411.ただの一般論
「いいですわね、ラウル。今週は絶っっ対にわたくしの傍を離れないように…!」
ゆるく巻いたプラチナブロンドのポニーテール、ふっくらした頬にツヤツヤの唇。
薄青い瞳に真剣な光を灯し、ヘデラ王国第一王女たるロズリーヌは今、王立学園の廊下の壁にピッタリ張り付くようにして立っていた。
「はあ、わかりました。」
名を呼ばれた従者ラウル・デカルトは一歩離れた位置に平然と立ち、色気のある甘いマスクと魅力的な桃色の瞳を持ってして、いつも通り珍獣を見る目で主の奇行を観察している。
ウェーブした深緑の髪は肩につく長さで、ロズリーヌより二つ上の十六歳だ。
「特に上下移動の時っ!階段付近では必ず!!」
「わかりましたよ」
しゃかしゃかと手刀を縦に振るロズリーヌは必死だった。
何せ、彼女が前世でプレイしたゲームによれば。主人公であるカレン・フルードは今週、ロズリーヌを庇って階段から落ちるのだから。
――お見舞いイベントでは一番好感度の高い攻略対象が医務室に現れますわ。それが誰になるのか、知りたい気持ちはあるけれどッ…!カレンちゃんに怪我をさせてまで知る必要はありません。ゲームと違って前世の記憶持ちであるわたくしの行動如何では、もしかしたら、ゲームより酷い怪我を負わせてしまうかもしれないのですし。
一際気を付けて行動しなくては、と心に決めるロズリーヌ。
平然と歩く従者の横でシャカシャカと壁沿いを蟹歩きしながら、白髪の三つ編みに赤い瞳をしたカレンの姿を思い浮かべていた。
――カレンちゃん……アベル殿下をティータイムに誘った上、コロシアムには殿下貸し切りの札……そういう事ですわよね。デートイベントがあった、えぇ、そうなのでしょう。オペラハウスのイベントはサディアス様でしたが…どうなるのか先が読めませんわね。何せ、アベル殿下は一度でも浮気――ゲームの選択肢で他の攻略対象を選ぶ事ですわ――したら、正規エンドにいけませんから。あら?という事はバッド・オア・悲恋エンド?オーマイガーですわーっ!いえっ!!それは!
「早計というものッ!」
「今度はどうしました。」
突然立ち止まりクワッと目を見開くロズリーヌに周囲の生徒は肩を揺らしたが、ラウルにとってはよくある事だ。
ロズリーヌはサッと両手を胸の前に出し、それに倣ったラウルと小さくハイタッチをかわした。
「望む未来は常に明るく!ラウル、わたくし負けませんわよ!えいえいおー!」
「おー」
「棒読みッ!ですがありがとう、さぁ午後も張り切って授業ですわ!オーッホッホッホ!」
「殿下、背中に埃が。」
「あらやだ。はたいてくれる?取れるかしら…」
大人しく背中を向けるロズリーヌのポニーテールを避け、ラウルがぽんぽんと制服をはたく。
その廊下から中庭を挟んでまるきり正反対、北西校舎ではちょうど、生徒会室から一人の女子生徒が廊下へ姿を現した。
透き通るような薄い水色の瞳と長い髪、美しく整えられた白い肌に色の良い唇。生徒会役員の一人である二年生、フェリシア・ラファティ侯爵令嬢だ。
彼女自身が扉を開け次へ道を譲る様子であったから、たまたまそこを通りがかった生徒はつい端へ避けて成り行きを見守った。そしてすぐ後に続いた一行を見て目を見開く。
「とても有意義な時間だった。君もありがとう、ラファティ侯爵令嬢」
「こちらこそ、ご足労頂きありがとうございました。殿下」
金の長髪を一つに結び、青い瞳に輝く笑顔の第一王子ウィルフレッド。
その横で美しき令嬢フェリシアを見もせず通り過ぎるのは、少し癖のある黒の短髪に鋭い金の瞳をした第二王子アベル。
「では失礼します。」
「まったね~フェリシアちゃん☆」
紺色の短髪に水色の瞳、黒縁眼鏡をかけた怜悧な男子生徒はニクソン公爵家のサディアス。
馴れ馴れしく名を呼んでウインクした垂れ目の男子は、オークス公爵家のチェスターだ。ゆるくウェーブした赤茶の長髪を編み込んで低く結っており、茶色の瞳はすぐに前へと向けられる。
最後に出てきたのは薄紫色の長い髪と瞳を持つ麗しい少女。
王子殿下の後に続く女子生徒でこの見た目となれば、該当者は一人だけだ。筆頭公爵家の令嬢、シャロン・アーチャー。親友であるフェリシアとはただ小さく微笑みをかわした。
そんな彼女が連れる従者は、灰色の短髪に黒い瞳の三白眼。ダン・ラドフォードは一見してガラの悪そうな顔立ちながら、その立ち居振る舞いは堂に入っている。
六人を送り出し、開いた扉の横に控えていたフェリシアは彼らの背中に美しい礼をして、呆けた顔で見入る生徒達をどうともせず、ただ静かに生徒会室へ戻っていった。
一つ隣の南西校舎、食堂二階。
中庭に面したテラス席の円卓には三人の男子生徒が座っている。
「そいたあ、白いんと仲直りしゃんか。」
「おう!変とか言っちまったの謝れたし、カレンももう怒ってねーって。」
「よかったねぇ。それで、強くなりたいって彼女に君は何か言ってあげたの?」
「そりゃ、一緒に頑張ろうぜって。俺も負けてらんねーなっつったらなんか……怒ってねーのか聞かれた。」
何でかわからない、という顔で首をひねったのはレオ・モーリス。
焦げ茶の短髪にぐるりとバンダナを巻き、瞳は琥珀色で、ほつれのあるネクタイはだらしなく緩んでしまっている。
本人は何という事もない王都の下町出身の平民だが、師匠と仰ぐのは王国騎士団副団長レナルド・ベインズ卿、共に切磋琢磨したのは筆頭公爵家の令嬢シャロン・アーチャー。
その縁で学園における彼女の護衛役――緊急時の護衛や生家との連絡役――を請け負っているとは、従者ダン・ラドフォードが目立つお陰であまり知られずに済んでいる。もっともシャロンからは、緊急時ダンが傍にいる場合は、自分ではなくカレンを気にかけてほしいと言われていた。
話を聞いた一人がくすくすと笑う。
「あっち行ってって言われたんだろう?だからじゃないかい。」
「それ俺が怒る事か?」
「ハ、そらおめぁそう言うあなあ。レオ」
にやりと笑って言った少年はデューク・アルドリッジ。
不揃いに切られた茶髪はパサついており、目は三白眼で小さな茶色の瞳をしている。一つ年上のレオよりはいくらか低いが、よく鍛えられた身体は十三歳にして既に百七十センチ近い背丈があった。
孤児院の出でありながら、《剣術》上級クラスを通じて双子の王子殿下とも交流がある。《格闘術》《弓術》でも優秀な成績を修めており、将来有望な生徒だ。
ただしひどい訛りのような粗雑な喋りがすっかり癖になっていて、きちんと発音するにはその度に準備が必要なのだった。
デュークは「そうやぁ」とレオからもう一人へ視線を移した。
「あんで上級来えんだ、ネイト。」
「わたしは中級で良いんだよ、デューク。」
当たり前じゃないかと言わんばかりにけろりとして、エンジェル子爵家の次男は微笑んでみせる。
彼は白茶色の髪を編み込んで後ろでまとめ上げ、中性的な柔らかい顔立ちにスカイグレーの瞳をしていた。
先日の試験では僅差とはいえ、公爵家のサディアス・ニクソンや軍務大臣の息子チェスター・オークスより上、《剣術》中級クラスにおいてトップの成績だった。
《格闘術》でも第二王子アベルに次ぐ順位であり、《魔法学》は上級クラスだ――もっとも、こればかりは《護身術》の担当でもある母親が受け持つ中級クラスを、絶対に受けたくないという固い意志によるものである。
「一位なら次の段階ってものじゃないさ。満点は貰えなかったしね。」
「つっても、ネイト達ってホワイト先生が相手だったろ?あの人から満点取るのは結構キツくないか。」
「それを言うなら君とアーチャー公爵令嬢も、よくトレイナー先生からあれだけの点を貰えたよな。他は大体、七十から八十五で固まってるんだ。」
「へぇ、そうなのか?」
「アハハ、そんな顔してやるなよ。平民の君に負けたって地団駄踏んでた奴らが可哀想だろ。」
テーブルに頬杖をつき、ネイトは少しも同情心の無い笑顔でそう言った。
公爵令嬢に負けた事を堂々と悔しがるわけにもいかず、男子生徒達の妬み嫉みはレオに向かったのだ。今初めて聞いたという顔をしている通り、本人はまったく気付いていなかったようだけれど。
デュークが眉を顰めて首を傾げる。
「わしゃ…姫さんがレオよい上だったんが意外らったぁ……」
「あーそっか。デューク授業かぶってねぇから、シャロンがやるとこ見ないのか。休みはバイトだもんな…」
普通に強いぞ、とレオが言う。
デュークはかの公爵令嬢の姿を思い浮かべてみたが、健康的ではありながらも細く柔らかそうな身体つきで、ふんわりとお淑やかに微笑んでいる。令嬢には珍しく常に帯剣しているが、かと言って無骨な雰囲気など微塵もなく、蝶や花にでも囲まれたらさぞ合うだろうと思えた。
「…あの姫さんが、なぁ。」
「なんだよ、デューク。君って女性には弱者であってほしいタイプ?」
「はぁ?」
「か弱い女の子が好きなの?って。」
「んや、あんだおうが芯なぁるやっが好かぁな」
「なんて?」
ネイトは聞き返したが、デュークはちょうど大欠伸をして聞いていなかった。
はぐ、と口を閉じて目をこする彼を見て軽く肩をすくめ、ネイトは「そういえばさ」と話題を変える。
「二人共、知ってる?幽霊が出るって噂。」
「「幽霊?」」
怪しい噂話の始まりから一つ下層の、食堂一階。
白髪を三つ編み二つに結った赤い瞳の女子生徒、カレン・フルードは困り顔でテーブルの脇に立っていた。
とうに空になった食器の前で未だ座っているのは灰色の瞳をした女子生徒。外跳ねした血紅色の長い髪を持つレベッカ・ギャレットだ。彼女が身に付けた黒のヘアピンとチョーカーを見やり、カレンは腰に手をあててため息を吐いた。
「ねぇ、そろそろ移動しようよ。」
「さ、先行っていーって。あたしは…」
「殿下に会うのが気まずいのはわかったから。」
「ちげーっつってんだろ!!」
レベッカがテーブルを叩いて立ち上がるが、慣れた仲なのでカレンが怯える事はない。ここは平民フロアで貴族もおらず、周りは大衆食堂さながらに騒がしい。取り立てて二人を注視する者もいなかった。
「いちいち始業ギリギリに教室入るのはよくないよ。殿下に憧れる人は多いらしいし、恥ずかしがること…」
「あああ憧れてない!ないったらない、強いのがかっけ…凄ぇって思ってるだけだ!!イッパンロンだろうが!!」
「うーん…だから、一般論なら気にせず教室に」
「お前だって《薬学》の教師がめちゃくちゃ格好良いだの何だの――」
「うわわぁあッ!!」
カレンが大慌てでレベッカの口を手で塞ぎ、辺りを見回した。
その教師は時折、自分が貴族にも関わらず平民フロアへやってくるのだ。幸い今はいないらしいと見て、安堵のため息を吐く。レベッカが小さな手をべりっと剥がした。
「――言ってたこと、レオに言ってやるからな!」
「んな!?なな、何でそうなるのっ!」
「うるせー!言われたくなかったらあたしの事は放っとけ!!」
「ちょっと待ってよ、レベッカ!」
二人はバタバタと騒がしく食堂を飛び出し、授業が行われる教室へ向かい――通り過ぎていく。引き止めようとするカレンの声が廊下に響いた。




