424.階段ダイブ
「何だか機嫌が悪いな、アベル。」
至極不思議そうに首を傾げ、ウィルフレッドが聞く。
貴族の子息子女を集めた意見交換会を終えた後、窓から夕陽の差し込むサロンには王子二人が残っていた。
「もしかして席順が気になったか?ネイトがシャロンの隣だったのは、単に…」
「席はどうでもいいけど、キャサリン嬢は放っておいてよかったんじゃないの。」
サイドテールに結った金髪と黄土色の瞳が特徴の侯爵令嬢のことだ。
解散しようという運びになった時彼女が絨毯に躓き、咄嗟にウィルフレッドが支えて事なきを得た。
「うん?いや、それだと転んでしまっただろう。」
「ネイトも近かったから問題ないよ。」
「そうだったか?」
同じ一年生のネイト・エンジェルは白茶色の髪を編み込んで後ろでまとめ上げ、中性的な柔らかい顔立ちにスカイグレーの瞳をした男子生徒だ。一見穏やかそうに思えるが、《格闘術》ではアベルに次ぐ実力の持ち主である。
彼が近くにいたなら確かに、ウィルフレッドが手を出すまでもなくキャサリンを助けていただろう。
ちなみに転びかけた彼女の手からすっぽ抜けた鞄がシャロンへ飛んできたが、それはダンが危なげなくキャッチした。
至近距離で目を合わせたウィルフレッドとキャサリンは、「大丈夫か?」「は、はい」という短いやり取りをして離れる。
そんな二人を見つめるシャロンはほんの数秒固まっていたが、それを周囲に悟られる前に普段通りの微笑みを取り戻した。
キャサリンはウィルフレッドとシャロンにぺこぺこと頭を下げ、ダンから鞄を受け取って急ぎ足でサロンを出る。その先の階段からまた悲鳴が上がり、ぱちりと瞬いたシャロンはダンを連れ彼女を追っていった。
シャロンが先にいなくなった事で、令嬢達は目当ての王子や令息にもう少しアプローチをと色めき立つ。
それは令息達も同じだったが、「殿下達はこのまま会議がある」と言ってサディアスとチェスターが全員追い出し、サロンには平穏が訪れた。
《魔法学》の前期試験ではデュークをずぶ濡れにしていたキャサリンを思い出し、ウィルフレッドは青い瞳をどこともない空中へ向ける。
「彼女は優秀なんだが、そそっかしい所が直らないな。見ていて飽きないと言えば、飽きないけれど。ほら、ダンスの時も予想外の動きで足を踏んでくるだろう?」
「わざとではないんだろうけどね。」
「もちろんだ。…あの様子だと、イアンが誘拐されていた事もまだ知らなさそうだな。」
「恐らくは。」
アベルが首肯する。
キャサリンの兄、イアン・マグレガーは君影国のエリと共に攫われ、ベレスフォード女伯に監禁されていた。騎士団の手で無事に救出されたという速報は昨日、王子達に届いたばかりである。
アッシミーリ渓谷の南西を領地とするベレスフォード家は古い貴族だが、当代は見目を気に入った青年や少女を捕え、苦痛の末に死に至らしめていたのだ。
領地経営は問題なく行っていたようだが、家の歴史はここまでになるだろう。
「失踪事件は片付いた。……後は、ブラックリー隊長が上手くやってくれると良いんだが。」
ウィルフレッドは無意識に顎へ手を添えて呟いた。
絶対に起こしてはならない事件を回避するため、彼には重要な任務が与えられている。
渓谷を囲む四つの伯爵領は、魔獣が自然繁殖する懸念があるとして調査部隊が向かっていた。
どの魔獣がどれほど確認されるか、何を食べどんな被害があったか。南西から北東へそれを調べつつ移動、魔獣を発見次第討伐あるいは捕獲するのだ。
複数の隊から騎士を抜擢して作られた混成部隊であり、率いているのは表向き、十番隊長アイザック・ブラックリーだ。
広範囲ゆえの大部隊、しかし実際は渓谷に半数以上を残し、ブラックリーを含めた一部が離脱する。
彼らの本当の目的は、渓谷を越えた先にある夜教の拠点だった。
死を偽装され行方知れずになっていた女性、ジョディ・パーキンズがそこにいる。
二月にサディアスが魔力暴走を起こす原因とみられる違法薬、《ジョーカー》を作る技術を持っている薬師だ。ニクソン公爵夫人の侍女と接触していた男を追っても、その拠点へ辿り着いた。
ブラックリーは表向きの任務をこなしつつ秘密裏に現地へ向かい、改めて拠点周辺を探ってから突入して制圧、できる限り生きたまま捕えて尋問にかける。
リラに速報が届くまで数週間といったところか。
ウィルフレッドはテーブルに手を置き、アレキサンドライトが嵌め込まれたカフリンクに目を落とした。同じ物をアベルもつけている。
「シャロンの守りがあるとはいえ……未然に防ぐ事ができればそれが一番だからな。」
「彼なら大丈夫だよ。騎士団でも屈指の実力者だ」
「ああ。吉報を待とう――…結末として、サディアスには悪い事をするかもしれないが。」
「……そうだね。」
言いながら、アベルは金の瞳で兄を見やった。
ウィルフレッドの表情に深刻さはあれど、部下の実母を切り捨てる事に罪悪感はないようだ。ニクソン公爵邸を訪れた際、サディアスが酷い扱いを受けていた事もまだ記憶に新しいのだろう。
母を亡くした子は嘆くものだが、サディアスがそうとは限らない。
じっと見られた事に気付き、ウィルフレッドはアベルと目を合わせて微笑んだ。
「うん?どうした。」
「意外だっただけだよ。ウィルは少しくらい躊躇しそうだと思ってたから。」
「そうなのか?ふふ、俺は優しい兄かな、アベル。」
「だと思うよ。」
「なら何も不思議な事はないだろう――お前が殺される未来なんて、俺は許せないんだから。」
「……そう。」
笑みを消したウィルフレッドの低まった声に、暗い瞳に、アベルは内心動揺する。
顔には出さなかったが、背中にうっすらと冷や汗をかく程には兄の本気が感じられた。冗談めいた明るさで「ありがとう」と返す。
サディアスの魔法で命を落とさなかったとしても、アベルはいずれいなくなる。
エリの言う「黒き魂」に飲み込まれ、自我を無くす前に、この身体を奪われる前に、消えなければならない。狂った王子など国にとって害でしかないからだ。
余裕があれば行方を探されないよう工作して消えるが、もし緊急事態となれば咄嗟の自死も、その失敗ゆえの他者による殺害もありえた。
――…そうなった時せめて、俺を殺すのがウィルじゃなければいい。
アベル自身はそれでも構わないけれど、ウィルフレッドが耐えられるかは別問題だ。
前兆があればすぐ自分の命に見切りをつける、それが最善だろう。未来の事はわからないが、どんな失い方をしてもきっと、シャロンはウィルフレッドを支えてくれる。
二人が揃っていれば大丈夫だと、アベルは心の中で呟いた。
南東校舎一階、医務室前にて。
「ご迷惑をおかけしましたわ、本当にすみません…!」
黄土色の瞳を涙で揺らめかせ、キャサリンが深々と頭を下げた。
貴族、それも侯爵家の令嬢に謝罪されたレオが恐縮した様子で手を振る。
「いやいや!大丈夫ですって。むしろちゃんと助けられなくて悪かっ、すみませんでした。」
「そんな、元々わたくしが不注意なせいで貴方にお怪我を…」
「怪我って程じゃね…ないですし。」
「お詫びに何か……そうですわ!是非これを受け取ってくださいまし。」
「いーって!」
明らかな困り顔でこげ茶頭をがしがしと掻くレオ、へなりと眉を下げて鞄を漁るキャサリン。そんな二人を神妙な顔で見つめるカレンの横で、ダンはシャロンと目を合わせ肩をすくめた。
意見交換会の後、キャサリンは階段を降りる途中で見事に躓いた。
たまたま階段の前を横切っていたのはレオ、ジャッキー、カレンの三人だ。まず鞄がジャッキーの側頭部に直撃、レオが慌ててキャサリンを受け止めようとするも、強烈な頭突きを食らって彼女の下敷きになった。
ポカンと立ち尽くすカレン、落ちた鞄、気絶したジャッキー達。
後ろから歩いて来たデュークが立ち止まり、ぱちぱちと瞬きをして、首をひねった。階段を見上げると驚いた様子で口元を押さえる令嬢令息が数名に、ひょこりと顔を出したネイト・エンジェル。
彼らが道を空けて現れたシャロンは「まぁ」ときれいな瞳を丸くして、ダンの手に掴まりつつ早足に下りてきた。
小柄なジャッキーをネイトが、レオをデュークが肩に担ぎ、キャサリンは公爵令嬢の従者であるダンが横抱きにして、皆で医務室に向かう。
幸いにも全員ただ気絶しただけで、こぶを作る事もなくほんの数分で目が覚めた。ジャッキー以外は。
レオに何かを渡すキャサリンを見つめ、シャロンは無意識に片頬へ手をあてた。
――階段を落ちる状況は全然違ったけれど……サロンで転びかけたキャサリン様を、ウィルが助けた時。あれはまるでゲームの初日にあった、ウィルの登場シーンそのものだったわね。スチルと重なってついびっくりしてしまった…
「ではわたくしは失礼致しますわ。皆様、本当にありがとうございました。」
しゅんと眉を下げて淑女の礼をし、キャサリンは転ばないよう気を付けながら歩いて行った。
カレンがレオの傍に行って手元を覗き込む。
「これは…レストランの優待券?」
「いらねぇって言ったんだけど、なんか押し切られちまって。」
「ほぉ、お礼に二人でお食事でも行きましょうってか?」
ダンがにやりと笑って言うと、カレンは目を丸くしてレオを振り返った。
「違ぇよ。話通しとくから、ジャッキーとでも好きに使ってくれってさ。」
「な、なんだ。そっか……」
「料金はキャサリン様が持ってくださるという事ね。ここならドレスコードに厳しい店ではないし、制服で入れるはずよ。」
「そんならよかった。かちっとしたトコだったらどうしようかと思ったぜ。」
「お前テーブルマナー壊滅的だもんな。」
「まぁな!」
レオが力強く頷いたところで、医務室の中から何かが落ちる音と「いてっ!」と苦悶の声が聞こえてくる。目を覚ましたジャッキーがベッドから落とされたのだろう。
四人は顔を見合わせ、苦笑して扉をノックした。
「デューク、来月は楽しみだね。」
廊下を歩きながら、ネイト・エンジェルが話しかける。
不揃いに切られた茶髪を掻き上げ、デュークは「ああ」と気の無い返事をした。茶色の瞳を持つ三白眼がじろりとネイトへ向けられる。
「剣闘大会なろ」
「もちろん。実力を示す事ができれば、騎士団や高位貴族からお声がかかる事もある。良いとこ見せられるよう頑張りなよ。」
「……?誰に。」
「…嘘だろ、自覚ないのか?あんな呼び方しといて。」
ネイトは呆れ顔で片眉を上げた。
あんな呼び方、と言われた事でデュークの頭に一人の少女が浮かぶ。
「姫さんのこっか。」
「わたしはウィルフレッド殿下の側近を目指すつもりだけど、君は違うだろ?」
「あんな考えれねぇ」
「考えろよ、勿体ないな。剣も魔法も腕があって頭も悪くないんだ、まかり間違って下っ端の雇われにでもなったら引き抜きに行くぞ。人材の無駄だからね」
「ん……」
デュークは腕組みをして首をこきりとひねった。
ウィルフレッドの事は尊敬しているし、アベルに信頼される事は光栄だし、レオと騎士団で力を奮うのも楽しいだろうし、ネイトとつるむのも満更ではない。
ネイトは悪そうに目を細めて笑った。
「わたし達の代は運が良いんだよ?王子殿下と公爵家が揃ってる。向こうもこちらを見るだろうし、君は君で、自分が誰に仕えたいのかよく見極めるといい。」




