41.怪力令嬢シャロン・アーチャー
私はとうとうやり遂げた。
レナルド先生が課した素振り五千回の試練を。
お父様を通じて報告して、まずは先生の仕事がお休みの日に一度来て頂く事になった。
「いよいよですね、シャロン様。」
「えぇ、メリル。ようやくだわ」
これまでは長く剣を持ち続けられるよう、筋力、精神力、集中力、持続力を鍛える段階だった。次は実戦的な扱い方だ。
すぐにでも訓練に移りたいので、今日は服装も髪型もあらかじめ動きやすいものにしてもらっている。
部屋の扉がノックされ、ランドルフが先生の到着を告げる。私は表情を引きしめて玄関へ向かった。
短い赤髪に右目の黒い眼帯。
今日の先生は騎士団の制服ではなく、シャツにベスト、スラックスというラフな出で立ちだった。
「レナルド先生!」
「こんにちは、シャロン様」
左目にある緑色の瞳が優しく私を見下ろしている。
どこか困った顔にも見えて首を傾げると、先生は苦笑いして私の頭を撫でた。
「まさかこんなに早いとは思いませんでした。」
「ふふ、頑張りましたから。」
本当は魔力で補助しているからなのだけど、それは内緒にしておきましょう。どういう事か聞かれてもまだ上手くコントロールできないし…。
「あれっ!?あんたこの前の…!」
その声に驚いて扉が開いたままの玄関を見れば、こげ茶色の髪にバンダナを巻いた少年――ゲームの登場人物であるレオ・モーリスが、門前からこちらへ駆けてきていた。
琥珀色の瞳をまん丸にして。私もまん丸になるというものだ。なぜ彼がここに?再会は学園になると思っていたのだけど…。わかっていて連れてきたわけではないらしく、レナルド先生まで意外そうにしている。
「二人は知り合いでしたか。」
「悪いやつ捕まえるの手伝ってくれたんだよ。なっ!」
「え、えぇ。」
レオは人懐っこい笑顔で私の肩を横からバシバシと叩いた。
悪気はないのだろうけど、今すぐやめさせないと使用人達が黙っていない。痛いわと口にする前にレナルド先生の拳骨が落ちた。
「あの後は大丈夫だった?貴方に任せてしまったけれど」
「おう!ちゃんと騎士に引き渡した。あの背ぇ高いニイちゃんはいないのか?あんたの兄貴…じゃないよな?」
ダンが私を「お嬢」と呼んだ事を思い出してか、レオは辺りを見回しながらそう言った。軽く頭を擦ってはいるけれど、拳骨が落ちた事に対して特に何も言わないみたい。慣れているのかしら…。
そして「あんた」呼びも直してもらわないと、ランドルフが聞いたら大変な事になるわね。
「彼はうちの使用人よ。今は仕事中だから、後で声をかけてみる?」
「おっ、いいのか?じゃあ頼む!ところであんた名前何?」
「失礼ですよ」
ごちん、ともう一度拳骨が落ちた。
レオは背筋を伸ばしてから私に手を差し出して笑う。
「俺はレオ!レオ・モーリスだ。よろしくな!」
「アーチャー公爵家長女、シャロンです。よろしくね、レオ」
ゲームで見た通りの快活さについ微笑んで、私は彼の手に自分の手を重ねた。
軽く握手するだけかと思いきや、がっしりと掴まれてブンブン振ってくる。さ、さすがはファンから大型犬と言われていた人。
「彼は騎士志望であり、私が幾度か剣を教えています。」
レナルド先生からの補足が入る。
確かに、主人公が学園で出会った彼は自ら「騎士見習いのレオ」と名乗っていた。今すでに十三歳の彼がなぜ今年入学していないのかと言えば、「学園で勉強するより騎士になるための鍛錬がしたい」から。
ゲーム画面の中、ため息をついていた彼の姿を思い出す。
『俺が入学しなかったの聞きつけた師匠に、めっちゃくちゃ怒られてさー…。来年入学しなければもう二度と教えませんとか言われて……それでやむなく。』
――あら?もしかして、その師匠がレナルド先生だったのでは。
「シャロン様。」
「はいっ!」
ゲームの考察に入りかけていたので、ついびくりと肩が揺れてしまった。
「本日を含めて剣の指導はさせて頂きますが、私は頻繁には来れません。その間レオは良い訓練相手になるかと思います。」
「な、なるほど!」
「…レナルドさんはそう言うけどよぉ。」
レオは言いにくそうに視線を彷徨わせながら、苦い顔で呟いた。
「初心者なんだろ?俺が剣を始めたのは……うーん、見てやるのはいい…けど、俺は…」
彼が何を言いたいのか察して、納得した。
私の鍛錬にはなっても、レオにとってどこまでメリットがあるかというところだ。損得より人情で動く彼には言及しにくい事であり、とはいえ令嬢の修行より自分の修行を優先させたいのでしょう。
騎士になりたいという彼の夢を思えば当然の事だった。
「今日打ち合ってから考えなさい。」
「い゛っ!?素振りしかやってねぇんだろ?勝負になんねーって!」
「ではシャロン様、庭へ行きましょう。」
「はい!」
「道具も持ってきましたので、準備してからやりますよ。」
道具とは一体なんだろうと首を傾げつつ、私はレオと一緒に先生の後について庭へ向かった。
「あれ、これは使わないのですか?」
レナルド先生が木剣を取り出したので、素振りで使っていた剣を持ってきた私は不思議に思って聞いた。先生が笑う横で、レオが焦った様子で手を振る。
「いやいやいや!素人…それも女子、おまけに貴族相手にいきなりそんな事できるかよ!」
「そうなの?」
「俺が下手やって顔に傷でもついたら……」
その先の事を考えてか、レオがブルッと震えて両腕を擦った。
確かに一般常識で言えば、平民が貴族――それも未婚の公爵令嬢の顔に傷なんてつけたら、ただでは済まない。
といっても今回はこちらがお願いしている立場だし、そうなっても文句を言うつもりはない。むしろ治癒の魔法の練習になるのでは?自分ではやらせてもらえなさそうだけれど。
……なんて、私本人は気楽に考えていても、お父様はさすがに騒ぐかもしれないわね。
「では、向き合って。まずは《礼》を」
レナルド先生がにこやかに言う。
私とレオは距離をとって向かい合い、胸の前に剣を掲げて「よろしくお願いします」と言う。一拍の後、そっと下ろした。
「…本当に大丈夫なのかよ。」
レオは不安そうだ。
彼は優しいから、私の心配をしてくれているのだろう。
「最初は受けるだけで構いませんよ。シャロン様、とりあえず打ち込んでください。彼の胸を借りるつもりで、思いきり。」
私はレナルド先生に頷いて、剣を構える。
レオは私が打ち込みやすいよう、あえて少し力を抜いて構えてくれているようだった。
「――いきます!」
初めてだから、どきどきしていた。
無駄に力を込めてしまう肩を、手を、どうしたらいいかわからない。高揚と緊張が混ざり合って自然体ではないと自覚する。
駆けながら小さく息を吐いても、ほんの僅かしか力は緩まなかった。
でも、とりあえずでいい。未熟だなんてわかりきってる、最初から完璧を目指さなくていい。
ただ、今できる事を!
「はぁっ!」
真正面から振り下ろした剣は、なんてことなく受け止められた。当然の結果だから、驚く事もへこたれる事もない。後ろに跳び退ってすぐに地面を蹴り、もう一度、もう一度と何度も剣を振る。
一撃で離れたのを、二撃にして。
「二撃目の振りが遅いですね」
「はい!」
正面ではなく横からも狙って。
「きちんと足の位置まで考えて踏み込みましょう」
「はいっ!」
剣を重ねてから相手の力を受け流し、体勢を崩せないか試みる。
「剣にこだわらず。貴女には体術もある」
「やってみます!」
これはどうか、あれはどうかと試しながら、レナルド先生のアドバイスを頭に刻んで身体を動かす。一つ気を付けるとどうしても他が疎かになる。少しずつ、少しずつ慣らしていく。
「…ッ、うお!」
何度も何度もやるうちに、レオが声を漏らすようになる。
一撃目は微動だにしていなかった彼が、剣だけでなく足も動かして私の攻撃に対応する。レオがどうやって受け止めているか、全ては観察できなくても見れる範囲で確認する。有効打を探すために。
「ちょっ…なん、どういう事だ!?」
「はぁあっ!」
強く地面を蹴り、相手の剣を受け流して懐へ入り、肘を叩きこもうとする。服は掠ったけれどレオは後ろへ飛び退って避けた。
追い打ちをかけなくては。私は剣を構え直し――
「待て!ちょっと待て、シャロン」
「っ!?……はぁ、はぁ…な、何かしら。」
手のひらを突き出してきたレオに驚いて慌てて立ち止まり、集中が切れてしまった私は肩で息をする。壁際でハラハラと見守っていたメリルが、水とタオルを持って飛んできた。
「何かしらって、いやお前…上達が早すぎないか!?」
「え……?」
すっかり息があがっている私と比べてレオは平然と立っているし、彼の剣を弾けたわけでも、一撃与える事すらできていないのだけれど。
困惑してレナルド先生を見ると、楽しそうに微笑んでいた。
「そう。早いんですよこの方は」
「こえぇって!先に言っといてくれよ!」
「嫌ですか?シャロン様の相手は。」
緑の瞳がどこか挑戦的に光る。レオは私を見ると、にやりと笑って剣を構え直した。
「全然!どこまでいくか楽しみだな!」
「剣ばかりの貴方より、体術は彼女の方が上ですからね。」
「すっげぇな、じゃあぼちぼち俺から!」
私からメリルが離れるのを待って、レオが剣を持つ方の肩をぐるりと回す。
その目が一瞬真剣な光を帯び、笑顔が消えて――ガンッ、と私の剣を打ち鳴らす。
踏ん張りが弱かったみたいで、私は突進してきた彼の剣を受けきれずに後方へバランスを崩した。
突きでこられていたら受け止める事もできなかったと思う。手加減されていると感じながら、なんとか重心をずらして受け流す。レオが楽しそうに笑ったのが見えた。
追撃される前に体勢を立て直そうとしたけれど、そちらは間に合わない。
半端に受けた剣が弾かれ、でも「剣から手を離したらダメ」だ。柄は握りしめたまま、後ろに跳び退って距離を取る。
レオが再び追ってくる。
――避ける?いえ、迎え撃つ!
そう決めた途端、意気のせいか全身が熱くなった気がした。
あら?待って、これってもしかして。なんて思う間にもレオは迫っていて、私は思いきり踏み込んで、思いきり剣を振っていた。
ゴッ。
レオの手から容赦なく木剣が弾き飛ばされ、回転しながら宙を舞い、アベルやチェスターがよく越えてくる柵に突っ込んだ。彼らが今あそこに来ていたら危なかった。
「………えっ?」
剣がもぎ取られるような感覚だったろう手のひらを見つめて、レオは私を見た。剣をフルスイングしてそのまま固まっている私を。そして、鍔のおかげで柵で止まる事ができた剣へ視線を移す。
壁際に立っていたレナルド先生も、メリルも、柵の上の方で嵌ってしまっている剣を、軽く口を開いて見ている。私がゆっくり剣を下ろすと、レオがぽつりと聞いた。
「…なんだ、今の馬鹿力?」
「えと……」
「あんた、もしかしてすげー怪力?」
「そんな事はなくて…」
どうして発動してしまったのか、それは私にもわからない。
もうすっかり身体の熱は引いている。どうやら身体強化は一瞬だけ出て、そして役目は終わりとばかり引っ込んでしまったようだった。
「たまたまです……」
苦しい言い訳をするしかない私である。
とはいえ、まったく再現性のない力だったので、剣の当たり所と火事場のなんとやらだろうという結論になってくれた。
一刻も早い身体強化コントロールの習得が必要だと、私は身に染みて感じたのだった。




