414.近所迷惑です
金曜の夜。
まだ制服姿の私はちょっと眉を顰めて、自分の部屋で一枚のカードと睨めっこしていた。
お母さん達から荷物が届く時とかと同じで、女子寮の職員さんが部屋に届けてくれた物。少し丸みのある綺麗な字に見覚えはない。
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フルードさんへ
今日、夜の十時に裏庭へ来てほしいと伝言を頼まれました。
真北にあるガゼボで待っているそうです。大事な話だから一人で。
名前は聞き忘れましたが、こげ茶の髪で恐らく一年生でした。
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「……怪しすぎる……。」
広い裏庭にはいくつか東屋があるけど、真北と言えば生垣で作られた迷路より奥、幽霊が出たという場所そのものだ。
時間まであと十五分。
間に合うように行くならそろそろ出た方がいい。
第一、このカードを書いた人は誰なんだろう?伝言はしたから自分の事はいいでしょってこと?
そして呼び出したのは誰だろう。こげ茶の髪の一年生って真っ先にレオが浮かぶけど、レオなら名前伝えるだろうし、寮の近くで待ち合わせるよね。
夜は危ないって言ってたけど、シャロンには伝えた方がいいのかな……
同じ女子寮とはいえ、私のいる東棟とシャロンがいる西棟はお互いの部屋まで自在に行けるわけじゃない。
寮の職員が常駐してる管理室へ行って、西棟の担当者にメモを渡すとか、あるいは伝言を依頼しなきゃいけなかった。
でも西棟担当の職員も貴族の出が殆ど。
もちろん大体の人は仕事として、人当たり良く接してくれるんだけど……場合によっては、「ご友人とは聞いていますが、このような時間に頼むなんて。公爵家の方ともなれば貴女がたと違って忙しいのですよ」云々と、お説教をしてきそうな人もいるんだよね。
……待ち合わせ場所に堂々と出ないで、まずは誰が来るのかコッソリ見てみようかな?シャロンが心配するような事にならないように。うん、このまま一人で行っちゃおう。
小さく頷いて、制服の上からローブを羽織った。
まだ湿ってる髪を結わえずにそのまま部屋を出る。数人の上級生が談話室でケラケラ笑ってたけど、近くを通らなければ向こうもこっちを気にする事はない。
一階の共用談話室には誰もいなかった。少し重たい玄関扉を押し開く。
校舎の外通路じゃなくて、女子寮と裏庭を隔てる木立を突っ切る事にする。夜にこんな場所を行く人はまずいないから、先に鉢合わせちゃう事はないはずだ。
空は晴れてるけど、たまに月が雲に隠れて暗くなる。
遠目からでも目立っちゃうだろう白髪をフードで隠して、私は遊歩道を歩かず木とか茂みの影に隠れるようにして、学園を囲む外壁沿いに裏庭を進んだ。
柔らかい風が吹いてるから、草を踏む足音も誤魔化せそう。
しばらく歩いて目的の東屋を見つけると、そちらへずんずんと近付いて行く人影があった。
東屋の天井には火が入ったランプが一つぶら下がってて、照らされたシルエットでそれが女の子だってすぐにわかる。私は木陰に身を潜めて目をこらした。
上級生かな?シャツの袖がフリフリひらひらと長い、キツめの顔立ちをしたお嬢様らしき……あれ?私あの人どこかで見たような。
「いらっしゃるのでしょう?出てきてくださいませ。」
どこか切羽詰まった声だ。
一瞬、私がここにいるのバレてるのかなって焦ったけど、彼女は東屋の周りをぐるぐる歩いている。こちらに気付いたわけではなさそうだった。
ほっと胸を撫でおろした途端、ふと記憶が蘇る。
『ウィルフレッド殿下ぁ~?うふふふ、どこですの~?』
「あっ…」
思わず小さな声が漏れちゃって、自分の口を手で塞いだ。
何ヶ月か前に、図書室でウィルフレッド様を探してた人だ!えっと…ホブズ?フォーブズ?侯爵令嬢、だっけ……?
その時は何人か連れて一緒に探してたはずだけど、今日は一人みたい。彼女は鼻息を荒くして、ぎらぎらした目で周囲を見回した。
「女神様ッ!どうかお願いです、わたくしに《杯》を!間違いなく王子妃に…」
「うるっさいですねぇ~…」
「なっ!?」
フォーブズさんが悲鳴じみた声を上げる。驚いたのは私も一緒だった。
どう見ても誰もいないのに、間違いなく男性の声がしたから。それも、なんだか空から聞こえた気がする。
「盗み聞きしていたの、出てきなさい無礼者ッ!どこにいるのです!?」
「へぇ、勝手に来て勝手に喋ってその言い草とは。」
鼻白んだ男の人は、深々とため息をついてから姿を現さ――なかった。声だけが聞こえて、
「何様のつもりなんですかね~これだから勘違いお貴族様って嫌いなんですよ。夜中に怒鳴るとか近所迷惑では?近所迷惑ってわかります?わからないもんですか?屋敷が広いと。貴女の屋敷の大きさとか果てしなくどうでもいいですけど、あ、ていうか生徒に嫌いとか言っちゃ駄目なんでしたっけ?そんなルールないか。無いんじゃないですか?えぇ、無いですとも。どう思おうが個人の自由ですよね。」
長いなぁ!!
ほんのちょっとでも「噂の幽霊じゃ」って考えた自分が馬鹿みたい。全然幽霊って感じじゃない、この人。絶対生きてる人がどこかにいるよ!ウィルフレッド様の魔法と同じで姿を消してるのかな。
フォーブズさん?もポカンと口を開けて固まってる。
「大体何です?女神様が学園のガゼボに出るとか、私が学生だった時にそんな話あったら絶対に毎晩張り込みましたとも。本物の可能性は全然低いんですけどねぇ、偽物がのさばってるんだとしたら神話学者としてはあまり気分の良い物では無いですし、言っても目撃談は一度きりらしいのでたとえかつていたとしても既にいない説が有力だと思いますが、まぁとはいえたまにここを訪れてみるぐらいの事はしていたという所なのですが、貴女は何でそんな廃れた昔の噂を知ってるんですかね。生徒が見に来始めたら張り込みの邪魔でしょうがないと言いますか、願いを持った生徒がいなければ出てこないとかそういう指定があるなら別ですけどね?それにしたって貴女みたいなうるさいのは無いでしょう。」
「……ッな、なんなんですの!とっとにかく出てきなさい!」
「はい」
「ぎぃやぁああああああッ!!!」
ばたん。
東屋の屋根から男の人の上半身がデロッと垂れ下がり、フォーブズさんは叫んで気絶した。
私の心臓がバクバク鳴っている。だってそんな所から出てくると思わなかったし、天井の灯りのせいで顔を下から照らされてて怖いし、長い髪も両腕もだらりと垂れてるし!そりゃ怖いよ!
「えぇ…叫びますか、普通。レイクスが来たらどうするんですか……」
困惑したような声で言うその人は、一回上に引っ込んでからスタンと地面に降りた。
ちょっとぼさぼさになったブロンドベージュの長い髪、菫色の瞳。両耳できらりと光るピアスに、さっきは持ってなかった金属製の長い杖。
何より神父服を着てるって事は、
「《神話学》の……」
「うん?」
「あっ。」
口元に手をあてたけど遅かった。
ばっちり目が合って、私は仕方なしにぺこりと頭を下げて木の影から進み出た。フードを下ろすと白髪が風に揺れる。
「おや、君は確か…フルードさんでしたか。」
「はい。えっと……先生。」
「ああそうですよね、私はフランシス・グレンと申します。《神話学》と《魔法学》上級の担当です。」
「すみません、グレン先生。」
「お気になさらず。授業を受けてないのですから、よくある事です。」
歳は三十手前くらいか、実際にはもうちょっといってたりするのかな。端麗な顔立ちのグレン先生はにこりと笑ってくれた。
シャロン達は授業を取ってるんだろうけど、私は教会に寄る事もないからほとんど関わらない。優しい人ではあるのかな……東屋の屋根にいたんだから、変な人なのは間違いないかも。
何でいたのかさっき言ってた気もするけど、話が長い上に喋るのが早くて頭が追い付かなかった。
「グレン!」
校舎がある方の空から声が聞こえて見上げると、風の魔法で飛んできたらしいレイクス先生が――着地には魔法を使わず――空中から飛び降りた。
だん、って音がして、衝撃が地面から私の足にもちょびっと伝わる。痛くないのかな。
すぐ立ち上がったレイクス先生は、倒れっぱなしのフォーブズさんに駆け寄った。ああいけない、グレン先生の衝撃でちょっと忘れてた。ちょっとだけそちらに近付いて、遠目にフォーブズさんを覗き込む。先生は鼻と半開きの口に大きな手をかざし、呼吸を確認しているみたい。
一歩も動かないグレン先生が頭を掻いて、「本当に来ちゃいましたねぇ」と不服そうに呟いた。
「気絶しているだけのようだが……何があったんだ?」
短い瑠璃色の髪に明るいグリーンの瞳。
レイクス先生は真剣な目でグレン先生と私を見たけれど、何か聞こえたみたいにぴくりと反応して素早く後ろを振り返った。ランプの灯りが届かない暗闇だ。
「君も出てくるんだ。逃げるならどこまでも追いかけるぞ」
数秒の後、ガサガサと茂みが揺れる音がする。
出てきたのは濃い茶髪の男の子だ。猫背気味で、なんとなく平民だろうと思う。《国史》の授業で見かけた気がするから、一年生かな?
バツの悪そうな顔を見てハッとした。カードにあった「こげ茶色の髪」?つい彼を指差してしまう。
「もしかして、貴方が私を呼び出したの?」
「うっ…いやぁ…その辺はちょっと違うって言うか…」
何かモゴモゴしてる。
こっちをチラッと見ては苦々しく目をそらす。なるほど、私の目が苦手な人っぽいかな…?
「あっはっはっはっは!」
レイクス先生の笑い声が響いて、私と男の子はビクッと肩を揺らした。いきさつを話してたらしい先生がたを見る。
「そうか、お前がぶら下がって驚かせたか。何事かと思ったぞ。」
「私自身は驚かすつもりは無かったんですよ。彼女が勝手に倒れたわけで。」
「また酒盛りする気だったのか?」
「今日は持ってきませんでしたよ。純粋な見張りです」
「純粋か、そうだな。ある意味でお前は純粋だとも。」
グレン先生と話しながら、レイクス先生は慣れた様子でフォーブズさんを東屋のベンチに寝かせて自分の上着をかけた。
私は自室に届いたカードを出して先生達に見せる。レイクス先生がここへ来た理由を問うと、男の子は観念したように頭を下げた。
貴族令嬢にお金で雇われたらしい。
彼は暗い場所で一分足らずなら魔法で姿を隠せるから、幽霊騒動にかこつけて脅かすよう頼まれたんだって。ご令嬢の名前を言われたけど、正直、聞いた事もない。
脅かすって言っても怪我をさせるとかじゃなく、血に見せかけた赤い塗料をかけるつもりだったとか。
私は誰か来るまで隠れてるつもりだったから、フォーブズさんやグレン先生がいなかったらもしかして、私もこの彼もジッとして、お互い隠れっぱなしの時間を過ごしてたかも?
レイクス先生は力強い笑みを浮かべたまま頷いて言う。
「生徒同士の事は、基本的に本人あるいは生徒会に任せるのがここのルールだが……俺個人としては。皆、己に恥じぬ生活態度であってほしいものだな。」
「……はい。」
「グレン、彼を寮へ。」
「はぁ…わかりましたよ。」
「頼んだぞ。フルード、すまないがついてきてくれるか。」
「え?はいっ。」
てっきり私も一緒に寮へ戻るかと思ったら、そう声をかけられて驚いた。
レイクス先生はフォーブズさんを軽々と抱えて歩き出す。私は遅れないようその背中についていった。




