394.三つが正しく揃うこと
「いかがでしたか、先生。」
放課後の薬学研究室。
体の前で両手を組み、少し緊張をはらんだ声でシャロンは問いかけた。いつも彼女と一緒にいるダンはストッパーを噛ませた扉の向こう、廊下に椅子を一つ置いて待機している。部屋に入ろうとする者があれば取り次ぐ役を果たすのも彼の仕事だった。
「予想通りだ。」
部屋の主であるホワイトは大きな椅子に腰掛け、シャロンに「こちらへ来い」と手振りで合図する。
百九十センチ近い背丈に黒のシャツとズボン、対照的にまっさらな白衣。
いつもつけているゴーグルは首元まで下げ、血のように赤い瞳と端正な素顔が晒されていた。右の前側と左の後ろ側だけまばらに白い黒という、非常に珍しい髪色をしている。
シャロンは大人しく数歩近付いた。
ホワイトの作業机には十五分前に預けた小物達が、預けたままの場所に置かれている。
「確認しろ」
そっけない一言と共に、ノートを一枚破っただけの紙をひらりと渡された。
シャロンはホワイトの字で書かれたそのリストに目を通す。
・カフリンクス①
《効果:水の守り(中) 発動条件:攻撃魔法感知 残数:一回》
・カフリンクス②
《効果:水の守り(中) 発動条件:攻撃魔法感知 残数:一回》
・ブローチ
《効果:水の守り(中) 発動条件:攻撃魔法感知 残数:一回》
ウィルフレッドが用意した、アレキサンドライトをあしらった装飾品だ。
リストに書かれた魔法はシャロンが望んだ通りだった。
この三つ、特にカフリンクスには《効果付与》が成功していなくては困る。最低限の仕事はできていたのだと、シャロンはほんの僅か肩の力を抜いてから続きを読んだ。
・ガラスペン
《効果:水の守り(小) 発動不備:媒体不適格》
・ネクタイ
《効果:水の守り(小) 発動不備:媒体不適格》
・ブレスレット(黒水晶) 反応なし。
この三点は「宝石以外にも効果を付けられるか」試すための物だった。ゆえに魔力も最低限しか込めていない。
シャロンのペン、男装用に持っているネクタイ。どうやら付与は失敗してしまったようだ。
父親にもらったブレスレットの装飾に使われている黒水晶は、魔法の発動を妨げる効果のある宝石だ。ペンやネクタイと異なり「反応なし」なのは、やはり素材のせいか。
リストから視線を上げ、ホワイトと目が合ったシャロンは意識して微笑みを作った。
「ありがとうございます、先生。殿下達にきちんと守りの効果を渡せること、証明がとれてまずは安心しました。」
「残りは駄目だったな。」
「はい…」
シャロンは以前にもペンや木製のブローチで試した事がある。
その時守りの効果を付与できなかったとはホワイトに伝えていたものの、検査のために今回改めて試したのだ。
座るよう促され、シャロンは三人掛けソファの端へ腰かけた。
「確認なのですが、発動不備というのは…」
「そのままの意味だ。なぜ魔法が発動しなかったかを表している。」
「…ではやはり、守りの効果は宝石にしか与えられないのでしょうか。」
「確定するにはまだ早い。」
ホワイトはそう言って腕を伸ばし、淡い水色のガラスペンを手に取ってみせる。
「例えばこれだが…ガラスという素材が悪いのか、細長い形状が良くないか、ペンという性質が不適格なのか、あるいは――おまえの中で、守りのイメージと媒体が結びつけられない。それだけの理由かもしれないし、複合的なものかもしれない。」
「……仰る通りですね。」
薄紫の瞳を丸くして、シャロンは呟くように返す。
不適格だと一言で表されていようとも、その原因がどこにあるかはまだ不明なのだ。安易な考えだったと心の中で反省する彼女から目を離し、ホワイトはペンを置く。
「国王の勅命だ、検査人は何度でも呼べるだろう。スキルの詳細を探るだけの時間はある」
「はい。ありがとうございます」
その検査人が目の前の教師だとも知らず、シャロンがきちりと礼をした。
物質に込められた魔法を探る希少なスキルないしは技術を持つ者。正体が不明なのは当然だと考えていた。
「先生には仲介を含め、色々とお手数をお掛けしてしまいますが…よろしくお願い致します。」
「ああ。」
元々シャロンのスキルを国王に報告したのはホワイトであり、彼はすぐにシャロンの監督保護の役割に就いた。
彼は《魔法学》の教師ではないが、シャロンのスキルは極秘扱いであり、効果を付与できたか調べられるのはホワイトのみ。
薬の効力を高める効果付与が確認されているため、《薬学》の知識も求められる。
五公爵家の人間であり王妃の異母弟、国内屈指の優秀な薬師。加えて万一の際にシャロンを守るだけの力量も備えている。
リリーホワイト子爵、ルーク・マリガンが選ばれるのは当然の流れだった。
「先日も言ったが、まずは現時点で付与できる媒体と効果の確認からだ。増やす努力は後で良い」
「はい。」
「同時に《薬学》の特別授業。いずれは薬への付与や、おまえの最適である《水》を直接薬にできるかも試していく。恐らく可能だ。わかっているだろうが勝手にやるな」
「心得ております。」
「それでいい」
実質、シャロンは薬師ルーク・マリガンに弟子入りとなる。
特別授業はアーチャー公爵家からの正式な依頼であり、当然報酬が発生する他、スキルに関わる秘密保持についても契約書が交わされていた。
「おまえの《効果付与》にどこまでできるか見えてくれば、場合によっては王家から依頼される事もあるだろう。…それは覚悟しておけ」
「はい。」
王家から個人的に依頼される事は大変な名誉だが、シャロンが浮き足立つことはない。
今はまだ守りや回復といった効果でも、いずれ別方面の確認もとらねばならないだろう。だからこそホワイトは「覚悟」と言った。
――陛下が直接いらした時点で、改めて私の人となりを見ておく必要があると判断されたのだとわかっていた。それだけ重要であり、それだけ危険なもの。……私は、自分の力をきちんと知らなくてはならない。正しく使うために。
無意識に膝の上で手を握りしめたシャロンの耳に、椅子の軋む音が聞こえる。
長い脚を組み、ホワイトは目を閉じて椅子の背もたれに身を預けていた。思案顔で少しばかり眉根を寄せている。
――発動できる効果に「疲労回復」があるのは間違いないが……身体的外傷の回復、すなわち治癒の魔法と同等の効果を得られたなら。魔力回復の効果が得られたなら。いずれこいつが言っていた薬も……。
可能性はある。
まだろくにスキルを調べられていない今だからこそ、そう言えた。
シャロンは手元のリストに目を落としている。
「黒水晶のブレスレットは、反応がありませんでしたね。」
「当然だ。」
「私はてっきり、クッキーのように《魔力不足》と出るのだと思っていたのですが……更に魔力が無い状態という事でしょうか。」
「あるいは、一切無い。」
ホワイトは言いながら目を開き、「例え話だが」とブローチが入った箱を手前に置き直した。
話を続けながらカフリンクスの箱二つをその上へ横並びに重ねていく。
「おまえが《効果付与》するにあたり、前提として脳内の構想がある。加えて媒体と、魔力。この三つが正しく揃って発動するものだと仮定しよう。何らかの原因で《媒体不適格》である場合、付与は発動しない。」
ホワイトが媒体を示す箱をひょいと持ち上げて言った。
箱を置き直し、次は魔力の箱に横から指先をあてる。
「魔力が足りなければ発動しない事は常識だ。わかるな」
「はい。それが《魔力不足》の状態ですね」
「そうだ。これが黒水晶の妨害によって完全にない、あるいは著しく少ないとする」
ホワイトは魔力を示す箱をどかし、代わりに手近にあった薬草の葉をぺらりと乗せた。
構想と媒体に比べて随分頼りない姿だ。
「魔力は当然、構想と媒体を根本から繋げる役割も担っている。それがこうなればもはや、ここが成り立たない。」
かつり、ホワイトの指先が示したのは媒体と構想それぞれの箱の接触面。
そこが接触できないという事は、構想の上に媒体を積めない。ホワイトは媒体の箱をどかした。残ったのはシャロンの頭の中、構想と魔力を示す葉っぱ一枚だけ。
箱が三つ揃った状態から随分と変わってしまった。
「《反応なし》だ。」
「……とてもよくわかりました。」
ホワイトの言う検査がどういったものかシャロンは知らないが、あくまで媒体を対象に行われている事は確かだ。
ぽつんと離れて置かれた媒体を示す箱を見て、構想――付与しようとした魔法が読み取れるとは、到底思えなかった。
「おれからもおまえに聞きたい事がある。」
「はい、私にわかる事であれば。」
「守りの効果についてだが……そもそも、一番初めは何がきっかけだった?誰かおまえにルールを印象付けた者はいないか。」
「ルール、ですか?」
「他と比べて内容がやや詳細に思える。これはそういうものだと定義された事は?最初を思い出せ。何があった」
赤い瞳に見据えられ、瞬いたシャロンは床へ視線を落として記憶を辿る。
片方の手は知らぬうちに胸元へやり、シャツの下に隠したネックレスへ触れていた。
最初。
それは去年の終わりまで遡り、夜中、いつものように部屋の窓辺に現れて。
シャロンに水晶を渡した彼がこう言った。
『魔力を流す時に祈ってみてほしい。これを身に付けた者が守られるように。』
初めて意識的に《効果付与》を試した時、守りを指定したのはアベルだったのだ。
二人は実験のために人気のない山中へ移動し、シャロンによる一つ目の《お守り》は彼の攻撃魔法に反応する。
追加を頼まれて魔力を込めるより先に、ロイ・ダルトンとリビー・エッカートが「攻撃魔法から守られた」という話も聞いていた。
アベル自身が魔力を込めた物で試した結果として、「一度だけみたいだ」とも。
――私はアベルに聞いて、そういう物だと思っていた。だからその通りの効果がついた……?
ホワイトを待たせるわけにはいかない。
しかしアベルの話をそのままするのはもっとあり得ない事だ。シャロンは考えながら口を開いた。
「……最初は、知人に贈り物をした際に無事を祈りました。魔力を流したのも願掛けのようなもので、本当に何の気もなかったのですが。不思議な事が起きたと聞いて――知人は物理的にではなく、魔法で怪我をしそうになった時に助けられたと言っていました。」
アベルに聞いた話を自分の事のようにまとめていく。
ホワイトならその知人が誰かまでは興味がないだろうと思った通り、彼は黙って聞いていた。
「自分の身体を強めるのは鍛錬を続けるうちに気付きましたが、守りの効果についてはその出来事がきっかけです。もし物理的に攻撃を受けそうになっていたら……果たしてその時でも発動していたのか、不明ですが。」
「そうか」
――…アベルは、私と同じなのかしら。本人は違う気がすると言っていたけれど。陛下の命令さえなければ、私、すぐにでも…
「なら守りの効果一つとっても、発動条件を変えられるのかもしれないな。…まぁ、試すのはまだ先でいい。授業に移る」
「はい。よろしくお願いします」
シャロンは立ち上がり、テーブルに並んだ箱の蓋を閉じて小物と一緒に鞄へしまう。カーテン越しに差し込む光に照らされて、月のブローチに咲いた花は青緑に光っていた。




