表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/514

3.幼馴染のバーナビー

 



 城を出るために、馬車へ乗り込もうとした時だった。


「どこか行くの、ウィル。」


 後方から楽しげに声をかけられ、俺は一拍だけ間を置いて振り返る。

 この国の第二王子……俺の双子の弟であるアベルが、口元に薄い笑みを浮かべて歩いてきた。


 腰の帯剣ベルトには俺と揃いの剣が納まっている。

 なんとなくそれから目をそらすと、俺の手はいつの間にか自分の剣に触れていた。意識的に手を離す。


「…お前には関係ないだろう。」

「あるよ。アーチャー公爵邸でしょ?」

 奥歯を軽く噛みしめた。

 わかっているならなぜ聞いてきたんだ。

 俺があからさまに顔をしかめても、アベルは何も気にした様子がない。その格好が俺と同じく、普段より質素なものである事に気付いてはっとした。


「僕も行くよ。怖がらせちゃったみたいだしね。」

「来なくていい!」

「はは。」

 俺の拒絶を笑って流し、アベルは俺が乗る予定の馬車にひらりと乗り込んだ。


「あっ…この!」

 手を伸ばして届く距離ではなく、バタンと扉が閉められる。――普通、閉めるか?俺が乗れないじゃないか。

 何をするんだと目を見開く俺の前で窓が開き、平然としたアベルが顔を出した。


「ちょっと寄る所があるから、先に使うよ。ウィルには次の馬車を用意したから。」

「ふざけるな、アベル!どうしてお前はそう勝手な事ばかり…!」

「第二王子殿下、困ります!自分は第一王子殿下を――」

 ガンッ!

 御者の言葉が終わる前に、アベルが内側から壁を蹴った。御者の背中側にあたる壁だ。馬車が揺れる。


「いいから出しなよ。僕の言う事が聞けないのか」

「ひっ…」

 空気がビリリと震える。

 俺と同じ十二歳の子供の声で、視線で。大人であるはずの御者が恐怖を覚えている。


「アベル!」

「…ほら、馬車が来たよ。そっち使っていいからさ。」

 アベルが見やった方を振り返ると、確かに馬車が一台こちらへ向かっていた。俺が用意したのと同じく、王族である事を誇示しない、あえて装飾を無くした馬車だ。

 ガタンと音がして視線を戻すと、アベルが乗った馬車の窓は閉まっている。


「待て!第一お前、護衛を」

 連れてないじゃないか、そう言いたかったのに。

 ドンというくぐもった音と同時、また馬車が揺れた。壁を蹴られたのだろう。

 御者は短い悲鳴を上げて合図し、馬が勢いよく駆け出した。


「アベル!」

 呼んだところで弟は戻らないし、馬車も止まらない。

 俺から一定の距離を保って控える護衛騎士二人も、アベルを追おうとしないし止めもしない。

 言っても無駄だと理解しているし、第二王子の行動には口出しできないとわかっているからだ。


「あ~らら。我が主はもう行っちゃいましたかねぇ。」


 呑気な声が聞こえて、ゆっくりとそちらを見やる。

 やって来た馬車から下りたのは、ゆるくウェーブした赤茶の長髪を後ろで縛り、シャツのボタンをだらしなく開けた男だった。

 俺とアベルより三つも年上なのだから、服装くらいきちんとしてほしい。俺は苦い気持ちで息を吐いた。


「チェスター、従者ならもう少しアベルを抑えてくれ。」

「いやぁ無理ですよ、あの暴れん坊ったら言っても聞かないんですから…おっと、失礼。ささ、この馬車をどうぞ。」

 チェスターはへらへらと笑いながら、茶色の瞳で俺を見下ろしている。

 その垂れ目は彼の性格を穏やかに見せているが、今は笑い方のせいか嫌味な印象を受けた。…あまり気分の良いものでは無い。


「…何だ。」

「いえ、何も。ただね、アベル様は寄る所がありますから、貴方はお早めにアーチャー公爵邸に向かわれた方がいいですよ。ご令嬢に会うのは、先の方が良いでしょう?」

「……わかってる。」

 一瞬、アベルが先に会ったらどうなるか想像して、俺は少し早足に馬車へ乗り込んだ。

 どうなるかなんてわからないけど、ただあの二人だけで会う光景を思い浮かべると、嫌な気分になった。焦りがあった。……彼女を奪われたくない。

 俺の大切な友達を。


 扉を閉めると馬車はすぐに動き出す。

 窓の外では、チェスターが笑顔で手を振っていた。



「はは……ほ~んと、呑気ですこと。」


 外からの呟きは当然、聞こえないまま。






 俺とシャロンが出会ったのは五年前だった。


 この国では、子供は七歳になると《魔力鑑定》が行われる。

 鑑定石と呼ばれる白く透き通った石に触れると、「火・水・風・光・闇」の中で最も適応する属性がどれかを色で示してくれるのだ。


 基本的にそこで示された属性の魔法が最も身体に馴染み、扱いやすい。

 逆に苦手な属性は扱いにくく、無理に使うと暴走したり不発になったりする。人それぞれだ。


 俺は光だった。鑑定石が黄色く輝いた瞬間、会場にいた大勢が歓声を上げた。


 王位を継ぐには魔力がなければならない。

 双子の「兄」である俺の、王位継承権第一位が確定した瞬間だった。


 鑑定石に触れる時、俺は心臓がものすごくドキドキして……光るまでの一瞬すら、気が遠くなりそうだったのに。

 アベルはさっさと済ませたいとばかり、入れ替わりに平然と手を置いた。


 ……石は、何の色も示さなかった。


 鑑定を終えた事だけわかる、淡い輝き。

 魔力無し。

 落胆のため息が、驚いて息を呑む音が部屋をいっぱいにした。「何かの間違いでは」と言う人が多かった。

 俺も唖然としていた。


 だって、アベルは優秀なんだ。


 皆がどよめく中、弟は眉一つ動かさずに踵を返し――立ち尽くしていた俺と、目が合った。


 何か言わなくては。


 幼いながらそう思って、俺は口を開く。

 何を言えば――ほっとした。違う。残念だったね、違う。大丈夫だよ、何かの間違いだ。アベル、お前はとっても優秀なんだから、魔力がないはずはないよ。違う。だって光らなかった。俺は、父上の跡は、お前は期待されてるのに、どうして俺が、


 アベルが笑った。


『――っ。』

 それは俺だけに向けた、ただ口角を上げるだけの笑みだった。

 俺は喉が締まったように何も言えなくなって、アベルが通り過ぎるのを、足音が遠ざかり出ていくのを、何人かが「どうかもう一度お試しを」と追いかけていくのを、聞いていた。


 笑顔の意味はわからない。

 誰もが残念がっていたのに、裏を返せば誰もがお前に期待していたのに。

 魔力を持たない人は珍しくないけれど、この国の王家や古い血筋の貴族に限ると、事例は極端に少ない。

 あって当然なのだ。


 俺だったら血の気が引いて内心頭を抱えたと思う。

 魔力の無い王子なんて、周りにどう言われるかわからない。父上に失望されたのではと思ったはずだ。


 笑う事なんかとてもできなかっただろう。

 あいつみたいに堂々と歩き去るのではなく、逃げるように走り出していたかもしれない。

 何で笑ったんだ?


 ……俺の胸に溢れた嫌な感情を読み取って、狭量さを嘲ったのだろうか。




 気付くと、幼い俺はふらふらと城を抜け出していた。


 随分昔にアベルと探索して見つけた、城の外に通じる抜け道を使って。どこへともなくひたすら歩いていたら、いつの間にかアーチャー公爵邸の前だった。

 その時はまだ誰の屋敷かは知らず、漂ってきた紅茶の香りにぼんやりと、「ティータイムか」なんて考えていた。


『そこの方、失礼だがどちらのご令息でしょうか。』

 門番に声をかけられてハッとした。

 正体を知られるわけにはいかないと焦った頭で考える。


『いえ、その――』

『どうかしたのか。』

 聞き覚えのある声に青ざめた。陛下の側近である男性がそこにいたのだ。

 魔力鑑定の場にもいただろう彼が目を見開いたのは、間違いなく俺を認識したからで。咄嗟に人差し指を自分の口にあてた。

 王子がやる事にしては、あまりに子供じみた口止めだった。


『……今から我が家はティータイムなのですが、ご一緒にいかがですか?』

 彼はどうしてか、優しく微笑んでそう言う。

 城で見かける時はいつも眉を顰めて唇を引き結んでいたから、俺は一瞬、双子の兄弟がいたのかとすら考えた。


『シャロン、お客様だ。ご挨拶しなさい。』

 案内された先にいたのは、花の色のような、薄紫の髪をした少女。

 同じ色の大きな瞳で俺をじっと見つめて、スカートをつまんで軽く腰を落とす。美しい所作だった。


『シャロンです、初めまして。あなたのお名前は?』

『俺は……』

 初めて城を抜け出した俺は、王子ではない、ただの自分でいたかった。

 ウィルフレッドではない誰かで、いたかった。


『俺は、バーナビー。』


 アーチャー公爵が与えてくれた「王子ではない時間」は、心地よかった。

 俺を王子だと知らない優しい友達と、ゆっくり話して、お茶を飲んで、笑って、普通の子供みたいに遊んで、たまに悪戯をして叱られて、それだけで心が満たされるようだった。


 前は、アベルとも城で好き勝手に遊んだものだけど……いつからだろう、あいつは一人でいる事が多くなって、俺が探しても見つからない事が増えて、授業にもあまり来ない。

 聞いた話では、結構な頻度で城を抜け出しているらしい。

 大人達はそういう行動に眉を顰めるものの、アベルの能力について貶す者はいなかった。


 俺達は双子で、俺は兄で、何においても弟の方が優れていたのだ。


 気付いた瞬間にひどく息苦しくなった。

 皆、俺とアベルを比べている。

 かつて俺に手を引かれてばかりいた弟は、たった一人で遥か先を歩いていた。


 嬉しそうに少しだけ微笑むあいつの、優しい瞳を覚えているのに。

 冷笑を浮かべてこちらを見るあの金色は、思い出を掻き消していくかのようで。

 今となっては俺はもう、アベルが何を考えているのか……まったく、わからない。



 突出した才のない第一王子。

 ただの少年でいられるアーチャー家が、シャロンの隣だけが、ゆっくり息をできる場所のように思えていた。

 だけど王立学園に行ったら、もう王子である事を隠していられない。


 彼女なら、きっと本当の事を知っても今まで通り接してくれると思っていた。

 だから入学するより前に、王子として会おうと。自分の口から告げようと考えた。

 公爵に頼んで招待状を送ってもらおうとした。


 そうしたら父上は、アベルも連れて行くべきだと言った。仕方ない。

 父上とアーチャー公爵は旧友で、本当ならもっと家族ぐるみで付き合いたいと何度か聞いていた。

 公爵は俺とアベルどちらにも招待状を送った。アベルはその招待を受けた。

 仕方ない。


 …いいじゃないか。アベルが一緒にいたって、きっとシャロンは俺を見てくれる。

 だって何度も会っているのだから。

 大事な友達だから。


 だから、シャロン


『アベル、皇帝陛下……』


 どうして、アベルを陛下なんて呼ぶんだ。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ