434.勝者と敗者
西エリア――チェスター・オークス対ダン・ラドフォード。
「おらぁ!」
「う、っぐ!」
突風で勢いづいて迫ったダンの蹴りを辛うじて避け、チェスターは風の余波でバランスを崩しつつも受け身を取った。
一度観る側に回った事で「試合中の声は割と客に届かない」と学び、ダンは口調を抑える事なく自在に魔法を使っている。足で平然とスライディング着地して方向転換するダンを迎え撃つべく、チェスターも急いで剣を構え直した。
――ほんっと厄介だな、あの威力!
ダンは風の魔法しか使えない代わり、その激しさは暴風レベルだ。
他者や物質に対してはコントロールが苦手なようだが、自身への追い風なら彼の実力は騎士団でも通用する域に達している。
「剣だけなら俺の勝ちなんだけどな~!」
「だァからそれ以外の勝負だ!!行くぞ!!」
初手の挨拶から既に、ダンは剣を鞘に納めたままだった。
デイジーとの終わりの挨拶でしたように拳を構え、それは《武器登録》されたガントレットであるために礼を欠いているとは言えない。剣を登録せず槍やメイスを構える生徒もいるのだ。
おまけにこの試合の審判はホワイト。そんな些細な事でいちいちやり直させたりはしない。
「ぶっ飛べ!!」
「うわっ、と!」
突っ込んできたダンの拳を剣で辛うじて流しつつ、チェスターは身体を捻って冷静に切りつけようとする。しかしダンはただ直進するのではなく、既にブレーキのための足を踏み出しており体勢を低くして片手を地面についた。チェスターの剣が空中を薙ぐ。
「らぁ!!」
片手を支えにしてダンが蹴り上げた。
必死にのけ反ったチェスターの頬を掠り、観客席から令嬢の悲鳴が上がる。ダンは勢いそのままに大きく回転して立ち上がり、飛び退ったチェスターは即座に爪先をダンに向けて地面を蹴った。
チェスターが攻勢に出ると見てダンが剣を抜く。
――剣で受ける気なんだ?けどそしたら連撃で隙を突…ッ!?
振りかぶった構えを見てチェスターが瞠目した。
距離はあと数メートル。
ダンが剣を投げた。
「うっっそでしょ!?」
風の魔法が乗っていないだけマシだが、当たれば刺さるのは間違いない。
弾くための見極めも動作も間に合わないと判断して、チェスターは全力で回避を選んだ。重心が片側に寄り、無理な体勢になったところへ下からダンの拳が入る。
「っがは!」
咄嗟にガードしようとしたが間に合わない。加速した拳に突き上げられてチェスターの身体が宙へ浮いた。反射的に目を瞑りかけて堪えたが、歪んだ視界の中でダンは地面を蹴って追ってこようとしている。
ヒュッと息を吸いながら、チェスターはつい、笑った。
――やるじゃん、ダン君!
「宣言、水よ俺を押し流してくれ!」
空中に現れた水流がチェスターを横へ押し出し、直後にダンの拳が水を叩き割る。
避ける時、チェスターは敢えて距離を取らなかった。
拳を振り抜いた姿勢のダンの真横で、チェスターはくるりと回転しながら膝を曲げる。
「もう一度だ!」
噴き出す水を足場にして空中ジャンプを果たし、チェスターの刃は咄嗟に突き出されたガントレットの甲を掠って上腕を切り裂いた。
勢いそのままにダンの身体を跳び越え、チェスターは油断なく振り返りながら着地する。もっと高度があれば落ちるまでにダンも体勢を立て直しただろうが、今回は地面までそれほど距離が無かった。
辛うじて受け身を取れただけのダンが顔を上げた時には、既に切っ先が突きつけられている。
真剣な表情をした二人の視線がばちりと交差し、同時にニヤリと笑った。
「はーい、俺の勝ち☆」
「ハッ、危なかったくせに。」
「いや本当にね!?殺す気かと思いましたけど、な~んて。」
チェスターが剣を引き、ダンが立ち上がる。
黙って見ていたホワイトを振り返り、ダンは「俺の負けです」と手を挙げた。
「お前なら何とかすんだろと思ったんだよ。」
「何とかしたけどさぁ!見てこれ、ギリギリで避けたから上着が…」
気安く話しながら距離を取り、ダンは自分の剣を拾って向かい合う。
互いに剣先を天に向け、胸の前に構えた。
「「ありがとうございました!」」
《西エリア勝者、チェスター・オークス!》
歓声を遠くに聞きながら、剣を鞘に納めた二人はわかりやすく握手を交わす。
令嬢達に向けて大きく手を振るチェスターと並んで、ダンは階段へと歩き出した。
南エリア――レオ・モーリス対サディアス・ニクソン。
「フー……。」
剣を構え琥珀色の瞳で相手を見据えたまま、レオは呼吸を整えようと静かに息を吐く。
短い焦げ茶の髪、額には鉢がねのようにバンダナを巻きつけ、それでも押さえられなかった汗がじわりとこめかみから頬へと流れ落ちた。
普段の騒々しさはどこへやら、今はただ目の前の試合に集中している。
奇しくも、試合開始時とまったく同じ間合い。
そこに気付いたサディアスは、まるで試合そのものがリセットされたように感じられて表情を険しくした。
短く整えられた紺色の髪、黒縁眼鏡の奥には冷ややかな水色の瞳がある。いつも怜悧な印象のある彼も、幾度か剣を交えた後とあって少しだけ息が上がっていた。
サディアスの上着は鮮やかな青を差し色にした濃紺の詰襟だが、ボタンが二つ並びに配置された中心部分と袖の折り返しは白地になっている。上と合わせた濃紺のズボンに白の編み上げブーツを履き、マントは貴賓席へ置いてきた。平民相手の二回戦にそこまで格式張る必要はない。
――厄介な。
剣を構えたまま、サディアスは心の中で毒づく。
これまでも《剣術》中級クラス同士、レオとぶつかる事があった。だから知っている。彼の面倒なところはそのタフさだ。
体力があり、精神的な活力もあり、上位の気迫に飲まれず、泥に塗れようと不格好だろうと諦めずに挑戦し続ける、そんな姿勢だ。
以前は少しペースを崩されると焦りやすい傾向にあったが、入学当初に比べれば今ではずっと冷静に戦えるようになっている。
「まだ降参しませんか。」
「しねぇです!!」
取ってつけたような敬語で叫び、レオは気合を入れるように強く短い息を吐き出して踏み込んだ。
普段からあまり丁寧に扱っていないだろう運動着は既にあちこちが裂け、汚れがつき、手のひらには地面で擦った傷があった。
身体は痛むはずだ。
サディアスの剣の刃には血がついている。フィールドの土は点々と赤を吸っている。
――…カレンは、今の貴方を見て冷や冷やしているでしょうね。
そんなセリフを口には出さず、襲い掛かってきた刃を受け止めた。
どこにそんな余力を残していたのかと聞きたい程に力強い。時に連続して、時に一瞬の間をおいて剣戟の音が響いた。
ガキン!
幾度か刃を交え、サディアスがレオの勢いと自身の体重を利用して剣を押さえつけにかかる。純粋な力ではなく速さと技巧で上回る、彼らしい手だった。
グンと重くなった剣の先が地面に付くだろうこと、両手で柄を握ったままでは自身も引っ張られ、今以上に体勢が崩れるだろうことをレオは自覚する。
咄嗟に片手を離し、下へ下へと押し付けられる剣もそのままにレオはサディアスを見た。掴みかかるか、否、ひとまず突き飛ばして剣を解放すべきだろうと考える。
しかし、目が合った。
サディアスは自分も片手持ちに変え、レオが伸ばした腕を受け流して衣服を掴む。《体術》のやり方だ。シャロンと何度も試合をしてきたレオは、この後に足払いが来ると知っている。そこまでいくと抵抗が無意味という事も。
考えるより先に身体が動いた。
「んッ――おりゃあ!」
自分の腕を掴んでいるサディアスの腕を掴み返し、足払いを避けると同時にジャンプして身体を捻る。
サディアスを越えての背後への着地を試みようとしたが、サディアスは支点にされている自身の腕を引いてレオの身体に肘を突き込んだ。
苦悶の声が漏れてなお、レオは剣を手離さない。
それでも、一秒の後には地面へ仰向けに打ち付けられていた。
「いでっ!げほっけほ…」
背中から落ち、反射的に目を閉じたレオが咳をしながら目を開ける。
手放さなかった剣の刀身は地面に踏みつけられ、首筋にピタリとサディアスの剣が触れていた。荒い呼吸に合わせて刃が食いこむ。
水色の瞳がじっとこちらを見下ろしていた。
「降参を。」
「…っかー!駄目だったかぁ。先生、負けました!」
悔しそうに顔を顰め、レオは押さえられたまま空いている方の手を審判に向けて振る。グレンはにこやかに手を振り返し、エンジェルへ合図した。
サディアスが立ち上がり、汗で少しずれてしまった眼鏡を直す。
レオは「よっ」と勢いづけて起き上がり、晴れやかな笑顔で定位置へと歩いた。
向かい合った二人は剣を胸の前に構える。
勝者は眉を顰め、敗者は笑って。
「ありがとうございました。」
「ありがとうございました!」
《南エリア勝者、サディアス・ニクソン!》
剣を鞘に納めて、二人は入場にも使った通路へと歩き出す。
汚れた運動着の土をはたきもしないレオを見やり、サディアスはまた少し眉間の皺を深めた。
「土くらい落としたらどうです。」
「えっ?あー確かに!」
「それと、早く観戦したいのでしょうが救護席にはきちんと寄ること。」
バタバタと手で尻をはたいていたレオが目を丸くする。
どうしてそのまま自分の席に戻ろうとしていた事がバレたのか、と顔に書いてあるかのようだ。サディアスはため息を吐いた。
「放置して化膿すれば、ネルソン先生に余計怒られますよ。カレンも貴方がそのままでは放っておかないでしょう。」
「うっ」
「横からずっと言われて渋々行くぐらいなら、先に行っておけば良い。わかりましたか。」
「はい……。」
やや肩を落としたレオが少しだけ歩く速度を上げる。
行きたくはないが、どうせ行くなら早く終えて早く観戦に回りたいのだろう。行きたくないけれど。
――まったく。
心の中で再度ため息を吐いたサディアスは、何の気なしにちらりと観客席を見回した。
するとちょうど、ボックス席の一つによく知った姿を見つける。
色素の薄い水色の髪。
フェリシア・ラファティ侯爵令嬢は微笑みを浮かべ、隣に座る男子生徒と語り合っているようだった。そちらも覚えがある。あの常盤色は彼女の婚約者であるセドリック・ロウルだ。
――上手くいっているのか。……よかったですね、フェリシア。
以前見かけた時は不安そうにしていたので、サディアスは妹を見守るような気持ちで目を細める。目を離す寸前に彼女がこちらを見たような気もしたけれど、特に気にする事なく通路へ入った。
「どうしたの、フェリシア。気分でも悪い?」
「…いえ。大丈夫です、セドリック様。少しぼうっとしてしまって。」
「そう?一応飲み物を買っておこうか」
「ありがとうございます。」
「いいよ、俺も喉が渇いたんだ。」
朗らかに笑いかけ、セドリックは近くを通る売り子に手で合図する。
メニューを受け取ってフェリシアに見せながら、目はちらりと先程彼女が見ていた方向を確かめた。
自分達が座っている観客席から幾分離れた最前列。
伝統ある伯爵家の後継であるくせに、ボックス席を使わず自由席に腰掛ける黒髪の男。周囲は普段から仲の良い男子生徒が囲み、本当は近付きたいのだろう、遠巻きに令嬢達の壁ができている。
「わたくし、アールグレイを頂きますね。」
「俺も同じ物を。…フェリシア、少しでも肌寒かったら言ってね?俺の上着を貸すから。」
「ありがとうございます、セドリック様。今は大丈夫ですが、もしかしたら後でお借りするかもしれません。」
「うん、遠慮なく言って。――俺達は、婚約者なのだから。」
フェリシアの白く美しい手を握り、セドリックは優しく微笑んだ。




