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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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429.システーツェの祝福

 



 ツイーディア王国初代騎士団長、グレゴリー・ニクソンの名が黒板に書かれている。


 教科書に載った彼の略歴を読み上げながら、《神話学》教師フランシス・グレンは時折、菫色の瞳で教室を見回した。

 今授業を受けている一年生にとっては二十歳ほど年上だが、神父服を着た彼が薄く微笑んで穏やかに語る姿に、幾人かの女子生徒はうっとりしている。

 グレンが黒板を振り返ればブロンドベージュの長髪がさらりと揺れ、両耳についた金のピアスが明かりを反射して光った。


「今日は最後に一つ、教科書に載っていない話をしましょう。」


 静かな教室でカツカツと、黒板に文字を綴る音が響く。

 逸話のタイトルは殆どの生徒が見覚えのないもので、眠たそうに眺める者もいれば、少し前のめりになってペンを握り直す者もいた。

 ウィルフレッドとアベル、シャロンやサディアスは元から知っているのか反応が薄く、チェスターは「聞いた事はある」とばかりこめかみに指先をあてた。


 《システーツェの祝福》。


「これはグレゴリー様に救われた者が残した回顧録を、何代か後の子孫が学者に譲り、清書されて伝わったものです。ここでは簡単な紹介に留めますから、興味のある方は図書室で『天に選ばれし者』シリーズや、『グレゴリー・ニクソンと女神達』、『広漠たる陽光』あたりを借りてみてください。」


 生徒達がメモを取り、グレンは閉じた教科書の上に手を置く。

 回顧録の原本は保存状態が悪く発見当初から欠落があったため、当時の学者達が文章を整えた。原文そのままの資料は存在しない。


「これは建国以前の話です。グレゴリー様や太陽の女神が訪れた()()()街、それがシステーツェ。場所は現在で言うところの――」


 視線を投げた先、シャロンと目を合わせたグレンはにこりと微笑んだ。


「アーチャー公爵領。山麓の街ヨルトの南西にある墓所がそれです」

 数人の生徒がちらちらと彼女を見る。

 シャロンは淑女の微笑みを浮かべ、グレンの瞳にこもった圧に気付かないフリをした。「資料にない口伝とか何か知っていたら是非教えてくださいね。ええ、ぜひ」という早口の幻聴が聞こえそうだ。


「一行が着いたのは戦火の直後。太陽の女神は怪我人の治癒を、グレゴリー様達は生存者の救出を行い、死者の墓も作られました。作業は夜通し続いたと言います」

 後に回顧録を残した者は、当時はまだ少年の齢だった。

 助けてくれた男は先に発って戦地へ行くと言い、癒してくれた女は後から追うため、街の生存者と共に彼を見送る。

 グレゴリーの剣を借り、太陽の女神はその鍔に口付けを落としてこう言った。


『誇り高く勇猛なる騎士よ、システーツェの祝福を貴方に。先を阻む憂いを退けかの地へと導かれますよう』


 女神の台詞を口にしながら、グレンは教壇に立てかけていた金属杖を手に取る。

 まるでそれが剣であるかのように片手で持ち、続きを語った。


「剣を受け取ったグレゴリー様は、『女神の祈りに感謝を。この剣は万難を退け大地に平和を捧げる為にある』、そう言って高く掲げました。」


 少し芝居がかった動きで杖が掲げられる。

 生徒達が目で追った先端をグレンもまた見つめ、興奮を抑えきれないように僅か、早口で続きを口にした。


「すると空を覆っていた雲が真っ二つに割れ、青空が広がった!周囲の焦げ臭さや、未来の不安すら押しのけるような風であった…と。」

 ゆっくりと杖を下ろし、グレンは語りながら反対の手を軽く広げる。

 地面から雲海までどれほど距離があるか、それは今も昔も変わらないだろう。それだけ遠くで魔法を発動させるのは至難の業、否、不可能と言ってもいい。

 まさに、《女神の仲間》に相応しい英雄の逸話である。


「グレゴリー様は《炎の絵描き》とも呼ばれた方ですが、強力な風の魔法すら使いこなしていた事がわかりますね。現代でも、ニクソン公爵家の魔法の才覚は皆さんご存知の通りです。」

 生徒達の視線が今度はサディアスへと向かう。

 彼は一切を無視し、眼鏡の奥にある水色の瞳はただ、黒板に書かれた初代の名を見つめていた。


 サディアスは父と同じ「紺色の髪と水色の瞳」を持つよう、できるだけ色合いが近く、魔力が多く、スキル持ちである女を娶って生まれた子供だ。

 ジョシュア・ニクソン公爵が色にこだわった理由は知られていないため、皆憶測で「自分の子という確証がほしい」とか、「仕事人間がもう一人の自分を欲しがったのだ」とか、好き勝手に囁かれている。

 サディアス本人はとうに教えられて知っていた。


 初代、グレゴリー・ニクソンは紺色の髪と水色の瞳をしていたのだ。


「剣を預けた事で、グレゴリー様と太陽の女神の間に強い信頼関係があったことも窺えます。さて…剣の鍔に口付けを落として差し出す、この流れについては皆さん覚えておいた方が良いでしょうね。」


 グレンの一言で多くの生徒が慌てて筆記具を手に取り、小さな物音が重なって響く。

 《神話学》の前期試験において、教科書に無い授業中の雑談が幾つも出題された事は、皆の記憶にまだ新しかった。


 ダンがノートへ走り書きするのを横目に、シャロンもまた《システーツェの祝福》とメモを取る。

 教科書に載らないくらいの知名度でも、アーチャー公爵領の逸話として家庭教師は教えてくれたし、毎年滞在していた街ヨルトの屋敷の使用人とも話したことがある。

 父母と共に、その墓所へ花を手向けに行った事も。


「太陽の女神の言葉はどうやら、当時存在した定型表現をもじったらしいとは言われているのですが……残念ながら、元がどのようなものかは今なおわかっていません。」

 細い眉を下げ、グレンは悲しげにため息を吐いた。

 憂う表情に見とれる生徒もいるが、彼の暴走――というより爆走――トークを聞いた事があるシャロンとしては、油の投下を待つ火花のようにも見える。


「女神が《システーツェの祝福》という言葉を使った事については、生き残った街の者からの感謝や、現地に留まる自分達の祈りの両方を込めたものだから…という解釈が一般的ですね。」


 現代においても、「月の女神様のご加護がありますように」、「太陽の女神様の祝福を」などは勿論のこと、街の名に言い換えるのもそう珍しくはない。

 街全体で歓迎する、街の皆が無事を祈っている、などの意味で広く使われている。

 シャロンはグレンの話を聞きながら、ゲームシナリオの自分は()()()何か言ったのだろうかと考えた。


 まだ喋ろうとしたらしいグレンは、ちょうど鳴り響いた授業終わりの鐘にぱちりと瞬いて口を閉じる。

 教科書を聖典のように片手で抱え、反対には金属杖を持って微笑んだ。


「来週は剣闘大会…魔法、武器、身体、すべてを使える数少ない機会です。怪我をしても当然ですから、出る人は体調管理に気を付けて万全の状態で挑んでくださいね。」

 全員を見回すフリをしながら、グレンはアベルを見る。

 魔法が使えない代わり、女神に愛されたと言われるほど優れた身体能力を持つ、第二王子。


「――皆さんに、月の女神様の祝福を。」





 ◇





「め、女神様、どうか我らにご加護を……ッ!」


 誰かが縋るように呟いた。

 血と、肉と、脂と、獣と、死の臭いだ。


 全てが混ざり合ったような悍ましい悪臭。

 数人の男が鼻を押さえ、口で呼吸しながら階段を降りていく。反対の手にはそれぞれ剣や盾を握り、光の魔法を自分達の周囲に浮かべ、時折火の消えた燭台に明かりを灯しながら、地下へ地下へと進んでいく。


 薄暗い階段は大人が四人並べるほどの幅があった。

 ところどころ、血だけではない液体や吐瀉物のようなもので汚れている。誰かの靴がパキリとガラス片を踏んだ。聞こえてくるのは自分達の足音、衣擦れ、押し殺した吐息のみ。


 やっと地下実験場に辿り着いて光の魔法の範囲を広げると、破壊された檻や食い散らかされたファイアウルフの死骸、研究員達の死体が転がっていた。地上へ出る扉も壊れていた事を考えれば、状況は最悪だ。

 一人が後ずさって階段に尻餅をつき、一人が口を押さえて背を丸め、一人が顔をそむけ、一人は先頭にいた男の肩を掴む。


「だだ、だから言ったんだ!て、帝国の《キメラの血》を使うなど、何が起こるかわからないと――」

「素晴らしい!」

 手を振り払って一歩、また一歩と部屋の奥へ足を踏み出し、五十歳は越えているだろうその男は喜びを示すように両腕を広げた。

 彼だけは顔に笑みを浮かべ、彼だけはこの状況を歓迎している。

 深くかぶっていたフードがぱさりと脱げた。


 広い額にじわりと興奮の汗をかき、ダークグレーの短髪をぐしゃりと掻き混ぜる。光の魔法が眼鏡に反射して、男の眼球に狂喜の彩りを添えていた。


「息絶えているが、こいつも変異種か…フフフ、明らかな異常だが、魔石が馴染んだと考えれば良い進化と言えよう」

 男が歩み寄った先には幾つか、これまでと様子の違う魔獣の死骸が落ちている。

 毛皮は黒くギトギトした脂に塗れ、通常は体内にある魔石が体表にボコリと露出し、砕けている。それもルビーのように赤かった。


「魔石そのものも変容させるとは…色は一定か?他の個体は…」

「言ってる場合か!何体が脱走したのか突き止め、早く全て捕獲を!」

「全て?なぜだ。私の作品は広がり、染みつき、ツイーディアを浸食していく。それで良いではないか」

「目的と手段を履き違えるな!ワイマン、魔獣は騎士団の戦力を分散させるために研究を許したんだ。こんな惨状を起こすほどの力はいらない!」

「…許すだと?何様のつもりだ、そちらこそ勘違いするな!!」

 怒声を響かせ、振り返った勢いそのままにワイマンは男達へ指先を突き付ける。

 怯えた表情の彼らを見てニタリと口角を上げ、蛇が肩を這うような声で「自己満足はお互い様だろう」と言った。


「な、何を…」

「お前達は全ての責任を女神に擦りつけ、気持ちよく罪を犯したかっただけ。私は金と研究所が欲しかった。同じだろうが、《全ては女神様のために》!」


 信仰心を煽って妄信に導く事は容易い。

 財ある者は金を、ない者は身体を。女神様を支えるため、夜教には金が要り、女神様に捧げる愛は人と人の触れ合いで育まれる。そう言って《薬》を使えば信者は喜んで全てを差し出し、夜教に歯向かう者は女神様の怒りを買うのだと脅しをかけ、少しずつ身の程を教えれば相手は泣き叫んで縋ってきた。

 そうしてまた、金が手に入る。


 女神様の薬だと話せば信者達は恍惚の目で見つめたが、実際は《ハート》とも呼ばれるただの違法薬だ。

 ワイマンは三十年近く夜教と関わっており、上層部や一部の信者が《影の女神様》には到底言えない所業を重ねている事も知っていた。どうせならと参加した事も一度や二度ではない。彼らが女神への信仰と愛を説きながら法を犯し、贅沢に溺れ享楽に耽る姿はひどく滑稽だった。

 黙り込んだ男達を放置し、ワイマンは変異種の死体に向けて膝をつく。


破滅を司(グレイウルフ)りし(・オブ・)灰狼(ルイン)はキメラの血を受け、更なる力を得たのだ。生まれ変わったお前達に名を授けよう」


 ――広くツイーディアの大地を駆け巡り、染め上げ、私の名を轟かせてくれ。



「思うままに蹂躙しろ、深淵より降(ダークネスデーモン)誕せし闇(ウルフ・オブ・)の魔狼(ジ・アビス)ッ!!」





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