390.一周すること
最終日は《法学》から。
サディアスのお父様――ニクソン公爵は法務大臣を務めていらっしゃるから、彼は高得点が当然とみなされる。
だいぶピリピリしていて、朝食の席で顔を合わせてすぐにチェスターが「うわっ」と声を漏らしたとか。確かに眉間の皺がいつもより深いかも。
教室へ向かって廊下を歩きながら、ウィルが苦笑する。
「少し気負い過ぎじゃないか?君なら何も問題ないだろう、サディアス。」
「仮に九十九点取れても意味がないのです。ウィルフレッド様。」
「いやいや、あるでしょ。サディアス君ってば、かったいなぁ。」
「積み重ねた知識があるのだから、落ち着いてさえいれば結果はついてくると思うわ。」
「シャロン様、私は落ち着いています。」
落ち着いた人は視線が前方に固定されたりしないのよ。
「………。」
アベルは黙っていた。
貴方が何をどう言っても更に気負いそうだから、それが正解かもしれないわね。
教室に入ると、後方の席でロズリーヌ殿下が抜け殻のように呆然とした顔で机に頭を乗せていた。デカルトさんが横から声をかけている。
「殿下。試験前から寝てどうするんです。」
「寝ていません……燃え尽きているのですわ……」
「試験前から燃え尽きてどうします。赤点は仕方ないにしても零点は」
「仕方ないとは何ですかッ!わたくしだって!わたくしだってお勉強を!!おやつを頑張ったのに!」
「そうですね。」
おやつを頑張るとは。
すすり泣くような「あれが美味しかった」「それも美味しかった」という声を聞きながら、私達は席に着いた。
「……受けるのは殿下と同じ試験、ですか……」
サディアスが複雑そうな顔で呟き、ため息をついて眼鏡を外す。
ちょっぴり呆れ、いえ、気が抜けたかしら?
彼がレンズを拭く間、ロズリーヌ殿下含め女子生徒の視線がかなり突き刺さっていたけれど、サディアスは気にせず拭き終えて眼鏡をかけ直した。
二時間目は《神話学》。
六騎士それぞれの説明文を穴埋めしつつ、誰についての記述なのかフルネームで書きなさい。
なかなかの長さだけれどこれは簡単ね――…ああ、グレン先生らしい。
初代騎士団長グレゴリー・ニクソン様について「母の出身地は…」と空欄が設けられているけれど、これの答えは「不明」だ。書くのに少し勇気がいる回答。
反対にアンジェリカ・ドレーク様の説明文にはその記述がない。あれば、「君影国と言われている」と埋められた。
続いて〇×問題……先生が口頭で言っただけの内容が集められている。
ツイーディア王国の特務大臣はアーチャー公爵のみが就ける役職だ……×。
サトモスに大神殿が作られたのは、王都に近いからである……×。
フランシス・グレンは猫を飼った事がある……×。
スーメラ海岸で太陽の女神は海賊と戦った……×。
全部バツだわ。
不安になってきた……特務は前例がないだけで法律上は他の人も就けるし、大神殿は大勢がそこで救われた逸話による。グレン先生は知らない間にヘビが住み着いていただけ、ティンダル領スーメラ海岸で戦ったのは月の女神様の方。
バツで間違いない。……残りの六問もバツ。こちらの不安を煽っているわね。
後は記述問題二つ。
二人の女神と六騎士の伝説が現代に与えた影響とは何か、自由に書きなさい。
建国後、二人の女神はどうなったのか想像して書きなさい(配点なし、空欄や考察放棄は減点)。
教室の壁に掛けられた時計は、まだ時間が半分残っている事を示している。
考えをまとめるべく、私は一度ペンを置いた。
昼食の時間。
テーブルを囲んですぐに《神話学》の話になった。
「だよね、全部バツだったよね!?焦った~。」
「つか何だよあの問題!教師が何か飼おうが関係ねぇだろ!」
「ああ、ダンは丸にしてしまったのか…」
ウィルに苦笑され、ダンが「飼ってそうな顔してるだろうが」とステーキ肉に怒りをぶつけている。
あれが神話学の試験問題かと言われると違うものね。話をどこまできちんと聞いていたか試されたのだ。サディアスも少し眉を顰めている。
「配点が低い分、生徒側の異議が通るほどではないでしょうね。諦めてください」
「クッソ……これだから神父だ司祭だって奴は気に食わねぇ…!」
「彼が変わってるだけだと思うけどね。」
アベルがぼそりと言った。
グレン先生が変わったお人なのは間違いないわね。
ダンは昔いた孤児院で神父と折り合いが悪かったそうで、元から教会の人々に良い印象がないのよね。
「そういえば皆、昨日の《弓術》はどうだったの?」
「一年の前期だからな、普通の試験だよ。得点的に十本矢を放って、合計点数がそのまま試験結果になる。俺は三本少し外してしまったから、九十五点だ。」
「すごいわ!ほとんど命中したのね。」
「俺とサディアス君は七十六で同点ね☆……とはいえ、俺は一本完全に的に当たらなくてさ。」
チェスターが眉を下げて笑う。
的に当たらなければ零点、当たると場所によって三点、五点、七点、九点、十点が入るらしい。
貴方は?と促すつもりでアベルの方を見ると、こちらの視線に気付いたでしょうに見てくれなかった。
「アベルは百点だ。」
私の様子に気付いたウィルが当然のように教えてくれる。
初回の授業で継ぎ矢――先に放った矢にピッタリ突き刺し、二本の矢が繋がった状態になること――して矢を壊して以来、十点の円の中でも先に放った矢とは絶妙に位置をずらして射ているのだとか。
ダンが何か失礼な事を考えていそうだったけれど、幸いなことに黙ったままだった。(後で聞いたところによると、「逆に馬鹿」と言いかけたらしい。)
「授業でもずっとそうだったの?さすがね……」
「そうなんだ!中々できる事じゃない、しかも日によって先に撃った矢から右回りだったり、十字を切ったり…」
嬉しそうに語るウィルの横でアベルが何とも言えない顔をしているけれど、私は話を聞きたいので放っておきましょう。
弟自慢するウィルを微笑ましく見つめながら、食事を終えた。
午後、《治癒術》。
授業内容は治癒の魔法に限らず、基本的な傷病の知識に消毒、応急手当も含まれる。
今回は実技なし、筆記試験のみだった。
問題用紙の前半は主に応急手当の知識を問うもの。
後半は治癒の魔法に関する問題。
魔力持ちなら誰しも使えると言われているが、副作用の如何によっては実用が難しい事も珍しくはない。副作用の例を三つ挙げなさい。
簡単ね。痛み、熱感、痒み。他にもあるけれどこれでいいでしょう。
空欄を埋めなさい。
治癒の魔法は……には意味がなく――…致命傷。
身体を治せても、……が戻らないためと推測――…魂。
切断等による欠損部位の再生を行える事を示す資格を――…上級医師。
きちんと授業を受けていれば八割は問題ないだろう、という易しさだった。
残り二十点分は少し踏み込んだ内容で、記述問題を含めて配点の高いもの。……試験はやっぱり、先生の性格が出るわね。
最後の試験は《馬術》。
「五人ずつ試験してくよーっ!」
ウェーブした黄緑色の髪は肩につかない長さで切られ、健康的に焼けた肌、大きな緑の瞳。今年で二十六歳のオルニー先生は、いっそクリスに近いほどの無邪気な笑顔でジャンプしていた。
「内容は《馬とコースを一周すること》。リタイアあり、障害物パスあり、乗ったのに落馬とかコースアウトはもちろん減点ね。あたしの馬たちに怪我させたら――もはや失格ゼロ点だから。各自理解した上ではいっ、並んで並んでー!」
ウキウキした様子の先生に皆でついていく。
一瞬だけ完全に笑みを消して低い声色だったからか、まだまだ初心者の生徒は何人か青ざめていた。
乗馬好きなだけあって、ジャッキーは嬉しそうね。もう前期試験が全て終わったかのような解放感に満ち溢れている。
「ちなみにこれ、競争じゃないから。他の人の走りを妨害しないようにね。もう一回言うよ、君達がやるのは《馬とコースを一周すること》。」
……、なるほど。
これは馬を大切にするオルニー先生の試験だ、忘れてはいけない。馬に無理をさせること、馬の嫌がることを強要すること、それが一番危険を生む。
浅い呼吸音が聞こえて振り返ると、乗馬服に身を包んだウェルボーン子爵令嬢が両手を胸元に揃えて震えていた。顔色が悪い。
「……貴女、大丈夫?」
名を呼ばずに声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせた。
私に話しかけられるとは思わなかったみたいね。赤みがかった茶髪のボブヘアに細身な彼女…セアラ・ウェルボーン。恐らくはゲームに出てきた令嬢ABCの一人。
「あ、っ……そ、その。大丈夫です。少し、自信がなくて……」
「二か月ほど前に受け始めたばかりですものね。」
「はい……」
俯いてしまった。
オリアーナ・ペイス伯爵令嬢と共にカレンにしてきたこと、それに私が怒っていること、自覚はあるみたいね。
彼女なりにもう関わらないよう、徐々に距離を置いている事は知っている。
ペイス伯爵令嬢とブリアナ・パートランド子爵令嬢が、《馬術》を受ける女子を汚いと罵っていた事も知っているから、彼女達から距離を置く中で《馬術》を受け始めたのだとはすぐわかった。
表情を見ていれば何となく理解できる。
ウェルボーン子爵令嬢は乗馬が苦手だけれど馬が好き。乗れるようになりたいけれど、まだ怖いのだ。
これまで授業で見た様子から考えると、彼女が試験のために無理に騎乗しては危ない。
優しくする義理はないけれど、敢えて事故に遭わせたいとも思わない。私は少し思案してから口を開いた。
「先生は、一周しなさいと仰ったの。」
「えっ…」
「必ず乗りなさいとは仰っていないわ。」
「……あ」
よそから小さく息を呑む音が聞こえる。
私達の会話に耳を澄ませていた方がそこそこいるみたいね。
それが関係あるかは別として、自信のない方は馬に乗ることなく、手綱を引いたり餌をちらつかせて馬を進ませ、自分は横を歩いたり走って一周していた。
中には馬が言う事を聞かず全力で引っ張ろうとして反発され、そのままコースアウトされたり、勝手に走って一周する馬の後から追いかけて走る人も。
さすがオルニー先生の馬たち、最低限の信頼関係がないとマイペースまっしぐらだわ。
「ほいほいっ、次の五人いくよー!」
コースアウトしても楽しそうに駆け回っていても、オルニー先生が呼ぶとすぐに帰ってくる。
生徒は十頭の馬から好きに一頭選ぶから、その時点で試験が始まっていると言っても過言ではない。
ウィルとアベルは障害物全てクリア。
チェスターは軽やかに、サディアスは落ち着いた走りで、一番高い障害物以外を超えてゴールした。
ダンが幾つか障害物を飛ばしたので意外に思って聞いたら、「あの馬、今はコレやる気分じゃねーって感じだったんだよな。別の選べばよかったかもしんねぇ」と小声でぼやいていた。それを察する事ができるのは中々すごいわね。
レオは挑戦した障害物が一つ、直前で馬が止まってしまって横を走り抜ける。
次は私の番。
狙った馬を他の生徒に取られてはいけない。それとなく一番に足を踏み出して、十頭並んだ中から額に白い模様がある栗毛の馬を選んだ。
「こんにちは、チェーリア。今日もお願いしていいかしら。」
授業で何度もお世話になってきた牝馬。
伸ばした手の匂いをかいで、チェーリアはフンと息を漏らした。ゆっくりと頬を撫でてやり、顔を上げた彼女の背に乗る。アベルに引っ張ってもらわないと乗れなかった頃に比べれば、私も本当に成長した。
「よろしくね。」
声をかけつつ首回りを軽く叩くと、チェーリアは耳をぴょこんと動かした。
私はまだ低い障害物しか跳び越せた事がない。
実力を弁え、チェーリアと共にクリアした事のある内容までに留めた。高さのある障害物は迷う事なく脇を通り抜ける。
そこそこのタイムで無事にゴールして、前期試験は終わった。




