405.手近にあった刃物
ホワイト先生と約束した土曜日。
昼食ついでにジャッキーとの打ち合わせを終えて、私はダンと共に温室へやって来た。
ジャッキーのバイトは最初こそ週に一度で始めたけれど、謎の美少女がお化粧を教えてくれるという噂が広まり、今では枠を増やしている。売上金での借金返済とお小遣いの配分は、相談しようにもジャッキーが「俺ちゃんに任せたらよくない」と言うので、こちらで決めている。
お客様の懐具合に合った化粧品を手配する中で、ユーリヤ商会のノーラとも――話す度にものすごく恐縮されるけれど――ようやく、関わりを持てるようになっていた。
ノーラ・コールリッジ男爵令嬢はサディアスのルートのみで登場する。
私は去年クローディア様の茶会で挨拶を済ませていたけれど、入学してからもなかなかどうして、長く話せるような機会はなかったのよね。
他の貴族令嬢にそれとなく割り込まれたり、ノーラがそそくさと逃げ出してしまったり。周囲のやっかみを気にしているようだったので、接触する時は配慮している。
校舎を出て外通路から地面に降り、すっかり見慣れたガラス張りの建物を見上げた。
温室の中は広く、薬草を含め育てている植物の数も多い。
当然ホワイト先生一人だけでは手が回らないので、植物のお世話専門の職員、要は庭師も何人か雇われていた。
「先生はもう来ているかしら。」
「どーだかな。」
最悪部屋で寝てるぞ、なんて呟きながら、ダンが扉を開けてくれた。
ホワイト先生は職員寮に住んでいるけれど、やりたい作業がある時は入浴だけ済ませて研究室に戻ってしまう。あの三人掛けソファで眠るのはマシな方で、うっかり床に倒れて寝ている事もあるとか。
とても優秀な方なのに、どこかこう、抜けているのよね……。
雑草を抜いていた庭師に先生が既に来ていることを確認し、向かった場所を聞いてから温室の奥へ進む。
立入禁止の扉の傍で、五、六人の青年が倒れていた。
私服だけどきっと生徒ね。一人立っているホワイト先生は考え込むように首を傾け、手にした鉈の背で自分の肩をトン、トン、と叩いている。
私達の足音に気付いてか、先生の瞳がゴーグル越しにこちらを見た。
「……おまえ達か。」
「こんにちは、ホワイト先生。そちらの方々はどうされたのですか…?」
場所からして大体の予想はついたけれど、私は控えめに聞いた。
見たところ三年生か四年生くらいかしら?衣服の質からして貴族ではなさそうだ。
全員地面に転がって、眠りこけている方や、赤い顔で口を開けたままガラス越しの空を見つめる方、だらしなく笑いながら「かあちゃん」と先生の方へ這いずる方。…幻覚にも程があるでしょう。
微かに、お酒の匂いがする。
飲酒しているのなら十六歳以上ね。四年生か、あるいはダンのように遅れて入った方でしょう。自分に伸ばされた手を軽く避け、先生は白衣の裾を後ろへ流して、腰に下げたレザーケースに鉈をしまった。
「見ての通り、酔っ払いだ。」
「まぁ…。」
どうやら昼間から呑んだ挙句、温室内の立入禁止区域に入ろうとしたようだ。
扉にはしっかりと錠がかかったままなので、失敗に終わったみたいね。
「ちょうどよかった。ラドフォード、こいつらを医務室に頼めるか。台車を使っていい」
「…はい。」
私と目を合わせて頷いてから、ダンが了承する。
小さな部屋に先生と二人きりで残るのはあまりよろしくないけれど、ここは広い温室で、庭師達も見える範囲に複数いる。特に問題ない。
倒れた生徒達を見回し、ダンは先生に視線を戻した。
「ネルソン先生には何かお伝えしますか?」
「温室でおれが捕まえたとだけ言っておけ。毎年こういうのがいるからそれで伝わる。」
「承知致しました。」
私達が来る前に頼んでいたのだろう、庭師の一人が大きなカゴが乗った台車を運んできた。先生とダンが割と容赦なく生徒達を放り込んでいる。今、ガツンって音がしたけれど。
そういえばかつてのダンも、アベルの手で馬車にポイと投げられていたわね。懐かしい。
「ではお嬢様。医務室に届けてすぐ戻ります。」
「えぇ、よろしくね。」
「頼んだ。」
人数の分、結構な重さがあると思う。
ダンは身体全体の力を使って押し始め、勢いがつくと小走りになった。あれはたぶん、温室を出た瞬間に風の魔法を使うわね。
ここでホワイト先生の許可無しに魔法を使って良いのは、庭師の方々だけだ。
さて、今日私が来たのは先生が「調合を見に来ていい」と誘ってくださったから。
珍しいのを使うと仰っていた。歩き出した先生に続きながら、前世で見たゲーム画面を思い出してみる。
三つ目のデートイベントでカレンが見せてもらったのは、美しい花を咲かせた薬草だ。
ティータイムでホワイト先生の授業は楽しいこと、知らない植物や薬草があると知ってわくわくしたと懸命に伝えたものだから、「じゃあ見に来るか」という流れになった。
使い方によって毒にもなると知ったカレンは慌てて先生の後ろに隠れていたわね。といっても他の物と混ぜて経口摂取した場合だから、見たり花を触るくらいは何ともない。
今日の調合はきっとその薬草を使うと思い、前もって予習もしてきた。
それにしても、生徒が倒れていたのは驚いたわね。
もちろんゲームにはそんなシーン無かったから、カレンが来た時間はもう少し後だったのかもしれない。一人だけ立っていた先生の姿を思い返し、斜め前を歩く大きな背中を見上げる。
「先程、鉈を持っておられましたが…《剣術》の試験でもそちらを使われていましたね。サディアス様と先生が試合をされるところを拝見しました。」
「そうか。」
「少し不思議だったのですが、なぜ剣をお使いにならなかったのでしょう?」
ホワイト先生に試験官を依頼したであろうトレイナー先生も、眉を顰めて予定外だというお顔をされていた。
グレン先生がいつもの杖を使ったのは、元々剣術より棒術を用いられるのでわかるのだけれど。
ホワイト先生は学生時代に《剣術》で優秀な成績を修めていたはずだし、ゲームの《未来編》では双剣を使っていた。
魔法と剣を使った戦いにおいて、純粋な実力で言えばもっともアベルを追い詰めた人だと言える。
視線を前へ向けたまま、先生は事も無げに返した。
「忘れていたからだ。」
ぱち、と瞬く。
先生のルートのカレンが「もうっ!」とぷんぷんする姿が浮かんだ。そうね、こういうところがあるわね…。
「おれも試験官をするのだったと気付いた時、時間が迫っていた。手近にあったのがコレだ。」
「そうだったのですね。訓練場の剣では駄目なのでしょうか?」
「備品は生徒が使う、試験官は自分で持ってくるようにとトレイナー先生に言われていた。」
「なるほど…」
トレイナー先生、きっと言いたい事を色々と飲み込まれたのでしょう。ホワイト先生も、リーチの違う鉈で問題なくこなしたところは、流石なのだけれど。
先生が唐突に立ち止まり、私は行き過ぎた二歩分後ろへ戻った。
「これを採る。」
えっ、と声を出しかけて口を噤む。
カレンが見せてもらった花はまだ先にあるはずだ。先生が指したのは低木に生っている果実。
「――ルタンの実、ですか。」
「そうだ。」
五センチ程度の縦に長い楕円の実で、黄褐色の皮は少しざらついている。
先生は小型のナイフで二個ほど採取の手本を見せ、私にもやらせてくださった。太いヘタは少し固かったけれど、問題なく追加の三個を手に入れる。
採った実は先生が白衣のポケットに落とし入れた。いいのかしらそこで。
もう一か所では手がかぶれないよう作業用の手袋をつけ、ペヨーチという薬草の葉を採取した。それは先生が口の広い瓶に入れ、ルタンの実とは反対のポケットにしまう。
温室の出口へ向かいながら、先生は残りの材料は研究室にあると仰った。立入禁止区域の物だから先に採っておいてくださったらしい。
「ベナドランの根を使う。」
「…今日は麻酔薬の調合なのでしょうか?」
「いや、自白剤だ。」
思わず目を見開く。
誰に使われるのかわからないけれど、先生に依頼するのであれば相当な高品質を求めているということ。先生が引き受けるだけの信頼関係がある相手ということ。
騎士団、あるいは王城からの依頼で間違いないでしょう。
師弟関係を結ぶにあたり、先生の仕事内容について私も守秘義務が伴う。
だから話してくださる、見せてくださるとわかっていても……実際こういった話を聞くと、思っていた以上にくるものがあるわね。
気を引き締めなくては。
「……ラドフォードも戻る頃かと思ったが、まだ来ないな。」
温室を出て辺りを見回し、先生が呟いた。
週末だから歩いているのはせいぜい数人程度、職員の方や校舎周りをランニングしている方ね。訓練場の方まで行けば、もう少しいるのでしょうけれど。
「そうですね。ひとまず校舎までは行ってしまいますか。」
私の言葉に先生が短く了承を返す。
上から見ると六角形になっている校舎のうち、先生の研究室は北東校舎三階、ダンが向かった医務室は南東校舎一階にある。
校舎の中までは入らずに待っていれば、行き違いになる事もないでしょう。
「あっれぇ?シャロン様じゃないですか~。」
とても聞き覚えのある声に振り返る。
青みがかったグレーの前髪をぱっつりと切り揃え、後ろ髪は肩につく程度。青い瞳に四角い眼鏡、今日も両耳に沢山のピアスをつけて、運動着姿のダリアさんがにこやかに歩いてきた。
温室の横を通ってきたという事は、奥にある厩へ行っていたのだろう。私は微笑んで会釈した。
「こんにちは、ダリアさん。」
「はい、ぼくです。ホワイト先生もこんにちは。」
「…ああ。」
「今日はいよいよ従者も無しにデートです?学園だっていうのに、お二人とも堂々としたもんですねぇ……あっ、弟子入りしたんでしたっけ。んひひ、これは失礼。」
相変わらず、一人で楽しそうにしておられるわね…。
ダリアさんは騎士団本部の四番隊副隊長、スペンサー伯爵の娘だけれど…貴族令嬢の型に囚われないというか、少し変わった方だ。
「ダンならすぐ戻ります。冗談も勘違いも、先生のご迷惑になる事はよして頂きたいのだけれど。」
「すみませんね、ぼくとした事が。」
まったく悪びれていない顔で、片目を瞑ったダリアさんが自分の頭をコツンとやる。
本当なら「考えてから発言して」ほしいと言いたいところ。でも彼女の場合、どう見ても考えた上で面白がって発言しているのよね。
「それにしても……」
ため息でもつきそうなうんざりした顔になって、ダリアさんはホワイト先生を見やる。
こちらの会話を聞いていないのか、私が言うから良いだろうと思っているのか、興味が無いのか。
数歩離れた位置に立つ先生は視線を上に向け、空を漂う雲を眺めているようだった。そっと私に近付いたダリアさんが小声で言う。
「どうせなら、もうちょっとくらい反応の楽しい師匠にしません?」
「私としては、薬師としての実力を大切にしたいわね。」
「お堅いですねぇ……。んじゃ、また《体術》でやりましょ、シャロン様。ではでは~。」
彼女は親しげに手を振って去り、入れ替わるようにダンが戻ってきた。




