42.チンピラ登場 ◆
レナルド・ベインズは平民の出である。
雑貨屋を営む両親は、若い頃に行商人として旅して得た独自の仕入ルートを持っており、品揃えに飽きがこないと固定客に長く愛されている。
珍妙な物から希少な物まで。
下町にありながら時折貴族が訪れる事もあるその店に、子供はレナルド一人しかいなかった。
店を継ぐ道もあったのだろうが、両親は自分達が自由に生きてきたように、息子も好きな事をすればいいというスタンスだった。
お茶目、あるいは奇天烈と言われるテンションの高さを誇る両親のもと、レナルドは寡黙な少年に育っていく。同年代の子供から「あの変な店の息子」と馬鹿にされてばかりの彼は、それを決して両親には伝えなかった。
自分を馬鹿にしてきた奴らを見返す。
学園に向かう息子がそんな事を一心に思っていたとは、両親は全く気付かなかった。もちろん、未だに知らない。
そうして、普通に暮らせるだけの金があり、魔力持ちゆえに国からの補助金も貰えた彼は、当たり前のようにドレーク王立学園へ足を踏み入れた。
平民とはいえトップクラスの成績を、座学・武術・魔法すべてで修め、しかも顔の良い男子――となれば、女子の視線が集まるのは道理である。
下手を打って実家に嫌がらせをされては困るので、レナルドは当たり障りなく穏やかに誘いを断り続けた。それがまた優しいと人気を上げてしまうのだが、彼にはどうしようもない事である。
《赤の貴公子》。
親譲りの赤いストレートヘアを一つに結った彼がそう呼ばれるまで、さほど時間はかからなかった。平民なのに貴公子とは?と男子生徒は首を傾げたものだが、これは「貴族だったら婚約者候補にできたのに!」という子女達の淡い夢を乗せた呼称らしい。
しかし、彼を快く思わない者も当然いる。
特に、婚約者が彼に熱を上げてしまった貴族令息などは。
婚約者を窘めても無視されるのは確かに可哀想だが、叱るなら令嬢の方であって、レナルドを痛めつけようとするのはお門違いだ。
そして、そんな彼らを返り討ちにするとまたレナルドの株が上がってしまうのだった。
レナルドが店を継がなかったのは、彼らのセンスを受け継がなかったためでもある。
これは、という面白い商品を求めてやって来る客に、つまらない性格の自分がどうやって商品を見つけられるというのか。
幸いにも満遍なく成績のよい彼に与えられた将来の選択肢は無限だったが、「何をやりたいか」を問われると困ってしまった。
成果を出す人間になってやろうとしたレナルドには、将来の夢というものがなかったのである。
ところで、当時の生徒会長もまた、話題の尽きない人物だった。
《青の貴公子》。
ティム・クロムウェル――こちらは侯爵家の次男、正真正銘の由緒正しき貴族である。
その髪色は青というには薄いため、水色という表現が最も適してはいたのだが、当時女子生徒は堅実なレナルド派か、少し危険な香りのするティム派かで真っ二つに分かれ、対比のためにそう呼ばれていたのだった。
彼女達はハンカチに刺繍する花の色でさりげなくアピールをしていたそうだが、残念ながらそういった事情に疎いレナルドはまったく気付かなかった。寮へ帰る女子生徒がやたら挨拶でハンカチを振っているな、くらいである。
ちなみに、在学中総合成績一位をキープし続けたティムにレナルドが劣等感を抱いたかと言えば、そうでもない。
彼の目標は「高い成果」であり、「一位」ではなかったからだ。
しかしティムの方は知り合う前からレナルドの動向を見ていたし、生徒会長になった時には教師や前生徒会役員らを味方につけ、ほぼ強制的に彼を副会長にした。外堀を埋めたのである。
どうしても貴族と平民で意見や感覚が分かれがちな王立学園において、副会長を平民から選ぶ事は公平性を示す意味でも重要だった。しかし適当に選んでは楽ができない。
ティムは自分が仕事をほどよくサボ…任せられそうな、優秀な平民を求めたのである。
全科目五位以内をキープし、貴族への嫉妬心もなく、正義感を持ち合わせたレナルドに――仕事漬けにされてはたまらないので、融通が利く人物かどうかチェックしてから――白羽の矢が立つのは当然の流れだった。
学園という大小さまざまな事件が起こる場所で、二人は次々とそれらを解決していった。
ティムの策が功を奏した事もあれば、レナルドの正確な調査が決定打となった事もあり、二人の拳だけで解決するものも割と多かった。
『卒業したら騎士団いこうと思うんだよね。レナルドもどう?』
片付けた不良生徒の山の上で、ティムはそう誘った。
彼は国政に関わっていくだろうと思っていたレナルドにとって、それは意外な言葉だった。てっきり、いずれ「この人にはついていく」という相手を見つけて、優秀な右腕として暗躍するだろうと思っていたのだ。本人が表に立つ可能性も考えていたが、騎士になるのは予想外だった。
『構わないが。』
返事は決まっていた。
この時のレナルドは、ただティムと組んでいた学園での時間が「思いのほか充実していた」という、それだけの理由で騎士団へ行く事を了承した。
客観的に見ても騎士としてやっていくだけの実力は持ち合わせていたし、他に目指したい何かがあるわけでもなかったから。
そして出会う。
『私が隊長よ~。よろしくね?』
世間知らずの令嬢が、金と権力を使って紛れ込んだかのような……あまりにも場違いな美しさを持つ、彼女に。
◇ ◇ ◇
新手の芸術のようになってしまった木剣を風の魔法で柵から落とし、レナルドは二人に続きを促した。
レオの剣を弾いて見せたシャロンの怪力はなぜか、それ以降発揮されることはなかったけれど。
スピードと機転で攻めるシャロンに対し、レオはパワーと技術、そして経験で勝っている。
ただ、初手は力が入りすぎてカチカチだったシャロンは、打ち込んだ結果やレオの切り返しから学び取ってみるみる成長した。
体術を教えていた時にも思ったが、本当に飲み込みが早い。そんな一言で済ませていいか怪しいレベルだが、彼女の娘とあらばそこまで変とも思わない。
ディアドラ・ネルソン隊長。
レナルドが敬愛し、ティムが畏れた一人の女性騎士の名である。
剣術こそさほど突出した才はなかったが、敵を攪乱する美しき魔法と、どこにどれだけ隠し持っているかわからない暗器。細腕から繰り出される体術――娘も得意なのではと教えてみたら本当に才があってレナルドは大満足だった――浮かべる微笑みは穏やかで、余裕と気品があり、時には冷酷さを、そして誰もが目を離せなくなるような威風を見せる人だった。
「判断が遅いです。迷いながら突っ込まないように」
「はい!」
「今のは踏み込みが足りませんでしたね。」
「はい…!」
「相手の目線にも注意してみてください。」
「はいっ!」
助言をすればするほど、シャロンはそれを取り入れていった。もちろん全て一気には習得できず、最初の方に教えた事が後々疎かになったりはしたものの、総合的な技術の上がり方は素晴らしい。
とうとう体力切れして彼女が座り込む頃には、だいぶ先輩であるはずのレオもかなり汗をかいて息を切らしていた。
「二人とも、終わるなら《礼》を。」
「は、はひ…」
「だぁーっ、思ったよりだいぶやられちまった…」
レオは彼女を侮っていた事を反省しているようだ。
やられた、とは攻撃を食らったわけではなく、余裕をもって対処できなかったという事である。彼は自身の膝に手を付いて前屈みになっていたが、ふうっと大きく息を吐いて背筋を伸ばした。
胸の前へ剣を。かつて夜を照らした月の女神がそうしたように。
「「ありがとうございました!」」
「ティータイムに致しましょう。ベインズ先生、レオ様もこちらへどうぞ。」
いつもシャロンを見守っているオレンジ髪の侍女が、離れたところに用意したティーテーブルへと着席を促した。屋敷の使用人達は、「騎士団の任務ではないので肩書きで呼ぶ必要はない」と言われている。
シャロンがやたら名前を呼ぶので、レナルドも彼女の名は覚えていた。差し出されたタオルを受け取ったシャロンが、思った通り「ありがとう、メリル」と笑顔を向けている。
「うーん、様はやめてほしいんだけ…ですけど。」
レナルドは、苦い顔をしたレオをチラリと見やって言葉を直させる。ただでさえ年上、それも公爵家の長女専属侍女であれば、メリル自身が貴族である可能性も高い。
「お客様ですから、そういうわけには参りません。」
「そっか…あ、いや、大丈夫です。単に俺が慣れてねーってだけなんで…」
年上から様付けで呼ばれるだけで違和感がすごいのだろう。レオは居心地悪そうにもにゃもにゃと顔を動かしながら着席したが、目の前に広がる菓子の量を見て、些細な悩みはすぐに吹き飛んだようだった。
そんなレオを微笑ましそうに眺め、シャロンがふとメリルを振り返る。
「そうだわ、メリル。ダンを呼んでこれるかしら?」
「えぇ、今でしたらちょうど一息ついている頃かと。」
メリルは回収したタオルを片付けにいく侍女に目配せし、彼女はこくりと頷いて屋敷の角を曲がっていく。その間にも他の侍女が紅茶を注いでくれており、レオの腹が鳴る前にティータイムを始める事となった。
「たしか、貴女と共にレオを助けてくれた方でしたか。」
今日屋敷に到着した時の会話を思い出してレナルドが聞いた。レオが元気よく肯定する。
「すっげー強い風の魔法だったぜ!喋り方はチンピラみたいだったけど、ここの使用人だったんだな。」
レオの言葉に紅茶を飲んでいたシャロンは噎せ、メリルは吹き出すのをこらえ、レナルドは首を傾げる。
由緒正しきアーチャー公爵家の使用人が、チンピラみたいな口調であるはずがない。しかしレオは基本的に嘘を言わない子だし、シャロンや侍女達の様子もおかしかった。
「おい、用事ってなんだよ!」
突然チンピラの声がしたのでレナルドは驚いてそちらを見た。
使用人服の白いシャツはボタンをいくつか開け、灰色の短髪をがしがしと掻き乱して、不機嫌そうな三白眼で主たるシャロンを、客である自分達を睨みつける少年。
レナルドからすれば「少年」である、たとえ大人ぐらい背が高くとも。
「ダン、こっ…ちへ。紹介する、わ」
使用人の不敬を気にした風もなく、けれどまだ噎せたのが残っているらしいシャロン。懸命に浮かべた笑顔が苦しそうだ。
レオが大きく手を振ると、顔をしかめていたダンがさらに眉根を寄せた。
「んだよ、この前のガキか。」
「そうそう!あの時はありがとな。すげぇ助かった」
「別にてめぇを助けたつもりはねぇよ。」
素っ気なく言って、ずかずかと歩いてきたダンは誰に挨拶する事もなく、テーブルの皿からマフィンを取って齧りついた。
行儀が悪いどころの騒ぎではない。仮にレオが同じ事をしたら、レナルドは拳骨を振り下ろした上で頭を下げさせている。
「ダン、せめて挨拶を終えるまで待ってくれないと困るわ。」
「知るか」
レナルドは若干めまいがしてきた。
こんな男がよくあの執事殿に許されたものである。
「こちらレナルド先生、私に剣を教えてくださっているわ。」
「へぇ」
「こちらレオ、私と手合わせしてくれる修行仲間よ」
「ほーん」
「……。」
マフィンを齧りながら明らかに適当な返事をする使用人を見上げて、シャロンは静かに立ち上がった。
「ぅお!?な、なんだよやんのか!?」
少女が立ちあがるだけで身構えて一歩後ずさる様子から、レナルドはなんとなく二人の力関係を見た気がした。確かにシャロンの実力なら、この男を投げ飛ばしたり行動不能にするぐらいは簡単だろう。
「二人にちゃんと挨拶してくれたら、ランドルフに内緒にしてもいいわ。」
「……チッ。」
どうやら執事の事は怖いか苦手かの意識があるらしい。
シャロンが着席すると、ダンは渋々と言った顔で軽く頷いた。あるいは、短すぎる礼だったのかもしれない。
「ダン・ラドフォード…です。」
薄紫色の瞳にじっと見つめられながら、ダンが苦虫を嚙み潰したような顔で言う。無論、下ろした手に齧りかけのマフィンを持ったままだ。
「俺はレオ・モーリス!よろしくな!」
「…レナルド・ベインズです。」
互いに相手の名はシャロンが言って把握していたが、彼らは名乗り合った。
レオが差し出した手は握られず、レナルドは「本当にこれがアーチャー公爵家の?」という視線を向け、ダンはマフィンの残りを咀嚼している。
シャロンはやれやれとそんな男達を眺め、メリルは「これは流石に言いつけないとまずい」という覚悟をして一人頷いていた。




