436.気になる評価
ウィルフレッド達が貴賓席を飛び出すと、ダンは近場の観客席をちらりと見回した。
飲み物や軽食を入れた箱を持つ売り子がいるのを確認し、立ち上がる。
「お嬢様、飲み物を買って参ります。」
「えぇ、わかったわ。」
フィールドへ着地した三人を見送っていたシャロンは、唐突なダンの言葉に少し驚きつつも頷いた。ダンは「ゆっくり戻ります」とわざとらしく微笑んでから去っていく。
歓声に応えて手を振るウィルフレッドへと視線を戻し、シャロンはふと、貴賓席のボックス内には今自分ともう一人しかいないという事実に気が付いた。
遠くでバージルらしき小さな影がフィールドへ飛び降りる。シャロンは小さく口を開いた。
「……アベル、話しかけてもいい?」
「何だ。」
互いに一人掛けの椅子に座り、間にはウィルフレッドの席を挟んでいる。
他の観客席では、ダンがいない状況に気付いた幾人かが、二人の様子を窺うようにこちらを眺めていた。シャロンは緊張を押さえようと膝の上で手を握る。
「その…貴方の目から見て、私の試合はどうでしたか。」
当然、全力は出した。反省点はあるが決して手を抜いたつもりはない。
それでも、無様ではなかったか、期待外れではなかったか、不安に思う心があった。アベルはフィールドを歩くウィルフレッドを見ながら、一度だけ椅子の肘掛けを指で叩く。
「…ネイト相手によくもたせたと思う。水を発動した時は何か、違う事を言うなりして気を逸らしたのかな。」
「えぇ、風よ意のままにと。嘘をついてみたわ。」
「ならやはり発動遅延だったか。仕掛けは悪くなかった」
宣言を唱えた瞬間に魔法を使うのではなく、すぐ発動できる状態を保持していた。シャロンがダンと共にレナルド・ベインズの試験を受けた時にも使った手だ。
悪くなかったと言われ、シャロンは少しだけ肩の力を抜く。
エンジェルが試合開始を告げた。
「途中で防戦一方にならず、仕掛けた場所へ早めに誘導できるレベルならもっと良かった。」
「そうよね…」
発動を遅延させている間ずっと、シャロンは集中力をそちらにも取られている状態だ。遅延時間は短い方が精神、体力ともに消費は少ない。
ただ、今のシャロンの戦闘力でネイトを自在に誘導できるかと言えば否だ。アベルもそれをわかった上で言っている。
「加えて、罠にかかった瞬間すぐ上を取ろうとするのではなく、相手の視界が怪しい内に一、二本ナイフを投げてから跳べば、文句無しだった。向こうは余計に混乱するし、その段階で手傷を負わせられる可能性もある。」
「あの瞬間に使うという考えは咄嗟に出てこなかったわ。…言われてみればその通りね。」
「実戦ではなく試合だった事を踏まえれば、君の性格上あまり出ない策だと思う。ナイフを扱える事はあまり周知されない方が警備上は良いし、気を落とす必要はない。」
声色に優しさが滲んだ気がして、シャロンはフィールドへ固定していたはずの視線をつい、アベルへと向けた。シャロンの動きに気付いた彼もまた、金色の瞳をこちらへ向ける。
よほど不安げに見えたのか、アベルは安心させるように薄く微笑んだ。
「お前はよくやった。充分だ」
「っ…ありがとう、アベル。」
胸の奥から溢れる想いのままに、シャロンは喜色に満ちた柔らかい微笑みを返す。観客席からざわめきが聞こえ、小さく頷き返したアベルは試合へ意識を戻した。
シャロンもそれに倣って、ざわめきの元となったのはどちらの試合だろうかと視線を走らせる。アベルの言葉が嬉しくて、シャロンの口元は緩んだままだ。
「強くなるのは良いが、油断も無茶もするな。ウィルが心配する」
「はい。もちろん――…我ら五公爵家、貴き星の一族に忠義を誓いし者なれば。輝かしき金色の星より賜ったお言葉、従わぬ理由がどこにございましょう。」
「…かつて夜を照らした月の女神すら、その身に赤を散らす事があったという。麗人は常にその身を案じられるものだ、ヨルトの姫君。」
「ふふっ」
芝居がかった言葉に芝居で返され、シャロンが楽しそうに声を漏らす。ヨルトはアーチャー公爵領の街の名だ。確かに、領民にとって彼女は姫に等しい。
ノリを合わせたくせに、アベルはやや不服そうに片眉を上げた。
「ちゃんと見てるのか。誰の試合だと思ってる」
「見てるわ。サディアスはだいぶ歯痒そうにしているわね」
浅葱色の髪の小柄な少年、バージルを相手に苦戦しているようだ。
サディアスにとっては二つ年下にあたるが、何事も柔軟に対応していくバージルは生来の戦闘センスが良いのだろう。真面目に型から覚えるタイプのサディアスからすれば、戦略の自由度が高い彼は苦手な部類だ。
「攻撃魔法が使えれば、すぐにサディアスの勝ちなのでしょうけれど。」
「そうだが、そっちの試合じゃない。」
「チェスターの魔法は綺麗だわ。それにウィルはとても楽しそう。」
南エリアでは、チェスターが発動したのだろう氷の壁がウィルフレッドを囲んでいる。
壁の隙間からしか見えないが、ウィルフレッドは真剣に周囲を観察していて、苛立ったり途方に暮れる様子はない。笑顔を浮かべていなくとも、シャロンには彼が試合を楽しんでいる事が充分に伝わってきた。
壁の外側では、マントを置き去りにしたチェスターが別の壁の後ろへ潜んでいる。
観客席から丸見えでも、壁の内側にいるウィルフレッドは気付いていない。チェスターは上手くマントを使って陽動を決めたものの、揉み合いの最中に突如として氷の壁が一つ砕け散った。それがちょうどチェスターの背後だったため、彼は咄嗟に振り返って大きな隙となる。すぐウィルフレッドに拘束されてしまった。
目を丸くしたシャロンは自然な動きで扇子で広げ、口元を隠す。気を抜くとポカンと開けてしまいそうだ。
「……アベル、今のは?ウィルがやったのよね。火ではないし、風の刃にしては割れ方がおかしい気がしたのだけど。」
「チェスターが短剣で迫った時、ウィルが片足を振り上げたのは見えたか?」
「えぇ。」
「靴に何か仕込んでたんだろう。鉄棒か投げナイフか知らないが、それを飛ばし…背後の氷を割る事で、チェスターが振り向くよう仕掛けたんだ。」
「まぁ…」
自身が追い詰められた瞬間に、そんな冷静な判断を下して適切な行動を取れるだろうか。
感心したように息を吐き、シャロンは挨拶のために向かい合う二人を見下ろした。エンジェルがウィルフレッドの勝利を告げる。
ほぼ同時にもう一試合の決着もついたようだ。
サディアスは魔法の巧みさで上手く背後を取ったが、急所への寸止めに至るのはバージルの方が早かったらしい。
《北エリア勝者、バージル・ピュー!》
ほうとため息をついて、シャロンは静かに扇子を閉じて膝へ置いた。
衣擦れの音に横を見やれば、アベルが立ち上がっている。次は彼の試合なのだ。さっさと歩き出す後ろ姿につい名前を呼ぶと、アベルは足を止めてシャロンを見やった。
花がほころび咲き誇るように、彼女は柔らかく微笑んでいる。
「応援しているわ。頑張って」
「…あぁ。」
眉一つ動かさずに素っ気なく返し、背を向けたアベルは急ぐでもなく歩き出した。
《次は南エリア、ダリア・スペンサー対デューク・アルドリッジ。
北エリア、アベル・クラーク・レヴァイン対ネイト・エンジェル。速やかに入れ替わってくださいね~!(*^-^)/》
最前列まで歩いたアベルがフィールドへ飛び降り、見計らったかのようなタイミングで貴賓席にダンが戻って来る。
フィールドを挟んだ向こうでは楽隊が必死に突如気絶したロズリーヌを揺すっていたが、シャロンは知らなかった。ラウルが串焼き肉を扇いで香りを飛ばしている。
「…って、誰が肉の香りで目覚める美女ですかッ!」
「おはようございます。殿下の演奏パートまで五分ありますが、食べますか?」
「頂きますが、貴方!もうちょっとわたくしに相応しい起こし方を!ねぇ!……あら、飲み物は冷えた果実水?へぇ…悪くない組み合わせですわね……もぐもぐ…」
フィールドの土を踏みしめ、南エリアへ向かう二人は剣呑とした雰囲気で視線をかわす。
「初戦がデュークとはねー。きみとやるの、疲れるから嫌なんだけどなぁ。」
嘲るようにニンマリと顔を歪め、ダリア・スペンサーは目を細めた。
青みがかったグレーの髪は前髪を真っすぐ切り揃え、後ろ髪は肩につく程度まで伸ばしている。四角い眼鏡に青い瞳、仮にも伯爵令嬢でありながら、両耳には幾つもピアスをつけていた。
騎士服は深い青地、右太腿にはナイフケースを巻き付け、白いシャツはボタンを一つ外し、上着は襟や裾に黒の縁取りがされている。洒落っ気のない黒の軍用靴の足取りは軽く、首にかけただけの白い襟巻は裾が膝下で揺れているほど長かった。却って邪魔になりそうな代物だ。
「ハッ……おめんくだぁえい喋りにゃ付き合ん気ぁねや」
デューク・アルドリッジが吐き捨てるように言う。
不揃いに切られた肩につかない長さの茶髪、迫力のある三白眼に小さな茶色の瞳。背丈は百七十センチあり、身体は運動着の上からでもわかるほど鍛え上げられている。
「んひひ、こんな時ぐらいきちんと喋ったらどうなんだよ。器が知れるね?」
「わしんつわならおめんやわがらねぇだら」
「ああぼくって可哀想。言葉も通じない獣が相手なんて。」
「だぁって喰わえてろ」
「おいおい、男が女の子に対して食うなんて言葉使うなよ。お姫様に嫌われてもいいの?」
「はあ?獣っつったなそっちだら」
試合前から大変に空気が悪かった。
そんな二人はさておき、観客のほとんどは北エリアに注目している。
少し癖のある黒の短髪、全て見通すような金色の瞳。
彫像のごとく完璧に整えられた美貌は、あまりの完成度と目つきの鋭さで冷徹な印象を受ける。兄と違って微笑む事も観客に応える事もなく、第二王子アベルはただ既定の位置で立ち止まった。
「きゃあいらしたわ!ねぇ、ねぇ!本当に第二王子殿下の戦いが見られるのね!」
「ヌオオオオオッ!!殿下ぁあああーっ!」
「ああこっちを見向きもしてくださらない。それでこそアベル殿下ですわ」
「僕達を壊滅し惚れさせたあの剣技を今一度!いや何度でも!!」
「はぁ…まるで最強のように褒め称えられるあのお方が、魔法に敗れて無様に膝をつく所を見てみたい……。」
ウィルフレッドの時と比べ、やや令嬢達の声が小さく男子達の声が大きい。
スパイスの効いた肉をかじりながら、ロズリーヌはわけ知り顔で頷いた。これはファンサービスのあるなしが大きく影響しているのだ。
アベルの騎士服は襟飾りのついたシャツに金色のネクタイを締め、前を開けた黒地の上着の飾り紐やボタンも金色だ。内側に着たベストとズボンは白く、黒いブーツは金の縁取りがされていた。ウィルフレッドと白黒を真逆にしたような配色だ。
黒いマントは裾に金糸の刺繍が施され、左側だけ肩の後ろへ流している。鞘から抜いた剣の鍔には当然、王家にのみ許された星の意匠があった。
対するネイトは先程と同じ運動着姿。
白茶色の髪は後ろでぐるりとねじってバレッタで留めただけ。威風堂々たる第二王子殿下と向かい合い、恭しく騎士の礼をする。
「殿下、どうぞお手柔らかに。わたしはまだ死にたくないので。」
「ネイト」
「はい?」
緊張とじわじわ湧き上がる恐怖を押さえ、ネイトは笑みを張り付けて聞き返す。
真顔だったアベルが目を細めて口角を上げた。王子でありながらなんと悪く、そして美しい笑顔なのだろうか。観客席から信者達の歓喜の悲鳴が聞こえてくる。
「全力で来なよ。ウィルに仕えたいんでしょ」
つまらない試合をするなら僕は認めない、そんな意思が見えた。
主君を守るべく敵に対峙したとして、敵わぬ相手で結末が敗北なら手を抜いて良いのか?それは当然、否である。一分一秒一瞬の時間稼ぎを、諦めなかった最後に見えるかもしれない勝機を、手放してはならないのだ。
ここでアベルを恐れて「ほどほどで負ける」ような弱者は、要らない。
「……善処します。」
鞘から抜いた剣を自分の肩に軽く乗せ、ネイトはわかりやすく苦笑した。
ダンが買ってきた紅茶を飲むシャロンのもとに、ツカツカと忙しない足音が近付いてくる。
振り返ると、焦った様子のウィルフレッドが表情と動作だけは爽やかに戻って来た。
「シャロン!ただいま、アベルの試合は、試合はこれからかな!?」
「お帰りなさい、ウィル。大丈夫、まだこれからよ。」
「よかった……」
王子として、フィールドから魔法で直接貴賓席へ飛ぶわけにも、全力ダッシュで去るわけにもいかなかった。試合を終えたウィルフレッドはあくまでも優雅に退場し、通路に入ってからチェスターとサディアスを置き去りにして走ってきた。
それはそれで困っただろう二人分の足音が追いかけてくる。
《皆さん位置につきましたね?――では構えて、挨拶!(>v<*)》
「「よろしくお願いします!」」




