391.魔獣、その名も
四日間に渡る試験を終え、皆が気を緩めた翌日。
まだ寮での朝食も始まらない早朝に、私はダンを連れて学園の掲示板前に来ていた。大きく張り出された紙を二人で見上げる。
「……王子サマ達が言ってたやつか。」
「えぇ。」
危険生物――《魔獣》の討伐に関する法整備の触書だ。
おおよそどうなるかはウィル達が教えてくれていたし、先週少しだけお会いしたお父様からも今後の話は聞いている。
国内で発生した魔獣の情報収集と殲滅を第一目的としつつ、狩りきれない場合にも備えたもの。
約二か月後、ツイーディア王国の各地に《ギルド》が設立される。
いえ、建築や整備は既に始まっているかもしれないわね。稼働するのが二か月後からなのだ。
魔獣の発生場所、種族や数、被害状況、討伐状況、国から出る報酬の受付と管理……騎士団が担うには膨大過ぎる。新たに騎士隊を作ったところでツイーディアは広過ぎる、ゆえにギルドが必要になった。
「討伐資格試験……これ、お嬢もそのうち受けるんだろ?俺もやっとく。」
頷くと、ダンが「筆記試験はだりぃけどな」とぼやいた。
ただでさえ前期試験が終わったばかりだものね。
「いずれ魔獣についての授業が始まると思うから、その後になるわ。資格の取得は先生がたが先でしょうし。」
「……お嬢が知ってた未来じゃ、今はまだこんなん出ないんだろ?」
「そうよ。…何が起きているのだか……」
誰が魔獣を生み出したのか知っていればよかったのにと、眉を下げて触書を見つめた。
参照用に張られた別紙には、魔獣や魔石の絵姿と特徴が書かれている。
どうやら、火の魔法を使うオオカミを《ファイアウルフ》、風の魔法を使うクマを《ウインドベア》と呼称する事に決まったみたい。
少しでも被害を減らすため、国民への周知徹底が必要な状況だものね。わかりやすく、かつ対抗魔法がすぐわかる名前だ。
……ウインドベアについては、あの威力だと並大抵の火力では押し返せないでしょうけれど。
魔石には毒性があるので、知識を身に付け資格を得るまでは下手に触れないようにと注意書きされている。これは魔獣と魔石の存在が広く報せられた時にもあった内容ね。
ギルドが本格稼働すれば、魔石などを換金できる。それを目当てとして国中が動き出せば…魔獣を全滅させる事は叶うのかもしれない。もちろん、作り出した何者かの投獄と研究施設の停止も必須だけれど。
足音が聞こえて振り返ると、同じく早めに来た方が良いという判断だろう、ウィル達四人がこちらへ歩いて来た。
チェスターだけはまだ眠たそうに目を細め、苦い顔でひらひらと手を振っている。
「おはよう、シャロン、ダン。君達も来ていたんだな」
「えぇ、皆おはよう。」
「おはようございます。」
そう返してくれたのはサディアスだ。
アベルは私と目が合うと頷くように瞬いて、それで終わらせる。
「やっぱ早めに来るよねぇ。相当混むだろうし……☆」
チェスターは相変わらず早起きが苦手みたい。
普段よりワンテンポ遅れて、揃えた人差し指と中指で掲示板をひょい、と指している。動きにキレがなくゆるやかだわ。
皆で改めて掲示板を見上げる。
「ウィル、リラの街ではどのあたりにギルドができる予定なのかしら。」
「噴水広場より港側になるが、オペラハウスより手前だ。最初は試験とそれに伴う事務手続きになるから、本土のギルドよりは小さい建物だな。この島に魔獣が住み着いてしまったら、いずれ場所をメインストリート沿いに取らねばならないだろうが……。」
ウィルが空中を指先でなぞって、大まかな位置を示してくれた。
討伐した魔獣の運搬や処理を多く行うなら、それだけギルドも広さが必要になってくる。
孤島リラではまだ魔獣が確認されていない事もあって、まずはメインストリートから少し東にそれた場所になるみたい。
「再来週にはちょうど本部の騎士がこちらに来る。合同会議には俺とアベルも出て、魔獣について情報を共有するつもりだ。」
「まぁ…本部の方が来るの?」
「三、四年の《剣術》だよ。」
私の質問にアベルが答えをくれる。
いわく、上級生の《剣術》中級クラスと上級クラスでは、現役の騎士に見てもらえる特別授業があるのだとか。
ゲームでこの時期に本部の騎士と会うイベントは無かったはず…と思ったら、そういうことなのね。
そういえば、お母様も…
『学園に剣術の授業があるでしょう?そこへいらした騎士団の方に認めて頂いたのよ~。』
騎士との試合で五戦四勝したとか、おっしゃっていたような。
なるほど、騎士団本部としては将来の騎士候補を見定める場でもあるのでしょう。
納得していると、サディアスが眉間に皺を寄せていた。引き結んだ唇にも力が入っている。私は彼を見つめたまま少し首を傾け、水色の瞳がこちらを見たところで聞いてみた。
「何か、思うところがあるの?」
「……来る面子に、少々。」
「言いたい事はわかるが…どの隊が来るかは基本、ローテーションのようだからな。」
ウィルが苦い顔で顎に手をあてる。
ちょっぴり難のある方が来るのかしら?説明を求めてアベルを見たら、彼もまた少し眉を顰めていた。
「騒がしくなるだろうけど……ある意味では良かったんじゃない。魔獣討伐に回したら、場所によっては苦情付きで戻ってくるでしょ。」
「一体どなたがいらっしゃる予定なの?」
「ああ、それは…」
◇
深夜――とある研究施設。
荒々しい靴音を響かせ、五十歳は超えているだろう男が乱暴に自室へ飛び込んだ。
拳をわなわなと震わせて大きく息を吸い込む。
「はあ゛あ゛ぁああ゛ッ!?ふざけるな、くそ、くそ!!」
テーブル上の物を床へ叩き落とし、燭台を壁に投げつけ、椅子を倒し、子供のように足を踏み鳴らした。顔を真っ赤にして怒り狂う男を見る者はないが、声も音も部屋の外まで聞こえているだろう。
男は額が広くなってきたダークグレーの短髪を掻き毟り、眼鏡が顔面にめり込むのも構わずベッドにダイブし、枕に顔をうずめて手足をばたつかせた。くぐもった叫び声が響く。
「何が――っ何が、ファイアウルフだ!安直な名前にしやがって!あれは怨嗟の炎より生まれ出づる《破滅を司りし灰狼》だ!!チンケな実験動物と私の作品の違いもわからん能無しどもが!ウインドベア!?馬鹿め!!あれこそは混沌を齎す叛逆の咆哮《悪夢の灰色熊》ぁあーっ!!」
かつて魔法学術研究塔――魔塔にて、《中型動物の魔法耐性実験》等を行った男。
自らのスキルが《ゲート》である事を隠し、それによって不都合な実験結果や証拠を消していた。提唱する理論の非道さや危険性から幾度も実験を却下され、経費を横領する事で秘密裏に研究し、金の流れがおかしいと指摘されとうとう失脚。それでもスキルの事は隠し通した。
彼が魔塔を去ったのは三十年も昔の話だ。
当時ツイーディアは王族の訃報で大騒ぎとなっていて、経費横領でクビになった研究者の存在など、騎士団と魔塔のそれぞれごく一部のみが知る事だった。
金がなければ研究はできない。
男は最初こそ金を出してくれる貴族を探そうかと考えたが、元が平民で実績もない犯罪者とくれば、男に出資しようなんて奇特な者はいなかった。
ただ断られるだけならマシで、門番や衛兵に暴行される事もある。出資者を募るのは一週間もなしに諦めた。
やさぐれて自堕落に過ごして数年、夜教の信者と出会ったのだ。
コンコン。
ぜぇはぁと息をしている所にノックが聞こえ、起き上がった男は苛立ちを隠さぬ低い声色で「入れ」と返す。
そっと開いた扉の隙間に顔を覗かせたのは、四十代後半だろう女だ。
艶のない緑色の髪を色気なく一つに結い、顔は俯きがちで猫背、貧相な身体つき。
くすんだ色の白衣を着た彼女こそ、ジョディ・パーキンズ。
三ヶ月ほど前に偽装死体を用意してまで誘拐された、元王立学園教師。隠居同然に暮らしていた国内屈指の薬師である。
精神的・身体的ダメージで調合の腕が落ちては困るため、彼女は拘束や必要以上の脅迫は無しに監禁されていた。
「あ、あの……薬、できたわ。」
罪悪感に塗れながらも、薬師として最上級の仕事をした女の目は鈍く光っている。
引きつり気味に上がった口角は成功を確信し、罪は捕われたせいだと、仕方がないのだと己に言い聞かせていた。
ちょうどよく何も物がないテーブルに、こつりと薬瓶が置かれる。
男は眼鏡をかけ直して近付いたがそれはまるで、ただの水のようだった。
無色、透明、僅かな濁りもなければ埃や塵の類も見当たらない。
目を細めて見やった先、パーキンズは陶酔するような蕩けた眼差しで薬瓶を見つめている。己の成果に興奮した研究者の顔。少なくともこちらを騙す気はないようだ。
《ジョーカー》。
違法魔力増強剤の中でもトップクラスの危険度を誇る。
何年もかけて材料を少しずつ集め、ジョディ・パーキンズを捕えてようやっとの結果だった。
そう、ずっと前から計画は始まっていたのだ。
イザベル・ニクソンが抱える闇を組織が知った時、サディアス・ニクソンは生贄に選ばれた。
「催眠剤の方はあとどれくらいだ。」
「半年頂くと言った通り。…早くても、年明けの完成。」
「強力なんだろうな?」
「……えぇ、一時的には。元から思い込みの強い人や…奴隷、虐待児のような、《絶対的な命令に従う》経験のある人は、特に効きやすいわ。」
それでいい。
サディアス・ニクソンが邸内でどのような扱いを受けていたかは、イザベルの話を伝え聞けばわかる事だった。パーキンズが困惑の目で男を見やる。
「だから……神殿都市の人達に影の女神を信じてほしいと言っても。……本当にいるかも、くらいは思い込ませていないと、難しいと思うの。」
「そのためのジョーカーだ。事件を起こし、神がかった魔法で騒ぎを一気に鎮める。」
「……貴方は、死者は出ないと言うけれど……楽観視せず、周りの人間からはできる限り距離をとっての実行をお勧めするわ。」
「わかっている。使い方は間違えん」
触書のせいでだいぶ荒ぶっていたが、話す内に落ち着きを取り戻せたようだ。
男は火の消えた燭台を拾い、壁掛け燭台から炎を移らせてテーブルへ置く。
「誰かを傷付けるのが目的じゃない。女神様の存在を広めるためさ。」
心にもない言葉を吐いて、男は馬鹿な女を嗤った。




