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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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406/526

404.線を越えた先




 君影国の姫、エリにはブルーノ・ブラックリーが同行している。


 そうと知ったアベル達は一先ず安堵していたが、まさか一行の向かう先がセンツベリー伯爵領とは予想外だった。かの地は王都ロタールの北西、チェスターが叔父と戦ったバサム山より西に位置している。

 伯爵からアベルへ宛てられた手紙にはエリの言葉も綴られていた。


 ユーリヤ商会のフェル・インスが伯爵邸に残した懐刀は、エリの兄アロイスの物だと。


 一体、どこでどうやって手に入れたのか。

 フェルはアロイスの居場所について知っている可能性がある。エリ達は彼に会うため、この学園都市リラを目指し始めたらしい。

 ウィルフレッドが言った通り順当に行けば来週にはサトモスへ戻るはずだが、もし道中で魔獣に出くわした場合、騎士団へ報告してもらわねばならないので時間がかかる。死骸の処理が必要だし、事情聴取によって魔獣の情報を集めているからだ。


「サトモスに着いたら、そこでようやく僕からの報せが届くんだろうね。」


 アベルがぽつりと呟いた。

 「あれ結構前ですよねぇ」とチェスターが返す。

 学園の外壁にアロイスを名乗る仮面の男が現れたとは、もう三ヶ月も前にレオ・モーリスが報告してくれていた事だ。

 神殿都市にいるアベルの護衛騎士ロイ・ダルトンは主の指示に従い、すぐにエリ達が寄りそうな神殿都市周辺の騎士団詰所に「学園都市リラにて目撃情報あり」と伝言を送っていた。


 しかしエリは詰所に寄るより早くブルーノ・ブラックリーに出会い、「兄の懐刀」が遠い北西の領地にあると知る。

 せめて詰所に言付けでもしてくれればよかったものを、そのまま一路センツベリー伯爵領へ発ってしまった。お陰でアベルからの報せが長く眠る事になったのだ。


 アロイスがとっくにリラを去ったのか、まだいるのかはわからない。エリが知ったら「早く言わぬか!」と怒りそうだが、こちらにはどうしようもなかった。

 事態がどう動くか不明のため、エリへの報告にはアロイスが「ヘデラの王女と会っていた」事までは書いていない。

 チェスターが地図上で神殿都市を指し、海上の孤島リラへ真っすぐに動かす。


「着き次第《ゲート》でこっち来ますかね?」

「通行料はどうするのです。あの二人にそんな金があるとは思えません。」

「あ。確かに……俺達が出すのもおかしいしねぇ。」

「国としても、王城への滞在で充分過ぎるほど礼儀は尽くしているからな。」

 ウィルフレッドが小さくため息を吐いた。

 エリ達はろくに国交もない国から――姫であるにも関わらず――連絡なしにやって来た上、アベルを王子と知りながら斬りかかって剣を折ったのだ。


 それをツイーディアへの宣戦布告と受け取らずに済ませただけでなく、城へ一ヶ月ほどの滞在を許したのは相当な温情である。


 エリ達は引き換えに現在の君影国の暮らしぶりや文化について伝え、死者に通じると言う噂については、「何を伝えても意味がない」と一蹴して語らなかった。

 探し人の張り紙や騎士団での情報共有、神殿都市までロイ・ダルトンに護衛させたのは第二王子アベル個人の裁量だ。

 そんなアベルは眉間に皺を寄せて言う。


「《ゲート》以外なら海路を使うしかない……それはそれで港町までの旅費や船代がかかる。こちらが手配する事ないのは確かだけど、下手に遅れてもし、女神祭あたりに来られたら…」

「…困るな。」

 ウィルフレッドが短く唸った。

 変装したジークの正体を見抜けるか否かを別にしても、あの小さな姫君は声が大きい。悪目立ちしてもし君影の姫だと悟られたら、彼女自身を狙う者も出てくるだろう。

 チェスターは赤茶の長髪を掻き上げ、後ろへと流した。


「ひとまずこっちでさくっと聞いて、エリ姫に結果だけお届けするのは駄目なんです?」

「手紙には、自分が行くまで触れてくれるなと書かれてたからね。」

 指先で自分の腕を軽く叩いてアベルが言う。

 それを無視してまで、こちらで積極的にアロイスについて探る理由はなかった。

 ツイーディア王国としては、エリ姫から正式に「国を挙げて探してくれ」と依頼されたわけではなく、それに見合う何かを提示されたわけでもないのだ。


 アロイスの懐刀を所有していたというフェル。

 王都ロタールの下町で、微毒を持つ植物を香草だと言って売っていた行商人だ。シャロンとアベルが彼を見つけて城へ連れ帰ったのはもう一年半ほど前になる。


 短期間の拘留と被害者への賠償で済んだのは、彼の身元が確かだったから。

 たまたま騎士団本部を訪れていた城の文官が名を覚えていたのだ。センツベリー伯爵領からの書類で幾度か見たのだと。それを聞いて騎士が調べたところ、フェル・インスは先代センツベリー伯爵から身元証明書が提出されていた。


 聞けば本人も伯爵領で働いていた事を認めたが、「私があの地を発って何年も経つ。センツベリー家は今回の騒動に何の関わりもありません」と頭を下げ、賠償金は全て自分で支払った。

 その後ユーリヤ商会に所属してリラに来た彼が、センツベリー伯爵家の令嬢と再会したようだとは、アベル達もノーラから聞いていた。

 まさか彼がアロイスの手掛かりになろうとは、思いもしなかったけれど。

 ウィルフレッドは眉を下げてゆるく首を横に振った。


「神殿都市の騎士から情報が入るようにはしている。ひとまず出方を見ようか。」

「そうだね……女神祭にさえかぶらず無事に来てくれれば、問題は無い。」

 頷くように瞬いて言うアベルを、リビーの茶色の瞳がじっと見つめている。

 サトモスの周囲で失踪事件など起きていなければ、ロイがもっと自由に動けたのだ。逐一指示せずともアベルの望むように動いてくれただろう。エリ達の進路を誘導する事もできたはず。

 しかし彼は今、捜査に駆り出され神殿都市を離れている。

 リビーは黒布の下で静かに唇の裏を噛んだ。





 ◇





 なぜ、こうも上手くいかないのか。


 女子寮の自室で一人、オリアーナ・ペイスは表情無く椅子に座っていた。

 くるりとウェーブした淡い緑髪は背中まで伸び、俯く彼女の頬にかかっている。以前は堂々としていた高慢な笑みは見る影もなかった。

 青みがかった緑の吊り目は、テーブルに置かれた便箋へ向けられている。

 両親から届いた怒りの手紙だ。


 オリアーナがシャロン・アーチャー公爵令嬢を――少なくとも、衆目の中で遠回しに忠告するくらいには――怒らせた事など、とうに知れ渡っていた。

 原因と思われる出来事や邪推が入り乱れて囁かれていく。


 入学前から親しかったはずのブリアナ・パートランドはある日を境に態度を変えた。

 カレン・フルードが不敬にも王子に渡そうとした手作りクッキーを、オリアーナが正論を言って踏みつけた翌日からだ。ここ最近は姿を見ないが、ブリアナはオリアーナが声を掛けようとしても無視し、遠巻きに別の令嬢と話しながらクスクス笑ってこちらを見ていた。

 セアラ・ウェルボーンにも徐々に距離を置かれ、今は明らかに避けられている。当てつけのつもりか知らないが、セアラは小汚い《馬術》を受け始めたようでそれも不愉快だった。


 他の令嬢もオリアーナを避けている。

 考えてみれば随分前から、普通に話せる令嬢はどんどん減っていた。


『ねぇ、オリアーナ様。あの目立つ白髪の子、下手に近付かない方が良いのではなくて?』

『殿下達に擦り寄っている気味の悪い平民でしょう?』

『ま、まぁ……声を落として話しましょう、誰が聞いているか…』

『聞かれて困る事があって?平民の身の程知らずは本人の為にもならないでしょう。わたくし、昨日はわざわざ言って差し上げたんですのよ。ふふ』

『……第一王子殿下は、民の正直な意見が聞きたいと仰っていたそうですし……ほら、彼女シャロン様と行動を共にして…』

『お優しいから付け込まれたのでしょ?それとも貴女、あんな不気味な女が殿下達のお傍にいて良いと思うの?』

『それは……』


 口ごもっていたではないか、共感を滲ませていたではないか。

 正しかったはずなのだ、オリアーナは。


『お聞きになりました?中庭での騒動。ふふ、誰とは言いませんけれど、あんな高貴な身の上のお方が、ねぇ?』

『えぇと、オリアーナ様。わたくしはその場にいませんでしたが……あの第二王子殿下がご忠告なさったと聞きましたよ。騒がないようにと。』

『ですが仮にも公爵家の方が素行不良、それも男性関係だなんて。問題でしょう?おまけに平民まで相手になさって…ああ、宝飾店の息子でしたわね。わかりやすいですこと。』

『ちょ、ちょっと……』


 結果的には無実だったけれど、男遊びが激しいと信じた生徒は多かったはずだ。

 口に出して楽しんでいたのだって、オリアーナに限った事ではない。

 なのにヘデラのロズリーヌ王女に呼びつけられ、前へ立たされ忠告を受けた。王女の名で親を呼び出すとまで脅され、カレンに近付けなくなった。


『貴女、まだフルードさんを目の敵にしているの?もう良いのではなくて。』

『…何のお話でしょうか。わかりかねますわ』

『えぇそうね、わかっていない。一線越える前に弁えておきなさいな。ではね』

『………弁えてないのは、あっちでしょうが。』


 オリアーナには想い人がいた。

 一学年上の伯爵令息シミオン・ホーキンズだ。

 けれど最悪な事に彼は、「どうか俺の事は名だけでお呼びください」とシャロンに乞うた。《剣術》の特別授業の終わりには、彼女に対して見事な騎士の礼をしてみせた。

 常に表情を変えない彼の感情を読み取る事は難しいが、人前でそうする事はまるで忠誠を誓うようで、愛を乞うようで、オリアーナは腸が煮えくり返る思いだった。


 そんな時にカレンが、いたから。

 不敬にも手作り菓子などというゴミを持って、王子殿下を待ち伏せていたから。


 身分差を弁えない平民を叱って何が悪い。

 万一にもゴミが殿下へ差し出される事のないよう踏み砕いて何が悪い。

 何が。


「――…ッ。」

 拳を膝の上で握り締め、オリアーナは奥歯を噛みしめる。

 今にして思えば令嬢達はきっと、公爵令嬢(シャロン)本人が出てくる前に、自分達が注意するうちに止めておけと言いたかったのだろう。

 貴女は既に睨まれていると、叩き落とされるのは一瞬だと。


 道化のように見えただろうか。

 オリアーナは線の前で立ち止まったブリアナとセアラを振り払い、怒りのままに跳び越えた。


 思い出すのはシャロンの微笑みだ。

 オリアーナをわざわざ家名で呼ぶ事で彼女は、とうに噂になっていたであろう「踏む」という言葉で彼女は、「私はこの者の所業を覚えておく」と周りにも示した。


 王子殿下の御友人(お気に入り)である公爵令嬢、国王陛下の右腕たる特務大臣の娘。

 罵声も怒りも見せなかった彼女の、ほんの二言、三言で。

 オリアーナ・ペイスは「関わらない方が良い相手」だと大勢に認識されてしまった。


「……あんな女のどこがいいのよ……」

 シャロンのせいでオリアーナはろくに関わりのない生徒にさえ笑われ、聞こえよがしに「恥晒し」「みっともない女」と罵られている。

 学園にいる間は護衛役の生徒が、少し離れた位置からオリアーナを見守っているはずだった。最近見かけないと思ってはいたが、両親からの手紙によれば「公爵家の敵に回りたくない」と契約を切られたらしい。


 これだけオリアーナが苦しんでいるのに、シャロンは今日もお綺麗な笑顔で。

 王子達と同じ宝石を使ったブローチなどつけて、オリアーナとは目も合わせてくれない令嬢達と優雅に茶会などして。


「わたくしは…わたくしは……」


 怒りの滲む父親の雑な字を睨みつけ、オリアーナは手紙を破り捨てた。





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