408.珍しい組み合わせ
医務室から戻ったダンと合流し、私達はホワイト先生の研究室を目指して階段を上がる。
「貴方にしては遅かったけれど、医務室で何かあったの?」
「はい。酔った生徒の一人が、ククッ……ごほん。ネルソン先生を、母親と誤解しまして。」
「まぁ……確かにいらっしゃったわね、お母様を探している方が。」
鉈を持ったホワイト先生にまで「かあちゃん」と呼びかけ、近付こうと這いずっていた人がいた。その方かしら?
お二人とも男性なのにと首をひねっていると、ホワイト先生が「あれの母親は薬師をしてる」と言った。もしかしなくても、白衣だけで勘違いを?お酒の力は恐ろしい。
「そういう事でしたか…。ダン、ネルソン先生は大丈夫だったの?」
「大層お怒りになり、」
でしょうね。
ちょっぴり生徒の怪我を増やしていそうだわ…。
「それで少し時間がかかりました。お待たせして申し訳ありません。…スペンサー伯爵のご令嬢がいらしたようですが、そちらは大丈夫でしたか。」
「いつも通りよ。問題ないわ」
「…左様ですか」
私しか見ていないと知っていて、ダンはいかにも気に食わない様子で片眉を上げた。これは心の中でそれなりの罵倒をしている顔だわ。
先生が研究室の鍵を開け、私も中に入る。
ダンは扉を閉め切らずにおいて廊下へ控え、先生は灯りをつけて白衣のポケットに入れていた材料を机に並べた。私がカーテンを引こうと窓へ近付くと、見知った姿が中庭を駆けていくのが見える。
あれはカレン――…ぽっポニーテール!?
運動着という事はやはりアベルとのイベントだったのね。ちゃんと「その髪型も似合ってる」って言ってくれ…たとは思えない。稽古だもの、余計にそういう事は言わないでしょう。
くぅ…私がいれば!私がそこにいればカレン、とってもよく似合ってるわよって……
そこまで考えて、ふと瞬いた。
女子寮方面へまっすぐ抜けるつもりなのでしょう、ずんずん歩くカレンは明らかに怒っている。どうしたのかしらと思ったら、彼女を追いかけてレオが走ってきた。
ここは三階だし、遠くて二人の表情まではわからない。
「どうした。何かあったか」
「…いえ、何も。」
さっと表情を整えてカーテンを閉める。今は先生の授業に集中しなくては。
背もたれのある大きな椅子に先生が腰かけ、私は隣に置かれたクッション付きの椅子に座る。作業中に間違ってスキルが発動しないよう、左手首のブレスレットを調整して黒水晶を肌に触れさせた。
基本は先生がやるけれど、材料を整える程度の簡単なお手伝いはしましょう。
すり鉢を膝に抱えて、チェルドミアージという半透明の結晶をゴリゴリすり潰す。これは止血剤なんかに使うもので、粉にするだけなので目は先生の作業を観察した。
ルタンの実は五センチほどの楕円形。
ヘタ近くを切り落とす事で黄褐色の皮がするんと剥ける。中の果肉は瑞々しい黄色で、これを縦に切り分ける。先生はあっさりこなしていたけれど、小さく柔い種子を絶対に避けなければならない。プチッとやってしまったら余計な成分が混ざるからだ。
せいぜい三ミリ程度しかない種子は、一つの実に七~十個くらいは入っている。先生はピンセットを使ってさくさく取り除いた。
「種子はよく洗ってタオルの上で一晩乾かし、瓶に入れてコルク栓をすると一年ほどは材料として使える。」
「はい。」
潰したルタンの果肉とチェルドミアージの粉末を天秤で計量し、よく混ぜていく。
最初、中盤、最後で混ぜ方にも注意点があって、先生が混ぜながら解説するのをよく聞いてメモした。全体の色が黄色からクリーム色に、質感も水っぽさが少し抜けて滑らかになる。
きっちりと計った水を加えて馴染むように混ぜ、目の粗さが違う布を使って二度濾した。ビーカーに溜まった液体を火にかけて沸騰させ、ここでベナドランの葉を一枚ずつくぐらせる。
「色をよく見ておけ。微細な変化だ」
とっくにゴーグルを外している先生がそう言った。
僅かに赤みが出るらしい。それは確かに、赤いゴーグルなんてしていられない。
「見てすぐ赤いと思うようならベナドランの浸け過ぎだ。舌の痺れを引き起こし喋れなくなる。」
「自白剤として使えないという事ですね。」
「書かせるという手はあるが、酩酊状態に陥る事もあるため判読できるか怪しい。自白剤を使うような相手の手を自由にさせるかという問題もある。」
ピンセットでつまんだ葉をビーカーの中でくゆらせ、先生は反対の手で白い紙をビーカーの奥にかざした。色合いがよくわかる。
「このようにしても赤みがわからないなら、まだ浸け足りない。――…今、終わった。変化はわかったか?」
「確信はありませんが、なんとなくは…。」
「火を止め、冷めたら上澄みだけを他の容器へ移して完成だ。飲ませる量は相手の体格によって変わり…」
一生懸命ペンをはしらせる。
私が作る事があるかどうかはわからないけれど、どの材料で何を作れてしまうのか、よく覚えておかなくては。
色合いの微妙な変化……これが前世で生きた世界なら、写真という手もあったでしょうけれど。
部屋の隅に設置された流しでビーカー以外の道具を洗い、後は薬が冷めるのを待つばかり。
再び椅子へ腰かけた先生の赤い瞳が私を見た。
「先週言っていた付与は。持ってきたか」
「はい、こちらです。」
私は上着のポケットに入れていた紐の短いストラップを差し出す。
トサカが赤く塗られ、黒いつぶらな瞳が可愛らしい鹿角のニワトリだ。
……そう。ニワトリ。
公爵令嬢が大事に持ち歩くモチーフとしてどうかという話ではない。自室以外で寝てしまう可能性を消すべく、こればっかりは付与の成功確率重視で選んだ。
私が付与に成功しているのは自分の身体、薬、食べ物、そして宝石。
木製のブローチやガラスペンに付与を失敗した事を踏まえ、素材は鹿角を。
眠気を覚ます、つまり目覚めの象徴としてニワトリを!…大真面目に選んだのである。先週ちゃんと先生と話し合った結果なのよ、これは。
買った時ダンは真顔だったけど笑いを堪えていたし、お店を出た後「お嬢様はまだ未成年ですからね、そういったお可愛らしい物も良いかと」なんて良い笑顔で言っていた。
《効果付与》の事を知らないとはいえ、学園に戻った後は訓練場で久々にダンを投げた。良い汗をかいたわ。
今日一緒に検査をしてもらう品も数点、鞄から出して先生に預けた。
薬が冷めるまでの間に検査人の方が作業してくださるらしい。一時間ほどしたら戻ってくる事を約束し、私は一礼して先生の研究室を出た。
「………珍しい…組み合わせね?」
ダンと共にやって来た食堂二階、長テーブルの一角に座っていた三人につい首を傾げる。
声をかけてようやく私達に気付いたのか、そのうちの二人がこちらを見た。
濃いブラウンの髪を編み込んでポニーテールにしたデイジー様。前には湯気の無いコーヒーが置かれ、街に出ていたのか私服姿だ。
黄色い瞳を丸くし、彼女は立ち上がって私に礼をした。
「シャロン様!こんにちは。」
「えぇ。ご機嫌よう、デイジー様。デュークも。」
「ん…こぁども、姫さん。」
座ったままペコリと頭を下げた彼の名はデューク・アルドリッジ。
不揃いに切られた茶髪、着古したシャツとズボンは私と彼が初めて話した時と同じ格好だ。
じろりとこちらを見やる三白眼には小さな茶色の瞳、テーブルには氷が幾つか浮いた水のグラス。見るからにがたいの良い彼は《剣術》や《格闘術》でも優秀な成績を修めている。
「貴方…ぇ……??」
デイジー様が呆気に取られた顔でデュークを凝視した。
平民の彼が私を相手に座ったまま挨拶したこと、そして私を姫と呼んだこと、両方でしょう。ここは学園で私とデュークには交流があるから、少なくとも前者はさして問題ないけれど。
思えばデイジー様は勉強会の時もデュークに何か言いたげだったものね。
彼と話すようになって――時折、何を言っているかわからないものの――もう二か月ほど。
貴族に敬称を付けられるとむず痒いとかで、私はレオやジャッキーと同じように名前をそのままで呼んでいた。……姫様呼びは彼の中で慣れてしまっていて、なかなか直らないらしい。
ダンに注文を任せ、私はデュークの左隣に座った。
「それで……カレンはどうしたの?」
困惑に自然と眉が下がる。
デイジー様とデュークが視線をそちらへ戻した。デュークの向かい、デイジー様の隣には腕を枕にし、ぐてりとテーブルに突っ伏したカレンがいる。
運動したせいか、せっかくのポニーテールはちょっと崩れているようだった。傍らにはジュースの瓶と空っぽのグラス。
険しい顔で奥歯を剥き出して頭を振ってから、デュークが咳払いした。
「ん゛んッ、あー…、よく知らんのですが、レオをあっち行けと追っ払ってたもんで。どうしたと聞いたら何らグチグチ言う意味がわしにゃ…わ、たしにはわからず。」
「妙な二人組を私が発見し、とりあえずここに引っ張って来たんです。」
デュークの説明を引き継いでデイジー様が言う。
私はなるほどと納得したけれど、腕組みをしたデュークは冷ややかな目をデイジー様に送った。
「とりゃぁず、なぁ。剣抜いがぁってわしに詰め寄っだらぁが。」
「っ……だ、だから謝ったでしょう!カレンが俯いていたから、貴方が怖がらせたと思ったのよ。」
「ハッ!んら事すっがよ」
カレンとデュークは頭一つ分背丈が違うし、普段よく話すというわけでもない。遠目から見たら誤解するのも無理はない状況ね。
デュークが強い事を知っている分、デイジー様としては威嚇の意味も込めて、彼に立ち向かうため剣に手を掛けた。デュークとしては、気を遣って話しかけただけでとんだ濡れ衣だといった所でしょう。
「とまぁく……姫様が来てくださって、助かりました。」
まだ何もしていないけれど、成り行き上デュークとデイジー様の間には壁があるみたい。カレンが伏せてしまい、二人残されて困っていたと。
戻ってきたダンが私の前に紅茶を準備し、横に控える。デュークがデイジー様の方を顎でしゃくった。
「おい、もっがい喋らったぁいいだら、……?」
「はーっ、本当に無礼な男…!私にはマトモに喋る気がないと?何となくはわかるけれど…」
デイジー様がだいぶ眉を顰めつつ、隣のカレンに声をかけて揺する。
首をひねっていたデュークは思案顔で私に目を向けた。何か聞きたい様子なので軽く頭を傾けて促す。
「…姫様。そういや……あれは誰です。デジー…とか、呼んでましたか。」
「デューク……」
「レベッカと姫様の知り合いなのは、わぁってるんですが。名前までは。」
白い方はレオから聞いてましたがと言うデューク。
私はカレンを起こすデイジー様に届かないよう、そっと扇子を開いて耳打ちした。
「彼女はデイジー。ターラント男爵家のご令嬢よ」
「貴族?…なるほど。合点がいきました」
「あぇ、シャロン……?」
ゆらりと身を起こして、カレンがようやくぼんやりと私を見た。
扇子を閉じた私が微笑んで名を呼ぶより早く、小さな拳をドシッとテーブルに叩きつける。
「レオったらひじょいんだよ!わら、私が…頑張っちぇるのに!」
……飲んでたの、ジュースよね?




