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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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417.だいぶ極まってる




 日曜の午後、王立学園のサロンの一室には第二王子アベルの姿があった。


 重そうなアンティーク調のテーブルを挟んだ向かいには一人の女子生徒が座っている。

 青みがかったグレーの前髪は真っすぐに切り揃えられ、後ろ髪は肩につく程度まで伸びていた。四角い眼鏡の奥には青い瞳、両耳に幾つもピアスをつけている。


 王国騎士団四番隊副隊長の娘、ダリア・スペンサー。

 機嫌良さそうにニコリと微笑んで、彼女は幾つかの資料をテーブルに広げた。アベルへの土産である。


「父からです。魔獣の自然繁殖が懸念されるアッシミーリ渓谷を囲う四つの伯爵領について。同じ内容は騎士団長閣下にも昨日届いているかと。まずこちらはベレスフォード伯爵ですが、ご存知の通り領地経営においては恙なく現状維持しており…」


 ダリアの話を聞きつつ、アベルは黙って資料に目を通した。

 彼女は記載された内容を簡潔にまとめるだけでなく、アベルが読んでいる箇所を瞳の動きから推測して口頭で補足している。


「お次は宰相閣下より。センツベリー伯の先代が提出した身分証明の署名押印は、鑑定の結果本物で間違いありません。ま~これは予想されてたでしょうけど。で、タクホルム郊外に住んでいたティモシー・インスは平民で故人……そうそう、ぼくも四年のコリンナ・センツベリーに確認しましたが、現地では偏屈で有名だった彼にいつ子供ができたのか?嫁は?伯爵邸に来るまでどこで育っていたのか?証言できる人はいないみたいですね。」

「…これ、ウィル宛なんじゃないの。」

「あ、バレました?」

 まったく悪びれずに笑顔を浮かべ、ダリアはわざとらしく首を傾げる。

 資料に宛名など無いが、共に届いた指示書に「第一王子殿下へ渡すように」と書かれていたのは確かだ。


「ま、いいじゃないですか。依頼したのは連名って聞きましたし、ウィルフレッド殿下はぼくに思うところあるでしょうし。」

「自業自得でしょ」

「んひひ、仰る通りで。……そういえば、殿下はあの時ぼくに何も言いませんでしたね。シャロン様が怪我しようとどうでもいいんですか?」

 からかうような声でダリアが言うと、アベルは書類から目を離して彼女を見据えた。

 あの時とは二か月ほど前、《体術》の授業でダリアがシャロン・アーチャーの頬を蹴りつけた事件を言う。

 ()()()()かという好奇心により、敢えて強く蹴ったのだ。


 無論、授業でなければそんな事はしない。

 ダリアはギリギリ自分が処断されない範囲で、シャロンやウィルフレッド達の反応を見たかった。第一王子派である兄姉からは怒りの手紙が届き、アーチャー公爵と同じく中立派の父は、「相手を試したいならやり方を考えろ」と書いて寄越してきた。概ねダリアの予想通りである。


 噂はすぐに広まり、学園にいる貴族の子供達からも様々な言葉を貰った。中には否定も肯定もせずこちらの出方を探る者や、考え無しに「よくやった」と褒める者もいる。

 そんな中第二王子だけはこの件を見てもいなければ話題にも触れず、どう思っているか未だに不明だった。


「君には、ウィル自ら忠告したと聞いてるけど。」

「ええ、二度としませんって約束しましたよ。」

「僕から付け加えることはない。」

 素っ気なく返して、アベルは再び資料に目を落とす。

 ダリアは彼を観察したが、苛立った様子もなく普段と変わらぬ平静さだ。シャロンに対して特別な感情を抱いているようには見えない。


「…ちぇー、つまんないなぁ。」

 少しだけ目を細め、ダリアは心の中で考える。

 ウィルフレッドの怒りは確かな熱がこもっていたけれど、男女のそれではなかった。恋い慕う少女を守りたい少年でも、大事な恋人を守ろうとする男でも、愛する未来の妻を守る夫でもない。

 真っ向から彼の怒りを受けたダリアにはそれがよくわかっていた。


 ――あのブローチ。消去法で考えれば、言い出したのはウィルフレッド殿下だろうけどさ……アベル殿下までこれじゃあ、シャロン様も可哀想にね。王子と揃いなんて断れないし、かと言って付けてたら縁談まとめるのに邪魔でしかないでしょ。


 もっとも、公爵も娘をできる限り令息達から隠していたと聞くから、彼女自身そういった話はもう少し後でと思っているのかもしれない。アーチャー家の娘なら欲しがる家は多いし、ルーク・マリガンに弟子入りを認められる実力なら、いっそ一人でも生きていける。焦る必要もないのだろう。

 それにウィルフレッド達との信頼関係はあるのだから、今は燃えるような情がなくとも、順当にどちらかと結婚したって良い。


 すべて読み終えたらしいアベルが書類を重ね、トン、と端を揃えた。


「もうすぐ剣闘大会ですねぇ。」

「ああ」

「殿下は誰に投票するんですか?」

「……賭け事でもあるのか。」

 呆れたように言うアベルにダリアは「いいえ」と口角を上げ、もったいぶった仕草で眼鏡を押し上げる。


「当日コロシアムに入る生徒は一人一票、同学年の女子生徒に投票できるんです。」

「……そんな事をしてるのか、この学園は。」

「んひひ、いいじゃないですか。平民も通ってる上に未成年の多い学び舎ですよ?参加者の男女比はやっぱ偏りますし、それくらいの娯楽をして華を添えないとね。」

「華ね…」

 アベルは少し眉根を寄せて書類を自分の鞄に押し込む。

 確かに生徒が盛り上がりそうなイベントだが、一部の令嬢にとっては自身の求心力を試される試練だろう。ライバル派閥に負けないよう脅しをかけたり賄賂を配る者も出るはずだ。


「不正行為がありそうなものだけど。」

「結果は一位しか発表されないんですよ。しかも、同率一位の場合はランダムに選ばれます。だから一位じゃなくても言い訳が立ちますし、不正行為は発覚次第休学だとか。」

「へぇ」

 適当に相槌を打って、アベルは飲みかけだったコーヒーをぐいと飲み干した。

 生徒会からも教師からも人気投票の話は聞いていないが、アベルに話すほどの事ではないからだろう。ダリアは悪戯っぽく片目を瞑った。


「なんなら、ぼくに投票してくれてもいいんですよ?」

「それは無いね。」

「んひひ、つれないなぁ。おっと…そろそろ失礼しなきゃですね。大会楽しみにしてますよ、殿下。」

 ひらりと手を振ってから騎士の礼をし、ダリアは薄く開いていた扉を押して部屋を出ていった。

 

 すぐ外に待機していた黒髪黒目の男子生徒が代わりに入室し、アベルに向かって「お疲れ様です」と礼をする。

 凛々しく男前な顔立ちをした彼は二年生の伯爵令息、シミオン・ホーキンズだ。

 常に真顔の彼をじっと見つめ、アベルが聞く。


「剣闘大会で女子生徒への投票があると聞いたけど、お前は去年どうしたんだ。」

「ノーラに入れました。無効票扱いになったと思います」

「……そうか。」

 恐らく今年も同じ事をするのだろう。

 見え透いた未来のことはさておき、アベルは鞄を持って立ち上がった。






 夕陽が沈み、薄暗い空に一番星が光る頃。


 用事を済ませ、雑貨店に寄るというシミオンと別れたアベルはリラの街を歩いていた。

 フードを目深にかぶっているため、傍目には学園の――恐らく腕に覚えのある貴族だろう――男子生徒としかわからない。


「さぁ皆様いらっしゃい!今日のおすすめは厚みたっぷりステーキに、特製オニオングラタンスープも絶品だよ!」

「………。」


「え~帰り道のお供に串焼き肉~便利なカップ付き三本セットもありま~す。そこの少年いかがっすか~」

「いい。」

「あ~いまた今度おねがっしゃ~す」


 メインストリートに美味しい香りが漂う時間だ。

 制服を着た少年少女が何人か、ぱらぱらと食べ歩きをしながら学園を目指している。令嬢が五人集まって楽しそうに話しながらレストランに入っていくが、護衛らしき男子達は店先で待たされるようだ。各々姿勢を崩して露店を指差している。交代で買って食べるのだろう。


「ねぇ君イイトコの坊ちゃん?お姉さん達とご飯でも」

「いらない」

「せめて見てから言いなさいよ!…あ、おほほ…失礼……」


「美味いメシに可愛い女の子つきま~す。健全だよ~、おっ学生くん、男上げてく?」

「いらない」

「先に絵姿見れるよ?チェンジも…おーい」


 親の目がない内に羽目を外す令息も多少なりといて、遊び目的でふらつく生徒はこういう声掛けについていく。

 外見に自信のある平民の女性は経験のない少年を上手く引っ掛け、貢がせてそのまま愛人におさまるケースもあった。もちろん逆のパターン、令嬢が愛人を見つける事もある。


 アベルの横を通り過ぎていった一台の箱型馬車が少し先で停まった。

 気にせずに進むと、近付いてきたタイミングで扉が開く。


「そこの貴方、もし宜しければ乗りませんか?」


 すたんと降り立ったのはフードを深くかぶった背の高い男だ。

 断ろうとしたアベルは声に聞き覚えがあると気付いて片眉を上げ、男の顔を見た。にやりと笑ってこちらを見下ろしている。アベルは歩みを止めずに道を譲った男の前を通り、馬車の中を見て足台も無しに乗り込んだ。

 扉が閉じられ、先ほどの男は馬車の後部にある従僕の立ち位置へ飛び乗った。アベルが二人席の手前側に座り、窓のカーテンを閉める。馬車が進み出した。


「こんな時間まで何してる。シャロン」

「喫茶店にこもって自習していたわ、アベル。」


 かぶっていたフードを脱ぎ、シャロンは花開くようにくすりと微笑む。言外に「会えて嬉しい」と言われたような錯覚を覚え、アベルは眉を顰めて視線を前へ戻した。

 そんな反応にシャロンは瞬き、尋ねるように首を傾げる。編み込んでハーフアップにした薄紫の髪がさらりと流れた。


「じ、時間が遅めだなとは思ったの。だからほら、ちゃんと馬車を使ったでしょう。」

「…そうだね。」

「なんとなく窓を見ていたら貴方がいて、ダンがすぐ馬車を止めたのはびっくりしたけれど……午後も会えると思っていなかったから、すごく嬉しいわ。」

「……。」

 アベルは左側の壁にもたれ、ごん、と軽く頭をぶつけた。特に意味はない。


「眠いの?肩を貸しましょうか。」

 シャロンの声は真剣だった。患者を案じる医師のように。


「クリスは膝の方がよく寝るのだけど、さすがに――」

「眠くない。」

 義弟(おとうと)扱いもだいぶ極まっているらしい。

 アベルは不機嫌な顔のままきっぱりと言って、元通り身を起こした。シャロンが自然な手つきでアベルのフードをぱさりと脱がし、少し乱れた黒髪を軽く撫でるようにして整える。

 第二王子殿下の眉間の皺が深まった事に気付いているのかいないのか、彼女は「これでよし」とばかり満足気に手を離した。姉の顔である。


「…お前……」

「なぁに?」

 アベルは文句を言う気だったが、ほくほくした笑顔を見て開きかけの唇を閉じた。

 小さくため息を吐いて背もたれに右肘を乗せ、僅かに乱れていたシャロンの横髪を指で梳く。指の背が耳朶を掠めた瞬間、シャロンはつい瞬いて目を泳がせた。

 無事に世話を焼き返したアベルは、そのまま背もたれに腕を置いて考え込む。


 ――フェル・インスの正体……気にはなるが、エリ姫の状況がわかるまで下手に触れないでおくか。シャロンは入学前の段階で、アロイスについて誰かから聞いているようではあったが……カレンもレオも、会った事を教えていないと言っていた。リラに現れた事はまだ知らないはずだ。


 それに泣かれても困ると、アベルは心の中で呟いた。

 以前アロイスについて問い詰めようとした時、シャロンはおもむろに泣き出してしまったのだ。その後続報は無いよなと確認してもよかったが、泣かせてまでかと問われれば否だ。


「……ぁ…あの…」

 接触していないとはいえ、ほぼ肩を抱かれているに近い状況だった。

 耐えられなかったシャロンは声を絞り出しながら身をひねり、アベルの右腕の服を軽く引っ張る。促されるままにシャロンの背中側から前へ腕を動かしながら、アベルは今更、自分は背もたれに右腕を置いていたのだと思い出した。

 流れで自分のほうへ引っ込めようとしたが、


「こうしてても、いい?」


 アベルの右手を両手できゅっと包み、心なしか頬の赤いシャロンがじっと見上げてくる。

 それは――「背中側に腕を回されるより手を繋ぐ方が慣れてる」という事であり、前者はちょっと恥ずかしかった等とは言えず、正確には「こっちでもいい?」だったが――たっぷり三秒の間が空くくらいには、アベルの思考を止めた。


「……別に、構わない。」

「ありがとう、アベル。」


 シャロンは嬉しい時などについ人の手を握る事があり、未来の義弟であり友人でもあるアベルと手を繋ぐ事で安心するらしいので、邪推して騒ぐような人間に見られていないのであれば、こうしていても問題はない。


 彼女が急に手を繋ぎたがった理由を正しく推測し、納得したアベルは軽く右手首をそらした。自然にシャロンの右手が離れる。

 代わりに彼女の左手の指を絡め取り、二人の間にぽんと置く。重なっているのはシャロンの手が上なのに、その指先をアベルが捕えている形だった。


「子爵の特別授業はどうだ?問題ないか。」

「……えぇ。あの、すごく興味深くて…難しい事もあるけれど、ためになっているわ。」


 平然と会話を始めたアベルは前を見ている。

 頬が赤らんでいるわけでもなければ照れた気配もなかった。少しぎこちなく答えながら、シャロンもアベルから目を離す。


 こんなにも胸が温かいのに、奥の方がつきりと痛んだ気がした。




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