415.噂は変わるもの
フォーブズさんをお姫様抱っこしたレイクス先生の隣を歩く。
堂々とした先生の歩みについていこうと、私はちょっとだけ急ぎ足だった。たぶん早めに終わらせようとしてくれてるんだと思う。
「夜に気絶した女子生徒を一人で運ぶというのは、さすがに避けたくてな。事実はどうあれ、噂されるとかなり厄介なんだ。」
「あ、そういう事なんですね。大丈夫です。私、証人になります!」
「はっはっは、ありがとう。心強いぞ」
胸の前で握り拳を作った私に、先生はからからと笑う。
授業で会う事はないけど、相変わらず気持ちの良い笑い方をする人だなぁ…。
『学園都市リラへようこそ!!』
入学式の日、リラの教会で私達を迎えたのがレイクス先生だった。声が大きくてびっくりして、つい横にいたレオをつねっちゃったんだっけ。女の子達が「かっこいい!」ってはしゃいでて。
確か、昔は王都の騎士団にいたってデイジーさんから聞いた。
次の騎士団長はこの人で間違いなし!って程の人気と実力があって――私やレオはまだ全然小さい頃だし、王都住まいじゃなかったデイジーさんも又聞きのはずだけど――でも、ある日突然騎士団を辞めちゃった。
貴族じゃなくなったりまたなったり色々あったらしくて、デイジーさんいわく「ご家族はあまり評判が良くなかったそうだから、きっと巻き込まれたのよ」なんて言ってた。確かに、先生本人が何かしたのなら学園で先生になれない……よね?
何か知らないか聞かれたレベッカは、「いくら家族でも、騎士がそんな事情ボロボロ喋るわけねぇだろ」って。「上位貴族や王族の方がよっぽど事情を知ってるだろ」って、言ってたな。きっと、ウィルフレッド様達は知ってるんだろう。
裏庭を抜けると私は小走りに外通路へ駆けて、先生が通れるよう北校舎の扉を開けた。お礼を言ってくれた先生が、ふと「そういえば」と呟く。
「呼び出された君はともかく、フォーブズはなぜあんな場所へ行ったんだ。何か知っているか?」
「えっと…女神様の噂を知ってたみたいです。」
「女神?ああ、グレンが調べている件か。俺達がいた頃はそんな噂なかったんだがな…」
「俺達って、グレン先生の事ですか?」
たぶんそうかなと思いながら聞くと、レイクス先生は「同級生だ」と教えてくれた。
考えてみれば先生達は基本的に魔力持ちで、この国の魔力持ちは大体がこの学園に通うんだから、先生達の母校もここなんだよね。
「先週はあそこで幽霊が出たみたいですよ。」
「ほう?昔は別の場所が出ると言われていたが、やはり変わっていくものだな。」
独り言みたいに先生が呟いた。……聞かなかった事にしよう。
私はレオから聞いた通り、東屋で不気味な笑い声がしたのに誰の姿も無かったこと、血が滴り落ちてきたこと、次の日見に行ったら血なんて無かったらしい事を伝えた。
「ははは、そうかそうか。幽霊の正体がわかったぞ。」
「えっ!?」
「先程少し話していたが、グレンは先週もあそこにいてな。翌日が休みだからと酒を飲んでいたわけだ、笑い上戸のあいつが。」
「……ま、まさか」
「俺が見つけた時は赤ワインを零して眠っていたから、叩き起こして掃除させた。」
「うわぁっ……!」
幽霊騒動の謎がすっかり解けちゃった。
皆に会ったら伝えよう…それともグレン先生のためには、黙ってた方がいいのかな?
レイクス先生は「すまんな、あいつには俺からも言っておこう」と笑う。
北東校舎を通って南東校舎へ。
こつこつと、私と先生の靴音が薄暗い廊下に響いていた。
人通りが少ないからか、壁掛けランプは一つ飛ばしに火が灯されている。女神祭の夜とかは皆寮に戻る時間が遅いだろうから、ここも全部火が入るのかな。
そんな事を考えながら、何気なく先生を見た。
人一人抱えても全然ぶれず、背筋をピンと伸ばして歩いている。真っ直ぐに前を見据え、口元には薄く笑みを湛えて。
「どうした?」
「――…あ、いえ……何でもないです。」
何という事はないんだけど、ジッと見ちゃってた事に気付いて慌てて目を前に向けた。
見惚れてたとか思われるとよくないよね。そういうわけじゃないんだけど…胸の奥でほんの微かに、燻るような。
焦るとか、悲しい、驚いた?それとも安心…嬉しい、頼れるとか?どれも違う気がする。チリッと一瞬感じた何かの正体はわからなくて、まぁいっかと忘れる事にした。
見惚れるならホワイト先せ――…これも今は考えないようにしよう。うん。変な顔になっちゃうから…。
「……どうも。」
医務室のネルソン先生は、すごく不機嫌な顔で私達を出迎えた。
最初から廊下で待ってたのは何でかと思ったら、他の人から既に連絡を受けてたらしい。悲鳴が聞こえた先生や職員さんは、風の魔法で飛ぶレイクス先生の「自分が行く」って合図を受けて、ひとまず学園長先生や医務室への一報を入れたんだとか。
医務室担当、ノア・ネルソン先生。
長いオリーブ色の髪、ホワイト先生と同じくいつも白衣を着てて、内側はきちんとネクタイを締めたシャツにズボン。右頬には古い切り傷がある。びっくりな事にシャロンの叔父さん。《護身術》の授業で派手に転んじゃった時とか、私も何回かお世話になった。
深い紺色の瞳は不満たっぷりにレイクス先生の腕の中、気絶しているフォーブズさんを見やって。
「今日の馬鹿はそれですか。」
「夜に悪いな、ノア。」
「そちらのベッドにお願いします。お前は?」
「わ、私は証人で!怪我は無いです。」
「結構。」
レイクス先生が一度フォーブズさんをベッドに座らせて、ネルソン先生が彼女の目を開いて確認したり、後ろへ倒れたと聞いて後頭部を確認する。
その間に私がせっせとブーツを脱がせて、未だに気絶してる彼女はようやく横になった。
ネルソン先生が私に椅子へ座るよう促す。
フォーブズさんはグレン先生に驚いて倒れた事とか、幸い、石の床じゃなくて地面の上だったとか、そういう話をした。服についた土や草っぱを払ってくるよう勧められたレイクス先生が戻ってくる。
「話は終わったか?」
「…今ちょうど、女神がどうという噂を聞いてました。」
「ああ。俺達の頃には無かったはずだが、お前達の代はどうだった?」
軽く聞きながら椅子に腰掛けたレイクス先生は、私に「ノアは俺の二つ下だ」と教えてくれた。
王立学園は四年制だから、二年かぶってたって事だね。
「三年の夏ぐらいにそんな話ありましたね。うんざりしたので覚えてますよ。」
「ん?なんだ、俺の代が卒業してすぐだったか。」
「婚約成立が学園に伝わったのがその頃というだけで、事が起きたのは貴方がたの代かと。」
「…どういう事ですか?」
つい、口を挟んでしまった。
ネルソン先生は「エンジェルの方が詳しいと思いますが」と前置きして――《魔法学》中級クラスと、《護身術》を担当してる先生だ。同い年らしい――話してくれた。
卒業を控え、恋に悩んだ女子生徒がいた。
夜、眠れなかった彼女はふらりと裏庭を散歩して真北の東屋へ立ち寄る。
ぽつぽつと悩みを一人ごちて泣いていたところ、いつからいたのか、ローブを身にまとった人が現れて彼女の悩みを笑い飛ばした。
渡されたグラスの中身を飲み干すと、髪の長いその人は美しく微笑んで、「貴女に祝福を」と祈ってくれた。
吹っ切れた彼女は想い人に気持ちを伝え、障害はあったものの二人はそれを乗り越え結ばれた。
彼女の年下の友人がそれを学園で話し、瞬く間に「東屋の女神様」として広まる。当時は好きな人を東屋に呼び出すのも流行ったそうで、ネルソン先生はそのお誘いにうんざりしたらしい。
「先生、うんざりって事はだいぶ人気だったんですね。」
「はっはっは。ノアは侯爵家の次男で、成績も良い男前だ。婿がほしい令嬢は必死で迫っていたぞ。」
「くだらない事を吹き込まないでください。」
「しかし、なるほどな。当初は女神ではなく、《ローブを着た髪の長い人》だったか。」
「あ……」
先生の言葉を聞いて、やっとそこで「確かに」と思った。
女神様として広まった話だけど、お話自体では女神様だとは……ううん、そもそも女性だったとは言われてないんだ。噂されるうちに女神様って事になっちゃったんだね。
「そういう事か……」
目を細めたレイクス先生が顎を擦る。
何かわかったんですかって聞く前に、壁掛け時計を見た先生が立ち上がった。
「閣下に報告がまだだったな。俺はここで失礼する」
「あっ、はい。ありがとうございました。」
ぺこりと頭を下げた私が顔を上げる頃、廊下に出たレイクス先生は少し驚いた顔で誰かを見ていた。軽く挨拶して立ち去り、先生の姿が見えなくなる。代わりに廊下を通りかけたのは、なんとアベル様。私は目を丸くする。何でここに?
向こうも私がいると思わなかったらしくて、一瞬だけこっちを見て眉を顰めた。別に悪い事をしたわけじゃないのに、思わず背筋をピンと伸ばして立ち上がる。これ以上用事があるとかじゃないし、部屋に戻って寝ないと。
「じ、じゃあネルソン先生、ありがとうございました。」
「気を付けて帰れ。」
「はい。」
「ついでだ、僕が送っていく。」
その申し出に私は声が出なくなるくらい驚いたけど、先生は「そうしろ」と手をシッシッて振った。アベル様もいるのにすごい態度だ。
中庭を突っ切って歩きながら、私は何が起きたか洗いざらい説明させられた。
差出人名のない伝言メモを見て「なるほどね」と呟かれたり、誰が来たか見てから動けばいいと思った事について「君らしい安易な考えだ」と言われたり。グサッ。
アベル様はフォーブズさんの願い事に「まだ諦めてないのか」とため息をついて、私を脅かすよう頼んだ令嬢の名前をうろ覚えに伝えたら、「そう」とだけ返事があった。
それから、ネルソン先生に聞いた「当時の噂」を話して。
「そういう事か…」
「…レイクス先生もそう呟いてたけど、どういうこと?」
「幽霊騒動と女神の噂は真相が同じという事だよ。僕は推測までだけど、レイクスが同じように呟いたならほぼ確実じゃないかな。心当たりがあったんだろう」
「同じ?……ま、まさか…」
私の頭に、ブロンドベージュの長い髪で、笑い上戸だという先生の顔が浮かぶ。
レイクス先生、グレン先生も東屋の女神について探ってるって言ってなかったっけ。……な、なんて不毛な……。
「ところでさ。」
「はいっ」
「君……最近アロイスには会ったの。」
隣を歩いてる私にしか聞こえないくらいの、小さな声だった。
びっくりして目を見開きながら、ぶんぶんと頭を横に振る。そっか、レオが言った相手ってアベル様だったんだ。
「えと、……あれっきり。」
「わかった。ならいい」
「…何かあるんですか?」
「向こうが接触してこない限り、君は何もしなくていい。」
視線を前に向けたままアベル様が淡々と話して、私は何度も頷いた。聞くなって事だと思ったから。
アロイスさんは、猫の仮面をかぶって外壁の外で倒れてた、不思議な人。
あの時ちょっと具合が悪そうだったけど……今はどうしてるだろう。
女子寮に続く小道の前で立ち止まり、アベル様にお礼を言って別れた。




