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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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419.我儘主に物申す




 仁王立ちして弟を見下ろし、眉間に皺を寄せたエーファは口を開く。


「例の設計図の事だ。」


 半ば予想はついていたが、ヴァルターは困り顔で苦笑した。

 去年ロズリーヌが破壊した古い絡繰りの内部から、現代には伝わっていない設計図が見つかったのだ。絡繰り好きな王太子ギードは当初目を輝かせて解析していたが、仕組みを理解したところでこれを作ることを禁じた。


「ヴァルター、お前ならギード兄様を説得できるのではないか?」

「あれは諦めてください。」

「実用化できれば救われる者は多い!」

 ぐっと眉に力を込めたエーファの指先は自分の腕に食い込んでいる。

 それに気付きながらも、ヴァルターの声は冷静だった。


「多くを救えるほど万人向けじゃない。設計士の貴女ならよくわかっているでしょう」

「一人でも救えるならやるべきだ。」

「兄上も言っていましたが、経費を抜いて考えてもリスクが高すぎる。国民をそんな目に遭わせるわけにはいきません。」

「無論だ。死刑囚で治験を行ってより良い仕組みを研究すればいい。」

「……随分と際どい事を仰る。」

 目を細めたヴァルターの眼差しは冷たく、少しだけ声も低い。

 エーファは気圧されたように唾を飲んだが、持ち直して睨み返した。


 治験か、人体実験か。その違いは本人の意思にある。

 しかし拒否すればただ死ぬだけと言われて受けたなら、それは果たして自由意思による選択だったと言えるのだろうか。


「黒山羊が、我ら王家が守る知識は、殆どがそうやって培われたものだ!」

「戦時中という前提があってこそ。今の時代にする事ではありませんよ」



 魔力持ちの数や一人あたりの魔力量において、魔法大国ツイーディアは他の追随を許さない。かつてロベリアは対抗手段として魔力増強剤《スペード》を開発し、これを戦に使用した。


 膨れ上がる魔力は最初こそ大きな勝利をもたらしたが、敵も味方をも巻き込む魔力暴走が相次いで数多の不要な犠牲を出した。特に被害を受けたのは魔力暴走の知識がない自国の民だ。

 当時の王の首を切ってようやっと法で禁止したがもう遅い。スペードは他国にまで出回って各所で事件を起こす事となった。

 スペードが《ロベリアの罪》と呼ばれる所以である。


 そして今から二十年近く前、ロベリアの国内でスペードを混入させた風邪薬が大量に出回る事件があり、国のあちこちで魔力暴走が発生した。

 死傷者はもちろん、無事だった者も家や仕事を失って彷徨い、親を亡くした孤児が飢え、闇ルートで人が売られる事も珍しくなかったという。


 元は公爵令嬢だった王妃の側近夫婦はこの時に命を落とし――彼らの養子である当時十歳の男の子も、そこで行方知れずとなっている。



「確かに兄上なら、あのような緻密な絡繰りも作れるのでしょうが。接続時の問題が大きいし、何より……」

 続く言葉を口にするか、否か。

 ヴァルターは少しだけ考えたが、覚悟を決めるように小さく息を吐き、まっすぐにエーファを見据えた。


「酷な事を言うようですが、貴女が救いたい人達ではもたない。」

「ッ貴様!!」


 エーファは怒りのままに距離を詰め手を振りかぶったが、一切怯まない弟を見て動きを止め、悔しそうに唇を噛む。

 平手の形だった手のひらを固く握る拳へ変えて、勢いよく机を叩いた。整然と並んでいた筆記具や書類が揺れる。部屋の扉がノックされた。


「…殿下、何かございましたか?」

「何でもないよ。ありがとう」

 廊下の警備兵に朗らかな声で返し、ヴァルターはエーファに視線を戻す。

 怒りと苦渋に満ちた顔で目を伏せた彼女は、痛むだろう拳を引いて踵を返した。早足に扉へ向かい、廊下へ出て立ち去る時も振り向く事はない。


 閉じていく扉を黙って見守り、ヴァルターは椅子の背もたれに身を預けた。





 ◇





 石造りの部屋、檻の中には一頭のオオカミらしき獣が「おすわり」の姿勢でいる。


 だらりと垂れた舌の先から涎が床へ落ち、眼球は白目を剥いて、時折耳がピクピク痙攣していた。灰色の毛皮は脂っぽい汚らしさがあり、怪我を治されたのだろう、左脇腹の毛だけ無くなっている。


「これが噂の魔獣か。」


 瞳の白い吊り目、襟足を腰近くまで伸ばして結った朱色の髪。

 左耳には赤く輝くガーネットのピアスをつけ、アクレイギア帝国第一皇子――ジークハルト・ユストゥス・ローエンシュタインが呟いた。

 黒地に銀色の刺繍を施した軍服を着こみ、腰には数多の敵の血を吸ってきた愛剣を携えている。まだ今年で十六を数える年頃ながら、その逞しくも引き締まった身体が放つのは絶対的強者のオーラだ。


「ツイーディアではファイアウルフと呼称しているようです。吼える代わりに火を吐きます」


 ジークハルトから数歩離れた位置に立つ男が説明する。

 彼は昨年、ツイーディアの女神祭に宰相と共に同行した将軍の一人だ。親善試合では銀髪のアーチャー公爵と戦うのを楽しみにしていたが、ジークのルール違反でそれは叶わなかった。


 檻に差し込んで獣を叩くための長い金属棒を手に取り、将軍がファイアウルフをぐいと押す。

 特段嫌がる素振りも見せないファイアウルフは、よろけた拍子にボッと小さい炎を吐いて床に倒れた。ごろりと寝転がり、白目のまま瞬きをしてじっとしている。


「御覧の通り、皇女殿下のスキルは魔獣に効きが悪いようで……四号・五号の呼びかけにも反応しなかったため、現状、軍の駒としては使い勝手が悪いかと。」

「ふん…やはり合成獣(キメラ)と魔獣は違うな。スキルによる命令はせいぜい一つというところか?」

「仰る通りです。今は大人しくしているようご指示頂いておりますが、間接命令ではそれすら無理でした。命令を解けば人を襲い始めます」

 敵味方の区別がつかず、身に纏う脂は毒を有し、吐き出すのは炎。

 火薬を扱う事も少なくないアクレイギア国軍にとって、ファイアウルフは連れ回すに向かない生物兵器と言える。


 魔獣の存在すら知らない国は多い。

 ファイアウルフを使い捨てで放り込むだけでも敵は混乱するだろう。どういう原理かは知らないが、ツイーディアから離れれば離れるほどに魔力持ちの数は少ないのだ。

 しかし毒があり火を吐きろくに言う事を聞かない獣では、戦場へ運ぶまでの管理問題もある。現に城へ届いて皇女が魔法を施すまでは、火を吐かないよう鼻面を縛っていたようだ。戦争に連れて行く場合、ずっとそのままでは魔獣が飢えて死ぬ。


 元々はキメラ強化の研究材料にするべく密輸された。

 ジークハルトの命令によるものではないが、せっかくならと見に来たところである。


「生きてるのはこれだけだろうな。」

「はい。こちらの手の者に監視させていましたので、残りは死体で間違いありません。奴隷が魔石の取り出し作業をしております」

 淡々と報告する将軍にジークハルトは一つ頷き返した。


 アクレイギアとツイーディアは違う。

 少しでも魔獣が野生で繁殖するような事があれば、食料を探して僅かな田畑も食い荒らされ、人も弱い者は次々に殺されていくだろう。

 強い者は生き残るとしても、国を保つのは結局戦い以外を職として生きている人々だ。その数が減っては上を支えきれない。

 魔獣が現れることで移動が難しくなるのも頂けない。他国を相手に戦うのに、自国内の移動に手間取っている場合ではないのだ。


「ところで、皇帝派の連中の間で。貴方が一ヶ月後にツルバギア国を訪れる…とかいう噂があるんですけど。」

「ほう。」

 のそのそと身を起こしたファイアウルフを眺めながら、ジークハルトが適当な相槌を打つ。

 若き主君の横顔をジッと見つめ、将軍は眉間に皺を寄せて問いかけた。


「ただの噂ですよね。」

「まぁ出かけるのはその辺りだ。」

「何ッでですか!来月後半はバルサム公国に攻め入るんでしょうが!」

「潰した後で寄ればよかろう?」

「無茶言わないでください、ったくあんたはもう…!」

 これ以上は我慢ならぬとばかり、将軍が腰に佩いていた剣を抜き放つ。

 部屋の明かりがよく手入れされた白い刃に反射した。将軍の身体が完全に自分の方を向いても、剣を構えた腕を振り上げても、ジークハルトは落ち着いている。ファイアウルフが「おすわり」の姿勢に戻った。


「いい加減にしてください!」

 剣は全力で振り下ろされ、切っ先が頬を掠りそうだったジークハルトは首を逆側へ傾けて避ける。将軍は勢いそのままに足の向きを変えて腰をひねり、自分の後方の壁向けて剣を投擲した。


「がッ!!ぁ……」

 誰もいない壁際の空中に剣が突き刺さり、苦悶の声と共に暗色の衣服に身を包んだ男が現れる。心臓は貫けなかったようだが、腹には剣が深々と食い込んでいた。

 男は死に際を悟りつつも暗器を手に顔を上げ、しかしジークハルトを目に映す事すら叶わない。とうに傍までやってきていた将軍が、男の指が動くより早くその命を奪った。


 檻の中のファイアウルフがひくひくと鼻を動かす。

 血を嗅ぎ取っているかと考えるジークハルトは、死んだ男のほうを見てもいなかった。


「それで、実際どういうおつもりで?」

「ツルバギアと聞いたなら、半年前に入った髪が麦色の侍従を切っておけ。いらん」

「…承知しました。」

 男の所持品を漁りながら将軍は眉を顰める。

 噂は炙り出しに使った嘘のようだ。麦色の髪は誰の紹介で来たのだったか。


「実際に行くのはツイーディアだ。公国は公爵の叔父と話がついている、挟撃になるから予定より早く終えるだろうよ。」

「………殿下、私それ両方初耳なんですけど。」

「くはっ、今初めて言ったからな。」

 笑いごとじゃねぇと心の中で叫び、将軍の拳がわなわなと震える。

 どういうつもりなんだと再度問うてみれば、公国に軍を置いたままジークハルトはツイーディアへ行くという。皇帝にはツイーディア行きを伏せるつもりなのだろう。


「はぁ……頭が痛いです。それで、ツイーディアのどこです?ブラックリーのジジイは旅に出たって聞きましたけど。」

「孤島リラだ。」

「……せめて本土では?何で…あー、王子達は今年からそっちでしたっけ。」

 ため息をついて立ち上がり、将軍は手や顔についた血をハンカチで拭った。

 ファイアウルフは白目を剥いたままきょろきょろと顔を動かし、死んだ男の方へ鼻を向けている。


「くく、義妹(いもうと)の頼みでな。」

「妹?どれです。六人もいるんですから、名前か順番で言って頂かないと。」

「あちらにいただろうが、縁起が良くて義弟(おとうと)と仲の良い女が。」

「……あぁ、紫のご令嬢ですか――って、女の頼み!?危険な発言はやめてください!」

 将軍は真っ青になってついあちこちに目を走らせるが、部屋にはジークハルトと彼以外に魔獣しかいなかった。むしろ自分の声が響いてやしないかと、口元を押さえて部屋の隅にある上への階段をじっと見る。特に、足音などは聞こえなかった。

 ほっと胸を撫でおろし、鬼のような形相でジークハルトに詰め寄る。


「ッ殿下、二番目にでも聞かれたら最後、ツイーディアに特攻されて開戦ですよ!」

「そうはならんだろう。」

「なるでしょうがッ!貴方は相当やばいブラコンを飼ってるって自覚持ってください!こっちがどれだけ、」

「あァ。お前が必死で止めるから、そうはならんだろう?」

「………。」

 鋭い歯を見せてにやりと笑う主君に、将軍は思わず閉口した。

 信頼が嬉しいと思ってしまった自分が憎い。あの暴走娘を止めるのにどれだけ骨が折れることか。なんと損な役回りだろう。

 女の頼みだか義妹の頼みだか知らないが、ここは一つ、我儘な主に物申さねばならない。


 馬鹿を言わないでください、大体あんた向こうで大人しくできるんですか、考え直してくださいと。

 将軍は意を決して口を開いた。



「…護衛、ちゃんと連れてってくださいね……。」






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