428.命令を受けた男 ◆
ヴェンと名乗った男の始末をアロイスに任せ、おれとカレンは休息も取らず一気に王都へ北上した。
正門から下町へ入り、途中魔法で身を隠しつつ人気の無い方へ行く。
シャロンの手紙で指定された場所につくと、身なりの整った商人がそこにいた。荷馬車には勿忘草をいくらか紐で束ねただけの物が添えられている。
あの人で合っているでしょうかと、カレンは不安そうに歩くスピードを落とした。おれがさっさと近付いて行くと、後ろから慌てたように急ぐ足音がついてくる。
商人はおれ達を積み荷に隠すようにして荷馬車に乗せた。
街の宿で身を清め、用意されていた服に着替える。
用意された部屋に入るとカレンがなぜか真っ赤になって騒ぎ出した。寝台の数がどうの早過ぎるだの聞こえたが、どもったり小声になっていて何が言いたいかわからない。
そんな事より、だいぶ遅くなったが今から行ってシャロンには会えるのか。
道中マリガン家の暗部は時折撒いてきたが、アーチャー公爵邸に寄るぐらいあちらも想定済みのはずだ。どう動くか…
なぜか枕が飛んできて、もういいから食事までちょっとでも休めと言われた。休むのはおまえだ。顔色が悪い。
食事を終えると、商人が「こちらはすぐお読みください」と手紙を持ってきた。
安物の封筒にただ丸いだけの印璽で封蝋がされた物を、商人がおれ達の目の前で開ける。中から一回り小さな封筒が現れ、そちらには薄紫色の封蝋で見慣れた印璽が押されていた。
無事を喜ぶ言葉から始まり、深夜でも明け方でも対応すること、案内に従って来てほしいことなどが書かれていた。
個人名や具体的な面談内容、行き方は伏せられている。
『カレン、すぐに発つぞ。荷物は全て持て』
『え?ここに泊まるんじゃないんですか?』
『最初から言っていただろう。滞在するのは弟子の所だ』
『…私てっきり……』
『何だ。』
『なんでもないですっ!』
一気に赤くなったカレンがびくりと跳び、必死な様子で首を横に振った。
王都へ着いた時はだいぶ疲労していたように見えたが、食事をとった事で少しは気力が戻ったらしい。
再会を喜ぶカレンはシャロンと抱擁を交わし、橙色の髪の侍女が僅かに眉を顰める。一瞬止めに入ろうとしたところを、主自身に「構わない」と視線で止められたから不本意なのだろう。
それはそうと、「よかった」と呑気に笑ったカレンが倒れた。
予想していたのでさして驚かず抱き上げ、慌てた様子の侍女について客室へ運び、ベッドに置く。
さっさと廊下へ出て応接室に入ると、当然のように準備が整っていた。
『先生。この度は――』
『挨拶も小言も後にしろ、シャロン。何が起きてる』
テーブルセットの横で微笑んでいたシャロンはおれの言葉に口を閉じ、手ぶりで使用人達を壁際へ下がらせた。
風の魔法で防音の壁を張り、向かい合って席に着く。
『なぜおまえが城を出た。サディアス・ニクソンが死んでなお戻らないのは何故だ。』
『陛下のお望みであり、詳しい事情は存じ上げないのです。』
『おまえの見立ては。』
『……先生』
シャロンはため息混じりに呼び、探るようにおれを見据えた。
『先にお教えください。マリガン公爵家の出である先生がアベルと、それも内密に会うのはかなり難しいとお伝えしました。それでもなお望まれる理由は何ですか?会ってどうなさるのです。ここまで連れてきた以上、カレンに相談はされたのでしょうか。』
使用人に聞かれない会話の中、あいつを「陛下」ではなく名で呼んだ。
率直に答えろと態度に出していたおれへの答えだろう。そしてやはり小言を言わずにはいられなかったようだ。どうせカレンにも詳細を言わずに来たのでしょう、と。
『おまえ達が知る必要はない。』
『……アベルと同じ事を仰るのですね。けれどそれでは、カレンはともかく私は納得しません』
シャロンはおれをじっと見つめ、少し責めるような声で言う。
だがこちらは最悪、あいつが城にいるかいないかだけわかればいい。会うのに苦労はするだろうが、手引きなどなくとも直接行く。
おれの考えが予想できたのか、シャロンがきちりと微笑んだ。怒ったらしい。
『ツイーディアの貴き星に忠義を捧ぐ、アーチャー公爵家の娘たる私が…目的もわからない相手に内情を漏らす愚を犯すと?尊敬する師からの評価がそれほど低いとは、まったく存じませんでしたわ。残念です。』
シャロンはおれから視線を外し、ゆっくりとティーカップを持ち上げた。
あれがソーサーに戻るまでの間に返事を決めねばならない。
何も言わずに発ったところで、こいつは残されたカレンに危害など加えないだろうが…城に通報されてはたまらないし、こちらは味方の少ない状況だ。カレンより深く突っ込まれるだろうが、ある程度こいつにも話す必要があるか。
ティーカップが戻っていくのを見ながら、口を開いた。
『兄上が殉職した命令をおれが受けた。』
シャロンが息を呑み、カップの底とソーサーが小さな音を立てる。
丸くなった薄紫の瞳が「本当なのですか」と問いかけていた。おれが沈黙を肯定として返すと、指を離したシャロンは数秒、きつく目を閉じる。薄く開いた唇からため息が漏れた。
『先生は――…アベルの命令を、受けに行くのですね。』
正解だ。
そう呟けばシャロンは眉を顰めた。当然の事だが、あの男よりこいつの方が余程おれの思考回路を理解している。
家を避けていたおれは、あの男に心酔する配下についてまったく情報が足りなかった。
規模、所在、戦術、正体…兄上なら八割がた知っていたかもしれないが。皇帝暗殺を配下に命じない以上、兄上やおれの方が個人の力は上だと思われる。しかし数で押されるとその限りではない、だからあの場では下手に手を出せなかった。
マリガン公爵家はレヴァイン王家の影の剣。
無断で殺すのは、皇帝を「王国の敵」と言ったあの男と同じことだ。だから命令が要る。皇帝の許可さえあれば、カレンを騎士団に保護させる事も叶う。
兄上も、姉上も、義兄上も。おれが手を汚す事を嫌っていた。
おれが皇帝の命令を受けてあの男を殺すことは、皆の望みではないのだろう。
目の前のこいつも。
『…監視されているというのは、先生の中央入りを警戒しての事だと思っておりました。』
『任務遂行の監視だ。それで、おまえはなぜ自分が城を出されたと思う。』
『安全のためかと。……閣下がアベルの命を狙った時、私もいたのです。…むしろ、敢えて私がいる時を狙ったのかもしれませんが。』
皇帝はあの男を警戒していたが、公爵位を継いだ兄上には一定の信を置いていた。
執務室で高位文官を交えてシャロンと打ち合わせている際、急ぎで報告があると言われ入室を許可したらしい。
護衛騎士は扉の外。
文官とシャロンは優秀だが戦力外、皇帝は大きな執務机を挟んだ奥の椅子に座っている。咄嗟には動けない。
兄上が珍しく数人の部下を連れて入ったのは見逃された。明らかに書類を持たされていたからだ。
そして皇帝は生き残り、兄上は死んだ。
誰の命令かを吐く事はなかった。五公爵の一角が直接皇帝を狙ったとなれば、皇帝の正当性を疑う者も出る。国民の不安も大きくなる。
それを振り払うならマリガン公爵家の責を問わねばならない。あの男だけでなくおれや姪も処分が必要になるだろう。皇帝はそちらを選ばなかった。
だが、あの男を消すタイミングは窺っているはずだ。
おれという駒を差し出せば…
『先生』
シャロンがおれを呼ぶ。
目を向けると、落ち着いた笑みで紅茶を勧められた。そういえばまだ口をつけていない。手を伸ばして指をかけ、ティーカップを口元へ運んだ。
『……おれは弟子の有能さを理解しているつもりだ。あいつは確かに学生時代からおまえに過保護だが、この状況で手放すとは思えない。兄上の件以外に何があった』
『先生が信用を得られるなら、アベルと話す中で推測は可能かと。』
たとえ推測でもシャロンの口から言える事ではないらしい。どの道、信用されなければ命令を受ける事も叶わないか。
シャロンが手で合図すると、侍女が廊下に声をかけ一人の男を連れてきた。
剣を提げているが団服ではなく、上等な仕立ての服をやや着崩している。公爵家の護衛に相応しい佇まいだった。昔は雑に切られていた茶髪も今は整い、後ろだけ伸ばし低い位置で細く纏められている。
防音の魔法の中へ入り、デューク・アルドリッジが礼をした。
『ご無沙汰しております。ホワイト先生』
『ああ』
騎士団から人を呼んでいたかと弟子を見やれば、シャロンは首を横に振る。
『彼は今、私の護衛騎士なのです。』
シャロンの退職に伴い、皇帝の命令でアーチャー公爵家へと来たらしい。結局過保護は変わりなしかと思えば、アルドリッジ自身、元々シャロンに仕える気があったようだ。
『デュークがいれば、私を通じての面談とわかるでしょう。話を聞かないという事は無いと思います。』
『おれを信じるんだな。』
『先生が私を信じてくださったからです。でなければカレンをここで一人にしませんし、何より――私のスキルをご存知なのですから、飲み物はもっと警戒なさるでしょう?』
くすりと笑い、シャロンはおれのカップを手で示す。
言われてみれば確かに、こいつが薬の類を混入するとは疑いもしなかった。おれは人の情に疎いが、弟子の人格くらいはわかっているつもりだ。
『思う通りの命令が下るかはわかりませんが、それでもよろしければ会ってみてください。……私にわからない事も、先生ならわかるかもしれません。』
おれはアルドリッジを連れてすぐ城へ向かった。
夜空に広がった厚い雲に遮られ、月明かりはない。暗い道を進んだ。
明け方に屋敷へ戻ると、待っていたのかシャロンはすぐに応接室へ降りてきた。
おれの顔を見て息を呑んだという事は、この胸にある重苦しい何かが、こいつには感じ取れたのだろう。アルドリッジが一礼して退室し、おれはまた、防音を展開する。
確かに――たとえ推測でも、本人が信用する相手以外に言える事ではなかった。
血の気が失せた様子のシャロンが椅子に座り、一度だけ深呼吸をする。目が合った。
『あれはもう無理だ』
泣きそうに顔を歪め、シャロンは胸元で拳を固く握りしめる。
城を出された理由はよくわかった。こいつが医師だからだ。あいつの命を諦めないからだ。無様を見せたくない相手だからだ。
シャロンは何か言いかけて口を閉じ、沈黙の後にもう一度、ゆっくりと開く。
『命令、は…どうなりましたか。』
『受けた。必ず遂行する』
『どんな命令ですか。』
『………。』
『先生』
内容を何となくは察しているのだろう。
シャロンは心を落ち着けるように息を吐き、耐えるように目を伏せる。おれにできる事はない。ただこの場で待っているつもりでいると、シャロンは意外にもほんの数秒で顔を上げた。
『できる限り早く嫁ぎます。』
『…関連が見えない。何の話だ』
『先生。私があちらから手紙を送るまで、実行するのは待って頂けませんか。お願いします』
『……おまえ、何を知っている。何をするつもりだ』
『少しでも……ほんの僅かでも、そこに可能性があるなら諦めたくはないのです。幻、だったとしても。手を伸ばさないと、本当に幻かどうかはわからないから』
僅かに眉の下がった微笑みは、なぜか泣き顔のようにも思える。
覚悟を決めたように表情を消し、シャロンはおれを見据えて深く頭を下げた。
『間に合った暁にはどうか、アベルを助けてください。』




