399.許した事が許せない
※名前は覚えなくても差し支えありません。
豪奢な寝台に一人の男が横たわっている。
彼の毛先に向けて白から青へと変わる特異な髪は、ロベリア王家の直系たる証だ。
五十歳近くもなると髪色は白の割合が増え、身体はここ数週間で急激にやせ細っている。
部屋の扉が遠慮なく開けられ、男の意識は浮上した。
「父上!ご機嫌麗しく。外は随分と良い天気ですよ。」
快活な声は王太子のものだ。
他にも複数人の足音が聞こえる。男はようやっと目を開いた。上半身をクッションが支えているため、力を入れずともやって来た面々を見る事ができる。
にこりと笑って傍らの椅子に腰かける二十四歳の王太子、ギード。
冷めた表情で直立しているのは二十二歳の第二王子、カルステン。
ゆるく笑み、首元のゴーグルをいじっている十七歳の第三王子、ヴァルター。
腕組みをして唇を引き結ぶ二十歳の第一王女、エーファ。
窓の外へぼうっと視線を投げている十五歳の第二王女、フィーネ。
子供達の面会だろうと必ずいるはずの兵や、男の側近達の姿はない。
体調を崩してから一度たりとも、最低限の世話をする使用人以外が来る事はなかった。
「諸々が片付いたのでご報告に参りました。いや、少々手こずりまして。遅くなって申し訳ございませんが、私から――まぁ要点だけでいいでしょう。」
「…ギード」
男の口から掠れた音が漏れる。
王太子の名を呼んだようだったが、彼は反応せずに話を続けた。
「我が国の所有する植物の中でも特級扱いのアロトピーですが、管理者の一族に不届き者がいましてね。約一年前、次期当主の息子が遊ぶ金欲しさに横流しをしておりました。金を受け取りすぐ失踪していましたが、此度生存を確認――死刑宣告済み、関係者含め執行は三日後です。」
「もう、いい」
「情報を取るのとあれこれの調整に時間を要しましたが、はは。驚いた事に父上、いえ陛下。貴方はご存知でいらっしゃったにも関わらずこれを黙認、見逃す代わりに一族から金を受け取っていたとか。息子としては大変遺憾ではありますが、他にも余罪が――」
ぱくんと、王太子は口を閉じる。
男が力の入らぬ様子で、それでも皺だらけの手を少しだけ上げたからだ。沈黙を確認して、その手はぼとりと布団に落ちた。
「ギー、ド……私に、何をした。」
ほんの内緒話でも掻き消されてしまいそうな声で、男が問う。
王太子は目を細め、ふっと口角を上げた。
「小さくなったな、父上。未だ若輩者の私にこれほど容易く負けるとは。」
「何を、したと…聞いてる」
「頃合いを見て貴方の罪を暴いただけさ。古狸達もさすがにアロトピーは庇いきれんようでね。思っていたより多い人数が擦り寄ってきた。まぁすぐ死なれてはこちらも困る、まずは実権だけ頂くよ。」
「貴様……この、父に…毒を」
「その身が未だ壮健ならば、罪を償うためにどうなったかな。優しい誰かがいて良かった、そういう事だ。」
「グ……」
男の目は怒りに燃えたが、それを吐き出すための力が無い。
瞳がギロギロと子供達を見回した。
ロベリア王には五人の子がいる。
絡繰り好きの王太子は天才技師、その背を追った第一王女は設計士。
不器用な第二王子は植物博士、第二王女は毒薬と凶器しか作れぬ破壊神。
望んだ時期に望んだ症状へ、そんな調合ができるのは。
「ヴァルター…貴様、か……!」
「何の話だろう、父上。」
天気でも問われたような穏やかさで、第三王子は青い瞳を男へ向ける。
兄妹揃って眉目秀麗な顔立ちだが、彼だけは目の下にクマを作り少し不健康に見えた。
「最近は、嗅げばわかる程度のモノしか作っていませんよ。知識こそ人類の宝――…我が国の頂点である貴方なら、気付けて当然の物しかね。」
「くくっ……だそうだ、父上。予想は外れたな。」
「お前、達…よくも……ッ!?」
後から進み出た女性に男が目を見開く。
我が子らに追い詰められた絶望的な状況で、彼女はまるでそちら側のように冷たく男を見下ろしていた。
「…なぜ…ここに……」
「愚問だな。子が母に自由でいて欲しいと願うのは道理だろう?」
王太子は立ち上がると、女性の手を引いてベッド脇まで連れてくる。
三十年近く離宮の塔に幽閉され、国王以外にはごく僅かな侍女しか接見を許されなかった王妃だ。かろうじて上げた手を握ってもくれない彼女に、男は呻き声を上げる。
「また裏切るのか……お前を、お前を愛しているから、あの時も許してやったのに…!」
「裏切ったのは貴方のほう。」
「…なんだと」
「信じるのではなく許した貴方を、わたくしは生涯許せない。」
「こ、の――」
「そういうわけでだ。」
ぱん、と一つ手を叩き、王太子は笑顔で男を見下ろした。
「隠居暮らしはお一人で。命尽きるその時も、痛みが無い事だけは保証しましょう。」
もう用は無いとばかり、王妃は既に踵を返している。
彼女の背が扉の向こうへ消えると、次は五人の子供達が並んで男を見ていた。
全員揃いの白から青へ変わる髪、青い瞳。
ある者は微笑み、ある者は一瞥もくれず。
「「「「「さようなら、父上。」」」」」
五人分の足音は迷う事なく部屋を出て、重い扉が閉じられた。
◇
ツイーディア王国、王の執務室にて。
「王妃は無事か……ご苦労だった。下がれ」
少し癖のある金の長髪を左だけ耳にかけ、完璧と称される美貌は今日も今日とて僅かな曇りもない。
煌めく金色の瞳を閉じた扉から手元の書類へと戻し、国王ギルバート・イーノック・レヴァインは小さく息を吐いた。
――下手をすると動けぬようにされているかと思ったが、そこまでは至らなかったらしいな。
まぁそれでは子も産めぬかと、ギルバートは考える。
第一子を死産して以来、当時まだ王太子妃だった彼女は療養中となり、表に姿を現さなくなった。王妃になった時ですら。
それでも数年後には第一王子を、次に第二王子をと、王の血を引く子を五人も授かっている。
公式の記録ではそれが全てだ。
本当は死産ではない。
生まれた子は父親が違うと断じられたのだ。
それでも泣きながら否定して子を庇う妻のために。夫は自分を裏切った妻を深い慈愛をもって許してやり、追い出す事なく閉じ込めた。
なぜ他国の王であるギルバートがこの秘密を知っているかと言えば、王妃との浮気を疑われた男を逃がしたのが彼だからである。
疑惑の出産から五年後、現国王は玉座についてすぐその男を国外追放とした。
彼は先代王妃の甥――国王にとっての従弟――であった上に、先代国王は子の父親が彼だという確証は無いとして、断罪を認めなかった。
自分が王になってからでないと処断できなかったのだ。
あからさまなこじつけで冤罪を作られ、王の名で追放を命じられた彼は両親や兄弟を守るために大人しく従った。
その情報が入って驚いたのは、当時十七歳のギルバートだ。
男はギルバート達より四つ年上の侯爵令息で、彼がツイーディアの女神祭に訪れた時友人になっていたのだ。
果たして偶然の不幸か、はたまた誰かの刺客だったのか。
暴風の如き魔法で駆け付けた時には、男は顔を隠した不審者に囲まれていた。救い出してすぐ治癒の魔法をかけなければ、あのまま命を落としていただろう。
『エリオット様…それに、ギルバート王太子殿下……!?な、何でこんな所に』
『貴方が国外追放などされるからだろう。王命というから余計に驚いたぞ』
『それは……、お待ちを。お二人とも護衛はどこです?』
『いないさ。エリオットの魔法で飛び出してきたからな、咄嗟に追いつける者は我が国でも――』
『今すぐお戻ッ、ぐぅう!』
『叫ぶな!まだ治りきってないぞ』
二人は空の道すがら事情を吐かせつつ――常人には拷問のようなスピードであった――ツイーディアとの国境へ一気に移動させ、後は人を寄越して逃走を手助けした。
永遠の宝物庫、コクリコ王国のとある辺境伯のもとへ。
「追えてはいる。それは間違いない」
執務机にどかりと腰掛けて、騎士団長ティム・クロムウェルが呟いた。
水色の髪は頭の右側で二つに小さく結い、眉は困ったように常に下がっている。
少し離れた位置に立つ赤髪の副団長レナルド・ベインズは、眼帯に隠れていない左目をティムに向けて頷いた。
魔力持ちが触れると最適の属性を色で表してくれる白い石、《鑑定石》。
これをオオカミなどの獣に飲ませると《魔石》に変質し、獣は魔獣へと変わってしまう。言わば魔獣の元だ。
数多の鉱山を有するコクリコ王国から、この鑑定石が大量に不法輸出されている。
それを取り仕切っていたエストルンド侯爵を約一か月前、第二王女イェシカ・ペトロネラ・スヴァルドが検挙した。
イェシカ古馴染みの辺境伯や、派遣されていたツイーディアの騎士の助けを借りての事だ。
侯爵を尋問し調査を進めた結果、鑑定石はやはりツイーディア王国に運ばれていた。
領土の中でもコクリコ王国と君影国との国境に近い辺境の林道、その外れだ。下っ端の運び屋によれば、指定の時間にそこへ訪れると「穴が現れる」という。
そこへ積み荷を入れてしまえば、報酬がいつの間にか現れる。
穴がどこに繋がっているか、誰もわからない。
狩猟の時、第一王子ウィルフレッドの背を狙った《ゲート》。
王都襲撃の際、次々と魔獣を吐き出した《ゲート》。それが輸送にも使われていたのだ。
「仮にスキルを組み合わせたとしても、相当な魔力量だよね。それだけの使い手なら裏でも名が売れてそうなものだけどな…」
「夜教の信者ならば、夜教のためにしか使わないんじゃないか。」
「……まぁ、そうだよねぇ……。」
首を捻りつつ呟いて、ティムは机に広がった報告書に目を落とした。
イェシカに同行しているヴェロニカ・パーセルから、追伸として「イェシカ殿下が男前に求婚して辺境伯が面食らっております」と添えられている。
ぱちりと瞬き、ティムはそのページを手に取った。
「……レナルド、協力者の伯爵って幾つでどんな人だっけ。」
「四十五歳じゃなかったか。確か前の伯爵が子を授かるのが遅く、成人するまでの間代わりに就いている。イェシカ殿下は幼少期から伯爵領の鉱山を訪れていたため交流があり、また彼はアーチャー公爵のご友人でもあるため、信頼できると判断して協力してもらった。」
「…そうだよねぇ……殿下が十九…まぁ、まぁ……」
「何だ。」
「いや、放っておくよ。些事だ、些事。」
後で陛下の耳にだけ入れておくかと考え、報告書を机に戻す。
その些事によって声を上げて笑う国王を見る事になるとは思いもせず、ティムは床へ降り立った。




