、シャロンは他の生徒達の名も呼んでひとまとめに挨拶を終えてから、ようやくデュークへと目を向けた。
スカートの制服姿と違い、パンツスタイルの白い騎士服を纏う彼女は可憐ながらも凛々しい立ち姿だ。
「こちらの彼一人と皆様で、向かい合っていたようだけれど…何かあったのですか?」
「え、えぇ。ご存知かと思いますが、日頃第二王子殿下のお手を煩わせている事について、少々話を聞いていたところです。」
「煩わせる。」
シャロンはゆるく瞬き、真意を問うように少しだけ首を傾げて聞き返した。
朗らかな声には剣呑とした雰囲気など一切ないが、「私はその認識ではない」という意味なのは明らかだ。ジョエルは緊張を隠し、胸を張って当然のように頷いてみせる。
「毎日のように野良試合を挑むなど前代未聞。殿下は寛大にも受けてくださっているようですが、実際のところはさぞご迷惑されているのではと考えた次第です。」
「そうでしたか、そのようなお考えで。」
「…はい。」
「ニューランズ様は、数日前に第一王子殿下とお話しされていましたね?もしかしてその時に何か、第二王子殿下の話もお聞きになったのかしら。」
ジョエルが目を見開いてひくりと唇をひきつらせた。
ウィルフレッドと「話した」と言えば普通だが、実際には「呼び出しを受けて注意された」のだ。
何か懸念があるなら、動く前にこちらの意向を確認するなどしてほしい…といった柔らかい口調ではあったものの、要は「勝手な真似をするな」だ。
返事を促すシャロンの視線に、ジョエルは言葉を返せなかった。
ウィルフレッド伝いに、アベルのデュークに関する面倒事など聞いているはずもない。
聞いたと嘘を吐いたところですぐバレる。聞いてないと正直に答えれば、では己の考えだけで先走ったのかと言われるだろう。
――負けを…失態を認めた方が良さそうだ。こいつを脅していたとまで知られる前に。
余計な事を言えばどうなるかわかるなと言外に圧をかけるべく、ジョエルはデュークを一瞥した。茶色の瞳はシャロンをじっと見ていて、まったくこちらを見ない。腹が立ってつい眉根を寄せた。
――分不相応にも見惚れてるのか?お前など本当は五公爵家を間近で見る事すら許されないんだぞ。汚らしい孤児風情が…
「それと先程、孤児院に野盗が入るかもと聞こえたのだけれど。」
シャロンの言葉に息を呑む。
ひゅっと音が鳴らなかったのは不幸中の幸いだった。ジョエルは冷や汗を流しながら心配そうな表情を作ってみせる。聞かれたくない場面を聞かれていた焦りで、彼は「返事ができなかったこと」「失態を自ら認める機会を失ったこと」には気付かなかった。
「ああ、それは……昨今は魔獣も出ますから。被害に遭った平民がさらに身を落とすなどして野盗が増え、彼がいた場所だって襲われる危険もあるかもしれない…そう話していました。なぁ?」
ジョエルに促されて取り巻き達が頷き、「そうです」と口々に言った。
シャロン・アーチャー公爵令嬢は柔らかく微笑んでいる。
「星々が守る大切な民を案じる、そのお心……流石は王家に忠義篤き、ニューランズ伯爵家のご子息です。私からも殿下にその懸念をお伝えしますね。」
どこまで聞かれたのか。
青ざめたジョエルはごくりと唾を飲み込み、掠れた声で「ありがとうございます」と返した。
断片的にしか聞いておらず、言葉通り「心配していた」と伝わるのか。
それとも全て聞いていて、「貴方が何を企んだか伝えておく」と言われているのか。
当然、どちらですかと聞くわけにはいかない。
そしてどちらにせよ、デュークがいた孤児院に何か起きた場合、王子殿下の間では真っ先に自分の名が挙がるだろう。
ジョエルはわざとらしく咳払いし、「それでは」と軽く礼をして取り巻きと共に急ぎ足で立ち去った。
一行の背中を見送ったデュークは、シャロンが自分に向き直ったのでびくっと肩を揺らして姿勢を正す。
その様子を見たシャロンはきょとんと瞬き、破顔した。
「待たせてしまったわね。」
「…ありがとう、ございました。姫様」
「お礼ならノーラ・コールリッジ様に。貴方達の事を報せてくれたの。…わかるかしら?丸眼鏡をかけていて…」
大体の特徴を聞き、見当のついたデュークは頷いた。
確かに最初ジョエル達が現れた時、そんな女子生徒も遠目にいたかもしれない。
「次んなったぁ…次に、会ったら。礼を言っておきます。」
「それがいいわ。午後の部までまだ少しあるけれど…貴方、お昼はきちんと食べられた?」
「さっきのが来る前に食い終わってたんで。」
「ならよかった。戻りましょうか?」
「はい。」
シャロンが歩き出し、つられて足を踏み出したデュークの後ろで、ダンが懐中時計を閉じた。
「孤児院の事だけれど、まず先程の彼…ニューランズ伯爵家の領地は、貴方の街からだいぶ遠いの。影響力は全く無いわ」
「……そうなんですか?」
「デュークは王都の北西…古書の街タクホルムのすぐ南にある、ガウリー子爵領の出身でしょう?ニューランズ伯爵領は、王都の東やや南より……ヘデラ王国、アクレイギア帝国との国境の方が近いくらいよ。」
「それは…遠いですね。」
思っていた以上に距離があると知り、デュークが肩の力を抜く。
孤児院のすぐ傍にジョエルの手下が潜んでいる、という事は無さそうだ。
「ウィルフレッド殿下によると、伯爵や長男は話のわかる方らしいの。先程の方は次男。単独ならできる事も少ないでしょうし、人をやって何かさせるだけの報酬を支払ってまで、貴方一人に賭ける利もない。殆どただの脅しだったと考えます。……それに彼、随分反応が違うじゃないか、と驚いていたでしょう?」
そこから既に聞いていたのかと、デュークが少し目を丸くしてシャロンを見つめる。
彼女は静かに視線を受け止め、ジョエルがデュークにとっての孤児院の重さをまだわかっていなかった証だと言った。既に人を手配している、という可能性は無いと見ていい。
「そもそも彼は、貴方が孤児院出身だとは知っていても。どこの領地の何という孤児院かまで知らなかったかもしれないわね。」
「……確かに、言及はされなかったです。」
「今後も自分からは言わない方がいいわ。調べたらわかる事ではあるけれど。それと、ガウリー子爵領のすぐ南は誰の領地かご存知?」
「いえ。そういうのはさっぱり。」
「ネルソン侯爵よ」
物凄く聞き覚えのある家名だ。
デュークが「まさか」と、常にしかめっ面をした医者の顔を思い浮かべていると、シャロンが当然のように続ける。
「ネルソン先生のお兄様で、私の伯父様にあたる方。そしてガウリー子爵は、ネルソン先生のご友人。」
「…は」
「だからもし不安になる事があれば、先生でも私でも相談してね。警備の依頼くらい、場合によっては騎士団を通すより早いわ」
「……姫様」
すぐには頭が追い付かずについ呼ぶと、澄んだ薄紫の瞳がデュークを映した。
安心してとばかり花のように微笑む彼女の――隣を歩く事が、ひどく畏れ多いと素直に思う。
デューク相手に全く怯えのない目を見つめ、ぼそりと呟いた。
「…わしんのな孤児ろ気んかけぇなら、変あった方ぇすね」
シャロンがぱちりと瞬く。
言い直すかしらと黙って窺う彼女の後ろで、何となく察したダンが「ふはっ」と笑った。
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