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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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427/525

425.いつか本当の笑顔で




 槍のように細長い炎が空中に浮いている。


 額に汗を滲ませ、サディアスは魔法を維持したまま深く息を吐いた。

 一度瞬き、黒縁眼鏡を軽く持ち上げて汗を拭く。水色の瞳で再度見やると、火の槍はボッと音を立ててコロシアムの地面に突き刺さった。周囲に火の粉が飛び散る。


 ――…成功した。


 心の中で一言呟き、崩れ落ちるように客席に座った。

 短く整えられた紺色の髪を掻き上げると、心地よい秋風が吹き抜けていく。他に人がいないのを良い事に、サディアスは珍しく上着を脱いでネクタイも外し、シャツのボタンを一つ開けていた。


 火の魔法を使うことなど彼にとっては造作もないが、宣言も動作も無しとなれば簡単にはいかない。たった一度成功させるまでに半年以上かかった。

 感覚は掴めたので、次からはもっと早く正確に、かつ労力少なく発動できるように鍛錬しなければならない。敵はこちらの準備ができるまで待ってはくれないのだから。


 ――とはいえ、今日はここまでに。


 自己鍛錬のみで魔力を使い果たすような愚は犯さない。ポケットから懐中時計を取り出し、合流予定の時間までまだ余裕がある事を確認した。


 二週間後に迫った剣闘大会のため、ウィルフレッドは隣の訓練場にいる。

 見学席には野次馬も多いだろうが、一緒に鍛錬しているのはシャロン、ダン、レオといった馴染みの面子に、学園教師の息子であり第一王子派のネイト・エンジェル。

 八番隊副隊長の息子バージル・ピュー、ジャッキーの事件以来交流のある二年生、宝石商の息子マシュー・グロシン。何より、同じく二年の伯爵令息シミオン・ホーキンズもいる。

 後はシャロンと仲の良い男爵令嬢もいるかもしれないが、ともかく、有事の際も安心して任せられる顔ぶれだった。


 ハンカチで汗を拭い、サディアスは立ち上がる。

 過度の集中によって身体にこもった熱も少しは冷めたらしい。椅子に置いていた上着を取り、歩きながらシャツのボタンを閉じた。慣れた手つきでネクタイを締める。


 訓練場には風の魔法で飛んでしまうのが最も早いが、緊急時でもないのに自分の移動だけで魔力を使う生徒はまずいない。サディアスは客席の階段を降り、コロシアムの扉を開けて外へ出た。

 施設ごとを区切る木立を突っ切ったりもせず、校舎へ向かって伸びた道を辿る。



 生徒達が好きに使えるよう等間隔に設置されたベンチ、その一つにサディアスのよく知る人物がいた。

 腰まで伸ばした薄い水色の髪に同じ色の瞳をしていて、高位の令嬢として文句なしの綺麗な微笑みを見せている。

 二年生の侯爵令嬢フェリシア・ラファティだ。ウィルフレッドに合わせて遅く入学したサディアスにとっては、上級生と言えど一つ年下にあたる。


 彼女の隣に座り、その手を握って話していたらしい令息が立ち上がった。

 すっきり整えられた常盤色の短髪、温和そうな眼差しで、眉は気遣わしげにやや下がっている。彼は三年生の伯爵家長男で、生徒会の副会長を務めている。

 フェリシアの婚約者だ。


 紳士的に礼をして去る彼を、フェリシアは完璧な立ち姿で見送っていた。まだ十メートル以上は距離があるので、どちらもサディアスには気付いていないらしい。


「――…。」


 婚約者の背から目を離し、フェリシアは音の無いため息をついた。

 きちんと作っていた微笑みは消え、背筋は伸びていても肩がほんの僅か下がってしまう。


「フェリシア嬢」

「!…ニクソン様……ご機嫌麗しく。」

 振り返ったフェリシアは驚愕に目を見開いたが、すぐに動揺を隠して礼の姿勢を取った。


 ――彼といる所を見られてしまった。……どうしてよりによって、この方に。


 己の不運を嘆きながら、表情には決して出さない。

 胸元につけた色味の濃い翡翠のブローチを見せたくなかったが、フェリシアは弱い思考を振り払うように顔を上げ、精一杯の微笑みを張り付けた。

 両手をきちんと腹の前に揃えつつも、婚約者が触れていた左手を隠すように右手で握り締めている。無意識だった。


「この辺りで会うのは珍しいですね。」

「えぇ、――ニクソン様は、鍛錬を終えられたところでしょうか。」

 失礼にならない程度にサディアスを観察して聞く。

 少し上気した頬や、掻き上げた跡が窺える紺色の髪、疲れのせいか僅かに目を細めてフェリシアを見下ろす眼差しまで、普段潔癖な印象のあるサディアスだけに今は色っぽく見えた。

 心臓が大きく音を立てたが、万一にも動揺が顔に出ないよう、今受けた印象は頭の片隅に放り投げる。


 制服姿で手ぶらの彼が一人でコロシアムを使ったのなら、鍛錬は身体を動かすのではなく魔法の方だろう。

 使えない属性は無く、宣言の短縮や発動した魔法のコントロールもトップクラスの天才。

 なのに、精神の消耗が身体に現れるほど鍛錬をしていたのだ。サディアスの勤勉さも努力家なところも、フェリシアは昔から尊敬している。


「大会も近いですからね。一年の優勝は殿()()でしょうが、私も最善を尽くさなくては。」

「皆様のご活躍、客席から拝見させて頂きますわ。」

 婚約者は《剣術》中級クラスを受けてはいるけれど、これまで剣闘大会には出ていなかった。参加は基本的に希望制なのだ。

 今年も不参加だろうと考えるが、もし「一緒に観戦しよう」と言われたらどうすればと、微笑みを保ちつつも憂鬱に心が陰った。

 サディアスはフェリシアの瞳を見つめ、にこりともせずに言う。


「先日ご紹介頂いた店、中々気に入りました。メニューが良かった」

「…それは何よりでございました。」

 店など紹介していない。

 何の話が始まるのだろうと、フェリシアは微笑みを保ったまま耳を澄ませた。察しの悪い女だなどと思われたくはない。

 婚約者がいる令嬢を相手に適切な距離を保ち、彼は離れたベンチからこちらを窺う生徒達には届かない声で言った。


「白身魚のフライも、チキンソテーも、南瓜のスープや、デザートの東洋梨も。」

「……!」

 聞き覚えのある内容に目を見開く。

 それらは全て、サディアスの食の好みとしてフェリシアが挙げたものだ。


「意識して食べてみると、確かに。すべて好ましいものだった……本当によく見ています。」


 遠くからではわからないほど微かに、サディアスは薄く微笑む。フェリシアにだけ届く声は優しい響きだった。


「貴女は賢く気立ても良い、素晴らしい淑女です。フェリシア」

「っ……」

「不安に思う事もあるのでしょうが、貴女ならきっと立派に伯爵夫人を務められると思いますよ。」

「…そう言って、頂けるなんて……光栄ですわ。ありがとうございます、サディアス様。」

 心からの微笑みを返し、フェリシアは声が震えないよう気を付けて言う。

 彼女の作り笑いに気付いたサディアスは、婚約に不安があっての事と認識したようだった。それでわざわざ、気を遣って励ましてくれたのだ。


 ――わたくしがよく見ていたのは、貴方だから。上手く笑えなかったのは、まだこの心を殺せずにいるから。……サディアス様。わたくしは……貴方が思ってくださるほど、高潔な女ではないのです。


 ほんの微かだった微笑みを消し、サディアスは冷えた水色の瞳を道の先へ向け、ちらとフェリシアを見やった。


「懸念があれば早いうちにご友人へ相談されると良いでしょう。では、失礼します。」

「はい、ニクソン様。ありがとうございました」

 丁寧に礼をして、フェリシアは遠ざかるサディアスの背を見送った。

 あまり長く見れば他の生徒は違和感を覚えるだろうから、名残惜しくともすぐに目を離す。

 フェリシアはそっとベンチへ座り直した。


『貴女は賢く気立ても良い、素晴らしい淑女です。フェリシア』


 眼鏡の奥、自分より青みの濃い水色の瞳に浮かんだ温かさ。

 フェリシアは頼れるしっかり者で侯爵家の長女で、なのにサディアスは、不安がる小さな女の子を励ますように優しく言う。色恋や下心など微塵も感じられない声だった。

 冷淡に見られる事の多い彼が気遣ってくれたと、それが嬉しい反面どうしても眉が下がる。涙をこらえて目を伏せた。胸の奥が痛くて仕方がない。


 ――…わかっていた、事だわ。


 小さくため息をついて、フェリシアは水色の髪をさらりと耳にかけた。

 秋風がそっと吹き抜ける。


 ジョシュア・ニクソン公爵が自分の結婚相手を選ぶ際、《色》を重視したというのはよく知られた噂だった。夫人は暗い青色の髪に群青色の瞳らしい。

 サディアスは公爵の色をそのまま受け継ぎ、紺色の髪と水色の瞳をしている。


 その理屈だけで考えれば、水色の瞳を持つフェリシアはサディアスの婚約者候補の片隅には挙がっているだろう。

 しかし現状、ニクソン公爵家とラファティ侯爵家が繋がる利点は少ない。

 フェリシアは秘密裏にアベルに協力しており、父である侯爵も娘を助けてくれたアベルに感謝しているが、あくまで中立派だ。

 第二王子派筆頭のニクソン公爵とは一定の距離を置いており、政敵とまでいかないが、幾度か意見が衝突した事もある。


 サディアスとの縁談が組まれる可能性は限りなく低い、フェリシアはそれをよく理解していた。

 覚悟はしながらも、会う度、言葉を交わす度に心は勝手に惹かれていく。

 叶わないものだとずっと押し殺してきた。


 そうして結局、やっぱり、叶わなかったのだ。


 わざわざリラへ足を運んでくれた父に「彼で決めようと思うが、どうだ」と問われた時。

 相手の釣書を見たフェリシアは、美しい微笑みで了承した。


「………。」

 婚約者がくれたブローチに触れ、罪悪感に淀んだ目を閉じる。

 生徒会の役員同士、彼とは元々付き合いがあった。


 特別何かに秀でているわけではないけれど、伯爵領を見ていく分には問題ないだけの頭があり、真面目で穏やかな人だ。婚約したからと言って急に距離を詰めるような事もなく、ちょっとだけ照れくさそうに手を握って話してくれた紳士。

 結婚したらきっと互いに尊重し、深く信頼し合える良い夫婦になれるだろう。


『君が婚約者だなんて俺の身に余る気がして、まだ実感が湧かないけど……結婚までは少なくとも二年半ある。それまでにちょっとずつ歩み寄っていこう。フェリシア』


 彼と過ごすうちにきっと、優しくされるうちにきっと。

 少しずつ少しずつ、この胸にある気持ちを小さく溶かして、淡い初恋の記憶にして。


 いつか本当の笑顔で夫を愛せる日が来るはずだと――今はただ、そう信じていたかった。






ハピなしを読んで頂き誠にありがとうございます。


剣闘大会に向けてもろもろ調整するのと、耐えきれず某王国の涙に出かける可能性があり

しばらく更新ペースが落ちると思われます。

まったりお待ち頂ければ幸いです。

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