409.王子様じゃあるまいし
「ご…ごめんね。あの、呂律が回らなくて……」
顔を真っ赤にして俯き、カレンが申し訳なさそうに言う。
どうやらジュースにお酒が混入したわけではなく、疲れて眠っていたようだ。寝ぼけてふにゃふにゃ話す貴女も可愛かったけれど。
ちょっぴり顔を上げたカレンが私の横を見て、むぎゅっと眉を顰める。デイジー様が見ていないのを良い事に、ダンがにやにやしていたのかもしれない。
「それは気にしなくていいけれど、一体何があったの?」
「えっと……訓練場に行ったらレオがいて。私、あの…」
無意識にか、口ごもったカレンの指先は後ろで結った白髪をいじっている。
そういえばレオは、カレンがハーフアップにして新しい服を着ただけで別人と勘違いした事があったわね。運動着姿は見ているはずだけれど…もしやと思ったら、ちょっぴり眉を顰めてしまった。
「…まさか、貴女と気付かなかった?」
「それは大丈夫だったんだけど…」
だけど、何かしら。
もう話を聞いているだろうデイジー様が眉を吊り上げて腕組みをし、あまり興味の無さそうなデュークは左足首を反対の膝に乗せる。
カレンは肩を落とし、少し唇を尖らせてその時の会話を教えてくれた。
『ん?何か、今日のお前ちょっと変だな。』
『…変?』
『いつもと違う気がするっつーか、う~ん………』
『………っ。』
『気のせいか』
『髪型だよっ!』
『おお!そういう事か。何でいつもと違うんだ?』
『な、何でってそれは……強くなりたくて、気合っていうか』
『え?お前が?』
呆気に取られて聞き返したレオを見て、カレンはムッとして「レオには関係ないでしょ」と足早に立ち去る。それを「何で急に怒ってるんだ?」とレオが追いかけ…という流れらしい。
研究室の窓から見えたのはその光景だったのね。
レオったら……。
「そういう事だったのね…」
「私はレオが悪いと思います。」
デイジー様がツンと澄まして言い、自分のコーヒーカップに手をかける。
私の隣でデュークがこきりと首を回した。
「えつに普通だら」
「はぁ?何を言っているのよ。女性に対して《変》は無いでしょう、《変》は!」
「変ってな言い直ったんだらわぁんだろ。そえにこいが強くたぁだえあって驚ぐぁな。」
「……、シャロン様、よろしいでしょうか。」
一度目を閉じてすいとコーヒーを飲み、目を開けたデイジー様は諦めた様子で私に言う。
確かに今のは難易度が高いわね。私は小さく頷き、隣に視線を戻す。
「デューク、もう一度いいかしら?」
「あ゛ー……ん゛んっ。はい。…変ってのは、言い間違いでしょう。だから聞き返されて、いつもと違うって意味だと言った。んで、この小さいのに強くなるって言わったら、そら驚くものかと。」
「だとしてもよ。失礼でしょう!」
「フン…レオとあんたは、そんぐらいで目くじら立てるようなモンだったか。そら知らんがったぁ」
「そ、そういうわけじゃ…」
デュークの冷たい視線にカレンがたじろぐ。
私は彼の注意を引くように少しそちらへ向き直った。論点が少し違うのよね。
「貴方の言う通り、レオに悪気は無いでしょう。皆それはわかっているのよ」
「……?なら何が問題なんです。」
「そうね……デイジー様が言いたかったのは、ちょっと無神経だという事よね。」
「えぇ、そうです。言い間違えたとしても変はあんまりだし、これほどの違いに気付かない鈍さも、女は強くなれないとでも言いたげな驚き様も。」
「はあ?女だぁらどうだん言っづえいだらぁが!」
「言ってるも同然なのよ!大体貴方はその聞き苦しい喋り方を――」
コン。
閉じた扇子でテーブルの縁を叩き、二人それぞれと目を合わせる。
意図は伝わったらしい。今にも立ち上がりそうだったデイジー様はハッとした様子で座り直し、デュークは姿勢を正して軽く頭を下げた。
二人に圧倒されて肩を縮めていたカレンがほっと息を吐く。
「――えぇ、話すなら落ち着いてね。」
すぐ聞いてくれて良かったという気持ちを胸に微笑み、やんわりと言った。
もしまだ続けたがるようなら、「落ち着きなさい」とでも言わなければならなかったわ。
「悪気が無いにしても、よく知った仲だとしても。今日のレオはうっかりが過ぎたのよ。カレンが怒ってしまうくらいにはね。」
「わし…私は、そうまで無礼と思いあせんでしたが。」
「髪を雑に切らせて平気でいるような人には、わからないわよ。」
「デイジー様。」
「っ…失礼しました。」
少しムキになっているようね。どうしてか、デュークはだいぶデイジー様の反感を買ったらしい。
私とそうであったように、後からでも仲良くなれると良いのだけれど。
「ねぇ、カレン。貴女が苦しそうなのは、逃げてしまったからではないの?」
「…うん。私、レオがそんなつもりじゃないのはわかってた。」
しゅんと目を伏せてカレンが言う。
変だと馬鹿にしたつもりもなければ、強くなれるわけがないと見くびったつもりもない。そうね、レオはそんな人じゃない。
「わかってたけど…もう知らない!…って気になっちゃって。レオは何で怒ってるかって聞いてきたけど、なんかもうそれも嫌で…今思えば、そこでちゃんと説明できたら良かったのかな。」
「無理もないわよ。こちらが何故怒っているかわからない、そういう無神経さが一番腹が立つのだから。」
「…デイジーさん、なんだか感情がこもってるね。」
「兄がそういうタイプなのよ。」
遠い目をしつつも黄色い瞳には辛辣な光が宿っている。お兄様へのなにがしかの恨みが今も残っているようだ。
デュークは少し眉根を寄せて口を開いた。
「結局レオがどういた、どうしたら満足だったんだ。」
「えっ。そ、れは…」
ぎくりとしたカレンが視線を彷徨わせる。
そうね…ポニーテールに気付けなかったとしても、いきなり「変」とは言わなければよかったかしら。それが無ければカレンも立ち去るほど不機嫌にならなかったかもしれない。
お前が?と驚いたレオはきっと、次に続いた言葉では彼女を…
「そんなのもちろん、髪型が違う事にすぐ気付いて褒めれば良かったのよ。」
デイジー様が当然のように言ってコーヒーカップを傾けたけれど、それは女性の扱いに慣れた男性にできるようなこと。今はレオとカレンの話をしているから、これもちょっとズレている。
カレンは微妙な顔をして、デュークが鼻白んだ。
「ウィル様じゃあるまいし、あいつがんなこつすっがよ。」
「んぐっ!げほげほ、あ、貴方殿下を…!」
「デイジー様、いいのよ。呼び名については殿下ご本人が許されているわ。」
「っ…けほ、そう、なのですか……くっ、どうしてこんな男が…!」
ハンカチで口元を拭いながら、デイジー様の目はめらめらと燃え、デュークは知らん顔だ。生まれた溝は深そうね…。
カレンは何を想像したのか、変な物でも食べたようにもんにゃりと顔を歪めている。ゆっくりと瞬いて、赤い瞳が私を見た。
「えっと……私、変って言われたのは流石に嫌だったかな…。」
「そうよね。レオにはハッキリ伝えた方が良いと思うわ。」
「あと…その、我儘かもしれないけど。たとえ難しそうでも、応援してほしかった。強くなれるって言ってくれなくてもいいから、ただ、頑張れって……」
「んなの当たり前だらぁが。」
カレンが目を丸くする。
デュークは彼女を真っすぐに見据え、真剣な声で言った。
「おめが逃げぁきゃ、レオはそう言っつらんじゃえいか。」
「えぇ…驚く事は、それ即ち否定というわけではないもの。立ち去らずに次の言葉を聞けていれば、何か違ったかもしれないわね。」
カレンはデュークの言葉を聞き取れた自信が無いという顔をしていたけれど、私を見て小さく頷く。レオと話した当初よりはずっと落ち着いた頃だろう。
私はこれまで黙って聞いていた従者へと目を向けた。
「貴方から何かあるかしら。」
「……発言を許可頂けるのであれば、そうですね。」
ダンはピシリと立ったままカレンを見やり、にっこりと微笑んでみせる。
「あの素直なレオ様が相手なのですから、こちらで悩まれるより、真正面からお話しされた方が良いかと。」
なんとなく含みの感じられる声色ね。前世で言うテレビの「副音声」でも聞こえてきそうだわ。
カレンを振り返ると、彼女は困ったように眉を下げて「そうだよねぇ」とため息を吐いた。
「…うん。皆ありがとう。レオと話してみるよ」
「おん、そえがい。」
「あっち行ってなんて、ひどい事言っちゃったな…」
「そう気を落とす事ないわよ、カレン。貴女が一方的に悪いわけじゃないんだから。」
「ありがと、デイジーさん。」
「落ち着いてね、貴女なら絶対に大丈夫だから。」
「うん!行ってくるよ、シャロン。」
しっかりと頷いたカレンの口元は笑っていて、いつもの調子を取り戻したみたい。
「皆本当にありがとう」と手を振り、彼女は食堂を出て行った。
コーヒーカップを空にして、デイジー様が一息つく。
私も少し温くなった紅茶を喉へ流し、デュークは小さくなった氷をガリゴリと嚙み砕いた。彼を見たデイジー様が眉を顰める。
「そういえば、貴方。週末は働いているという話を聞いたけれど。仕事はどうしたのよ」
「早く終あった。…んだ、わしぁサボったとえも思っだら。」
目を細めて吐き捨てるデュークの方も、これまでのやり取りを経てデイジー様に良い印象が無いようだ。彼からするとそうなるのは仕方がない。
グラスの水を飲み干してデュークが立ち上がる。私達が見下ろされる形になって、デイジー様が少しだけ身体を強張らせた。
「おめぁわしん髪をどうのう言うたが、金を服ら髪ん使あうが剣と紙ぃ使あうがわしん勝手じゃ。」
大体、何を言われたのかは察しただろう。デイジー様が息を呑む。
彼女はさっき、デュークを「腕の悪い人に髪を任せるような、身だしなみに気を遣わない人」と言いたかったのでしょうけれど。彼と貴女では暮らしぶりが違う事を忘れてはならない。
デイジー様から目を離し、デュークは私に向き直った。
「姫様。手間ぁお掛けしてすみませんでした。」
「大丈夫よ。デューク、カレンを気にかけてくれてありがとう。」
「…大した事では。んじゃ、私は失礼します。」
「えぇ、またね。」
「はい。」
背を向けたデュークにデイジー様は小さく口を開いたけれど、何も言わず俯いてしまう。彼は一人だと歩くのが早いので、足音はあっという間に食堂の外へ出ていった。




