427.先生の判断基準
十一月になった。
放課後、夕暮れの外通路をダンと歩きながらコロシアムの方を見やる。枯葉を箒で掃く職員の姿もあれば、魔法で一気に集める方もいた。
生徒達はむしろ風の魔法で散らかしたり、舞い散る葉を剣で切ってみたり…するまでは良いとして、火の魔法を当てる遊びをしてあわや大惨事という人もいたみたい。
学園の備品を焦がした事で生徒会に話が回ってきたのだと、三年生で伯爵家長男のロウル様が教えてくれた。
今日は彼とフェリシア様と三人で昼食をとったのだ。さすがに同卓につけないダンは隙間時間に詰め込みである。
セドリック・ロウル様の事は生徒会副会長として前から知っていたけれど、ウィル達がいない場で会うのは初めて。フェリシア様の婚約者として改めて紹介を受けた。
穏やかに、けれど少し照れた様子で微笑み合っていた二人は良い夫婦になれるだろうと思う。
寮で「婚約が決まったの」と話してくださった時、彼の生徒会での仕事ぶりや人柄を信頼しているとフェリシア様は言っていた。最近の彼女は彼に貰ったという翡翠のブローチを毎日つけている。
――……フェリシア様、とても綺麗に笑っておられたわね。
すれ違う令嬢に会釈を返しながら、昼食の席で見た微笑みを思い浮かべた。
普段私と二人で話す時の彼女とは違った。でも、婚約が決まったのと言った時にもああやって笑っていた。
納得のできるお相手なのねと聞いたら、「勿論よ」と言って。
……ご家族も本人も納得した縁談で、相手側に悪い噂は無い。
もし何か悩みがあるとしても、フェリシア様ご自身の口から聞くまで勝手な詮索はしない方が良いだろう。北東校舎の扉を開けてくれたダンに「ありがとう」と礼を言う。
入った先の廊下に人気が無いのを見て、ダンはぼそりと呟いた。
「ラファティ様は御父君がお相手を決めたと仰っていましたが、お嬢様もそうなるのですか。」
「多くの場合はね。ただ私はお父様達がご自分で決められた結婚だったから、身分の釣り合う方と相思相愛になれば、反対はされないだろうと思うわ。」
「確かに。そもそも、旦那様はお嬢様の婚約者候補を見繕うのも嫌、というご様子でしたね。」
「…それでは困るから、影では一応やっていらっしゃるはず……なのだけれど。」
ちょっぴり自信がなくて眉が下がる。
まだ早い、もっと大人になってからにしなさい……お父様の声が脳内に再生された。急いで決めたいわけではないけれど、大丈夫なのかしら。
ゲームではなんだかんだ、卒業から数年後にようやっとの婚約だったものね。隣国のどなたかと。
その頃まで待つと嫁ぐ道中で死亡するフラグが立つので、私としては卒業までにお相手を見繕っておきたいとは考えていた。もちろん国内で。
「お父様にも頑張って頂かないと、年の合う殿方といっても、既に学園を卒業された方もいるから…」
「……頑張って頂きたいのかよ?」
なぜか聞き返してきたダンを不思議に思いつつ、「えぇ」と返す。
卒業済みの方は私の卒業まで交流方法が限られるという欠点があるけれど、実際の仕事での評判がわかるという利点もあるわね。
チェスターは去年「君が望めば」と言ってくれたけれど、バサム山の一件で状況は大きく変わった。
ダスティン様に関わる賠償金と悪評により、今のオークス家ではアーチャー家に差し出せる利が殆ど無いのだ。ジェニーがウィルに嫁げる可能性が著しく下がってしまったのと同じである。
それに私がチェスターに心底惚れ込んでいるならまだしも、友情だけを心に嫁げばひどく気に病ませるでしょう。同情で嫁いだと思わせてしまう事は想像に難くない。
あと三年ほどの間にオークス家がどこまで立て直せるかにもよるし、同列の公爵家より、侯爵家以下から妻を得る方が彼のためになる事もある。
「ダンは、私が嫁いでもついて来てくれる?」
手を借りて階段を上がりながら聞くと、ダンは一度瞬いてニヤリと笑った。私もつい笑みが零れる。
「男連れは嫌がられるんじゃねぇの?」
「私と貴方の間を疑うようでは、困ってしまうわね。……もし何かの事情で叶わなかったら、クリスをお願い。」
「おう」
「できるなら、結婚後も薬学と治癒の勉強は続けていたいの。お許しくださる方だといいのだけれど」
「許すだろ。お嬢に甘いからな」
「甘い?」
誰を想定したのと聞こうかと思ったところで、私達はホワイト先生の研究室に到着した。
早いもので、先生に弟子入りしてからもうすぐ二ヶ月が経つ。
授業と違って近い距離で接していくうちに、微妙な表情の変化もだいぶわかるようになってきた。先生自身は元々隠しているつもりがないのだから、当然と言えば当然なのだけれど。
薬の材料を整頓するのも勉強の内で、保管方法にもそれぞれ意味があると知る。密封するもの、瓶の蓋を少し開けておくもの、天井から下げておくもの、季節によって保管場所を変えるもの。先生のルートのカレンもこうやって手伝っていたのかしら。
週末には《効果付与》した媒体を持ち込み、先生が仲介してくれる検査人――未だお会いした事はない――にチェックしてもらっている。
国王陛下から直接スキルを言い渡された時はかなり驚いたものの、それが自分の能力だという事は、身体強化と同じで繰り返し使う内に慣れてきた。
スキルの話をする時はダンが部屋に入れないけれど、平日の今日は《薬学》のお話だ。ダンは扉の脇に控えて難しい顔でメモを取り、私は先生の大きな椅子の隣、自分用の椅子に堂々と腰かけて授業を受けた。
「おまえは来週の大会に出るのか。」
一段落ついてダンに紅茶を淹れてもらうと、ホワイト先生がぽつりと聞いた。
ゴーグルは首元まで下げられ、赤い瞳が私の腰に提げた愛剣を見やる。私は「そのつもりです」としっかり頷いた。エントリーは済んでいる。
ゲームシナリオの十一月は来週の剣闘大会がメインだ。
もちろんカレン自身は出ないから、レベッカと一緒に観客席から応援になる。私はウィル達と一緒に――出場者も、自分の試合以外は観戦するので――貴賓席を使っていたから、カレンとは離れていた。そこはゲームと変わらないと思う。
大きく違うのはやはり、私が出場する事とウィルが上級クラスにいる事だろう。上級は予選を飛ばせるのだ。
「試合では余計な物をつけるな。飾りは不要だ」
「はい、心得ています。」
そのやり取りにダンが少し眉を顰めたのが視界の端に見えた。
余計な口出しと思えたのかもしれないけれど、先生は「不要な装飾品で飾り立てる気ならやめろ」と言ったわけではない。「《効果付与》した物は持っていくな」と言ったのだ。
剣闘大会では相手を攻撃する魔法の使用が全面的に禁止されている。
しかし攻撃以外、自身の行動補助などには魔法を使って良いのだ。お互いが使えれば空中戦も見られる。
ウィルがくれたブローチに付与した「水の守り」は「攻撃魔法感知」が条件ではあるけれど、万一発動したら大勢に見られてしまう。そんな危険を冒す事はない。
アレキサンドライトのブローチも、アメジストのネックレスも、鹿角のニワトリも、まとめて置いていくべきだろう。
「先生は当日、審判をされるのですか?」
「そうだ。なぜ知ってる」
「…今回は最大四組が同時試合ですが、エンジェル先生は御子息がいらっしゃいますから。他の先生がたの中で選ばれるのなら、ホワイト先生かと考えておりました。」
本当はゲームでそうだったから知っているのだけど、ちょっと考えれば簡単に推測できる事でもある。
軽く聞き返しただけらしく、先生はあっさりと頷いた。
《剣術》上級と《格闘術》担当、レイクス先生。
《剣術》中級と《体術》担当、トレイナー先生。
《魔法学》上級と《神話学》担当、グレン先生。
《魔法学》中級と《護身術》担当、エンジェル先生――の代わりとして、《薬学》《植物学》担当、ホワイト先生。
この四人が各試合を見守る審判だ。
ルール違反があれば失格とし、制限時間を越える場合は勝敗を決め、時として強引に止めに入れるだけの実力が求められる。当然ながら特定の生徒を贔屓するのは禁止だ。
少なくともゲームシナリオにあった限りは、審判が割り込むような事態は起きなかった。
一日かかる大会だからシーンは飛び飛びだったし、シナリオに出てこなかった試合で何かあった可能性もあるけれど。
トーナメントの配置が変わる時点でゲーム通りじゃないのだから、その辺りは考えても仕方が無いわね。私が紅茶をすいと喉へ流すと、ホワイト先生がふと思い出したように瞬いた。
「……そういえば、入場の際に投票があったな。」
「っ……噂は、聞き及んでおります。」
危うく咳き込むところだ。
まさかホワイト先生がその話題を出してくると思わなかった。
当日コロシアムに入る生徒は一人一票、同学年の女子生徒に投票しなければならない。
白紙提出は不可だが、対象外――たとえば男子生徒や他学年、教師、学園と無関係な者など――の名前は無効票扱いになる。女子生徒が自分に入れるのは構わない。
公表されるのは一位のみで、仮に同率一位となった場合は集計を取りまとめる教師がくじ引きで決めるらしい。同程度の人気を誇る令嬢がぶつかった時、まだ言い訳が立つようになっている。
これは意外にも王立学園でかなり初期から行われているイベントで、途中で色々とルールが改正された末に今の形があるのだそうだ。
たとえば、「投票における基準を学園側からは明確にしない」とか。
知恵、人徳、美貌、勇敢さ、親の爵位…どこで選ぶかは投票する側の自由。逆に言えば、選ばれなかった者と選ばれた者の良さが別種ならこれもまた理由にできる。
平民の生徒にとっては娯楽イベントかもしれないけれど、貴族令嬢にとっては学年で一番影響力のある令嬢が発表されるものなのだ。
今年の一年生はまず間違いなく私である。
自分でそう断じるのはどうかと僅かに思うけれど、正直、競えるような候補はいない。
「当日コロシアムに行く生徒は全員投票するのですよね?」
「教師もだ。免除されるのは騎士や商人、開催にあたって雇われた魔法使いなどだろう」
「…先生がたも投票なさるとは存じませんでした。全学年から選ぶのですか?」
「各学年、つまり四名記入しなければならない。一般生徒の一票より重いらしい」
「まぁ……」
それは私とダンに聞かせて大丈夫な情報なのだろうか。
票が重いのは「教師の信頼を得る事も大切だから」という理由のようだと、ホワイト先生はどうでもよさそうに言った。
ダンが小さく咳払いして、ホワイト先生と私どちらも発言を促したのを確認して口を開く。
「…ホワイト先生は、どのような判断基準で選ばれているのですか?」
「成績だ。」
先生はスパンと答えた。
雑談中につい聞きたくなったダンの気持ちもわかる。ホワイト先生の回答も実に「らしい」と思う。私は小さく二度頷いた。
「時期的に必ず前期試験の後であるため、担当授業で最も高得点を取った生徒を書く。ただ役目を放棄しそうな者、問題を起こす可能性がある者だった場合は避けている。」
「今年は特に、危険があるといけませんものね。」
「そういう意味では、おまえがいて迷う必要が無いのは助かった。教師は全員そう思っているだろう」
「恐縮です」
いつも通りの真顔で赤い瞳をこちらに向ける先生に、にこりと微笑みを返す。
担当授業の成績で選ぶなら、ホワイト先生は間違いなく一年生の欄に私の名を書くのだろう。
投票で一位になった女子生徒の役目。
それは表彰式において、同学年の優勝者に褒賞を授与する事である。だから一人でいいのだ。
ゲームでは私が優勝したアベルと向かい合い、落ち着いた様子で役目を果たしていた。
そう、こちらは別に問題ない。
『えっ……ええええええっ!?ど、ど、どういう事!?』
大騒ぎになったのは、カレン達の方である。




